:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 主はあなたをガリレアで待っている(オリジナル)

2013-01-28 21:48:44 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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主はあなたをガリレアで待っている

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 神様は今年2度目のイスラエルへの旅を私に恵んで下さいました。

世界の新求道共同体の創始者のキコ氏が、6年前に次いで、2度目のアジアの司教達を招いての集いを

ガリレア湖のほとりの山上の垂訓の丘にあるドームスガリレアで開くので

日本からは唯一の参加司教である平山高明引退司教(88才)に同道するためでした。

 

 

好天に恵まれ、エーゲ海の島々の上をひとまたぎ

ローマから約3時間でテルアビブへ

 

  

 

中空には半月が静かに浮かび         空の回廊をローマに向かう僚機かすれ違う  

 

 

テルアビブ空港からは66号線のフリーウエーでティベリアス(ガリレア湖のほとりの古い町)へ向かう

 

 

ドームスガリレアに着くと

白い羊と黒い羊 (私のブログ「黒くなったり白くなったり」 《ガリレアの風・・・④》 (2012.04.27)参照)

 の混成チームの音楽と歌の歓迎が待っていた

 

 


彼らの頭上には 「主はあなた達をこの山の上で待っておられた」 という

教皇ヨハネパウロ2世の言葉が刻まれていた (これ今年の5月にはまだなかった)

教皇は2000年の聖年にこの場所を訪れ、この建物の落成を祝福されたのだった

 

 

ホールでギターを奏でながら歌うキコ氏のシルエット

 

 

キコ氏の招待に応えたアジアの司教達120人余り

インドからの枢機卿1人大司教6人司教60人は全体の過半数を超える圧倒的プレゼンス

紀元1世紀、キリストの12使徒のひとり聖トマスはインドのマドラスで殉教を遂げている

今回、キコの招きに応えて参加したインドの古い典礼の教会の司教達の正装は人目を引いた 

私は1964年(東京オリンピックの年)に日本を脱出し、その年のクリスマスには

インドの最南端コーチンの山の上の修道院でクリスマスの儀式に参加していた

遠くの村々から夜道を上ってきた信者たちが、屋外の焚火の周りを祈り歌い踊るのを

不思議な思いで見守ったことを今でもはっきり思い出す

 

 

キコにかかると、偉い司教さんたちもその指導のままに従う

120人余りの司教を含む300人ほどの司祭・信徒が先ず告白(懺悔)をする

キコの奏でるギターと歌声をBGMに、人々の面前で一人の司教がもう一人の司教に

自分の罪を告白して、跪いて赦しを受ける

50年前、まだシスターや神学生が毎週のように懺悔していたのはもう昔の語り草

多くのカトリック信者が懺悔をしなくなって久しい

ローマ法王はそれでも毎月のように告白する中で

司教や神父や修道女でさえ年に一度も懺悔しないものも出始めているご時世だ

キコに促されて久々の懺悔と言う司教がいても驚いてはいけない 

 

 

この光景をほほえましく見守るサリー姿のインドのご婦人

私にとって、インドのサリー、ベトナムのアオザイ、日本のきもの、が

世界で一番美しい女性の民族衣装だと思われる

 

 

懺悔で心を清められると、今度は祭壇を囲んでミサにあずかる

後ろの壁画はキコの作品

 

 

キコの設計によるドームスガリレアの夜景

中央上の遠くにティベリアデの街の明かりが、その下から左にかけてがガリレア湖

(つづく)

 

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★ 〔号外〕 タイムズ・スクエアーとブロードウエー

2012-07-23 15:21:11 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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〔号外〕 タイムズ・スクエアーブロードウエー

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「コンサートの挨拶なんて退屈だー!」

というメールがとびこんできた

「それはそうだろう」 と反省することしきり

ちょっと息抜きを入れないと、このままでは飽きられてしまう

そうだ! ご一緒にタイムズ・スクエア― に行きましょう

今日は午後から自由時間

夜9時に指定の場所に集まれば貸し切りバスが迎えに来てくれる手はずになっていた

 

地下鉄の入り口に入ろうとすると、酔っ払いがへたり込んでいた

 

  

このあたりでも、ちょっと離れると古い貧しいアパートがあることを知っている観光客は多くない

私はリーマン時代に一時ニューヨークに住んでいたことがあるから、この都会を立体的に見ることが出来る

昔はアパート火事が多かったのか、外付けの鉄の非常階段がやけに目立つ

そんな影の部分に剥がれそうになった粗末なポスターを見た

"MISSING FATHER"

(お父さんを探してください)

だのに、お父さんの顔が白抜きになっている なぜ?

この小さい混血の女の子はどんな人生を歩くことになるのだろう 

 

タイムズ・スクエア―で地上に出ると野球のスタジアムなんかに居るぬいぐるみが大勢いる

お金を物乞いするわけでもないようだ 何かの宣伝のためでもない こいつら一体何してるんだろう?


  

  

 このほか、チーズのお化け カウボーイ キティーちゃん などなど いっぱいうろうろしている

 

  

こちら 縫いぐるみではない かっこいいニューヨーク・メトロポリタン・ポリース はいポーズ!

ただ立っているだけではない ちゃんと仕事もする 二人の黒人相手に職務質問?

 

歩き疲れた ハンバーガーで腹ごしらえ マクドナルドではない

それからブロードウエーをブラブラ


  

スパイダーマンをやっていた ふらふらと切符売場へ 一枚下さい いつの? 今日の

 もう満席だよ ア、いや一枚残っていた だが今のステージもう5分前に始まっているがね

かまわない 今しか時間がない

ほんとにいいんだね? いいです

プログラムと一緒に目の前にチケットがスッとでてきた

いくら? 

ハンロレッロフォーリーナインフィフリー

うん ??????

149.50 ドルですね?

はてな? そんな大金あったかな?

20ドル 40ドル 60ドル 70ドル 80ドル 90ドル・・・

100ドル 110ドル 120ドル・・・

125ドル 130ドル 135ドル 137ドル・・・

8、 9、 140ドル 141ドル・・・

142 142.5ドル・・・

小銭入れを逆さにして掌に落ちてきたのは数10セントのコインがパラパラ

忍耐強く見守っていたチケットカウンターの黒人の オジサン

黙って 顎を斜めにしゃくって さあ、もう行っていい と合図した

もうだめかと思った 地獄に仏とはこのことか

手を合わせて拝んで駆け込んだ

案内嬢がペンライトで足元を照らしながら先導する

前から8列目 上等の席だ

 

記念に棄てないで持ち帰ったチケット

ブロードウエーでミュージカルを見るのはもうかれこれ30年ぶりだろうか?

凄い舞台装置 ダイナミックな スパイダーマンの演技

やっぱりブロードウエーだ しかし 酔い痴れているわけにはいかないのだ

宿のニュージャージーのレデンプトーリスマーテル神学院へ帰る手段は

貸し切りの送迎バスしかない 金は使い果たした タクシーに乗ると言う手はない・・・

第一神学校の住所も電話番号も持ち合わせない 乗り遅れたら たちまち浮浪者に転落なのだ

最後まで見ないで後ろ髪をひかれる思いで外に出た

ネオンに輝くブロードウエーは不夜城のようだ


持ち金全部はたいても足りなかった貧しいアジア人の老神父に憐れみをかけてくれた

あの黒人のオジサン

見ず知らずの私のために数ドル自腹を切った

そんな人 日本の劇場のチケットカウンターに居るか?

どうか 彼が天国で豊かな報いを受けますように

アーメン!


 

 

 

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★ アメリカレポートニューヨーク ⑥

2012-07-19 05:14:37 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

 

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アメリカレポート ニューヨーク ⑥

A Symphonic Homage and Prayer

THE SUFFERING OF THE INNOCENTS

《 エイブリ― フィッシャー ホール-2  》

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 わたしは6月27日に最後のブログを書いて以来、実に23日間更新を怠ってきた。その間、いくつかの急ぎのアポイントメントをこなしたり、岩手、宮城の津波の被災地を回ったりしたが、実は、その間の多くの時間を翻訳作業にあてていた。何の?それは、ニューヨークのリンカーンセンターで行われたコンサートの2時間余りのヴィデオの日本語字幕の作成作業だった。映画館で洋画を見るのは嫌いではないが、あの字幕の作成がどんなに大変なものか、今回はじめて実際にやってみてよくわかった。その苦労の作業も私の手を離れた。さて、

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 エイブリ―フィッシャーホールは、リンカーンセンターのメトリポリタンオペラハウスを正面にして右側にある、ニューヨークフィルのホームグラウンドだ。

 今年、2012年5月8日午後8時から、今回のアメリカツアーのハイライト、キコの作曲したシンフォニー「無垢な者たちの苦しみ」の「交響的奉献と祈り」と題するコンサートが開かれた。

 

  

    左は開場直後のまだがらんとしたホール       だんだん人が入り始めたエイブリ―フィッシャーホール

 

開演まぎわ 3階の正面奥の席もほぼ満席


 会場は指定席招待券を受け取った客で満席になった。その多くがニューヨークのユダヤ人社会の著名な構成員たちだった。開演前ステージにオーケストラとコーラスが入り、定刻になると、司会者が次のように始めた。

 

司会者のジュゼッペ・ジェンナリーニ


 「皆さん、こんばんは。 今夜のイヴェントにようこそいらっしゃいました。わたしはジュゼッペ・ジェンナリーニです。イタリア人で、妻と6人の子供がいます。わたしは新求道共同体のアメリカの責任者です。

 新求道共同体は今日のカトリック教会刷新の担い手の一つです。アメリカでは80の司教区に約1000の共同体があります。各共同体は約50人で構成されます。

 そのほか全米に7つの神学校があって、新しい福音宣教のために司祭を養成しています。

今夜わたしは皆様の参加に感謝し、愛をこめて歓迎します。ユダヤ教徒の兄弟姉妹の皆様と他のすべての方々を歓迎します。
まず初めに、今夜ご出席の著名な方々をご紹介します。 なるべく短く、しかし出来るだけ多くの方を紹介したいと思います。

 最初に教皇ベネディクト16世の国連代表チュリカット大司教様をご紹介します。ようこそいらっしゃいました!
 前『教皇庁立コル・ウヌム』長官、ポール・ヨーゼフ・コルデス枢機卿。メキシコシティーのエルネスト R. カレラ枢機卿。ニコラ・ディマルツィオ、ブルックリン司教。ブルックリン補佐司教フランク・カッジアーノ。・・・」このあとにカトリック教会の著名な司教、関係者の紹介が続く。
 「また、大勢のラビたちの御臨席をいただいています。 最初にラビ・デービッド・ローゼン師に感謝を捧げたいと思います。彼はこの企画を最初から推進し、今日わざわざイスラエルから来て下さいました。

 次に、この夢のスポンサーになって下さったラビの皆様にごあいさつ申し上げます。 今夜わたしたちは愛と和解のためにここに集っています。彼らは私たちを支え励まし、勇気づけてくれました。」そして、このあとに客席前方に集まっているユダヤ教の著名なラビたちと指導者たちの紹介が延々と続く。名を呼ばれたラビたちは席から立ち上がって、振り向いて会釈したり、手を振ったり・・・。
さらに、この夜出席を希望しながら、他の約束に妨げられた二人のカトリックの枢機卿の手紙が読まれた。

 先ずニューヨーク大司教、ミカエル・ドーラン枢機卿の歓迎の手紙

 「親愛なる友人の皆様、わたしはこのインスピレーションに満ちた極めて意味深いイヴェントに皆様を歓迎できることを非常にうれしく思います。わたしはこの素晴らしい催しのことをわずか三か月前に知ったのですが、その時わたしはすでに大切な先約を受けており、皆さんとご一緒することが叶いませんでした。
 わたしの不在は、キコと新求道共同体の演奏家たちに対するわたしの思いの不足を意味しません。このイヴェントに対する高い評価と現存するアブラハムの神の大勢の子供たちに、心から歓迎のあいさつを送ります。祈りをこめてみなさんに挨拶を送ります。」

 続いて、送られた多数の手紙の中からウイーンのシェーンボルン枢機卿の手紙が読まれた。

 「私は喜んで新求道共同体の国際チームが推進する交響曲的奉献と祈り『無垢なるものたちの苦しみ』をサポートします。
確かに、この企てはキコ・アルグェリョ氏の信仰と才能の果実です。それは私たち皆にとって愛と和解の行為です。
 わたしたちは無垢な者たちの苦しみの神秘やアウシュヴィッツのような前代未聞の恐怖と犯罪の場所を前にして言葉を失います。しかし、音楽は原語や文化の違いを越えて語りかけ、この神秘に分け入り、和解の橋を架けるのを助けることが出来ます。
 憎しみと暴力に打ち勝てる唯一のもの、愛を、今苦しんでいる人に与えることが出来るためにこのコンサートを通して神が私たちの心を清め神と私を、また私たち同志を和解させて下さいますように。」

 さらに司会者は続けた。

 「今夜わたし達は新しい出来事の証人となります。今夜わたし達は祈りをもって始め、祈りの後にラビ・ローゼンがキコを紹介し、キコはシンフォニーが何であるかシンフォニーの意味を説明し、シンフォニーの後でわたし達はコーラスを聴きます。 歌手エルシュティックに導かれたハンプトンのコーラスがエル・マレイ・ラッハミンを歌い最後にラビ・シュナイヤーがカディッシュを捧げます。

 これがこのシンフォニーの夕べのあらましだ。普通のクラシック調のコンサートではない。そこには、多くの人の語りかけのことば、祈り、聖書朗読、賛美の歌などが織りなす独特の雰囲気があった。

 大勢のユダヤ人とカトリック信者が、和気あいあいと交わり、互いを尊重し合う前例のない雰囲気がそこにあった。これはいったい何だろうか。ここから何が始まろうとしているのだろうか。 

(つづく)

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★ アメリカレポート ニューヨーク ④ グラウンド・ゼロ

2012-06-24 17:19:08 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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アメリカレポート ニューヨーク ④

A Symphonic Homage and Prayer

THE SUFFERING OF THE INNOCENTS

《 グラウンド・ゼロ 》

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リンカーンセンターの最寄りの駅から地下鉄に乗る 

 

各駅停車の地下鉄で WTC の最寄りの駅へ そこにはセント・ポールズ・チャペルがあの日と同じ姿で

  

    セント・ポールズ・チャペルの門燈               その庭にある古い墓標              

 

  

チャペルの中は 前回の雑然たるボランティア―の休息所から 記念の展示場に変わっていた

(左) ニューヨーク市と駆けつけた全ての救援隊の犠牲者の霊に オクラホマはあなた達を愛しています!

右のパネルは ニューヨーク市主催のセント・ポールズ・チャペルに於けるユダヤ教と回教とキリスト教の司祭たちと

ブロードウエーのスターのウイリアム・マイカルによる

「地上に平和を」 を歌う集いの記録

 

2001年9月11日 道を一本隔てた世界貿易センターが崩壊した時

このセント・ポールズ・チャペルの庭はがれきで覆われ、教会の中はほこりで満たされたが

建物自体は1766年に立てられたままの姿を保っている

 

  

命を捧げた消防士のヘルメットと衣服

 

このピアノ 9.11の後 私が巡礼に訪れたときには 疲れ果てたボランティア―や消防士が

所狭しと並べられた簡易ベッドの上で死んだように横たわって休んでいた雑然たるチャペルの中で

ゆっくりした 静かな 癒し系のメロディーを響かせていた

厳粛な雰囲気に 私は気後れがして 声をかけそびれたが

 それを弾いていた若いアジア系の女性は その雰囲気から日本人だと直感した

 

「名誉の旗」

この大きな星条旗の赤と白のストライプのなかに

ぎっしりと 9.11の犠牲者たち(2753人と言われる)の名前が書き連ねられている

ハイジャックされ ツイン・タワーに突っ込んだ

2機のボーイング767に乗っていたとされる 137人の乗客の名簿も含まれているのだろうか

一機255人乗りの飛行機二機に合計たった137人 1/4 しか乗ってない ガラ空きじゃない 変じゃない?

私は この11年間折に触れて 9.11の謎に疑問を持って 本やインターネットの情報を調べてきたが

この乗客リストには未だ巡り会ったことがない

それどころか 9.11の直後にすぐに発表されたハイジャックの顔写真入りの犯人リストの少なくとも一人が

自分は関係ない 生きている と言うアリバイ報告を 抗議文と共にアメリカ当局に送ったという不可解な情報を得ている

大体 事前に計画を知らなかったはずの当局が 事件後すぐに発表するための犯人リストをあらかじめ用意していたというのは

どう考えても変ではないか

 

  

ツインタワービルの崩壊の犠牲者たちの肉親の贈った写真や言葉   日本の長崎第一中学校二年生一同の贈った

平和を祈る千羽鶴

 

ぎこちない形の手の模型に掛けられたロザリオ パネルには祈りの言葉を書いた無数の子供の手型

その前で祈るアメリカ人の少女たち

 

チャペルを出て 9.11の再開発工事現場へ

新しいシンボルタワーはまだ階数を伸ばしている最中 完成すれば

ツインタワーより高い 全米一ののっぽビルになるのだろう

 

         

えっ!?  そんなの嘘?  冗談でしょう?!                                   

                        アッ、ヤバい! 本当に突っ込んだ お終いだ~?

エンジンの位置から見て ロシアのアエロフロート機だった

 

次回は 9.11の謎に迫ります

 

(つづく)

 

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★ アメリカレポート ニューヨーク -③

2012-06-21 18:46:41 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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アメリカレポート ニューヨーク ③

A Symphonic Homage and Prayer

THE SUFFERING OF THE INNOCENTS

《 エイブリ― フィッシャー ホール 》

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ホールの後方からステージを見る ボストンより華やかで明るい感じ

 

廊下に出ると ブルーノ・ワルター・ギャラリー と言うのがあった

ボストン交響楽団では 小澤征二が圧倒的存在感を発揮していたが

ニューヨーク・フィルハーモニック・オーケストラでは ワルターの存在が大きいのだろうか


    

団員の紹介の中に 3人の日本人女性の名前があった

ヤマダ シャロン さん       クドウ スミレ さん        タケベ ヨウコ さん 

 

別の場所に また指揮者の写真があった 

    

レオナルド バーンシュタイン   グスタフ マーラー     

    

レオポルド ストコフスキー     アルトゥーロ トスカニーニ

 

もうすぐホールで最後のリハーサルがあるはずだ その間に ニューヨークに来たらまず行きたいところがある

外に出た 正面がリンカーンセンターのメトロポリタン オペラハウス

エイブリ―フィッシャーホールは 向かって右側の建物だ

 

リンカーンセンターの案内図が すぐそばの街角にあった

一番上の横長台形の建物が ジュリアード音楽院 

その左下が リンカーンセンター劇場 そして その右下がエイブリ―フィッシャーホール

次の段の左の大きい建物が メトロポリタン オペラハウス

その下の右側が デービッド H コッホ劇場 

 

ニューヨーク シティー バレーの大きく華麗なポスターがあった

その近くの窓ガラス越しに 将来の プリマドンナの玉子たちが 親の期待を背負ってお稽古に励んでいた

 

    

どの子も もう自信たっぷりと言う感に

    

ニューヨークに来たら 先ず第一に訪れたいところ

それは 言うまでもなく グラウンド ゼロ だ

私は 9.11のすぐ後 まだ誰も飛行機に乗りたがらなくて 切符がタダみたいだった時に 一度訪れたことがある

あの時は確か 成田 → ロスアンゼルス →  ヒューストン → タンパ(フロリダ) →  ニューヨーク → 成田 で

 5万円ぽっきりだったと思う

( つづく )

 

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★ アメリカレポート ニューヨーク ② いよいよリンカーンセンター

2012-06-20 19:53:58 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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アメリカレポート ニューヨーク ②

A Symphonic Homage and Prayer

THE SUFFERING OF THE INNOCENTS

《 いよいよ リンカーンセンター 》

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前の晩の練習は半端ではなかった キコ自身が何回もダメを出した しかし彼自身は指揮棒が振れないのだ

 

ニューワークの神学校の キコの設計による増築部分のホール 3方がかなり急な階段になっている

壁には キコ自身の筆になる壁画がびっしり描かれている

もちろん キコの弟子たちの画家集団の協力による 

中世の画聖フラアンジェリコなども皆 共同作業をする弟子僧侶集団を抱えていたのだ

 

おや? この叔父さん誰? 演奏家でもない コーラスのメンバーでもない はたまたスタッフでもない

いつもぶらぶらと その辺をうろついている (そういう私も そう見えるかしら?)

しかし 後で必ずこの人にスポットを当てますから お見忘れなく (そういえば そんな紹介の仕方をした人 他にも居ましたね)

 

  

練習は深夜に及んだ

何しろ 明日のエイブリ―・フィッシャー・ホールは 正念場だから 壁画に見守られながら コーラスにも熱がこもる

 

あくる朝 すべてはミサから始まった 音楽集団でありながら 一面に修道者集団の面影が見え隠れする

 

ニュージャージーの神学校の看板 「レデンプトーリスマーテル 大司教区立 宣教神学院」 を後にする

 

  

ハドソン川を挟んで マンハッタンが目に入った バスは リンカーントンネルをくぐって 対岸へ

 

リンカーンセンター コンプレックスの ジュリアード音楽院の前でバスを降りる

ここで世界の一流演奏家が育てられるのだ わが親友 ヴァイオリンのジャネス神父も 少年時代ここへの留学を憧れたという

 

エイブリ―フィッシャーホールの楽屋口に 指揮者のスーツをぶら下げた パウ・ホルケラ

 

取り敢えず ガランとしたホールの舞台に立ってみた 一見して ボストン・シンフォニー・ホールより 60年 新しいのがわかる

これが ニューヨーク・フィルハーモニック・オーケストラの本拠地だ

 

    

ブラブラと そこいらを歩いていると ニューヨーク・フィルで棒を振ってきた有名な指揮者の写真が目に入る

レオナール・バーンシュタイン      レオポルド・シュトコフスキー      ブルーノ・ワルター

 

  

 アルトゥーロ・トスカニーニ               グスタフ・マーラー 

    などなど・・・・ 

 

 

舞台の袖には 照明や音響を制御する指令室があった

 

今回はしんどい話抜きの フォトギャラリーでした たまにはこんな手抜きも許されますか?

(つづく)

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★ アメリカレポート ニューヨーク-①

2012-06-18 17:33:49 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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アメリカレポート ニューヨーク ①

A Symphonic Homage and Prayer

THE SUFFERING OF THE INNOCENTS

《 いよいよニューヨークへ 》

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ボストンからニューヨークへはバスで移動

大声で呼びかけまわって やっと羊を一か所に集め 集合写真にこぎつけた

これでも トイレに行ってたり まだホテルのロビーでタバコ吸ってたり

私の両側で カメラを構えたりで 15人や20人は写っていない それでこの人数だ

スペインとイタリアから連れてきたキコの一座 半端な数ではないのがお分かりだろうか?

 

大型長距離バス 5台に分乗して間もなく出発

 

素晴らしい初夏の朝 9時に出発 木々の枝には薄黄緑の新芽が芽吹き始めたばかり

 

エアーフォースワン と言えば アメリカ大統領の専用ジェット機と相場が決まっている

ではこのグラウンドフォースワンは?

どうやら 民間の長距離チャーターバスの事らしい いかにもアメリカらしい名前の付け方ではないか

 

右奥に後部が写っているのが 上の写真のグラウンドフォースワン

真ん中のトレーラーは運転席と居住空間一体型だ とにかく日本では見られない大きさだ

 

 

露地に咲くスミレは日本とあまり変わりない 朝渡されたサンドイッチを食べたサービスエリアの木陰の上には

これも日本のと変わりない花ミズキが満開だった

 

アイゼンハウアー インターステイト システム? 何の事だか?

 

マクドナルドのお店のポールには星条旗と州旗?が初夏の風になびいていた

 

 

バスが止まった 気が付いたら どうやらぐっすり寝ていたらしい 午後3時に無事ニュージャージーの

レデンプトーリスマーテル神学院に着いていた 

これは ニューヨークのお金持ちの一人のご婦人が 古くて空き家になっていた元女子修道院の建物を

聖堂ごと買い取って 中を内装し直して 神学校のためにと寄付してくれたものだ

 

新しい福音化を目指す司祭のための大司教区立養成の家

「レデンプトーリスマーテル」

1991年設立は 高松教区立のレデンプトーリスマーテル神学院の一年後の設立になる 世界で8番目の姉妹校

 

上の石の銘盤の前の玄関の車寄せアーチから見渡す 広々とした前庭

 

右側がもとからあった修道院の建物 正面と左はキコが増築して この中庭をつくった

ここが私のニューヨーク5泊6日の宿となった

ここに収容できない大多数は 私がついに見ることのなかった近くのホテルに入った

 

(つづく)

 

 

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★ アメリカレポート ボストン-⑨ レセプション

2012-06-14 23:23:11 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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アメリカレポート ボストン-⑨

A Symphonic Homage and Prayer

THE SUFFERING OF THE INNOCENTS

Boston Symphony Hall

《 レセプション 》

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 シンフォニーは軽い興奮と精神的充足感の余韻に包まれて無事に終わった。家路につく人の流れの一部が、ロビーからまっすぐ出口に向わず、右に逸れていく。廊下の先の広間には、特別招待の人たちのために、食事つきレセプション会場が準備されていた。

 いかにもお金持ち風の車いすのユダヤ人のご婦人が、ウエイターにカクテルを注文している。ふとみると、オヤ? この色の靴どこかで見たような! ハテ どこだっけ ?? あっ そうだ! 思い出したぞ! ローマの教皇ベネディクト16世が儀式のときに履いているのと同じ色だ。バチカンの聖ペトロ大聖堂で、わずか数メートル先のこの靴を撮る絶好のチャンスを私は逃した。珍しく自重してカメラを持参しなかったのが、未だに悔しくてしょうがない。教皇のはフェラガモ製だそうだ。


 レセプション会場では紳士淑女が席に着き始めていた。キッパをつけたラビの姿はほとんどなかったが、私のようなキコ側の関係者以外は、多くがボストンのユダヤ人社会の名士たちと思われる。

 

 1番テーブルには、キコとオマリー枢機卿が着いている。キコがスペイン語で歓迎の挨拶をすると、髭の若い神父がよどみなく英語に通訳をする。キコは、自分の夢であるイスラエルの古都エルサレムでの建設計画を披露した。

 彼は既に、イスラエルの北部、ガリレア湖のほとりの山上の垂訓の丘にドームス・ガリレアと言う広大な施設を計画し、2000年の聖年に前教皇福者ヨハネパウロ2世を招いて部分的落成式を行い、今は立派に完成して年間15万人のユダヤ人が訪れるキリスト教(カトリック)とユダヤ教の一大交流センターになっている。

 その間の消息は、私のブログ 「ガリレアの風かおる丘で」 シリーズに詳しく紹介しているから、是非ご覧ください。


キコは もともとプロの画家だから 自分の構想をたくさんのスケッチに描いている


手書きの 真上からのプラン 一番外側の複雑な形の線が どうやら敷地の境界線らしい

と言うことは ドームス・ガリレアとは違い 狭い敷地に建物がいっぱいいっぱいに建っていることになる

 

この新しい構想の建物を キコは ドームス・エルサレム と呼んでいる

彼のイメージスケッチによれば エルサレムの旧市街の城壁の外

谷一つ挟んだ向かいの丘の上にあるのがわかる

 

立体模型も出来ている キコは21世紀の教会建築の新しいスタイルを模索している

ロマネスク ゴシック バロック ・・・ の延長線上に 「キコック」 様式(笑) なんて変な名前が出来るかも? 

 

 

 おや? 塔を兼ねた聖堂の屋根の上に十字架があるぞ。ドームスガリレアには目立つところに十字架は無かった。と言うことは、ここはユダヤ教とキリスト教の交流の場と言うよりは、やはり、キリスト教徒(カトリック)のセンターを意図しているのだろうか?

 

 ドームス・イスラエルの建設予定地から望むエルサレムの城壁に囲まれた旧市街。真ん中に回教の黄金のドームが光って見える。エルサレムは、世界の3大一神教、ユダヤ教、キリスト教、回教(イスラム)の共通の聖地だ。アラー(イスラム)の神も、ヤーウエ(ユダヤ・キリスト)の神も、同一の神のことを指す。その3者共通の最も神聖な場所に、いまは回教のモスク、黄金のドームが建っている。

 それにしても西暦70年にイスラエルの国がローマ帝国軍によって滅ぼされて以来、1948年にイスラエル国家の独立宣言をするまで、ローマ帝国、オスマントルコ、英国の統治などを経て、ここはパレスチナ人(多くは回教徒)を中心に複雑な宗教と人種のるつぼとなっていた。そして、紀元前から栄えたこの町は、その土地のどの1平方センチをとっても、帰属の決まらない中立な空き地などあるはずはないのだ。そして、現在のイスラエル政府は、中世十字軍の時代からキリスト教が死守してきた点としての土地と建物の占有維持は容認するものの、キリスト教の新規の恒久建造物の建設は原則として認めてこなかったようだ。

 それなのに、どうしてキコはドームス・イスラエルの建設用地を見つけ得たのか。キコは中近東の古いキリスト教の所持している土地を買い取る話をつけているようだ。キコの運動がそれを所持する言うことではとうてい纏まらなかったはずの話を、土地を取得し建物を建てたら、それをそっくりローマ教皇に献上するという条件で見事に切り抜けた。

 キコの指導する「新求道期間の道」は、本来、霊的(精神的・知的)財産は持つが、流動資産である基金の他は、土地・建物などの物的財産は一切持たない形で運営されている。この点は、教会の歴史の中であらゆる修道会や運動と一線を画す。世界にある86の神学校の土地・建物も例外ではない。高松の神学校も、共同体が土地・建物を手当てしたが、それをそっくり教区に寄付した。だから、司教が変わって閉鎖を決めれば、黙って退去するが財産はそのまま教区のものとして残ることになる道理だ。 

 

 キコはドームス・エルサレムの構想を熱く語った。山上の垂訓の丘の上のドームス・ガリレアと同じように、イスラエルの政府は例外的にこのドームス・エルサレム構想を認可するもののようだ。その秘訣は、やはり出来上がったものがローマ法王に献じられるというところにあるのではないだろうか。


 

 人々はキコの話に熱心に耳を傾けている

シンフォニーの余韻も おいしいワインも 食事も 人々の心を優しく 柔らかにする効果があったのだろうか


オマリー枢機卿も 応援と推薦の言葉を添える

 

キコは言葉を継いだ このプロジェクトの

趣旨にご賛同の皆様は どうか寛大なご協力をお願いいたしたい


キコの後ろの大型液晶ディスプレーには


神様がこの美しい夢を叶えてくださるように祈りましょう

ドームス・エルサレム

 私たちのために祈ってください

キコ・アルゲリオ  カルメン・エルナンデス  マリオ神父


と映っていた


レセプションがお開きになっても 余韻を楽しむ人たちが まだあちこちで立ち話しを

オマリー枢機卿と何やら話し込むユダヤ人夫妻


客を送り出した後 ボストン・シンフォニー・ホールの外に出た まだ初夏の陽は暮れかねていた


(つづく)

 

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★ アメリカレポート ボストン-⑧ シンフォニー開

2012-06-10 19:06:05 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

 

キコの横顔とアウシュヴィッツの囚人輸送貨車のモンタージュ写真

 

~~~~~~~~~~~~~

アメリカレポート ボストン-⑧

A Symphonic Homage and Prayer

THE SUFFERING OF THE INNOCENTS

Boston Symphony Hall

Sunday, May 6, 2012 - 2 PM

シンフォニー開演

~~~~~~~~~~~~~

 

開場の時間が来て 外の入り口の扉が開いたのだろう 待ちかねて道にたむろしていた人々がどっと入ってきた

その人の波に乗って キコも後ろから入ってきたのには驚いた てっきりすでに舞台の袖に控えているものと思っていたからだ

リングに向かうストイックなボクサーよろしく セコンドに神学校の院長のトニー・メデイロス神父を従えて

 

  

私は前から2列目のやや右寄り 特等席に居るのだが 見る見るうちに私の周りはボストンのユダヤ人社会のエリート

つまり ユダヤ教の教師(ラビ)たちや ユダヤ人の銀行家 大企業トップの大物とその夫人たち で埋まり始めた

男性の服装は背広姿で 色も黒とは限らない

頭の上に小さなキッパ(お皿型のキャップ)を載せていなければ どの人物がラビかはわからなかっただろう

 

 

おや? 私の後ろに変なお爺さんが一人座ったぞ キッパをつけていないから もちろんユダヤ人のラビではない

垢汚れてクサイというほどではないが みすぼらしい服装 伸び放題の髭 どこか浮浪者のような空気を漂わせて

それに どう見てもインテリの顔ではない

ユダヤ人上流社会の中にポツンと一人 アメリカに居て 英語もわからず なんとも場違いな感じだが・・・

だが ここにいるからには 招待券は持っているのだろう

(この人物の素性 いずれ詳しく紹介することになるはずだから 一応ここで顔見知りになっておいていただきたい)

 

舞台の正面右に 昨夜オーケストラのメンバーをカテドラルに迎え ミサを司式し

一行を音楽による宣教に派遣したオマリー枢機卿 性的虐待のスキャンダルから ボストンの教会を再生させた立役者

今日は質素な茶色のフランシスコ会の修道服姿で現れた

向かって左は 枢機卿の側近 神学校のトニー・メデイロス院長

 右はフランチェスコ イスラエルのドームス・ガリレアのスタッフ 英語はもちろん ヘブライ語  アラビア語の達人

この日はキコの通訳もした

 

 ところで、このコンサートだが、初めから普通の音楽会とは違うことは、皆さんももう薄々ご承知だろう。

”A Symphonic Homage and Prayer”

と言う表題は、翻訳者泣かせのいやな言い回しだ 英語に自信のある方は助けていただきたい 貴方(貴女)ならどういう訳を当てますか?

苦し紛れに、

「賛美と祈りのシンフォニー」


と訳してみましたが、元の英語から受けるニュアンスとはかなりかけ離れてしまうことを痛感しています。かといって、他にどんな訳語がぴったり来るでしょうか・・・なかなか思いつきませんね。いい考えが浮かんだ方は、是非このブログのコメント欄に投稿してください。すぐに採用してこの部分を編集し直したいと思います。

 とにかく、キコの考えでは、この夜のステージは三つの要素で組み立てられているようです。 

                ① ことば-(人間の言葉、神の=聖書の=ことば) 

             ② 音楽-(キコのシンフォニー) 

             ③ 祈り―(キリスト教の、ユダヤ教の、その他どんな信条のものでも・・・)

 

① 先ず、キコのことば

キコがボストン、そしてアメリカのユダヤ人社会の出席に感謝し、オマリー枢機卿を紹介し、・・・と一連のセレモニーの後、キコは「無垢なるものたちの苦しみ」のテーマについて短い話をした。

無垢なものたちの苦しみ
-シンフォニーと祈りの祭儀-

 愛する兄弟姉妹のみなさん。わたしが作曲を手掛けるなんて、とんだ思い上がりではないでしょうか? 私の傲慢の故でしょうか? それとも私の虚栄でしょうか?何はともあれ、ある年寄りの司祭はかつて私に言いました。 「虚栄に陥ることを恐れて善を行わないというのは悪魔からの考えだ」 と。

 「善を行う・・・」、作曲を試みるのは善を行うことになるのでしょうか? 私は、無垢なものたちの苦しみと聖母マリアの苦しみを、祈りを込めて、また信仰を深める手だてとして、小さな音楽作品にして披露したいと思いました。もしかしたら、このような意味深いテーマについて、音楽が何かより深いものを表現できるのではないかと期待して・・・。

 無垢なものたちの苦しみ・・・。哲学者サルトルは言いました。「神の指で壁に圧し潰される者は災いだ」と。そしてニーチェも言いました。 「神が存在するとして、その神が苦しむ人を助けないなら、そんな神は化け物だ。また、もし助け得ないのなら、それは神でもなんでもない」 と。

 壁に圧し潰される人たち。道に放り出され、凍え死ぬ人たち。捨てられ、恐怖の孤児院に拾い集められ、犯され虐待される子供たち。私が近所で知り合った、夫に捨てられ、精神を病む息子に物乞いをしに行けと棍棒で家から叩き出されたあのパーキンソン病の女・・・。彼女の中に、また他の実に大勢の人々の中に現存する十字架上で死んだイエスを前にして、私の心は圧倒されました。

 他の人間たちの罪を背負わされたこれほど多くの無垢な人たちの苦しみとは、何と言う神秘でしょう。近親相姦。聞いたこともないような恐ろしい暴行。ガス室に向かって列をなして行進する裸の女と子供たち、そして、それを見ているうちに、心の中に「お前も服を脱いでその列に入って彼らと一緒に行って死になさい」という、何処から来るのか分からない声に促されて、その通りにした一人の看守の味わったあの苦しみ・・・。

 アウシュヴィッツの恐怖を経験した後では、もはや神を信じることなどできるものではない、と多くの人は言う。違う! それは嘘だ。神は、全ての無垢なものたちの苦しみを自分自身の上に引き受けるために人となられた。口を開くことなく屠所に曳かれる子羊のように全く無垢な彼が、全ての人の罪を背負った。

 この小さな作品では、無垢なものたちの苦しみの躓きのもとにある処女マリアが、ご自分自身の肉、ご自分の子の肉の中にその苦しみを体現する。彼女の魂を剣が刺し貫いた時、ソロが 「ああ、何という苦痛!」 と歌いあげる。

 この音楽的スケッチによって、オリーブの園で罪人たちのために用意された杯をイエスが飲むのを天使が助けたときのように、天使が処女マリアをどれほど支えたかを共に讃えたいと思います。私たちは処女マリア-預言者エゼキエルの言葉によれば、神がご自分の民の罪のために用意された剣を受け入れた処女マリア-そして今や、この剣で魂を刺し貫かれたこの可哀そうな婦人のことを思いめぐらし、彼女を支え励ましたいと思います。マリア、マリア! 神の母! 聖なるテオトコス(神の母)、どうかしっかりして下さい! あなたは、私たちのために罪となり全ての人の救いのために御自分をお捧げになる神の母。神の母にして、私たちの母。さあ、みなさん一緒に歌いましょう。

② シンフォニー

 新進の若い指揮者、パウ・ホルケラが聴衆に向かって一礼。くるりと向きを変えると、静かにタクトを振り下ろした。

 

  

演奏中の姿はリハーサルの時にさんざん撮った

 今は心静かに聴くときだろう 各ムーブメントの表題は: 

- うめき -

- 悲しみ -

- 彼らを赦したまえ / シェマー・イスラエル -

- 剣 -

- 復活 -


演奏が終わった フロアーも 2階、3階のギャラリーも 総立ちのの拍手が長く鳴りやまなかった 

 

キコが近寄って指揮者をねぎらった

 

キッパをかぶったユダヤ教のラビ(教師)たちも 初めて聞くキリスト教の祈りの音楽に

何千年のイスラエルの民の歴史に満ちた苦しみと悲しみ ホロコーストの恐怖がダブって

強く心を揺さぶられる思いがしたに違いない

 

③ 祈り 

オマリー枢機卿が祈りと祝福の言葉を聴衆に贈る

 

アンコールに応えて シェマ―・イスラエルが再び演奏された

ラビたちは立って声いっぱいに唱和した 夫人たちの目には涙が光っていた

兄である 旧約のイスラエルの民 (ユダヤ人)

弟である 新約のイスラエルの民 (キリスト教徒 / カトリック)

が 互いに許しあい 抱きあい 一つに溶け合う瞬間を キコは見事に演出した

同じアブラハム ・イザーク ・ヤコブの神=ヤーヴェの神=を拝む唯一の民として

ラビたちの歌声は キコのオーケストラの演奏に導かれて

祈りとなって 叫びとなって 天に昇っていく

♪♪ シェマ―・イスラエル シェマ―・イスラエ~ェ~ル! ♪♪

聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。

あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、
子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。

旧約聖書 申命記 6章4節~)

ラビたちは子供のとき母親からこれを暗記させられ いま子供たちに伝え聞かせ 子々孫々に語り継いでいく。


 招待されたラビの代表の挨拶があって、シンフォニーホールは無事終演。引き続き、特別招待者にはホール隣接の広間で晩餐会が用意されていた。次回はそのパーティーの取材に移るとしよう。

(つづく)

~~~~~~~~~

「うーん! 100年見てきたが、こんなことは初めてだな!」

と言う声が、突然天から聞こえてきた。

「えっ? あなたは誰?」 

はっ、と振り向いて上を見ると・・・



声の主 それは

3 階のギャラリーのまだ上 天井近く

100年前からホールの高みで ずっとボストンシンフォニーの歴史を見守ってきた

一体彫刻だった

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

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★ アメリカレポート ボストン-⑥ シンフォニー本番直前

2012-06-04 23:22:29 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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アメリカレポート ボストン-⑥ 

シンフォニー本番直前

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私のホールのギャラリー探検は続いた 歴史が詰まった展示にあふれている

ほとんどの例を 克明に写真を撮ったが その何十枚をここに全部紹介するのは やや冗長に過ぎるだろう

一例として セルジュ プロコフィエフとBSO 

 

    イゴール シュトラヴィンスキーとBSO

  

別の場所には 小澤の写真があった 一人の指揮者に二枚のポートレート(油絵と写真)は他にない

2002年からは BSOの名誉音楽監督と書かれている


1947年 セルジュ クーゼヴィツキー音楽監督指揮 BSO


2012年5月6日 キコのオーケストラ リハーサル風景


  

私の友人 旧ユーゴスラヴィア国立放送管弦楽団第一ヴァイオリン ヤーネス と 若いヴァイオリニストたち


ホルンのソロパートを任された まだ若い女の子 アタックが安定している


  

若い指揮者 パウ ホルケラ               コーラスも入って最後の仕上げ  


  

  開場直前 部署に着くホールの案内嬢たち      もぎり嬢からもらったプログラムなど

白い封筒風に入った私のチケットは 前から2列目 中央からやや右の特等席だった

数分後には 後ろの入り口から 一斉に観客が入ってくるはず


(つづく)


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