福岡の看板屋 独り言(看板.・カワムラ)TEL092-935-7058

皆様に生かして頂いてる看板屋としての呟きです。内容は独り言なので、万が一気分を害された方が居られましたら何卒ご容赦。

恩人の墓参り

2013年08月11日 | Weblog

昔、看板の修行を積ませて頂いた会社・社長の墓参りをした。

墓石に享年51才と刻まれていたのには驚いた・・・

「社長、まだ 若かったんですね・・・」と呟いてしまった。

28年前 文字カキ職人になる為、父に「修行して来い!」と

放り込まれた 同じ街にある看板屋さん・・・

今は甥っ子さんが塗装業として後を継がれているらしい。


Y社長とは深い縁があり、お世話になりながらも 臨終に立ち会う事が出

来なかった。(複雑な事情とは言え この事が悔やまれてならない)

まだ20代で独立した私に仕事を任せてくれた大恩人。

彼が居なかったら 今、ここで看板業はやっていなかったのではない

か・・・と いつも感慨に耽ることがある。


Y社長の会社は福岡でも草創の看板屋で先代の頃からすると業界では

老舗と言えるのではないだろうか。満州からの引揚家族で 相当な苦労

をされたらしい・・・戦後敗戦の時代を生きてこられたので 食に恵まれな

かった 故に小柄な方だった。


だが 其の分 身は軽く 高いとこでも平気で登るし 手の器用さは群を

いていた・・・現場では 度胸のすわった人で 少々危険な場所でも

彼(社長)と居れば 安心して作業する事ができたものだ。


豊富な技術知識と現場経験は今迄出会ってきた経営者の中でも

トップクラスなのではなかったろうか・・・兎に角 無いものから 

作り上げる創造力には敬意を抱いていたのだ。

 

元々頭の良い人で アイデアマンでありユーモラスなジョークで回りを

 

笑わせて 不思議な魅力を持った方だった。


今にして思えば 私の看板屋としての師匠は父とY社長だけだったの

かも知れない....

 

人当たりが良くて とても優しい看板屋の2代目、丁度先代が亡くなり

専務から社長になったタイミングで 私を雇う事になったのだ。


会社名の由来は恐らく 長野県の白馬村なのではないかと思う。

戦時中ドラマ等で 必ず満州というと、この地名が出てくるからだ。


亡くなる前に「カワムラ君は僕の息子だ。君みたいな息子が欲しかった」

と言ってくれていた。たまに2人でビールを片手に飲んでいると

「娘をやると言ったのに 断ったもんね・・・」と残念そうな顔をしてみせた。

「社長・・・あの時は 照れくさかったんですよ」と返すと

寂しそうに 遠くを見つめ タバコを差し出し「タバコ吸わんね?」と

なんとも言えない やさしい表情をみせるのだ。


(あー、ひょっとしたら この人は前世何処かの時代で親子だったのかも)

と そう思うと・・・たまに胸が熱くなる事があった。


墓標に刻まれた没年は平成3年7月・・・

バブルがはじけ これから経済が傾こうとする時期だった。


「Y社長・・・今度は、良い時代に生まれて来て下さい。いつか今度 再会

する時は お互い、生きてて楽しい人生の真っ只中で会いましょう!」と

強く念じた。