福岡の看板屋 独り言(看板.・カワムラ)TEL092-935-7058

皆様に生かして頂いてる看板屋としての呟きです。内容は独り言なので、万が一気分を害された方が居られましたら何卒ご容赦。

自転車泥棒2

2011年08月18日 | Weblog

自転車が見つかった・・・

盗人(ぬすっと)に持って行かれて丁度 一週間目・・・

路上に乗り捨てられていた 我が子の自転車・・・

名前と電話番号を書いていたので 発見してくださった方から

直接、電話を頂いた。

防犯届けをしていたので 取りに行くわけにもいかず

警察に通報してもらった。


推察した通り 名前を消せず前輪の泥除けカバーが蹴っ飛ばされ

凹んでいた・・・(場所によっては半世紀消えないペンキで書いたの

だぞ それに念がこもっている そう簡単に消えるもんか!www) 


荷台が少し、よがんでいたので 恐らくもう一人

居たのだろう。 中学生位の餓鬼の卵が盗人の正体だと見ている。

発見の場所も 想定していた距離の範囲だったが方向が違っていた。

ひょっとしたら 我が家の前を通ったのではと、残念で成らない。


本来 指紋採取でもして 盗人を探し出し

刑法で裁けないので 民事でやろうと思ったが、

警察の方に「お気持ちはお察ししますが・・・」と遮られた。

確かに・・・

私が個人的に 指紋採取しても 照合するデーターという物が

無いと 見つけようが無いのだ。


 私:「照合は自分でやりますから 見せてちょんまげ・・・」

警官:「だめです!」


つまり自転車泥棒と云うのは 事件性の無い軽犯罪と云う訳だ。

何かスッキリしない・・・

幼少の頃 私は母の財布から10円玉を盗んで駄菓子屋に

行ったのを見つかって こっ酷い目に遭わされた事がある。

あの時、盗みはイカヌという事を徹底的に叩き込まれたのだ。

父の着物の帯で 鴨居につながれた時、己の惨めな姿を通して 

恥というものを知ったのだ。

母:「盗むくらいなら 物乞いになれっ!」

母の叱責は厳しかったのを今でも覚えている。

だから今、自分の理性を自由にコントロールできるのかも知れない。

犯罪の芽は小さいうちに刈り取る必要があるのではないだろうか。

それとも、自転車はあの時の10円玉より価値が下がったのか?

恐らく 現代は、正義感の強い警察官の方達が麻痺するくらい 

犯罪だらけになってしまったのだろう・・・


人間にとっての「勝利の人生」とは 自分以外の他人(家族も含め)

に悲しい想いや不幸な想いをさせない事だと思っている。

この餓鬼が支配する世の中で 盗まず 騙さず 誠実に生きて

逝く事の難しさ・・・ 

世知辛い世で 重き荷をしょいながら 常に人間としての真価が

問われているのだと自分に言い聞かせている。

これは 自分の価値観だが 宗教がどうぢゃ こうぢゃ 思想が

どうぢゃ 言う事よりも 

庶民の底流を生きている 私の最低限の誓いなのだ・・・

君よ偸盗(ちゅうとう)する事なかれ!

笑われるかも知れないが 故に「自転車泥棒」は許さない・・・


PS 昔、若かりし頃 自衛隊のスカウトの方に入隊を断ったが

   「君は警察官向きだ 絶対になった方が良い」と

   誘いを受けた事があった。

   今にして思えば 残念無念でならぬのです。

   







自転車泥棒

2011年08月13日 | Weblog

息子が大切にしていた自転車が盗まれた・・・

スーパーで買い物をしている僅か30分間に盗まれたらしい

盗んだ奴は どんな気持ちで持って行ったのだろうか

ヨソの家の垣根に成る 柿でも盗むくらいの軽い気持ちだった

のだろうか・・・

普通、名前が書いてある自転車をわざわざ 盗むなんて

余程 頭が悪い低脳な人間だろう・・・

 

カッと頭に血が上り とっ捕まえてひどい目に逢わせてやろうと

探し回ったが 時既に遅し・・・警察にお願いする事にした。


私は卑怯な奴と盗人が大嫌いだ。

人の事情など察せ無い 物を考えない餓鬼だからだ。

「何も そこまで怒らんでも・・・」という人が居るかも知れないが

理由がある。


昔、父が自転車を買ってくれたとき 筆と塗料で名前と購入年月日

を書いてくれた・・・ 買ったものにはいつも 購入年月日と

名前を入れるのが 実家の習慣なのだ・・・

父がとても物を大切にする理由は・・・

9人兄弟で育った父の生家は貧しかった・・・

学生時代 昼に弁当を持っていけず

屋上で水を飲んで我慢した話は 母によく聞かされていた。


祖母が町内会費を払えず 困っているときに バスに乗らず

貯めた金をそっと渡した話は涙無しでは聞けないのだ。

そんな中 兄(長男)は父の学費を 自分は働きながら

援助してくれていたようだ・・・(叔父貴、偉かったんだなあ)


当然 父は自転車など買ってもらえ無かったのだが

我が子にだけは その様な想いはさせたくなかったのだろう・・・


庭先で私の為に買ってきた 新しい自転車をよりピカピカに磨いて

いたのだ・・・

だからなのか 私は盗難被害に遭ったことが無い・・・

此度、我が子の自転車が盗まれたという事は

温室で育った私の頼りない想いが至らず 餓鬼の盗人に

負けたのか・・・

と、そんな自分にも腹が立っているのだ。

 

親というのは いつの時代でも我が子にだけは 不自由な想いは

させたく無いと願っているものだ・・・父も可愛そうだが増して

我が子に自転車も買ってやれなかった祖父母の気持ちを想うと

いつも、胸が張り裂けそうになる。

 

昔と違い 自転車を買うのは簡単な事かも知れぬが

親が子に買い与えたものを 平気で横取りする 盗人は許さない

過去のページに 女の子の自転車泥棒のエピソードを書いたが

あれとは 此度 勝手が違う。

取った奴の家が貧しかろうが何であろうが 理由が知りたい

もし犯人が成人であれば それなりのケジメは取ってもらう。

取られた自転車にゃ勿論名前入りだ 塗料で書かれた字は

シールと違い がっちり食いつき 落ちないはずだ。

加えて 親としての私の想いが詰まっている。

つまり念がこもっているのだ。

因果に照らしても逃げ得は絶対に無いと思うよ・・・・・

 

PS 盗みを見つけて 注意もしない親がいたとしたら

   将来 自分の子供が貧乏しようが不幸になろうが

   知ったこっちゃないのだろう・・・ 

   これは最早  (木の上に立って見る=「親」)

   親としての資格を失っている。

   その親の代から 盗人を出した家系として 

   永遠に逃れる事ができないのだ。

   人は知らずとも 世の法則と云うものから 逃げる事は

   できない・・・