転載 戸羽太 陸前高田市長 高槻での講演から
陸前高田市は、岩手県でも一番大きな被災をしたのですが、現在市内で発見されたご遺体は1555体。
そして今なお、230名を超える方々が行方不明であり、連日、警察や海上保安庁に捜索をしていただいてますが残念ながら今年に入って、どなたも発見されておりません。
230名を超える方々をそれぞれ探しておられる、ご家族、ご友人、ご親戚が市内にどれくらいおられるだろう。
そう考えますと、私どもは復興・復興と言ってるわけですが、一方でそういう人たちが、置いてきぼりにならないように、フォローしていかねばならないと考えているところです。
↓↓陸前高田市の街・・。消えてなくなっています。まるで、敗戦の時のB29による空襲の跡のような光景でした。(僕が、行ったのは2ヶ月後の5月でした。唖然としましたね。)
▼復興が進まない理由
気持ちが通じない、国と被災地
(発災から)1年5カ月経とうとしています、しかし現地に来ていただければ分かると思いますが
まだ復興と言える段階には至っておりません。本当に歯がゆい思いをしています。
ではなぜ、復興の段階に入れないのか、その理由の一つが国のルールです。
ルールは通常時には大変有効なものであり、ルールがあって社会が成り立つのですが
政治家の皆さんは、千年に一回、未曾有の大震災と話をされますが、その千年に一度の有事に対して
通常のルールで対応をしています。
したがって前に進もうとしても進めないでいます。
例えば、一つの山を削って、災害公営住宅を建てるという計画を、昨年の10月に市民の皆様に発表をしていますが、
それから10カ月経とうしている今日でも、石ころ一つ動いていません。
なぜなのか、それは国のルールがあるからです。
山には木が生えている、木を伐採するには森林法に基づいて国に届け出をして、許可を取る必要があります。
次に山を削って平らな土地を整備するので面積が広くなる、それは大規模開発ということになります。
大規模開発というのは本来、民間の方々が勝手に山を削って、大きなショッピングセンターを勝手に作るというような
乱開発を防ぐためにある法律だと私は理解しているが、被災地である私どもにも通常のルールのまま申請をして、許可を得なければ前に進まないというのが現状です。
そして、今、復興交付金制度があり、そのお金を使って山を削ろうとしたら、
今度は都市計画設計をしなければいけまんよ、というルールがあります。
以前に手続きをしていた、森林法で許可が出たから、木を切ろうとする段階になれば
今度は林野庁から電話が入り、陸前高田の山にはその昔、43万円の補助金が入っていますから
ちょっと待ってください、と言われます。
たった43万円なら返してやれと担当課に言いました。
43万円返せば勝手なことしてもいいんでしょ
となれば林野庁もプライドがあります、そういうことが世の中に洩れるのが嫌なのでしょう。
返さなくてもいいから、手続きだけはしてください、手続きには6カ月かかります、と言われる。
今から6カ月待つなんてことはありえません、6カ月もかかるならお金を返します、と言うと
2ヶ月から3ヶ月でなんとかしましょう、と言う。それも待ってられないと言うと
分かりました2週間でします、となる。
ここは本来は喜ぶべきことかもしれませんが、私たちからすればまさに、ストレスなんです。
なんで一番はじめに、被災地である我々が山の木を切る、削ると言った時に、
今2週間でできると言ったのなら、なぜ最初に6ヶ月と言ったのか?
通常のルールだと6ヶ月だけど、あなたのところは被災地だから
なんとかして2週間でしますと、なぜ一回で返答ができないのか、
そこが国と我々被災自治体とのギャップなんです。
ルール上のギャップというのは、確かにありますが、一番悔しいのは気持ちが通じないということ。
被災地に寄り添うとか、日本全体の問題だと色んな大臣が話しますが、実際には言葉はでてきても
行動には出てこないのであります。そこが非常に悔しい思いをしてならないのです。
昨日(8月4日)平野復興大臣にご視察をいただきました。
その際に、市街地が全部被害を受けているので、都市計画においても、
非常に広い面積だから分割してやった方が良いと大臣が仰った。
その通りですが、分割して進める場合にどの予算でやれば良いか、我々には分からないと伝えますと、
大臣から提案がありました。
すると 当者から、それは先日国交省からダメだと言われた、と言うんです。
省庁で言うことが違い、横の連携ができていません。
↓↓右が、戸羽市長さんんです。
▼国の縦割り行政の本質
国の制度はよく縦割りだと聞かれると思いますが、被災をして、本当に国は縦割りなんだなと実感しました。
一番印象的だったのは、昨年、津波の影響でガソリンスタンドが一つも無く、ガソリンが近くまで来ても
陸前高田市までには届かない状況が続いた。そこである政治家にお願いをして、経産省に電話をしてもらい
ガソリンを持ってきてもらうことになりました。本当に喜んびました。
ガソリンが無くて一番困ったことは、市内で日々大勢のご遺体が発見され、OO小学校に収容してもすぐに一杯になり、次はこの学校・・と指示をしていると市内の学校の体育館はご遺体でいっぱいになりました。
隣町の体育館も借りて収容していただいた。
この写真は高槻での講演の記事とは関係ありません。
ガソリンが無い為に、家族を探しておられる方々が、ご遺体の安置所に行けないということになりました。
ですから身元が判明しません、するとそのまま安置したままになり、悪循環が生まれてきました。
いよいよ明日ガソリンが来ると言う時、その給油を自衛隊の方々にお願いをしていました。
それは副大臣が来ていた時に、副大臣から危険な業務なので、自衛隊にとお願いをしてもらっていたが
経産省から電話があって、
「経済産業省が出すガソリンなので、自衛隊の方々には給油をさせないでください。古いドラム缶と新しいドラム缶を交換する時は自衛隊に手伝ってもらってもいいが、ノズルには触らせないでください」
という事を言われました。
被災地で食べ物も水もガソリンも無い状況で、経産省が出したガソリンだから、自衛隊に触らせないくださいと
そんなことを平気で言うんですよ。
これが事実なんです。
▼国の危機管理に危惧
こういった中で復興をしなくてはいけない時に、私たちは国と戦わざるえなくなっている。
震災が起った時の総理は菅直人さんだった。当初色んな批判を受けていたが
私は批判をしても仕方がない、手を携えて頑張っていかねばならない時だと思っていました。
が彼は突然辞めると言いだした、それから3ヶ月かかった。
そして辞めた後、SPを連れてお遍路さんに行っていた。
その前の総理大臣もしかりですが、ああいう人が今でも政治家として残って、力を持っています。
それは日本という国が、非常に危ぶまれることだと思います。
今回の震災は東北3県が主に大きな被害を受けましたが、日本全体のことを考えた時に
国の危機管理をしっかりと日ごろから考えていく必要があると、被災をした私たちですから
反省と教訓を皆さんに伝えていかなければいけない、そういう思いでこのお話をさせていただいています。
陸前高田市は、岩手県でも一番大きな被災をしたのですが、現在市内で発見されたご遺体は1555体。
そして今なお、230名を超える方々が行方不明であり、連日、警察や海上保安庁に捜索をしていただいてますが残念ながら今年に入って、どなたも発見されておりません。
230名を超える方々をそれぞれ探しておられる、ご家族、ご友人、ご親戚が市内にどれくらいおられるだろう。
そう考えますと、私どもは復興・復興と言ってるわけですが、一方でそういう人たちが、置いてきぼりにならないように、フォローしていかねばならないと考えているところです。
↓↓陸前高田市の街・・。消えてなくなっています。まるで、敗戦の時のB29による空襲の跡のような光景でした。(僕が、行ったのは2ヶ月後の5月でした。唖然としましたね。)
▼復興が進まない理由
気持ちが通じない、国と被災地
(発災から)1年5カ月経とうとしています、しかし現地に来ていただければ分かると思いますが
まだ復興と言える段階には至っておりません。本当に歯がゆい思いをしています。
ではなぜ、復興の段階に入れないのか、その理由の一つが国のルールです。
ルールは通常時には大変有効なものであり、ルールがあって社会が成り立つのですが
政治家の皆さんは、千年に一回、未曾有の大震災と話をされますが、その千年に一度の有事に対して
通常のルールで対応をしています。
したがって前に進もうとしても進めないでいます。
例えば、一つの山を削って、災害公営住宅を建てるという計画を、昨年の10月に市民の皆様に発表をしていますが、
それから10カ月経とうしている今日でも、石ころ一つ動いていません。
なぜなのか、それは国のルールがあるからです。
山には木が生えている、木を伐採するには森林法に基づいて国に届け出をして、許可を取る必要があります。
次に山を削って平らな土地を整備するので面積が広くなる、それは大規模開発ということになります。
大規模開発というのは本来、民間の方々が勝手に山を削って、大きなショッピングセンターを勝手に作るというような
乱開発を防ぐためにある法律だと私は理解しているが、被災地である私どもにも通常のルールのまま申請をして、許可を得なければ前に進まないというのが現状です。
そして、今、復興交付金制度があり、そのお金を使って山を削ろうとしたら、
今度は都市計画設計をしなければいけまんよ、というルールがあります。
以前に手続きをしていた、森林法で許可が出たから、木を切ろうとする段階になれば
今度は林野庁から電話が入り、陸前高田の山にはその昔、43万円の補助金が入っていますから
ちょっと待ってください、と言われます。
たった43万円なら返してやれと担当課に言いました。
43万円返せば勝手なことしてもいいんでしょ
となれば林野庁もプライドがあります、そういうことが世の中に洩れるのが嫌なのでしょう。
返さなくてもいいから、手続きだけはしてください、手続きには6カ月かかります、と言われる。
今から6カ月待つなんてことはありえません、6カ月もかかるならお金を返します、と言うと
2ヶ月から3ヶ月でなんとかしましょう、と言う。それも待ってられないと言うと
分かりました2週間でします、となる。
ここは本来は喜ぶべきことかもしれませんが、私たちからすればまさに、ストレスなんです。
なんで一番はじめに、被災地である我々が山の木を切る、削ると言った時に、
今2週間でできると言ったのなら、なぜ最初に6ヶ月と言ったのか?
通常のルールだと6ヶ月だけど、あなたのところは被災地だから
なんとかして2週間でしますと、なぜ一回で返答ができないのか、
そこが国と我々被災自治体とのギャップなんです。
ルール上のギャップというのは、確かにありますが、一番悔しいのは気持ちが通じないということ。
被災地に寄り添うとか、日本全体の問題だと色んな大臣が話しますが、実際には言葉はでてきても
行動には出てこないのであります。そこが非常に悔しい思いをしてならないのです。
昨日(8月4日)平野復興大臣にご視察をいただきました。
その際に、市街地が全部被害を受けているので、都市計画においても、
非常に広い面積だから分割してやった方が良いと大臣が仰った。
その通りですが、分割して進める場合にどの予算でやれば良いか、我々には分からないと伝えますと、
大臣から提案がありました。
すると 当者から、それは先日国交省からダメだと言われた、と言うんです。
省庁で言うことが違い、横の連携ができていません。
↓↓右が、戸羽市長さんんです。
▼国の縦割り行政の本質
国の制度はよく縦割りだと聞かれると思いますが、被災をして、本当に国は縦割りなんだなと実感しました。
一番印象的だったのは、昨年、津波の影響でガソリンスタンドが一つも無く、ガソリンが近くまで来ても
陸前高田市までには届かない状況が続いた。そこである政治家にお願いをして、経産省に電話をしてもらい
ガソリンを持ってきてもらうことになりました。本当に喜んびました。
ガソリンが無くて一番困ったことは、市内で日々大勢のご遺体が発見され、OO小学校に収容してもすぐに一杯になり、次はこの学校・・と指示をしていると市内の学校の体育館はご遺体でいっぱいになりました。
隣町の体育館も借りて収容していただいた。
この写真は高槻での講演の記事とは関係ありません。
ガソリンが無い為に、家族を探しておられる方々が、ご遺体の安置所に行けないということになりました。
ですから身元が判明しません、するとそのまま安置したままになり、悪循環が生まれてきました。
いよいよ明日ガソリンが来ると言う時、その給油を自衛隊の方々にお願いをしていました。
それは副大臣が来ていた時に、副大臣から危険な業務なので、自衛隊にとお願いをしてもらっていたが
経産省から電話があって、
「経済産業省が出すガソリンなので、自衛隊の方々には給油をさせないでください。古いドラム缶と新しいドラム缶を交換する時は自衛隊に手伝ってもらってもいいが、ノズルには触らせないでください」
という事を言われました。
被災地で食べ物も水もガソリンも無い状況で、経産省が出したガソリンだから、自衛隊に触らせないくださいと
そんなことを平気で言うんですよ。
これが事実なんです。
▼国の危機管理に危惧
こういった中で復興をしなくてはいけない時に、私たちは国と戦わざるえなくなっている。
震災が起った時の総理は菅直人さんだった。当初色んな批判を受けていたが
私は批判をしても仕方がない、手を携えて頑張っていかねばならない時だと思っていました。
が彼は突然辞めると言いだした、それから3ヶ月かかった。
そして辞めた後、SPを連れてお遍路さんに行っていた。
その前の総理大臣もしかりですが、ああいう人が今でも政治家として残って、力を持っています。
それは日本という国が、非常に危ぶまれることだと思います。
今回の震災は東北3県が主に大きな被害を受けましたが、日本全体のことを考えた時に
国の危機管理をしっかりと日ごろから考えていく必要があると、被災をした私たちですから
反省と教訓を皆さんに伝えていかなければいけない、そういう思いでこのお話をさせていただいています。