植物に侵食されたコンクリート、床に散乱したガラス、荒れ果てたかつての変電所は異様な空気と美しさで私を惹きつけた。
ポケットに入れたレンズカバーが無いことこに気づいたが私はシャッターを切るのをやめなかった。
新潟の湯沢町三俣地区に廃墟となった二居変電所(ふたいへんでんしょ)がある。
私は廃墟や古い工場などを撮影することが好きで廃墟を検索していた時にこの二居変電所の持つ雰囲気に興味を引かれ、数ヶ月前から撮影を計画していたのだ。
しかし私がこの廃墟に興味を持ったのにはもう一つ理由があった。
それはこの二居変電所にまつわる噂話である。
およそ100年前の大正時代、つまりこの二居変電所ができたころから三俣地区には神隠しがあった。この変電所の中には時間の歪みがあり、この付近で多くの住民が行方不明になっているのだ。
それが理由で変電所を移転することになったが解体することもできずに未だ廃墟としてそこに存在し、今でも神隠しを信じている住民は少なくないという。
もちろんこの都市伝説を信じたわけではないが、それほどまでに不気味な(私にとっては美しい)廃墟なんだろうと私を期待させてくれるのである。
いつも通り子供たちを学校へ送り出した私は直ぐに撮影機材を車に積み込み、国道17号線で三俣地区に向かった。
自宅の魚沼市から1時間半ほどで道の駅「みつまた」を通過して更に5分ほど行くと二居変電所が見えてきた。
木や雑草にかこまれているその廃墟は異質な存在感だった。
実は少し前から小雨が降っていたが止みそうになかったので私は近くの待避所に車を停め、直ぐに撮影機材を持って廃墟に向かった。
生い茂る雑草をかき分けながら入口にたどり着くとオカルトなどを一切信じない私であったが一瞬息を飲んだ。
扉などない入口から先の空間は明らかにこちら側とは別であった。
私はゆっくりとその空間に足を踏み入れた。
肌に触れる空気、臭い、音、全てが別の時空であるかのように思えた。
私は言語化できない強い美しさを感じ、かつての変電所を探索しながらシャッターを夢中になって切った。
決して広くないこの3階建ての建物は奥の半分が1階から3階まで吹き抜けになっている。入口のある2階だけがいくつかの部屋に分かれているが中には何もなく、床にコンクリート片やガラスなどの瓦礫があるだけだった。
吹き抜けになっている部屋の窓には雑草が生え美しい景色を見せてくれた。
気分が高揚している私は休むことなく写真を撮り続けていた。
ヂヂ . . .
ヂヂ. . .
シャッターを切りながら遠くで電気のショートするような音がしたような気がした。
かすかな違和感がよぎったが私は撮影をやめることをしなかった。
小雨だった窓の外は青空だった。
使い切ったバッテリーを交換し撮影を続けている最中、足に当たる瓦礫が増えた気がした。
少しずつ大きくなっていいく違和感を私はとうとう無視できなくなり、周りを見渡したが視覚ではなく体がその異変を先に感じ取っていた。
何も変わっていない景色であったが全てが変わってしまったとこを全身の肌で感じた。
直ぐにこの廃墟から出なければならないと思った時、私は足元に落ちているレンズカバーに気がついた。
何年も昔に捨てられたレンズカバーの様だったが、それが自分のものであることを私は直感した。
同時に、目をそらしていたこの違和感の正体を私は受け入れなくてはならなかった。
ここは現在ではない。
聞こえた音は時間の歪みだったこと
自分の力ではどうすることもできないこと
そして神隠しは本当にあったことを. . .
私は理解した。
ヂヂ. . .
ヂヂ. . .
電気のショート音
次の瞬間、激しいめまいと耳鳴りで私は目の前の光を失い、その場にうずくまってしまった。
それから数秒たったのか、数時間たったのかはわからない。
めまいと耳鳴りが消え、ゆっくりと目を開けると足元にあったレンズカバーが目に入った。
私は出口に向かって駆け出した。
外へ出ると小雨が頬を濡らした。