福岡の看板屋 独り言(看板.・カワムラ)TEL092-935-7058

皆様に生かして頂いてる看板屋としての呟きです。内容は独り言なので、万が一気分を害された方が居られましたら何卒ご容赦。

憂い

2010年01月23日 | Weblog

 

※因みに 本読んでる人は うちの妻に非ず!

今年の正月はとても短かったですね・・・・・。

折角のダイエットも、運動不足のせいかリバウンドしそうで

健康の為に自転車をと思い立ち、買い物用にと父が妻にくれた自転車を探すが

見つからない。

私:「お父さんがくれた自転車がないんやけど・・・・」

父:「あー!あれね いつまでも使わないから 中学生にあげたよ。」

私:「げっ!」

なんでも、家の横に置いてあった自転車を盗もうと女子中学生が

引っ張り出すのに苦労していた場面に遭遇したらしいのです。

この子は父がこの家の主と気づいていないみたいです。

父:「その 自転車が欲しいとね?」

声も無く頷く女子中学生悪びれる様子無し

父:「あげるから 持っていきなさい!」と自転車を差し出した。

昔、貧しくて自転車を買えなかった父は、この子の家の事情を察したらしい。

お礼も言わず、さっさと自転車に乗り去っていく女の子

ちょっと がっかりしましたけどこの一件で 昔、イタリア映画好きの父の為に ビデオ

屋さんで「自転車泥棒」という映画を借りてきて 弟と大笑いで鑑賞した事を思い出しました。

 この作品は1948年に公開された映画で第二次世界大戦後のイタリアを舞台に、戦後の貧困とその中で生きる親子を描いた作品です。

先ほど不謹慎にも大笑いしたと書いたわけですが 

実は この映画、喜劇ではなく悲劇なのです。

馬鹿笑いする息子二人を横目に当時父は「このばかたれがっ!」と冷ややかな

眼差しを向けていましたね・・・ お恥ずかしいかぎり・・・・

私と弟がこの映画を見たのは 日本がバブル景気に浮かれていた時で、

虚飾が美徳としてまかり通る世の中に生きていた若者が、貧困を赤裸々に描いた

リアリティーのある映画を現実の世界として受け取る事ができなかったのです。

まあ 無知だったんですね・・・当時この映画は新写実主義と評判だったのですから

で、こないだ、買い物をしていると DVDとして再販されていたので 購入し、

本日鑑賞したのですが、今はとても リアルすぎて笑えないのであります・・・。

商売道具の自転車を盗まれて息子と自転車を探し回るという シンプルなストーリー

ですが 実に奥が深い!主人公の息子ブルーノは、丁度 うちの息子と

同じ位の歳で、親の貧困を傍らで見習って育つんですね・・・・だから とても賢くて

たくましく健気なのです。あの少年ブルーノは幼少時代の父の姿であり、       

ひょっとしたら主人公は 働きたくても仕事がなかった祖父であり 

今の私達であるような気がしてなりませんね。ゾッとします。

戦後の社会はこれだから嫌です 歴史は繰り返すといいますが貧困は犯罪を生み  

善人が社会淘汰され ますます人心が荒廃していくばかり。

日頃 叔父に「人のせいにするな」と一喝されますが、                    

こりゃあ 明らかに失政のせいでしょう!

(でも、叔父はホームレスの方達に毛布や日用品を「うちで邪魔になってしょうがないので ご迷惑でなければ貰ってくれませんかと差し入れしている・・・・若い時代に苦労した人間は何かカッコいいですね・・・・」)           

戦争と貧困は人災だよ 人災!いい加減にしてほしいですねまったく!

足の引っ張り合いは 国会が終わってからやれよ!審議中にやるなっちゅーの

ところで印象的だったのは、あまりの落胆からインチキ占い師にすがろうとする一幕

主人公「自転車は何処にあるんでしょうか?」

占い師「自転車は直ぐに見つかるでしょう 見つからなければ もう見つかりません」

漫才かい!?(不況で不安な世程 新興宗教が広まるといいますが・・・

これも人間の性なのでしょうね・・・・。)

此間、営業で飛び込んできた国立大卒の子に言いました。

詐欺まがいのことは止めて もう一度出直せ!苦しいかも知れんが 名こそ惜しめよ

志ば高こう持て!と説いちゃりました(自分は大したことないのですがね

あんたは 優秀なんだからな!(まあ 大きなお世話だったでしょうが)

目を潤ませて聞いてくれましたが・・・・