:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 教皇の決定的アクション

2012-01-31 11:20:11 | ★ 新求道共同体

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教皇の決定的アクション

-新求道期間の道の承認完了-

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AV(アッヴェニーレ)紙の関連記事の
大見出し 写真は教皇とキコたち

「信仰の喜びを示す恵み」

-「指導書」の「祭儀」承認される-


このブログの読者は圧倒的多数がノンクリスチャンの方であることは、アクセス解析から察せられます。その読者にとって、上のようなタイトルは、ややもすれば「一宗教のコップの中の嵐」と受け取られ、無視される恐れが多分にあることを私は強く意識しています。

だから、その皆さんに「おや?この記事はちょっと面白いぞ!」と耳目を引くことができれば大成功なのですが・・・・。

では、「新求道期間の道」(以下単に「道」としましょう)という、いかにも耳慣れないカトリック教会の中の存在が、どうしてあなたの関心の対象になり得るのでしょうか?

「道」の中で40年余りにわたって行われてきた「祭儀や典礼活動」が、バチカン当局による15年間の厳しい検閲・審査をパスして、すべて教会によって合法かつ有益なものとして正式に承認され認可されたということは、どうして現代世界にとって決定的な意味を持つなどと大げさなことが言えるのでしょうか?

私はその問いに是非お答えしなければなりませんが、その考察をひとまず置いて、この日の教皇謁見の展開から見ることにしましょう。

 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

去る120日(金)、1万人を収容できるバチカンの大謁見場を埋め尽くした関係者を前に、教皇ベネディクト16世は現代の教会にとってのこの「大きな出来事」を、喜びのうちに共に祝われました。謁見は4つの部分で構成されました:

 

第一部:教皇庁立「信徒評議会」局長(Secretary ヨーゼフ・クレメンス司教による「新求道期間の道の祭儀の承認」発表

 

承認を発表するクレメンス大司教


教皇ヨハネパウロ2世は世界中の司教たちに「道」の受け入れを奨励し、晩年には創始者のキコ氏を励まして、「道」に教会法上の位置づけを与えるため、「道」の「規約」を作成し教会の承認を求めるように促し、当時教理省長官だったラッツィンガー枢機卿(現教皇)にその「規約」の審査を委ねました。2008年に現教皇はそれを正式に承認し、引き続き、「道」の歩みの膨大な量の「教理指導書」も昨年承認しました。最後まで残っていたのが、とかく批判や反対の多かった「道」の「典礼・儀式」関連のものでした。しかし、それも今回の承認をもって、ここに晴れて「道」はすべての観点にわたってカトリック教会から承認を得た名実ともに公的なカトリック教会のカリスマとして全世界の教会に推奨されるものとなったわけです。

 

クレメンス大司教から受け取った承認書をかざして喜ぶキコ


第二部:教皇による100組の宣教家族の派遣


〔右〕宣教家族を紹介するキコ 〔左〕紹介を受ける教皇 〔手前〕派遣される家族たち

 

最初の「道」の宣教家族の派遣を行ったのは教皇ヨハネパウロ2世でした。中世ヨーロッパの宣教の担い手は独身の僧侶や修道士でした。16世紀宗教改革後のプロテスタント教会が宣教の担い手を「既婚者」の牧師家族に委ねると、カトリックはその反動として、宣教を「独身」の司祭・修道者・シスターを中心としました。しかし第二バチカン公会議の改革後、教皇ヨハネパウロ2世は信徒の「家族」を宣教の第一線に送り出すようになったのです。子沢山の「道」の家族が何百組と教皇によって全世界に派遣されるドラマを私は何度も見てきました。日本でもすでに24組が全国で宣教に励んでいます。この日もまた、100組の宣教家族が、教皇自らの手で世界9か国15都市に派遣されました。特筆すべきは、彼らが3-5家族でチームを組み、一人の司祭と数名の独身男女を伴った3040人のユニットとして、最も世俗化が進み教会も無く信者も居ない地域の只中にパラシュートダウンして、直ちに教会を開き宣教を始めるという画期的な趣向です。しかも、彼らは教皇自らの手で直接派遣されるのです。


派遣先の9か国15都市 しかも、いずれもその都市の最貧困地域にパラシュートダウンする

 

第三部:「道」の創始者キコ氏の作曲によるシンフォニー「無垢なものたちの苦しみ」の演奏


演奏前に教皇に挨拶する若い指揮者とキコ

 

キコのシンフォニーについては別のブログでもう何度か書きました。今回も、音楽に造詣の深い教皇は称賛を惜しまず、あらためてバチカンで公式の演奏会を希望されました。イスラエルではユダヤ教の指導者たちを招いて演奏されました。キリストの受難とかマリアとか、正統なユダヤ教にとって非常にデリケートな要素を含むものであったにもかかわらず、旧約時代からエジプトのファラオの奴隷として苦しみ、バビロニアに捕囚となって苦しみ、記憶に新しいところではナチスによるホロコーストなど、民族の存亡にかかわる苦難を数多く経験したユダヤ人に、「無垢な者たちの苦しみ」という主題は理屈抜きで深い共感を呼ぶものがあり、涙を誘って大成功を収めました。今年の58日ニューヨークのカーネギーホールを皮切りに、ボストン、シカゴなど、有名な交響楽団の本拠地でも演奏会が予定されています。その成功如何では、東京大阪の他、シンフォニーのテーマ「無垢な人たちの苦しみ」と深く結びつく広島・長崎や、地震と津波の被災地などへの演奏旅行にキコは意欲を燃やしています。

宗教音楽と言えば、モーツアルトのレクイエムとか、バッハのマタイ受難曲など、クラシック音楽愛好家ならクリスチャンでなくても知らない人はいません。しかし、21世紀の激しく世俗化した社会に、真の宗教音楽と呼べるものがあるでしょうか。そもそも作曲家の魂を鼓吹するほどの生きた熱い信仰を現代社会は見出すことができたでしょうか。私はキコ氏のシンフォニーの中に現代を代表する古典として後代に残る新しい宗教音楽の可能性を見ています。

    

シンフォニー「無垢なものたちの苦しみ」の演奏風景 (昨年のデュッセルドルフでの画像) 冒頭のソロを自ら歌うキコ


第四部:教皇ベネディクト16世の挨拶と祝福

 

1万人の「道」のメンバーの前で、典礼の承認の挨拶をする教皇ベネディクト16世


教皇はその挨拶の中で、土曜日の夕方行われる小さなグループによる「道」のミサの有効性を認め、その他、「道」の「教理指導書」の中で各段階のために細かく定められた様々な「祭儀」をすべて承認されました。そして、それが「道」のグループが帰属する各地方教会に開かれ、それに一致するように勧められたのです。その詳細は挨拶の全文を最後に載せたので、それに譲ることにしましょう。

 

終わりに、このブログの読者の多くを占めるノンクリスチャンの方々に、簡単な解説を試みたいと思います

 

「新求道期間の道」は、一言で言えば、キリスト教信者の「再教育の道」です。初代教会(14世紀)にギリシャ・ローマの神々を拝んでいたローマ人がキリスト教に入信するときに歩んだ「道」を、現代の「求道者」のみならず「洗礼を受けたが教会から遠ざかっていた人」「習慣的に教会に来ているが十分な信仰教育を受けてこなかった人」にも歩ませようという試みです。それは固定した閉鎖的「会」とか「運動」ではなく、万人に開かれた、万人が通過するにふさわしい「実践的研修コース」のようなものです。

キリスト教会は16世紀に大宗教改革を経験し、その結果カトリックとプロテスタントに別れました。カトリック教会は20世紀半ば(19631965年)に、再びそれにも匹敵するほどの大宗教改革を断行しました。「第二バチカン公会議」と呼ばれるものがそれです。「道」はその公会議の改革から生まれた新しいカリスマの一つです。

プロテスタント改革は、意識の高い司祭たちのいわば下からの改革で、ローマの教会のトップは改革を認めない保守の側にとどまったため、改革者らは教会を割って飛び出し、その対立は市民を巻き込んで30年戦争や80年戦争など実際に血を流す一連の戦争にまで発展していきましたが、調べてみるとローマが宗教改革者たちを破門したというきつい表現は見出されません。それに対して、第二バチカン公会議という世紀の大宗教改革は、カトリック教会の底辺が挙げて外憂内患のない泰平の夢をむさぼっていた時に、ヨハネス23世という老教皇が就任早々唐突に発議した上からの改革でした。そして、その後の歴代の教皇は、パウロ6世、ヨハネパウロ2世、そして今のベネディクト16世に至るまで、一貫して公会議後の改革路線を堅持し、決して後戻りすることはありませんでした。当然のことながら、改革の実りとして花開いた「道」のような新しいカリスマは大切に保護され育てられることになったわけですが、他方では、改革の意義を十分に理解せず、公会議前のメンタリティーのままに残った中間的な教会の権威から新しいカリスマは敬遠され、中央のローマに忠実に従おうとすればローカルに弾圧される板挟みに苦しむことになりました。しかし、プロテスタント改革の時のような分裂も、戦争も流血も起きませんでした。唯一悲劇的だったのは、あくまでも公会議の改革を頑なに拒んだフランスのルフェーブル司教とその追随者たちを、教皇ヨハネパウロ2世がやむなく破門したという事実です。(現教皇はこの分裂を修復された。)

前世期フランスにアンリ・ドゥ・リュバックという著名なイエズス会士の神学者がいました。第二バチカン公会議で活躍し、教皇ヨハネパウロ2世によって枢機卿にも任命されました。彼は、公会議の果実として花開いたカリスマと、公会議の改革を受け入れない保守勢力との間の亀裂は、カトリックとプロテスタントの間の亀裂よりも深いものとなるだろうという意味のことを言ったという話を聞いたことがあります。まことに意味深長な預言的ことばだと思いました。

結論を急ぎましょう。いま問題にしているのは、ローマのバチカン当局による「道」の完全承認が、広い世界のノンクリスチャンの皆さんとどう関係してくるのか、という点でした。

私は最近のブログ、「自殺者統計」-なぜキリスト教の宣教は必要か-の中で、世界の「グローバリゼーション」と「世俗化」の問題を取り上げました。その中で日本の自殺者率をせめてドイツやアメリカ並みに半減させるためには、日本において最も顕著に表れた世俗化の波を押しとどめ、押し返し、死の誘惑に対する日本人の抵抗力を高め、生きることの意味と希望を取り戻させるために、「道」の自由な活動が絶対不可欠だと信じています。その意味で、これは日本の社会全体に関わる問題だと言えるのです。

 

  * * * *

 

では、このブログの最後に、去る120日教皇ベネディクト16世が「道」のメンバーに宛てた挨拶を載せます(カトリック教会内部の固有の表現が多く、読みづらいかもしれませんが、忍耐してください。

 

ZI12012006 - 20/01/2012

Permalink: http://www.zenit.org/article-29306?l=italian

 

「新求道期間の道」の信仰を生きる喜び

教皇様は運動の創始者とメンバーを謁見

 

今朝(2012120日)1130分パウロ6世謁見場で教皇ベネディクト16世は新求道期間の道(以下「道」とする)のメンバーを謁見し、以下のように話されました。

* * * * *

 

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、

今年もまた、私は皆さんに会い、宣教の派遣の瞬間を共にすることができる喜びを持ちます。キコ・アルゲリオとカルメン・エルナンデスとマリオ・ペッツィ神父らに挨拶を送ります。そして、貴方たち皆、司祭たち、神学生たち、家族たち、養成者たちと新求道期間の道のメンバーたちに愛情のこもった挨拶を送ります。今日におけるあなた達の存在は、全教会とペトロの後継者との交わりの中で、信仰を生き、福音の勇気ある宣教者であることの喜びに満ちた熱意の目に見える証しであります。

わたしたちが聞いた聖マルコの一節の中で、使徒たちは「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」(マタイ2819節)というイエスの貴重な命令を受けました。初めのうち彼らは疑いをもち、心の中で不確かさを抱き、復活の出来事を前にして茫然としました。福音史家が強調するように、彼らに近づき、自分の現存を感じさせ、キリストを伝える各人に共にいてくださるという確信を与え、彼らに伝えた全てのことを教えるようにと派遣したのは、復活したイエス自身です。「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ2820節)。それらの言葉はあなた方の心の中に強く響きます。あなた達は「主は蘇られた」という歌を歌いました。それは「生ける者」への信仰、愛の極限の行為のうちに罪と死に打ち勝ち、わたしたち人間に神の愛の熱と救われたものであることの希望と永遠の未来を与えてくださる方への信仰を表すものです。

過去数十年間の「道」の生活において、しばしば個人的な物質的な安定をなげうって、母国を捨てて、決して容易ならぬ新しい状況に立ち向かいながらあなたたちが熱心に取り組んできたのは、復活したキリストを告げ知らせること、キリストの言葉に寛大に応えることでした。キリストを人々のもとにもたらし、人々をキリストのもとに導くこと、これこそ福音を宣べ伝える個々の仕事に命を吹き込むものであります。あなた達は、すでに洗礼を受けている人々が信仰生活の素晴らしさと、キリスト者であることの喜びを再発見するのを助ける歩みを通して、それを実現しました。

「キリストに従うこと」は、彼を探し彼と共に行く個人的な冒険を必要としますが、それはまた常に、エゴイズムをイエスキリストにおける新しい人間共同体で置き換えるために、自我に閉じこもることから出て我々の時代の社会をしばしば特徴づける個人主義を打ち破ることを要求します。そして、このことは彼との深い個人的な関係と、彼の言葉に聞くこと、わたしたちに示された道を歩むことの中で起こるのですが、それはまた、彼の教会とキリストの花嫁の真の面影を常に新たに知らせてくれる聖人たちと共に信じることとも不可分であります。

それは-私たちの知る通り-決してたやすいことがらではありません。時にはあなた達は福音を初めて告げる必要のある場所、ミッシオ・アド・ジェンテス(missio ad gentes)に居合わせることもあるでしょう。しかしまた、かつてキリストを知ったことがあったが信仰に無関心になった場所、 世俗主義が神に関する感覚を弱くし、あるいはキリスト教的諸価値を暗くした場所にもしばしば出会います。ここでは、熟成の時間を重んじたあなた達の忍耐深い関与と証言が、教会の感性とともにパンの練り粉全体を膨らます酵母のような働きをします。

教会が「道」の規約と「信仰入門指導書」の承認したのは、聖霊が私たちの時代に与えてくださった特別な賜物をその中に認めたことの印であります。私はあなた達が福音のために独創的な貢献をすることを励まします。あなたがたの貴重な働きの中で、使徒座とあなた方が組み込まれている部分教会の牧者たちとの深い交わりを常に追求してください。教会の体の一致と調和は、我々が住んでいるこの世におけるキリストと彼の福音に対する重大な証しです。

親愛なる家族の皆さん、教会はあなた方に感謝します。教会は新しい福音宣教のためにあなた方を必要としています。教会共同体にとって、家庭は私たちがそこで人間的でキリスト教的な命に形成される重要な細胞であります。私は大いなる喜びをもってあなた方の子どもたちを見ます。親愛なる両親の皆さん、たくさんの幼子たちが貴方たちの模範を見つめています。100組の家族が12のミッシオ・アド・ジェンテスに旅立とうとしています。恐れを持たないようにとあなた方を招きます。福音をもたらす者は決して一人ではありませんから。愛情をこめて司祭たちと神学生たちに挨拶を送ります。キリストと教会を愛しなさい。彼に出会った喜びと彼にすべてを委ねた美しさを分かち合ってください。旅人達と責任者たちと「道」のすべての共同体にも挨拶を送ります。主に対して常に寛大であり続けてください。彼の慰めがあなたがたに不足するようなことは決してないでしょう!

今しがた、「新求道共同体の道の教理指導書」の中にある祭儀を承認した「教書」があなたたちに読み聞かされました。それは、厳密な意味では典礼的でないとはいえ、信仰における成長の道のりの一部をなすものです。これは教会があなたたちの豊かさを理解し、また教会の体全体との交わりと調和をも見ながら、忍耐深い識別のうちに注意深くあなたたちに寄り添うものであることを示すもう一つの要素であります。

この事実は、典礼の価値について短い省察をする機会をわたしに与えてくれました。第二バチカン公会議は典礼を司祭たるキリストとその体である教会の業であると定義しました(典礼憲章、7参照)。一見するとこのことは奇妙な印象を与えるかもしれない。なぜなら、キリストの業はイエスの歴史的な救いの行為である受難と死と復活に関係するものであるように思われるからです。では、どういう意味で典礼はキリストの業なのでしょうか。イエスの受難と死と復活は、単なる歴史的な出来事だけではありません。それは、歴史に入り歴史を貫きながら、しかもそれを超越し、キリストの心の中に常に現存するものなのです。

教会の典礼的行為の中には復活したキリストが存在し、私たちと私たちの救いのために今も同じ復活の秘儀が有効に現存しているのです。わたしたちをご自分の心の中に常にある「自分自身を与える行為」の中に私たちを引き寄せ、復活の秘儀の現存に参加させてくださいます。復活の秘儀に入る典礼の真の内容をなすこの主イエスの御業は、-アウグスチヌスがChristus totus caput et corpus(キリストは頭も体もすべてである)と言ったように-それはキリストの体であって彼と同じ一つの主体である教会の業でもあるのです。秘跡を執り行うことを通してキリストは私たちを死から命へ、罪からキリストにおける新しい存在へと過ぎ越させ、復活の秘儀の中に浸らせます。

このことは新求道共同体が目指すキリスト教的生活の頂点でありその再発見の核心である感謝の祭儀について、最も特別な意味で当てはまります。あなた達の規約にも書かれている通り、「感謝の祭儀は新求道期間にとって欠くことのできない最重要のものである。それは小さな共同体で体験される洗礼後の求道期間だからである」(13条1項)。教会から離れてしまった人々や、ふさわしい養成を受けてこなかった人が、秘跡的生活の豊かさに再び近づくのを助けるというまさにその目的ために、新求道期間の道を歩む者は、教区司教の指示のもとで感謝の祭儀を小さな共同体で日曜日の前晩の祈りの後に祝うことができます(13条2項参照)。

しかし、各感謝の祭儀は唯一のキリストがご自分の唯一の教会と共にする行為であるから、本質的に自分の教会に属するものたち全員に開かれています。聖なる感謝の祭儀のこの公的性格は、「聖なるミサ」の各祭儀が究極的には具体的な部分教会に対して責任のある司教団のメンバーとしての司教によって指導されるという事実によって説明されます(第二バチカン公会議、教会憲章、26参照)。典礼書の定めに忠実に従いながら、「道」の規約によって承認された個別性に沿って行われる小さな共同体による祭儀は、新求道期間の道のりを行く人々が、キリスト教的証しの徹底さの特徴も引き受けることを可能にするキリストの救済的秘儀に与る恵みを理解することを助ける使命を帯びています。

同時にまた、個人と小さな共同体の信仰における段階的な成熟の過程は、新求道共同体がその中にあってそのために存在する小教区の教会共同体の生活において、その典礼的祭儀の中に適切に組み入れられるべきものである(規約6条参照)。しかしまた、「道」の歩みの過程において、主が私たちの霊的成熟の様々な段階において私たちを包み、わたしたちをひとつの体にする唯一のパンにおいて一致させる感謝の祭儀を執り行う際にも、小教区共同体から分離しないことは重要であります(1コリント1016節以下参照)。

頑張りましょう!主は必ずあなた達とともにいてくださるし、わたしもまたあなたたちのために祈ることを約束します。貴方たちが私の側にいてくれることの多くのしるしに感謝します。あなた達も私のことをあなた達の祈りの中で思い出してください。聖なる処女マリアが彼女の母性的な眼差しであなたたちを助け、「道」のすべてのメンバーの上に及ぶ私の使徒的祝福があなたたちを勇気づけますように。

有り難う!

謁見場のマスコット(?)のスイス衛兵 ユニフォームはミケランジェロのデザインによる

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警告:へんなメールが来ていたら開かないで削除してください。

2012-01-30 14:31:44 | ★ 日記 ・ 小話

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警告:へんなメールが来ていたら開かないで削除してください。

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今日、中国在住の友人J.K.君から珍しく:

Click here to see attached video.

という英文 行だけのメールが届きました。

親しい間柄なので、何気なくクリックしたら、メールアドレスをIDにして、パスワードを入れろと要求する変な画面に変わりました。これかな?と思うパスワードを入れたけど幸い(結果的に)開かなくて一旦閉じました。そして、も一度クリックしたらアバスタのセキュリティーにブロックされて「トロイの木馬」とかいうヴィールスとわかりました。

わたしの場合は開いたことになっていないはずなので、ここからさらに広がることはないと思いますが、同様のことは他からも起こっているかもしれません。現に、一部の限られた友人サークルに伝えたら、早速そのうちのY君から:

 

谷口神父様 有り難う 私の所にも来ていました HPで警告削除を伝えました

 

というメールが返ってきました。

用心に越したことはないと思って、念のために私のブログでも事実をお知らせする次第です。

.K.君は中国というネット界ではいろいろ問題のある地域に住んでいて、日本人として目立っているのでターゲットにされたのかもしれません・・・。

尚、上の英文の裏にはURLがついていないので、クリックしても何も起きません。ご安心ください。

 

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★ 自殺者統計 -なぜキリスト教の宣教は必要か-(一部変更・加筆版)

2012-01-24 08:12:14 | ★ 福音宣教


               

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自殺者統計 

-なぜキリスト教の宣教は必要か-

 (一部変更・加筆版) 

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 たまに日本に帰ってくると、人の多さに圧倒されます。渋谷のスクランブル交差点などでは、人の波に酔って目が回りそう。混雑した地下鉄のホームで「○×線は人身事故で運転見合わせ中」というアナウンスに出くわすと、また飛び込み自殺ではないかと思って心が凍るのは私だけでしょうか。


地下鉄丸ノ内線の四谷駅


 日本が先進国ではダントツの自殺大国であることは皆さんもよくご存じでしょう。パソコンを開いて「自殺 統計 世界」などのキーワードで検索すると、簡単に「2011年段階の最新データ」(原資料「国連人口統計年鑑」)というサイトに出くわします。それによると、例えば私が住んだことのある四つの国の人口10万人当たりの自殺者の数字は次のようです。

日本     24.4

ドイツ    11.9

アメリカ   11.0

 イタリア    6.3人 

 つまり、日本の自殺率はドイツ、アメリカの2倍以上、イタリアの約4倍ということになります。この顕著な違いはいったいどこから来るのでしょうか。 

 現代世界の特徴を言い当てたものに、「「グローバル化」と「世俗化」とい言葉があります。

 世俗化はもともと「聖なるもの」に属すると考えられていた場所や空間をこの世の人間的な目的のために用いることでした。例えば、キリスト教の教会堂を、礼拝のためだけではなく、幼稚園の遊び場、世俗の集会場などに用いたりすることです。

 「世俗化」は、第一義的には、聖なるものの俗化という宗教学的概念にほかならず、厳密には、西欧キリスト教社会の歴史的没落現象を意味するものとして理解されてきました。

 他方、もともとは戦後の多国籍企業の急成長に端を発した「グローバリゼーション」は、社会や文化の広い範囲にも影響を及ぼすようになり、それに伴って、本来キリスト教社会の現象であった世俗化も、仏教や神道の影響下にある日本の社会の類似の現象にもあてはめられるようになりました。かつて信仰の対象として考えられてきた寺社が、歴史的遺産として拝観料をとる観光資源になり変わるなどもその類と言えるでしょう。

世俗化には、呪縛的であった宗教からの人間の自己解放の過程という側面があり、より根源的には、神を棄却することを意味するという考えもあります。その意味では、「神」という超越概念の名の下で呪術的支配を行ってきた制度としてのキリスト教が全体的に没落していくのは、西欧社会における人間の「自律」追及の必然的過程であったのかもしれません。

キリスト教的超越神の概念を精神的土台にしていない日本の社会は、その限りにおいて、もともと世俗的であったわけですが、敗戦時になされた現人神(あらひとがみ)天皇の人間宣言によって唯一の神的な存在が消滅した後には、世俗化はもっとも純粋な形でなりふり構わぬ素顔を露わにしました。

 

日本の自殺者の人口比率は、ドイツやアメリカの2倍、イタリアの4倍であるというのは統計的事実です。

 

いずれの国もグローバル化した西側先進国の一員であるという共通項の中にあって、この顕著な差異はぜひとも十分に説明されなければなりません。

上の例の4つの国の間で、失業や、経済的破綻や、失恋や、孤独や、病の宣告、などの様々な逆境にある人の割合に、2倍も4倍もの差があるでしょうか。

わたしはドイツに生活した4年間、ナチスの強制収容所に異常な関心を抱いて生きてきました。そして、様々な情報から、同じ劣悪な極限状況にあって人の生死を分けるものは、結局は個々人の「生を肯定する意志、生きる願望の強さ」であったという漠たる確信を持つようになりました。

今回、それを裏付ける証言を求めていろんなキーワードでたくさんのサイトを渡り歩き、ついに「夜と霧」という本の紹介するこんな言葉と出会いました。

「あらすじと言えるものはありません。アイシュビッツに送られた後、そこを一歩も出られないのですから。ガス室、強制労働、貧しい食と住、凄惨な日々に感情を失っていく人々の毎日の記録なのです。家族のなかで、只一人生き延びたフランクルは書いています。収容された人の生と死を分けるのは、体格や栄養ではない、未来があると信じたものだけが生き延びられたのだ、と。」

ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』(みすず書房、1956年)という本の訳者は、故霜山徳爾(しもやま とくじ)先生です。臨床心理学者で、上智大学の名誉教授でした。50年前、私は中世哲学科に身を置きながら、心理学科で講義する先生の科目を全て聴講し、個人的にも可愛がっていただきました。先生自身フランクルの友人だったそうです。わたしのアウシュヴィッツに対する異常な関心と、「生死を分ける意志」についての確信は、霜山先生から受け継いだものでした。

 愛されたことのない人間は愛し方を知らない。本当の愛を知らない人は、自分の存在と自分の生を肯定する十分な根拠を見出さない。だからいとも簡単に死を選ぶ。死の誘惑の前に抵抗力がない。

 自殺者の統計が示しているのは、端的に言えば、ドイツ人やアメリカ人は日本人に比べて死の誘惑に対して2倍の抵抗力があり、イタリア人は4倍の抵抗力がある、ということではないでしょうか。

 グローバル化した現代社会において、物質的側面で4つの国の間に大きな格差は認められないとすれば、自殺率の違いは精神的な面での世俗化の度合いに由来すると考えるべきではないでしょうか。そもそも世俗化の原型がキリスト教圏にあったことを忘れてはなりません。日本など、世俗化されるべき神聖なもの、超越的な人格神の概念が初めから欠落していたのですから、その対極にあるお金の神様以外に、これと言って拝むべきもの、帰依すべきものはなかったと言っても反論は難かしいはずです。日本人はアウシュヴィッツで生き延びたフランクルのように「未来がある」という確たる信念を持ち合わせていないのが普通ではないでしょうか。

 旧約聖書には、 

            女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。  

母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。

たとえ、女たちが忘れようとも            

わたしがあなたを忘れることは決してない。    

(イザヤ書4915節)

という言葉があります。

 この神の言葉には、ユダヤ教やキリスト教、回教のように、旧約聖書を自分の信仰の書として戴かない日本人の心にも、共感を呼ぶ響きがあるのではないでしょうか。

 神がいる。神が貴方を愛している。この世の涙の谷の試練の後に、神の愛の中で喜びのうちに生きる永遠の命がある、と信じられる人は、アウシュヴィッツのような、一見絶望的な極限状況の中でも、最後まで死の誘惑に抵抗する免疫力を保ち続けることができるはずです。

 だとすれば、東京のラッシュ時の地下鉄ホームの縁に立って、ふらりと前のめりになろうとする人に向かって、「神はいる。神はあなたを愛している。死の向こうに復活と永遠の命がある。人生には意味がある。生きなさい!」と告げなければなりません。それがキリスト教の福音宣教であり、反世俗化の戦いではないかと思います。

 日本の社会に住む我々は、高圧電流の通う鉄条網に囲まれてはいません。しかし、一皮剥けば、そこにおける生は、アウシュヴィッツ同様に出口も希望もありません。都会の絶望的孤独の中に閉じ込められて、お金に、名誉に、セックスに、麻薬に、ギャンブルに、偽りの愛と絆を求めても、結局は裏切られるだけです。

 


 一見同じように世俗化が進んでいるようであっても、中世から1970年代までキリスト教に精神文化の根底を染めぬかれてきたドイツ、アメリカには、日本の2倍の、イタリアに至っては4倍の「神聖なもの」の残り香が生きているのでしょう。

 それに対して、日本はと言えば、1549年にフランシスコ・ザビエルが来日してわずか60年の間に、一旦は50万人(当時の人口1230万人の4%つまり当時の日本人の25人に1人)に達したキリシタンの数は、鎖国政策と厳しい迫害でたちまち歴史の表面から消えてしまいました。戦後の日本社会が完全な信教の自由を謳歌した後も、カトリック信者の数は最盛期にさえ50万人(人口比0.4%)を超えることはありませんでした。だから、日本の精神文化の土台は今もって圧倒的に仏教的であり、神道的であって、超越神を持たないという点では、もともと世俗主義と同質のものであったのです。

 歴史は逆には流れません。だとすれば、グローバル化した現代世界において、かつて中世にあったように、広い地域がキリスト教一色に染め上げられる時代はもう永久に戻っては来ないでしょう。

 日本の自殺率をせめてドイツやアメリカ並みに半減させるためにも、キリスト教の宣教は急務です。本当に福音を信じて回心する信者が増えるなら、日本の社会を反世俗化させるためにそれほど多くの数はいりません。

 鍋の中の料理に味を付けるために必要な塩の量ほど、家の中を躓かずに歩くために必要な蝋燭の数ほどの信者がいればいい。日本の場合、せめて人口の1%、100万人ほどがいてほしい。日本人100人に一人、本当の回心を遂げたキリスト者がいれば、社会に光を投げかけ、塩のように社会の腐敗を防ぎ、それに適当な味をつけることが出来るでしょう。

 この目標達成は決して不可能ではない。 しかし、そのために福音を宣べ伝えなければなりません。

(つづく)

 

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★ 現代のキリスト教ミッション - 〔小説〕 「大聖堂」 -

2012-01-20 22:02:45 | ★ 福音宣教

 

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現代のキリスト教ミッション 

- 〔小説〕 大聖堂 - 

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ヴァレンシアでのマヌエル君の叙階式に参加した後、半ばお忍びでクリスマスと正月を日本で過ごした。

ローマへの帰路はルフトハンザでフランクフルト経由だった。成田のフィンガーから搭乗するときになって、機材が最新鋭の総 階建て エアバス A380 であることに初めて気が付いた。


エアバスA380 第1号機のお披露目式


キャビンの総面積でボーイング747ジャンボ機の1.5倍、標準座席数で1.3倍の世界最大の旅客機なのだが、気が付いた限り、在来型のジェット機との最大の違いは外殻の厚さにあるように思えた。窓の二重ガラスの間隔は、一見したところ約10センチあまり、在来機の約3倍ほどはあるな、と思った。そのせいか、エンジン音と機体の外壁を擦る空気の音が小さく、機内が目立って静かだという点だった。

その静けさに気をよくして、読みかけていた小説 「大聖堂」(ソフトバンク文庫) を夢中になって一気に読み進んだ。ケン・フォレット作、上・中・下 三冊で合計1800ページほどの大作で、原題の “The Pillars of the Earth” は 「大地の柱」 とでも訳すべきか。

12世紀中葉、イギリスに最初のゴチック聖堂が建てられていく過程を通して、恋あり、戦争あり、王権と教会・修道院の権力のせめぎ合いを織り交ぜ、最後はイギリスの聖殉教者トーマス・ベケットの史実につながっていく。


三冊のうち 「上」 は日本で読み切ったので置いてきた


愛と詩情とグロテスクを織り交ぜた、スリルとサスペンスの息つく暇もない展開に、久しぶりに小説の世界に引き込まれてしまった。そして、昼間ボーっとして夜眼が冴える時差ボケを口実に、ローマの夜を徹して今朝ついに全巻読み終えたところである。

なぜこんなことを書くのか? それは、この長編小説を読みながら、自分の信仰観の歩みにまた一つの新しい襞(ひだ)が付け加えられたように感じられたからだ。

人の信仰というものは、年輪を重ねるにつれて広がり深まり変化するものなのだろう-またそうなければならない-。

わたしがカトリックで洗礼を受けたのは、中学2年の時だった。神戸のミッションスクールで、中学1年の終わりには同期生の十数人が洗礼を受けた。しかし、その時私は生意気にも 「まだ納得しないから」 と受洗を見送った。そして、その1年後、今度は 「納得した」 と思って受けた。今振り返ると、まだ14歳の子どもの幼稚な考えであった。高校を卒業するころには同期生の約3分の1が受洗していた。そして、最近ふと同窓会に出てみると、なんと同期生の約半数が洗礼を受けてカトリック信者になっていて驚いた。195060年代には、まだミッションスクールはキリスト教の 宣教の場 として立派に機能していたと言うべきだろう。初代の日本人校長のT神父は、父兄会当日の朝礼で、居並ぶ父兄を前にして、「わが六甲学院はキリスト教的人格教育を旨としております。東大合格を期待して子弟を送られたご父兄は、進路を誤っておられますので、早速に近くのN校に転校されることをお勧めします。」と豪語することを恐れなかった。

ところが、それから10年もしないうちに事情は一変する。2代目の外国人の校長は、父兄の圧力に屈して、遅まきながら受験校への路線転換を断行した。その効果はテキメンで、関西でもまずまずの成績を上げるようになったが、その裏で、生徒の受洗者の数はほとんどの年がゼロになった。あっという間の急展開だった。 

高等部を卒業した私は、イエズス会の神父になるべく上智大学に進み、2年後には入会準備のため修練院に入った。しかし、そのわずか23年のあいだに私の信仰は成長していた。自分の社会性の未熟さを痛感し、そこを去り、国際金融業に転じた。ドイツのコメルツバンクを皮切りにリーマンブラザーズなどを転々とするうちに私の信仰は新たな展開と深化を遂げ、改めて司祭職への道に入ることを決意した。

ローマで4年間の神学の勉強の後-という異例の速さで-1994年に神父になるのだが、そのローマでの体験は私の信仰のあり方をまた大きく変えた。さらに、最近の67年間のめまぐるしい展開 (その大半を再びローマで過ごす結果になったのだが) は、信仰内容のさらなる開眼を結果した。

中学2年の洗礼の時に芽生えた信仰は、60年近い歳月の流れの中で、大きく変貌していった。小さな苗木が大きな樹木に育つような連続的な成長というよりも、セミの幼虫が脱皮を通して全く別の形の成虫になるような劇的な変化を、人生の節目ごとに何度も繰り返して経験してきたと言った方が実態をより良く言い当てているように思う。

今朝、長編ロマン歴史小説「大聖堂」を読み終えたとき、この数年のローマでの生活を通して、私の信仰がまたまた大きく変貌を遂げていた事実に、はっと気付いて深い感慨に耽った。

今の私の信仰は、洗礼を受けた当時のような幼稚なものではない。最初に司祭職を志した時のようなセンチメンタルなものでもない。金融業に明け暮れた時期の遠い希薄なものでもなく、再度司祭職を志した時のように教会組織に過大な期待を寄せた熱烈なものでも、最早ない。

「大聖堂」 の小説の舞台であるヨーロッパ中世を含む太古からの歴史の流れと、宇宙物理学の果てしないマクロの世界から、素粒子の限りないミクロの世界まで、その全てを統べたもう神の 「創造的愛とゆるぎない救済の意志」 に対する無条件の帰依、とでもいうべき信頼に満ちた信仰的オプティミズムと言えばいいだろうか。そして、大切なのはそこから湧き上がる抑えがたい宣教への思いだ。

 

 

          

             聖トーマスの暗殺場面の描かれた装飾写本                 ヘンリー2世                     

 トマス・ベケットThomas Becket1118年12月21日 - 1170年12月29日)は、イングランド聖職者カンタベリー大司教。当初はイングランド王ヘンリー2世大法官として仕えた。しかし、大司教に叙階された後は教会の自由をめぐってヘンリー2世と対立するようになり、ヘンリー2世の部下の手で暗殺された。死後2年経ってから、殉教者としてカトリック教会より列聖された。(Wikipedia)             

 

では現実はどうか。日本の人口12500万人の中のカトリック信者の数は、

                 2008年  452138人 

         2009年  4497042434人)

         2010年  4484401264人)

と、年毎に確実に減少している。信者の親は子供に信仰を伝えない。現役信者が高齢化して死んでいく自然減に、新しい入信者の数が追い付かないためだ。

 上の数は全国の教会の洗礼台帳に記載されている信者の総数であるが、平素実際に信仰生活を実践している信者はその約4分の111万人ほどだといわれる。その数は日本の人口の約 0.1 パーセント、日本人の1000人に1人という、ほとんど無視していいほどの数でしかいない。そして、もしこの割合で減少を続ければ、やがて日本からカトリック信者は消滅するだろうと予測される。

 キリスト教の信仰は「大聖堂」の小説が描いた12世紀の中世のそれからすれば、今日ではずいぶんと進化し、変化している。それはまた。私の短い一生における個人的な信仰形態の変遷と重なるものがある。

 あの小説の時代、中世ヨーロッパでは、洗礼を受けていない人は救われないとか、懺悔をしなければ罪は許されないしそのまま死ねば地獄に落ちるとか、どんな大罪も形式的な懺悔の手続きを踏みさえすればべて赦されるとか教えていたようだ。そんなことを今日の日本の実情に当てはめれば、実に滑稽なことになる。それなら99パーセント以上の日本人が救われず地獄の滅びに入ることになるが、それでは愛と慈しみの神と全く相容れない矛盾に陥るだろう。

 すべての被造物とともに人間を創造した「愛と赦しと憐れみ」の神は、すべての人に救済と永遠の喜びに入る道を用意しているはずではないのか。(にもかかわらす永久に滅びる人がいるのも神秘だが・・・。)

 では、キリスト教の宣教は不要か?キリスト教は日本の社会からこのまま消えてしまって、それでいいのか?先輩の宣教師たちの努力は無益だったのか?このままで日本人は幸せか?日本の自殺者の人口比は、アメリカやドイツの2倍、イタリアの4倍と統計にあるが、それを一体どう説明すればいい・・・?

 (つづく)

 

 

コメント (2)
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