:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ ベネディクト16世の退位宣言文 (他、2件の転載記事)

2013-02-14 14:09:20 | ★ 教皇ベネディクト16世


いつも私のやや主観的な記事ばかりなので たまには 教会の公式見解もお伝えしましょう

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ローマ教皇ベネディクト16世

教皇職の退位宣言文

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2月11日(ルルドの聖母の記念日)、ローマで召集された枢機卿会議の席上で、ローマ教皇ベネディクト16世は、ご自身の意志による決断として、教皇職の退位を宣言されました。事実上の終身職となってきた教皇職の、教皇自身の決断による存命中の退位は、実に600年ぶりだということです。

下記に、ベネディクト16世の退位宣言を転載させていただきます。

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親愛なる兄弟の皆さん

わたしがこの枢機卿会議を招集したのは、3人の列福の件だけではなく、教会にとって非常に重要な決断を皆さんにお知らせするためでもあります。

わたしの良心を繰り返し神の御前で確かめた後、わたしの力は、高齢のため、教皇職をよりよく遂行するためにもう適していないという確信を得ました。

この教皇職が、その霊的本質ゆえに、行動と言葉だけでなく、苦しみ、祈りつつ、完成させられるべきであることはよく知っています。

しかしながら、早い変化と、信仰生活に対する大きな問題によって揺れる今日の世界において、聖ペトロの船(教会)を統治し、福音を告げるためには、心身の活力が必要ですが、ここ数ヶ月、自分に託された任務をよりよく遂行するための力がないことが自覚されるほど、その活力が減じてきました。

そのために、この行為の重大さをよく自覚した上で、完全な自由をもって、2005年4月19日に枢機卿たちによってわたしの手に託されたローマの司教職、聖ペトロの後継者の位(教皇職)を引退することを宣言します。これによって2013年2月28日、20時より、ローマの教皇座は空位となり、関係者らによって新しい教皇を選出するコンクラーベが召集されます。

親愛なる兄弟の皆さん、すべての愛と仕事をもって教皇職の重みをわたしと共に耐えてくださった皆さんに心から感謝すると共に、すべてのわたしの欠点をどうかお許しください。

今、聖なる教会の世話を、最高の牧者、わたしたちの主イエス・キリストに託し、その聖なる母マリアに、枢機卿たちが新しい教皇を選ぶまで見守ってくださるよう祈りましょう。わたしについては、将来においても、祈りに専念した生活をもって、神の聖なる教会に心から奉仕したいと思います。

                                         (バチカン放送局日本語版 2月11日記事より転載

 

バチカン広報局長「教皇の大きな勇気と自由の精神」



ベネディクト16世の教皇職からの引退発表について、バチカン広報局局長フェデリコ・ロンバルディ神父は、11日、次のようにコメントした。

「この朝、いくつかの列聖の件をめぐる定例公開枢機卿会議が行なわれ、新しい聖人の列聖式の日取りが決定されました。多くの枢機卿が集ったこの会議を、教皇は特別に重要な知らせを告げる機会としました。」

「教皇は自分の良心を何度も神の前で問い、自分の手にこの使命を託された神への祈りの頂点において、個人的な深い決意に達したと述べています。そして、高齢のために、自分の体力が教皇職を遂行するのに十分でないという確信を得ました。これがこの決断における基本的動機です。」

「教皇の引退をめぐる理由の中には、今日の世界に対し、様々な問題の発生する速さと量のために、以前と比べてより多くの取り組みが必要となり、そのための体力も要求されるようになったということを挙げています。教皇はその体力が減じたことをここ数ヶ月感じておられました。」

「教皇が述べた『この行為の重大さをよく自覚した上で、完全な自由をもって、ローマの司教職、聖ペトロの後継者の位を引退することを宣言する』という公式宣言は、教会法の点からも重要です。教会法332条2項に『ローマ教皇がその職を辞する場合、それが有効であるためには、その辞退は自由に、正当に公表されなければならない。これに対し、誰かの受諾を必要としない。』とあります。重要なのは、自由に、正当に公表されるべきという2点ですが、教皇は実際、枢機卿会議という公の場で、自らの意志を表明したのです。」

「教皇は2月28日の20時まで、完全にその職権と仕事にとどまります。その時点から、空位期間が始まりますが、それについては教会法と、ヨハネ・パウロ2世が使徒座空位期間について定めた使徒憲章『ウニヴェルシ・ドミニチ・グレジス』に記された法的観点から規定されることになります。」

「今回の引退宣言は、ペーター・ゼーヴァルド氏の教皇へのインタビューをまとめた本『世の光』の中で、まさに辞任に対する質問に教皇ご自身が答えていることと言動一致するものです。ゼーヴァルド氏は、まず、困難な状況が教皇職に影響を与えることがあるとしたら、それに対し辞任という道を考えたことがあるかと質問しています。この問いに教皇は『避けがたい大きな危機の最中は、当然、辞任すべき時ではありません。まさにこのような時こそ、困難な状況に耐え、それを乗り越えなければなりません。わたしはこう考えます。安定した時期にある時、あるいは単純にどうしても体力が持たない時に、辞任することができると思います。しかし、危機の時に、逃げたり、他の人にやってもらうと言うことはできません』と答えています。したがって、教皇は、困難は辞任の理由ではなく、むしろ辞任しない理由となると言っています。次に、ゼーヴァルド氏は『では、教皇が引退すべき状況というものを頭に描いていますか』と質問しています。これに教皇は『そうです。教皇が体力的・精神的に託された任務を遂行できないと明らかに自覚するに至った時、辞任する権利がありますし、ある状況下では辞任する義務もあると思います』と述べています。」

「ベネディクト16世は、空位期間が始まると共に、最初はカステルガンドルフォに、そしてバチカン内にある女子観想修道院の補修工事が終わった後に、この修道院に移られると思われます。」

「わたし個人としては、教皇の引退宣言を、その大きな勇気と自由の精神、ご自分の任務に対する責任の自覚の深さゆえに、非常な感嘆をもって受け取りました。ベネディクト16世は、霊的な自由さの大きな証しと、今日の世界における教会統治の問題への自覚をわたしたちに与えてくれたと思います。」 

 

教皇引退:「病気ではなく高齢が理由」バチカン報道官



ベネディクト16世が教皇職からの引退を表明した翌日、12日、バチカン広報局長フェデリコ・ロンバルディ神父は、教皇はお元気で、大変落ち着いておられ、退位の決断は病気ではなく、高齢による体力の低下を理由とするものと述べた。

この日の記者発表でのロンバルディ神父の主な発言は以下のとおり。

「教皇は最近、心臓ペースメーカーの電池交換を受けられたが、これは通常の処置であり、これが教皇の引退に影響したとは思われない。」

「ベネディクト16世の在位の最終日となる2月28日までの行事は、イタリア司教団の定期訪問、ルーマニアとグアテマラ大統領との会見、日曜正午の祈りや一般謁見を含めて、すべて予定通り行なわれる。教皇の最後の一般謁見は27日に予定されている。」

「13日の『灰の水曜日』の儀式は、通常アヴェンティーノの聖サビーナ教会で行われるが、今回は現教皇の最後の大きな宗教行事として、多くの枢機卿や信者の参加が予測されるため、バチカンの聖ペトロ大聖堂でとり行われる。」

「教皇の信仰をめぐる回勅は、おそらく発表されないだろう。」

「オッセルバトーレ・ロマーノ紙が記すように、教皇のキューバとメキシコへの司牧訪問が疲労の原因と言われているが、これは引退の決意を固める段階での一つのきっかけではあったが、この訪問そのものが引退の決定的な理由となったわけではない。」

「バチカン庭園の中の観想修道院の建物に移ることを決められたのはベネディクト16世ご自身である。観想修道会の修道女たちが生活していたこの建物は昨年末から改修工事が行なわれている。」

「バチカンの中に2人の教皇が住むことは問題になるとは考えられていない。ベネディクト16世は極めて自分に厳しい方であり、後継の教皇に困難を与えるような干渉は考えられない。後継者に問題を与えるどころか、むしろ、祈りと愛をもって次期教皇を支え、後継者の仕事の大変さを世界の誰よりも理解するだろう。」

「教皇は、役職に就くことなく、祈り、研究、観想、執筆の、目立たない生活を送られるだろう。これは教皇ご自身が決められることである。」

「教皇は2月28日の20時、すなわち教皇が通常祈りと休息に入られる時間に教皇職を停止される。この教皇職の最終日まで通常通りに生活される。」

「ベネディクト16世は新しい教皇の選挙に関わったり、コンクラーベに参加することはない。」

教皇の引退後の肩書きについては、懸案中の事項としてこの日は言及されなかった。

同様に、教皇の指輪をはじめ、教皇の権能に結びつく物品の法的処置など、今後決定されるべき多くの事項については、後日、随時発表される予定。

 

 

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★ ローマ教皇突然の退位の裏を読む

2013-02-12 20:57:35 | ★ 教皇ベネディクト16世

教皇の紋章 

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ローマ教皇突然の退位の裏を読む

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 昨日2月12日の

日本語グーブログ182万件余りの中で586位は

内外の圧力で中断を余儀なくされた期間を含む4年間の我がブロガー人生の中で

最高記録をさらに更新するものでした。


引退発表2日前 晩餐会でシャンペンを飲ベネディクト16世


 ローマ教皇ベネディクト16世が突然の生前退位を表明するわずか3日前の2月8日に、教皇の晩餐会に連なっていたという幸運のなせる業ではありますが、それを偶然と片付けるには余りにも劇的でした。

 前触れがなかったわけではない。教皇は2010年に出版した本の中で「体力的、精神的に限界に来れば引退する」と書いている。

 私の2月10日(退位発表の前日)のブログでは、車輪付き台座に乗って「カラクリ人形」のように移動する教皇の姿を描いたが、それは顕著な予徴だった。

 「ユダヤ人との関係改善」の努力、「聖職者による未成年者への性的虐待事件」などを巡り、光と蔭の両面に私のブログはスポットを当ててきた。

 彼は高齢者なのにツイッターに投稿し、「ふつうのおじいちゃんに戻りたい」とつぶやいたり、礼儀に欠く日本の投稿者に対しては「ふざけたツイートをよこした連中は皆地獄に堕ちるように手配しておいた。免罪符を買っても許されない。」とユーモアたっぷりにピシャリと切り返したりもした。

 約1000年ぶりのドイツ人教皇の生前退位は、1415年のグレゴリウス12世以来600年ぶりのことと、異例ずくめの教皇の退位の行方には目が離せない。

 あの限られたスペースのバチカン宮殿の中に100人以上の枢機卿を泊める施設があるのも驚きだが、日本テレビがミケランジェロの壁画の修復を無償で行ったシスティーナ礼拝堂で行われるコンクラーベ(教皇選挙)は外部からの一切の介入を遮断するのが目的だったはずだが、アイパッドや高性能の携帯電話の発達した現在、どうやって政治的関心や、保守・革新の勢力のせめぎ合いや、マスコミの介入を完全に遮断できるのか、大いに疑問がある。

 ここからは全くの私の私見だが、退位の主要な理由が健康や気力の問題でないことは私には明らかなように思われる。本当の意図は何か。突然に見える退位表明から28日の退位日まで、まだ2週間以上ある。コンクラーベ(選挙)が始まって次期教皇が決まるまでさらに2-3週間はかかるだろう。彼は何かの圧力に屈して辞めさせられたわけではなく、自由に選んで辞めた。8年間の在位中に次の教皇選挙に関わる118人の枢機卿の半数をはるかに超える67人を自分で任命した。教皇はその間選挙に介入しないとは言われるが、彼が公には沈黙を守り続けるとしても、生きて存在しているというだけでその影響力には絶大なものがあるのではないか。

 ヨハネ23世が突然提唱して始まった「第二バチカン公会議」の世紀の大改革路線は、パウロ6世、一か月しか在位しなかったヨハネパウロ1世(暗殺の噂が絶えない)、プロの殺し屋の銃弾を浴びながら奇跡的に一命を取り留めた福者ヨハネ・パウロ2世、そして超厳重な警備に護られて暗殺者も手が出せないままに任期を全うしそうな現教皇ベネディクト16世の後継者選びに、彼の生きているという現実の影響が全くないとは言えない。

 第二バチカン公会議の改革の振り子が逆に振り戻ろうとする勢いを、自分の体力と気力では押さえきれないと踏んだ教皇が、生前退位と言う ウルトラC を使って、改革の路線堅持を保証し見届けようとしているのではないかと私は思う。

 もともと、第二バチカン公会議の決定には、保守と革新の激しいせめぎ合いを辛くも革新派が制した玉虫色の面があった。その公会議文書と現教皇の登位前の発言、登位後の発言などを綿密に照合して、細かい矛盾を突いてくる執拗な勢力の前に、追い詰められて身動きの取れなくなる場面も予想される。そのような事態に立ち至る前にサッと体をかわし、自分の意に沿う後任者に処理を委ねるという手もある。

 これが裏目に出ることなく成功すれば、終身職の伝統を変えて、今後教皇の生前退位が新しい潮流として定着することになるかもしれない。

 わたしは今回、聖ペトロ広場でシスティーナ礼拝堂の煙突から白い煙が出るのをじっと待ち続けるローマっ子の中に居ることは出来ないが、復活祭明けには新教皇(それが誰であれ)のご尊顔を遠くから拝することができるのを楽しみにしている。

 このブログの最後を借りて、1月末に上梓したばかりの私の2冊目の本 《司祭・谷口幸紀の「わが道」》 (ブロガー神父の主張と情熱)〔フリープレス刊、1200円+税〕 を紹介します。是非ご一読ください。(本のネットショップで「谷口幸紀」と検索すればすぐ出てきます。) 

 

 

 

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★ 教皇 衝撃の引退

2013-02-11 16:10:08 | ★ 教皇ベネディクト16世

この写真は 2月8日の晩 私が教皇主催の晩餐会に招かれた時に撮った写真だ

 

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教皇 衝撃の引退

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9日の午後ローマを発って 10日の昼に関空につくと すぐにホテル日航関西空港に泊まって

時差の調整に入った

今日(アッもう13日になったから昨日と言うべきか)の昼に奈良で日本語を学ぶ若者たちの家に着いて

共に晩の祈りをして カニをメインにした鍋をつついて教会の将来について話していた時

まず若いスペイン人神父の携帯が鳴った 教皇引退発表のローマからの第一報だった

ついで私の携帯が鳴った 別のソースからの同じニュースだった

 

 

たった4日前に会った教皇の表情から 後付けでその気配を読み取れるかと思って

一部をここに紹介する

 

 

晩餐会まえの聖堂での演説直前の教皇

 

 

この表情からなにか読み取ることができるか

 

 

靴はいつもの赤い靴だった

 

 

 

演説を終えて 机が下げられて 立ち上がった教皇

後方左 花を飾った朗読台のすぐ右の杖を突く司教が

ローマの「日本のためのレデンプトーリスマーテル神学院」の院長 平山司教

同神学院はこの教皇ベネディクト16世によって設立され

教皇自ら平山司教を院長に指名したものだった

 

閉会前の祈りを唱える教皇

 

祝福を一同に与える教皇

 

 

聖堂を去る前に一人祈る教皇

 

 

ひざまづき台からゆっくり立ち上がる教皇

 

 

晩餐会のメインテーブルに着く教皇

 

 

食前の祈りをする教皇

 

 

ワインは飲まず オレンジジュースと水だけの教皇 これだけのヒントで病気が何か特定できる

人はいませんか?

 

 

食後のシャンパンには手を出した教皇

 

 

 

食後の祈り

 

 

出席者一同の上に神の祝福を願う教皇

 

この日 何の予兆も感じなかった しかし 教皇の頭の中はこの件で一杯だったかもしれない・。

わたしにとっては 間違いなく最後の晩餐となった。

時差ボケで頭の芯がどんと重く まともな思考は不可能だ。

後悔しないためにも こんな時はうかつなことを書かないのが賢明。

一晩寝て続きを書きましょう。

(取り敢えずここまで)

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★ 教皇様の晩餐会-③

2013-02-08 22:54:53 | ★ 教皇ベネディクト16世

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教皇様の晩餐会-③

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すっかり定着した毎年の行事ながら毎年少しずつ趣向がちがう


今晩のメニューの表紙 さてその中身は?

プリモピアット: ノルウエーサーモンのクリームリゾット

セコンドピアット: 鱸(スズキ)のフィレット カリカリのジャガイモパイ添え

付け合せ: 薄切り茄子のグリル

デザート: アーモンドの薄片とスミノミザクラ入りおばあさんのトルタ

ミックスフルーツ

飲み物: 白ぶどう酒 シャンパン 



警備は年ごとに厳しさを増す 可愛そうに日本のための神学院の

フェリペとクリスチャンとダビデ・チャンフェローニが

金属探知機で徹底的に 前 後ろ またの間 まで念入りに調べられた

諜報部には今夜教皇暗殺の計画があると言う確度の高い情報が入っているのだろうか



この写真 人の首から上が機械のテレビカメラに化けたように見えませんか?

今年初めてのことと言えば わずか5-6キロほどしか離れていないバチカンの中庭から

こちらラテラノ大聖堂裏の ローマ神学院の中庭まで ベネディクト16世教皇は

ヘリに乗ってやってくる

ローマの神学生たちと 日本のためのレデンプトーリスマーテル神学院の神学生が

合同で挽歌を唱え ロザリオの祈りを終える頃

窓のステンドグラスをびりびり震わせて 教皇のヘリが中庭に舞い降りた

85歳の教皇の足がかなり弱ってきた印の一つかも知れない

 

 

そうこうするうちに 聖堂の万雷のような拍手に迎えられてろの入り口から

教皇がしずしずと滑るように入ってきた それもそのはず

人形カラクリではないが 小さな車が4つついた台に乗って人の手で押されてやってきたのだ

これはかなり足に来ているぞ と思った

台から降りたときには 杖はついていなかった

正面に向って右側の脇祭壇の前で ひざまづいて祈る教皇



正面の祭壇を背に 机の前に座って話す教皇 さすがは学問の人 薀蓄がある

おや? 足元を見ると・・・



ドイツ人の教皇様は 赤い靴がお好き? フェラガモご謹製と言う話もある



お話し終わって 聖堂を出て 食堂へ   出がけにふと横を見ると 

 


さっき教皇がその上に乗ってするすると移動した車付き台

なるほどまさにカラクリ人形が乗る台のうよう


 

 食堂に入り案内された席に着くと ちゃんと席に名札が置いてあったが

スペル間違いで タニグッチ (いや、タニグッキ)さんになっている



最後に拍手で迎えられて食堂に入る教皇 手には杖が・・・



メインテーブルに着く教皇を見守るカメラと給仕の神学生たち



確か2年前には食事中の教皇の写真を撮ってはならぬという注意が最初にあった

今年はそのアナウンスがない なら 撮ろうではないか


ご機嫌の平山司教様 89歳


私の前の神父様 (オッと名前を忘れてしまった) 92歳


自分のメインディッシュの食べかけ

 鱸(スズキ)のフィレット カリカリのジャガイモパイ添え


シャンパンで乾杯をして 一気に行きますか

教皇様 食事中はワインに手を出されなかったのを わたしは確かめた

 

給仕をするでもない 食べるでもない

スイスガードのセキュリティーのオジサン トレンチコートの襟を立てて

実はこの人種 聖堂でも 食堂でも 目立つほど大勢いるのです

耳のイヤホーンと袖口のマイクが目印 こう言うのが部屋の各所から目を光らせている


無事暗殺事件もなく 晩餐会はつつがなく終了しました

教皇のヘリコプターが中庭から離陸して爆音を残して飛び立つまで

セキュリティーのために全員食堂に閉じ込められた

教皇様お疲れ 背中が曲がってきた

夜の中庭の噴水

(やれやれ教皇様今日もご無事でなにより 良かった!)

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★ 教皇の晩餐会-②

2012-02-17 14:42:16 | ★ 教皇ベネディクト16世

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教皇の晩餐会-②

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ご心配なく! 今日は頭を使わなくてもいいブログですよ。

 

今年も素敵な招待状が舞い込んだ。

2012年2月15日、教皇ベネディクト16世教皇が、ローマにある神学校の養成者と神学生を晩餐会に招かれるのだ。

日本のためのレデンプトーリスマーテル神学院(もと高松にあった神学院)も、その招待の対象になる。

まあ、教皇自身が高松からローマに移されたのだから、当然と言えば当然だが・・・

今年は、青い招待状に加えて、ベージュ色の番号入りのカードが届いた。

これをもらったものは、教皇に個人的に挨拶をして言葉を交わすことが許されるのだ。


 

プログラムでは、サンジョヴァンニ・ラテラノ教会に隣接するコレジオ・ロマーノのチャペルで夕の祈りがあって、その後、教皇の霊的講話があることになっている。チャペルにはテレビの固定カメラが3台、と移動カメラが2台が配置され、カリオン風の鐘の音楽が鳴り終わって教皇が入堂するのを待ち構えている。

 

 

定刻に、割れるような拍手に迎えられて教皇が入堂した。すぐ後ろには、ローマの教皇代理司教であるヴァリーに枢機卿がつき従っていた。

 

 

教皇は、まずチャペルの脇祭壇の聖櫃の前に跪いて短い祈りを捧げる。

 

 

ヴァりーニ枢機卿と並んで一同に向かって挨拶する教皇。

 

 

聖書の朗読を受けて、それについてお話をする教皇。

時々聖書に目を落とす以外は原稿なしに自由に話す。内輪の集まりで、くつろいでいる証拠だ。

さすがは前教皇ヨハネパウロ2世の懐刀として教理省の長官を務めただけあって、その内容には強い信仰に裏付けられた深い学識がにじみ出ている。

 

   

 

メガネをかけたり外したりするのだが、かけたメガネが傾いてずれていても全く意に介する気配はない。

稀に言葉が途切れるが、それは、頭の中に浮かぶドイツ語の術語をどうイタリア語に置き換えようかと一瞬思案しているように思えた。

 

 

話を終えて、万雷の拍手に手を上げてこたえる教皇。食堂に向かう前に、一部の参会者と言葉を交わすために別室に退く。



短い時間ではあったが、大事な要件は十分話せた。何を話したかって?それは、なぁ・・いぃ・・しょ!

 

 

個人的挨拶を終えて、神学生たちの待つ食堂に姿を現した教皇。

 

 

教皇のメインテーブルに隣接する養成者のテーブルには席を指定した名札が。私の名前は「タニグッキ」となっていた。

 

   

 

前菜は省略した簡素なメニュー。 プリモピアットのパスタはうんと少なめに頼んだ。ほっておくとこの倍も三倍もよそわれてしまう。

セコンドピアットは薄切りのビーフと、きのこと、マシュポテトに、おいしいソースをかけたものだった。

私の正面の平山司教様に神学生がそれを給仕している。

 

 

赤ワインは、まろやかな深い味の、間違いなく高級品とひとなめでわかった。

デザートは洋ナシのタルトとチョコレートソースをかけたミニシュークリーム。

量が多くて甘すぎるのが難点だ。

 

 

食後にシャンパンが振舞われた。乾杯をして一気に飲み干す教皇。

昨年は、給仕頭から、食事を口に運んでいる教皇の姿は写真に撮らぬようにと、あらかじめ注意があった。

しかしそんなことみんなとっくに忘れている。

それに、シャンパンは飲み物だし・・・。

 

 

食後、挨拶に出て来た料理長を温かくねぎらう教皇。

 

    

 

満腹して満足して会場を後にたし。神学校に戻る車の窓から一瞬見えた深夜のコルソ通りのイルミネーション。

発光ダイオードでイタリアの三色旗の長い帯をかたどっている。

右の写真は、V.エマヌエーレ2世通りの本屋さん。世俗的な本はたいてい何でもそろっている。楽器も置いている。

来年の今頃、私はまだローマに居るだろうか、と、ふと思った。


これ、能の合間の狂言みたいなものでしょう?

(おわり)



 

 

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★ 教皇様の晩餐会にご招待-①

2011-03-05 16:52:11 | ★ 教皇ベネディクト16世

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教皇様の晩餐会にご招待-①

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ローマ法王からから招待状が届いた。日本の天皇がただの庶民を招いて会食をすることがあるだろうか。数百人しか住民のいない皇居程の広さしかない世界最小の国家の元首とはいえ、世界中に住む10億4千万のカトリック信者を国民に準じて考えるなら、中国の13億、インドの12億には及ばないにしても、アメリカ合衆国3億人の3倍、ロシア1億4千万の7倍以上の大国に匹敵する。それが、どこの馬の骨とも分からない神父達や若い神学生達と会食をする。国民、いや、信者とできる限り近しくいたいとう教皇の思いのあらわれだろうか。ブログ読者の皆さんをも、この晩餐に招待したいと思って多数の写真貼り付ける次第です。教皇暗殺事件の締めくくりのブログの仕上がりが遅れている間のつなぎではありますが、実は、これもあの事件を解き明かすうえで重要なヒントを秘めていることは、このブログの末尾に触れたいと思います。


 

ローマ市内の中心にあるラテラノ宮殿(元教皇の館)に付属するラテラノ大学の聖堂に、招待客は集まった。晩の祈りで心を準備した一同の中に教皇が入って来てまず跪いて祈りを捧げる。

 

聖堂に集う一同の前で挨拶をする教皇。


   

聖堂の中にカメラが何台も入るのは如何なものかと思うが、わたしがこの写真を撮った理由は別にある。左の写真の右端の男と右側の写真の遠くの男に注目して頂きたい。写真では良く分からないかもしれないが、まず体格と人相の悪さ、耳にはさんだイヤホーン、襟元の小型マイク、セキュリティーの典型的な姿だ。これが聖堂の中に5人や10人では効かないのだ。目ざわり極まりない。(後で聞いた話だが、教皇の周りには遠く近く影のように60人のセキュリティーがいるそうな。)(イタリアのテレビには、これらのカメラから同時中継で放映があり、写真を撮りまくっていたわたしの姿がアップで出ていたそうな、いや参ったな!)


      

聖堂からダイニングルームに場所を移し、食事が始まった。左の写真は食卓を祝福する教皇。(食事を食べている教皇の写真撮影は禁じられた。) 教皇の左側は1週間前に神学校で認定式を行ったヴァリーニ枢機卿。 

右の写真はその隣のわたしたちのテーブル。左がローマの東区のディトーラ補佐司教、右が同北区のマルチアンテ補佐司教。パスタの皿に手をかけているのが平山司教。


   

平山司教とのツーショット。デザートの苺となんだか名前の分からぬ甘いもの。ワインはまろやかな得上の白。メインは魚料理だった(金曜だから?)が写真を撮るのを忘れた。


食事も終わって退出前に挨拶する教皇。


外の風は涼しく、中庭の噴水が美しい。


   

しかし、宮殿の門の内側には準乱闘服の機動隊が、外には、あちこちに機動隊の装甲車がライトをつけたまま待機している。この、宮殿の中のセキュリティーと言い、外の警備と言い、おとなしくて善良な(?)神父や神学生を招いた晩餐会の警備としては、ちょっとやり過ぎではないのか?そう言えば、皿洗いで先に入った10名の神学生も、老齢の平山司教も、この日は車で構内に入ることが許されず、離れたところから徒歩で近づくことを求められた。招待客も空港でのような機械によるチェックこそなかったものの、顔を知っているものによる面通しなしには門から一歩も入ることができなかった。(これも後から聞いた話だが、ラテラノ宮殿の周りはその日朝から交通規制、駐車規制がひかれていたそうな。)

前の教皇ヨハネ・パウロ2世の時にはこのようなことはなかったのに何故?このような物々しい体制は、いま扱っている教皇暗殺事件と何か関係があるのだろうか?


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