:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ デュッセルドルフ-3

2011-07-19 10:16:37 | ★ 旅行

 

 

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デュッセルドルフ-3

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帰国後、移動が激しく、なかなかゆっくりとパソコンに向かってブログの原稿を書く暇が見つからない。アッと言う間に二週間が過ぎていった。しかし、焦ってみてもどうしようもない。こうして旅の一夜の宿の夜更けを利用して、数行ずつでも書き貯めていくしか、他に手がないのだ。 

「デュッセルドルフ-2」 は、大スタジアムにおける新求道共同体の若者たちの集会の前座にあたるキコ氏の交響曲の話で終わった。ブログ訪問者の多くが、「新求道期間の道」の公式ホームページの日本語サイトから動画に入って、キコ氏の新しい音楽を聞かれたようだったが、その反響は概して良かった。

さて、次はいよいよこのイベントのクライマックスである。

 

広いステージはなんのため?


今回の全ヨーロッパの共同体の若者たちの集いは、明らかに8月15日を中心にマドリッドで開催される教皇ベネディクト16世主催の「世界青年大会」を意識してのものであることは言うまでもない。

ケルンのマイスナー枢機卿の話しや、キコ氏自身の長い熱烈な呼びかけは、いずれも、現代世界における福音宣教の緊急性と必要性を強くアピールするものであった。

 

若者たちに話しかけるケルンの大司教マイスナー枢機卿


会場の熱気が最高潮に達した頃、キコ氏は、集まった若者たちに呼びかけた。

「生涯を福音宣教に捧げ、独身を覚悟して司祭職を志す若者は立って前の壇上に集まりなさい!」

するとどうだろう。フィールドから、スタンド、それも最上段に至るまで、実に大勢の若者らが立ち上がって、通路に沿ってフィールドまで下りてきて、前に進んで広いプラットホームに駆け上がってくるではないか。

キコ氏の巨大な絵の下に、一列に並んでそのドラマを見守る来賓の枢機卿、司教方の前に若者たちが跪く。広いステージは見る見る内に若者たちで埋まっていくではないか。蟻の行列のように各通路から壇に向かう若者の流れが続く間、キコはギターを弾きながら歌っている。まるでハーメルンの魔法の笛の音に誘われて付いて行く子供たちを見ているようだ。

 

広いステージを埋めた若者たち


最後のものが壇に登った時、その若者たちの数は300人を優に超えたかと思われる。スタンドを埋めた3万人の半数が女性だとすれば、会場の若者50人に一人が司祭の召命を感じて立ったことになる。

跪いた若者は、一人ひとり来賓の枢機卿、司教、司祭達から按手を受けて、もとの席に帰って行った。世を挙げて司祭への召命不足で教会が危機に瀕している今の時代に、何とも目を疑いたくなるような光景ではないか。

世俗化が進んだ現代文明社会では、信仰ゆえに世俗を捨てて聖職に就こうなどと言う奇特な若者はほとんどいない。回教世界のことは知らないが、日本の仏教界も、お寺さんの後継者不足の深刻さは知る人ぞ知るだ。戦後日本で宣教活動を展開していたプロテスタント教会諸派の中には、宣教師の後継者不足で日本から撤退した派もあると言う。

続いて、同じ手法で、今度は若い女性たちに呼びかけがあった。

「生涯独身で、修道院の禁域の中で祈りと犠牲の生活に身を埋もれさせる生活への召命を感じたものは立って壇の上に来なさい。」

 

    


またも、キコ氏のギターの音色と歌声に誘われるかのように、スタンドの上の方からも立った女性たちが列をなして壇に向かった。見ると多くの女性たちが滂沱の涙を拭おうともせずに急ぎ足で進んでいく。跪いて祝福を受け、自分の席に戻る時、壇のうえで友達と抱き合って泣いている彼女たちの姿は、見る人の胸に熱いものを感じさせるに十分だ。

 

抱き合って激しく泣く二人


彼女たちを突き動かして立たせ、壇の上に進ませ、公にその決意を明らかにさせた力は何処から来るのだろうか。それは、何か非日常的な、崇高な、超自然的な力ではないだろうか。私は、「神は居る!」、現代世界においても「神は死んではいない!」と言う確信を、あらためて深くした。

 

 

キコが歌う

諸君!次はマドリッドで会おう、と叫ぶキコ


キコ氏とともに歌う歌があって、祈りがあって、実務的なアナウンスがあって、この「召命」の集いは終わった。3万人が一度に外に出るにはそれなりの時間がかかる。フィールドで待つ若者たちは、思い思いにギターや打楽器などを奏でて、歌い輪になって踊っていた。

 

祝福を受けて女性たちが壇を下りると、オーケストラの演奏家たちが壇を占領して踊り出す。

サッカーグラウンドの広さのフィールドを踊りの輪で満たす若者たち

踊れ、踊れ、心行くまで!

仲良しになった若者たちと


広いバス駐車場まで行くと、それぞれのグループはバスに乗ってあらかじめ予約してあったレストランへたっぷりの夕食を取るために散っていった。私たちのグループ、4台のバスに分乗した200人は、デュッセルドルフのアルトシュタット(ライン川沿いの旧市街)のシッフヒェンと言う古い有名なビアーレストランに入った。

 

ビアレストラン、シッフヒェンの看板のレストランの文字の上には金色の帆かけ船が

 

シッフヒェンのステンドグラスには創業1628年以来を表す数字が


骨付き豚肉とザウアークラウトとマシュポテトの典型的なドイツ料理だった。そして、もちろんアルトシュタットの郷土ビール、濃い茶色のアルトビアーは飲み放題だ。何しろ、この食事の後、またローマまであの過酷な22時間のバスの旅が待っているのだから。 

 

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★ デュッセルドルフ-2

2011-07-05 19:24:48 | ★ 旅行

 

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デュッセルドルフ-2

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前回の 「デュッセルドルフ-1」 は、実のところ不評でした。それは内容のせいと言うよりは、スタイルの問題でした。長いベタ文字の部分を読者は好まれないことがよくわかりました。それで、今回はその点にもいささか配慮したいと思います。 

 


3時を少し回る頃から、会場の空気が高揚し始めました。この日、この会場を目指した若者たちは、すでにほとんどが場内に入っただろうと思われます。北欧や、遠くポーランド、ロシアからも来ています。


正面の舞台のステージが何故こんなに広いのか、その理由は次回のお楽しみ


正面のひな壇には、ケルン大司教区のマイスナー枢機卿や、高松の神学校設立で大変お世話になり個人的に親しくもなったドイツ人のコルデス枢機卿らをはじめ、招かれた枢機卿や司教達が並んでいました。彼らも、今や遅し、とキコ氏が壇上に現れるのを待っています。

キコ氏とは、新求道期間の道の創始者のことで、私と同じ1939年生まれ、いつの間にか70歳を超えたが、かつて全共闘世代の若者だったころに、この「道」を始めたのでした。

しかし、キコ氏はなかなか現れません。正面の壇の左側には、盛装したオーケストラが待機しています。音を合わせたり、気になるパッセージを黙々と確認したり、しかし、それにも飽きると、パートごとにおしゃべりやおふざけに余念がありません。みんな若い優秀な演奏家の集団と見受けられます。

 

私が壇上に上がってカメラを向けると、みんな喜んでポーズをしてくれます。最後列左端の白髪の男は、ジャネスと言って、ローマの神学校で私の二年先輩、もとは旧ユーゴスラビアの国立放送管弦楽団の第一ヴァイオリンを弾いていたプロ中のプロだ。

    

それぞれに自分のラッパを頭にかぶる、   フルートを吹き矢のように口に当てる、   刀のように振り回す。


待つほどに、拍手とどよめきの中キコ氏は壇上に現れました。まず、慣例に従って、会場の参加者の紹介が行われます。


ドイツ語で若者たちに挨拶を送るお隣りケルン大司教区のマイスナー枢機卿

その後ろに控えるのがキコ氏

 

あらかじめ届けられた通り、次々に国籍とおよその人数が読み上げられると、そのグループは叫び声をあげ、熱狂的に旗を打ち振ります。ローマ教皇の一般謁見の時と同じ雰囲気です。

 

   


第一部は、キコ氏が最近手がけたシンフォニア(交響曲)が紹介されました。彼がフルオーケストラのために作曲を手掛けるのは、今日発表される曲が第一作目です。キコ氏はそれを「信仰教育的な交響曲」と言うジャンルに位置付けています。

彼はプロの画家であり、壁画や建築や造形には非凡な才能を発揮したが、音楽は専門的に勉強していません。従って、ギターを弾き語り、歌の作曲は何百編も手掛けているが、そのあたりが彼の限界だと思われていました。彼は元来楽譜が読めず、まして楽譜を書くことなど出来ないのです。そう言う彼が、オーケストラ用の交響曲の作曲に挑戦すると言うのです。それも、クラシックの著名な作曲家が数カ月を要するかと思われる大曲を、正味数時間で作り上げると言うのだから、驚くほかはありません。

どうしてそんなことが可能なのか。その秘密兵器が、先ほどまで私の目の前で時間をもてあましてふざけたり談笑したりしていた若い演奏家集団です。

 

本番開始


キコ氏は、心に浮かぶメロディーや曲想を、孤独な作業で楽譜に書きこんで曲を仕上げ、その出来上がった楽譜を各楽器の演奏者に配って合奏させるというオーソドックスな手法を使いません。いや、楽譜が読めず、書けない彼には、そもそもそのようなオーソドックスな手法を用いることが不可能なのです。

彼は、自分の魂の中に聞こえるシンフォニーを、オーケストラの前で口ずさんで歌って聞かせる。弦には弦のパートを、管には管のパートを、打楽器にはそれ相応のリズムを、と言った具合に、全て自分のさえずりで口移しする。すると - 相手はプロの演奏家だから - このへんかな?と見当をつけて、それぞれに演奏してみせる。それを聴きながら、キコは、いや、そこはこう、あそこはもう少し、と修正を加えながら何度も演奏をし直して行く。そして、即興で思いつくまま、ここで管は黙りハープがこんなソロを挟み、オーボエがすすり泣く、とメリハリをつけていく。その過程が全部録音されていく手筈になっているのです。

納得がいくまで、何度でも繰り返す。一応の出来上がりに達するとその録音されたものを各パーツの演奏家が採譜して、それを持ち寄り、一冊にまとめると楽譜が完成と言うわけです。

一回の作業の結果を録音したものを、彼はその後何度も何度も聴きながら、細部のインスピレーションを膨らませて完成度を高める。そして、またオーケストラを集めて浮かんだインスピレーションを実際に演奏させて確かめ、また人の手を借りて楽譜に固定していく。多声部の合唱もソロの部分も同じようにして仕上げていく。彼自身も一部をソロで歌う。・・・と、まずはそんな具合なのだろうと思います。

 

キコ氏の信頼篤き若き指揮者と出だしのソロパートを歌うキコ氏


クラシックの作曲家で、キコ氏のような手法を用いて曲を作る人を私はまだ見たことがありませんでした。

だから、そんなこと本当にうまくいくものだろうか、とこのブログの読者が疑われるのも無理からぬことです。だから、百聞は一見に如かず、と言うが、この場合は、百聞は一聴に如かずと言うべきでしょうか。

「新求道期間の道」の公式ホームページで、実際に聴くことが出来るから、その方法をここにご紹介しましょう。

最近、新求道期間の道の公式ホームページは、私のいささかの努力もあって、一部日本語でも読めるようになりました。そのホームページからキコ氏の交響曲のサイトに入る方法をお教えしましょう。ただし、そこにあるのは、デュッセルドルフでの演奏ではなく、それより少し前に、イスラエルの「ドームス・ガリレア」という建物の中で、大勢のカトリックやオーソドックスの教会の司教達、ユダヤ教のラビたちの前で演奏された時の音源と映像です。

http://www.camminoneocatecumenale.it/new/evento.asp?lang=en&id=138

で、先ず「新求道期間の道」の公式ホームページに入って下さい。

左上の言語バーの中から日本語を選んで下さい。

日本語ページの右側の上から二つ目の涙を流しているマリア様の絵をクリックしてください。

説明の後に、一連の動画が続きます。最初のキコ氏の顔が移っている動画は、キコ氏のイタリア語の話で終わるので、イタリア語のわからない方はそれを飛ばし、第二番目の動画以降を開いて下さい。

下のバーの右向きの三角のスタートボタンををクリックすると、キコ氏の交響曲を聞くことが出来ます。

お試しください。 「百聞は一聴」 に如かずとはまさにこのことです。

 

 

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