福岡の看板屋 独り言(看板.・カワムラ)TEL092-935-7058

皆様に生かして頂いてる看板屋としての呟きです。内容は独り言なので、万が一気分を害された方が居られましたら何卒ご容赦。

諸悪の根源

2013年02月09日 | Weblog

ある日 知り合いの女性が助けを求めてきた・・・

夫からの言葉の暴力に苦しんでいるらしい つまり モラハラって奴だ。

 

私が いつも この場所に居るのが判っているので 困りごとがあると

たまに 飛び込んで来る方達が おられるのだ。

先日は高校生が飛び込んできて 自転車のタイヤに空気を入れて下さい

と来たし、街の交番みたいな事になっている・・・

ご先祖様に 近衛兵が居たらしいので 人助けしなさいと言う事なのだろ

うと、喜んでやらせて貰っている。

※妻は近衛兵を「ごんべえ」と読みやがったが 

「アホ!文武に優れ しかも容姿端麗 陛下をお守りした このえへいじゃい!」

と一喝したのである。

此間は ご近所の方から トある相談を受けたが 非弁活動になる

ので法テラスを教えて差し上げたyo

普段、道を尋ねられる事が多いが 今回はいつに無く尋常じゃない・・・

先ほどのつづき・・・

 事の仔細は割愛するが トある宗教団体に所属している旦那の事で

相談を受けた。何分熱心な活動家なので 人間的にゃ 当然人格者だ

ろうと思いきや さに非ず!とんでもないモラ夫ぶりにゃ 驚きを超え

お気の毒でならない 何のための信仰しておるのやら...

仏教の強信者がモラ夫となれば 全く効き目の無い飴玉を薬と勘違い

して 服用しているようなものではないか・・・なあんも 効いとらんやん!

 

余程 インチキな教えなのだろうと思ったがその宗教の教義事態はどう

かと言うと いや なかなか大して立派な物だ。間違っとらんやん!

ほんじゃあ 立派な教えを受けながら何故?

 

で、今回のテーマは「諸悪の根源」・・・

これは 大きく 論じれば 社会全体にも言える事なので

私なりに ぼやいてみたいと 思う。

 

じゃ 何故 教義が立派なのに それを受けた人間に歪が生じるのか

結論から言うと・・・経典の運用が歪曲されておるのではないかと思う。

まあ 簡単に言えば 立派な教えも餓鬼供の都合でよがめられて    

正しく伝わらず 訳のわからん 宗教運動に時間を割いてしまって 

真面目な信者さん達は奴隷にされているのではないだろうか?

つまり 百歩譲って 悪意を除けば 運用の誤りと言うことになる。

世界レベルでも見受けられる現象で紛争の源なのだ。

実際、この旦那は 教団内じゃ 面倒見の良いやさしい男なのだが 

身近な家族にゃ隷属を強いる・・・

(ははんーこの人は 仏教の本義を知らぬな)

当に この宗教団体を象徴している様な感じだ。

(自分らの事は棚上げでよく他宗批判できるなあ 摩訶不思議な人)

家庭不和が多く 離婚する人達もかなり多いと聞く・・・

活動時間がハンパなく 家庭を顧みない傾向にあるらしい・・・

 

この経典の肝心は何かと言えば 極簡単にまとめ上げれば

「自分以外の存在に感謝し敬意を持つこと」 至ってシンプルだが・・・

宗教というのは 簡単すぎると 「なあんだ」と見向きもしないのが

人間の性らしい・・・しかし その当たり前な事が伝わらず お布施じゃ

勧誘じゃ 集会じゃ!あげくにゃ 政治活動を強いられると聞く。

その割りに 結果論で言わせて頂ければ 政治で世の中良くなった?

余計悪くなった様に思うのだが・・・

 

増してや 依教の経典は漢訳無しでは 意味が判らない物なので

これを良いことに 自分らの儲けの為に 信者達に ご都合教義で

精神的に縛っているのだ。運営側に問題があると言えるだろう。

補足だが 意味は判らぬ方が良いらしい・・・じゃあ 何のための

集会なんだよって 突込みを入れたくなるのだ。

ただただ まじないが如く お題目を唱えるのが 宗教っぽいのだが

その他の活動である教団への利益誘導運動の方が速攻で 

ご利益を受けるとの事が いつの間にか暗黙の了解となっておるようだ。

そげな事ぁ 鎌倉時代の宗祖は なーあーんも 言っとりゃせん・・・

 

しかし 考えてみても 滑稽な話 仏教の本義は「おまじない」だろうか?

例えば 飯を食いたいと思っている貴方が トある販売店で

最先端の技術を売りにする 炊飯器を買った。

「とても 便利で画期的な炊飯器!」が売り。

だが、この器具を備えて 待てど暮らせど 飯は炊けない。

 

煩わしい事は一切抜きで まじないだけで米が炊けるというのが売りだ。

炊飯器にむかって 「米よー炊けろ!米よー炊けろ!」と

まじないを何時間も唱え 肝心である 米を炊く作業が省かれるので

イツマデ経っても おいしい ご飯にありつけないのである。

「おいおい 本当にまじないかよっ!?」

傍らで 放られた子供が叫んだ!「いい加減にして 外食しようよ!」

人の良い知人の あの人からの紹介で買ったのだ インチキな物では

無いはず・・・と 何度もやるが 飢餓状態は続くのだ。

 

いつまでも米が炊けず 訝しく思った貴方は これを作った メーカーに

直接電話で問い合わせようとするが とっくの昔に存在しない・・・

仕方なく炊飯器を売った販売店に使い方を乞うだろう。

ところが この販売店は本当の使い方を知らず 売り上げが上がり

金儲けができれば 目的達成で都合の良い解釈をしているのだから 

使い方など判るはずがないのだ。

利益至上主義のマニュアルを見ながら、相談員はこう言うだろう

 

「もう一台買えば おいしい米が食えますよ・・・」とか

「誰か、もう一人 購入者を紹介して下さい そしたら 米が炊けますよ」

とか 挙句の果てにゃ  

「まじないが足りんのです!もっと 真剣にやりなさい!」

「諦めたら 一生 米を口にするどころか 餓死することになるでしょう」と

こうなるのではないだろうか・・・

 

ちょっと 勘のいい人なら 炊飯器は止めて 飯ごうで米を炊いて

「なーんだ 良かった!原理は一緒だからね。」と もっと簡単に

飯にありつく事になるかもしれない。

 

恐らく、このモラ夫の性分は変らないし 教団に餓鬼の都合に使われて

いる事も判らず 女房にお前が信仰しないから 不幸なのだ!

お前が変れ!と怒鳴りつける毎日だろう・・・

 

 

因みに この教団のお題目は 直訳すると 「経典に帰命しなさい」

という意味・・・それを何万遍も唱えさせられるらしい・・・

教主の言いたかった事が 本当は別にあるのじゃあ ないだろうかと

思うのは私だけだろうか?まあ その経典に帰命しなさいという言葉より

内容を理解して実践するほうが より幸せになると思うのだか・・・

実際その経典にかいてある事を一つでも実践すれば 如来の使いだ

とかいてある・・・。

(内容の意味は先に言った)

 

仏法の法とは 読んで字のごとく仏を目指す人々の修行方法であり 

法律でもあるのだ。 現代に置き換えて 考えれば判りやすいと思うが

弁護士を目指している学生が内容も判らず「六法全書」と何万遍 

叫び続けても 実際に正しく運用しなければ 何の意味もない筈である。

ただ闇雲に六法全書!六法全書!と本の名前を呪文みたいに唱え続け

「私は司法に携わった男だ!どうだ 凄いだろう!お前もヤレ!」と

威張っておるならば ゲッ 気色悪っ!イカレ頭がおる・・・

道行く人は避けて通るだろう・・・ 

 

 

世の中にゃ 立派な教えや風習というものがあるのだが 

営利をむさぼる餓鬼供が先頭に立ち 教義等を意図的に滅茶苦茶に

して日本全体を陥れている気がしてならない・・・

実際に 仏教の経典に 本義を滅茶苦茶に摩り替える悪い連中の事が

詳しく書いている 確か・・・※涅槃経だったか

 

※爾の時に是の経閻浮提に於て当に広く流布すべし、是の時に当に諸の悪比丘有つて是の経を抄略し分ちて多分と作し能く正法の色香美味を滅すべし、是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦すと雖も如来の深密の要義を滅除して世間の荘厳の文飾無義の語を安置す前を抄して後に著け後を抄して前に著け前後を中に著け中を前後に著く当に知るべし是くの如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり

 

 

こういう連中が最終的に国の止めを刺すというのだ。

 

耳当たりの良い グローバル化じゃ 女性の時代じゃ ゆとり等 云々

数を挙げればキリが無いが・・・このままじゃ つぶされっちぃまう!

 諸悪の根源である「餓鬼」を封じ込める筈の宗教が 返って餓鬼の

巣窟になっている現実を知らなければ 世の中は悪い方向に加速

して行くだろう・・・否 もう なっとるけん!と突っ込んで 

今回のボヤキ おしまい!

 

 

PS トある 若者がぼやいていた 

若者「優秀な人達は皆干されて 大した事ない奴らが 重宝されるんです

    よね・・・あの優秀な人達はどうしたんでしょうね?」

私 「優秀な人達は 派遣労働でこき使われているか もうこの世に

   居ないか そこらのコンビニでレジ打ちやってるよ」

若者「?」

私 「自分で考える人間は邪魔な社会になっちまったんだよ!搾取する

   側と搾取される側!これに如かず。あんたも侍ならば 常に

   危機意識を持って世の中を見据えて生きるべき。」

 

 

 


労わり

2013年02月03日 | Weblog

母が病から立ち直り2年が経つ・・・

あの日から毎週○曜日 大型スーパーにて買い物をするのが私の日課

だ。最初は父が買い物をしようとしていたが 家事をやったことがない父

が買ってくる物は 食料一つとっても 使えないものばかりで 母が途方

暮れていた姿を見かけ 私が買い物を引き受けるようにしたのだ。

 

新婚時代から女房の買い物は手伝っていたが 今は夫婦で出かけ

私は 親の買い物に専念している。女房に鍛えられていたせいか

何を買えば良いのか 頭の中にあるので お得な品数がビックリする

ほど多いらしい。今では女房のお墨付きを戴いていているし

母からは「買い物が上手な 孝行息子」だと賞賛されたyo

蛇年の性質が発揮されているのだ。

 

予算の中 買いすぎない様に メモを片手に電卓をはじきながら カート

引き回す姿は 私だけだと思っていたのだが 最近、行きつけの

大型スーパーでは 若い人の中にも同じようなスタイルで買い物をする

人達が増えたように思う。(ひょっとしたら 私が良い影響を与えたかも)

 

最近では若い夫婦からご年配の夫婦も ご主人同伴で買い物をする

姿を良く見かけるようになった。私が新婚のとき 買い物を手伝って

いると 主婦目線をバンバン浴びながら 気恥ずかしい思いを

していたのだが 今では 先駆者として 「うーむ これで良いのだ!」と

微笑ましい気持ちで この光景に とても満足しているのだ。

 

それにしても 毎回思う事・・・ 買い物とは とても大変な重労働だ。

未だに 女性一人で買い物にこられる方が殆どである。

愚痴も言わず 買い物袋をいくつも下げて 家族を守ろうとする

姿は尊く、これを当たり前だと思っては 絶対にいけない。

日頃、感謝する気持ちがなければ 罰当たりな話なのだ。

戦争で敵艦に突っ込んで行く 特攻隊の方達も 死に際には

「おかーさーん!」と叫んで死んで行ったという事実を聞いたことがある。

「おとーさーん!」とは言わない所を考えると 腹を痛めて 産んで頂いた

恩は海より深しなのだ。

 

少子化の原因は不況と女性の社会進出だとは判っていたが

ひょっとしたら 女性の社会進出が 発端で 世の体系が壊れ 

少子化となり 最後に結果として不況となっているのかも知れない。

 

実際 人間社会を支えてきたのは 女性の方がウェイトを占めていた

のでは無いかと 今更ながら 関心させられる。昭和の時代は男尊女卑

的な考え方が日常だったが 外国から輸入された同権思想等により 

それが崩れ 今では 結婚は「うざったい」と考える女性が増え

それぞれの役割っちゅうものが放っぱからせられて いつまで経っても

不況のスパイラルから抜け出せないでいるのでは ないだろうか。

 

バブル時代にお立ち台に立って扇子を振り回していた女性達を

見たときに「あー日本は終わったな」と失望したのは 記憶に新しい。

 

あれから 不況の大波を被り続け 生活の景色が一変しちまった。

結婚したくても 結婚相手の女性が見つからなかったのだ。

「昔は 良い時代だったね」とおっさん達が振り返る。

それだけ 男が楽を してきたってこたあ誰かを犠牲にしてきた

事なのだ。今じゃあ良い生活をと思って働きに出る女性にゃ その上に 

当たり前の如く主婦業が付き纏うのは変らないのである。

 

クマノミという熱帯魚はメスが居なくなったら オスがメスに変身して

生態系を維持して行くというが 最近 ニューハーフの方達の出現は

世の中になんらかのメッセージを発しているのかも知れない。

子供を産み育てられるのは本物の女性だ。

世の男性にニューハーフになれとは言わないから 主婦業という

重荷を理解して サポートしてやる気持ちを忘れてはならぬと思う。

出来ないのであれば 「感謝」し続けて行こうではないか。

 

ps「世界平和」等と叫ぶのは立派なことだが 家族を愛せん者が言うと

リアリティーに欠けるのだ。仏教の本義は労わりだ・・・

それが 判らぬのなら 飴玉を良薬と思い込んで口に含んでいるような

ものだ。家庭不和等 もっての外 おかしな話ではないだろうか?

[宿業]等と体の良い言葉に逃げては行けない。

しかして その正体は 悪しき 習慣であり間違った物の考え方なのだ。

残念ながら 貴殿の活動とやらは 餓鬼の都合にされてしまい全然全く、

効いておらぬのだ。

辞めちまえ そんなインチキ 不幸宗教!世界一の暇つぶしだ!


懺悔するこっちゃわ・・・