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先日に姫路モノレールの遺構について記事を書きましたが、今回は
車両
について見てみましょう。姫路モノレールの車両が手柄山交流ステーションに保存されており、その様子を眺める事が出来ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/8c/9f21199f19f4f7ae87c33d1a6b68ccf7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/2f/76e135b0fed41809e103ae301645a5ab.jpg)
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姫路モノレールの車両は開業に合わせて片運転台の100形2両、両運転台の200形2両が用意され、状況に応じて2~3両編成を組んで運行されていたようです。廃止後は両運転台の200形旧手柄山駅の中に保管され、このたび保存された形です。手柄山交流ステーションでは200形2両編成を組んだ状態で保存され、201のみ車内が公開されています。
200形は2両編成を組んだ状態で運行されていたようですが、2両編成を組む時ホロを使っていたようで、その状態で保存されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/e6/00bb35561a2f354099dfa7545fc4c7df.jpg)
車体には姫路市章が付けられていました。元々モノレールは公営でしたからね・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/09/a22dae56edbe7df051b63179da9e2db3.jpg)
200形の連結器です。密連ですね・・・。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/0f/3703f9bdcc60117f6132bb4903efb53f.jpg)
車内
です。オールクロスシートで大部分はボックスシートで、横引きカーテン付きという贅沢な配置となっていました。とはいえ、ボックスシートはやや小ぶりで、4人座ると窮屈そうな感じでした。現代のモノレールはロングシートが多いだけにオールクロスシートとは驚きです。しかも、運転台後部の座席は運転台に向けられていて、前面展望が可能でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/81/fd04b55629567568248e46da721b2918.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/e8/902c0f0c1e6d8c901560e812e5dbf95f.jpg)
運転台
です。運転台はどちらかというと、シンプルな構造でした。仕切りも簡易的で、前面展望がやりやすいような感じでした。運転はマスコンとブレーキが別々になったツーハンドル式だったようです。ワンマン機器が見えなかったので、ツーマンで走ったのでしょうね・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/2f/b3fa217e394c7b547e88c6ae6cd3cbd1.jpg)
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手柄山交流ステーションでは車両だけでなく、姫路の交通などについても展示されていました。そして、モノレール車両の部品も展示されていたのですが、解体された100形から取ったものだと思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/9b/ac6f5eaaf68994ddc94c3dd6729df4b0.jpg)
こちらは手柄山交流ステーションに展示されていたモノレールの時刻表です。1970年当時のダイヤがそのまま残されています。ダイヤを見ると、9時~18時(冬季は17時)に運行され、20分ヘッドが基本だったようです(日祝日には15分ヘッドに)。手柄山への観光客を意識したようなダイヤで、朝夕の運行は無かったようです。短距離かつ朝夕の運行なしとなると、生活路線として使えないような感じで、すぐに乗客が減って廃止になるのも無理ないですね・・・。
以上です。
車両
について見てみましょう。姫路モノレールの車両が手柄山交流ステーションに保存されており、その様子を眺める事が出来ます。
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姫路モノレールの車両は開業に合わせて片運転台の100形2両、両運転台の200形2両が用意され、状況に応じて2~3両編成を組んで運行されていたようです。廃止後は両運転台の200形旧手柄山駅の中に保管され、このたび保存された形です。手柄山交流ステーションでは200形2両編成を組んだ状態で保存され、201のみ車内が公開されています。
200形は2両編成を組んだ状態で運行されていたようですが、2両編成を組む時ホロを使っていたようで、その状態で保存されています。
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車体には姫路市章が付けられていました。元々モノレールは公営でしたからね・・・。
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200形の連結器です。密連ですね・・・。
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車内
です。オールクロスシートで大部分はボックスシートで、横引きカーテン付きという贅沢な配置となっていました。とはいえ、ボックスシートはやや小ぶりで、4人座ると窮屈そうな感じでした。現代のモノレールはロングシートが多いだけにオールクロスシートとは驚きです。しかも、運転台後部の座席は運転台に向けられていて、前面展望が可能でした。
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運転台
です。運転台はどちらかというと、シンプルな構造でした。仕切りも簡易的で、前面展望がやりやすいような感じでした。運転はマスコンとブレーキが別々になったツーハンドル式だったようです。ワンマン機器が見えなかったので、ツーマンで走ったのでしょうね・・・。
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手柄山交流ステーションでは車両だけでなく、姫路の交通などについても展示されていました。そして、モノレール車両の部品も展示されていたのですが、解体された100形から取ったものだと思われます。
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こちらは手柄山交流ステーションに展示されていたモノレールの時刻表です。1970年当時のダイヤがそのまま残されています。ダイヤを見ると、9時~18時(冬季は17時)に運行され、20分ヘッドが基本だったようです(日祝日には15分ヘッドに)。手柄山への観光客を意識したようなダイヤで、朝夕の運行は無かったようです。短距離かつ朝夕の運行なしとなると、生活路線として使えないような感じで、すぐに乗客が減って廃止になるのも無理ないですね・・・。
以上です。
現実的に考えてモノレールを姫路駅から観光客の多い姫路城へ北進は景観上無理でしょうから。
10年遅ければ「軽快電車」が登場する時代だけに、路面電車で建設できたでしょうね。
路面電車なら姫路駅を基点に北は姫路城、南は姫路港、南西は手柄山。姫路城から北西に延伸すれば書写山ですから…
当時は新日鐵広畑も新日鐵の中ではまだ主力工場でしたから、これが実現すれば姫路モノレールも新日鐵広畑の通勤路線として機能していたと思われるだけに、残念でなりません。
コメントありがとうございます。
元々姫路大博覧会の輸送を目的に先行して開業したのが仇になってしまった感じですね。姫路城方面への延伸計画があったのは確かなので、一緒に開業していたらどうなったいたのか・・・と考えさせられます。
路面電車もいいのですが、当時は交通の敵として見られていましたからね。
コメントありがとうございます。
広畑まで延伸する計画あったんですね・・・。もし、実現していたらもう少し長く走っていた可能性あったのかもしれませんね。よく考えてみれば姫路大博覧会の輸送を目的に先行して開業したのが仇になってしまった感じですね。