:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 画家キコの新しい作品 「新求道共期間の道」活動50周年に寄せられた教皇フランシスコのことば

2019-02-16 00:05:00 | ★ キコの壁画

 

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 画家キコの新しい作品 

「新求道共期間の道」活動50周年に寄せられた教皇フランシスコのことば

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先週の土曜日の晩、感謝の祭儀(ミサ)のあとでこの写真のようなカードが配られた。キコの最近の作品の写真の裏に、教皇フランシスコのことばを添えたものだ。

 

西洋医学の解剖学的な知識に裏打ちされたデッサン技量という観点から言えば、表面的にはミケランジェロに劣ると言われても素人の私は敢えて反論しない。そして、この絵を模写しろと言われたら、不肖この私の絵心でもかなりいい線を行く自信もある。まして、ビザンチンの修道院のイコン画作家たちなら、寸分たがわぬコピーを描き切るだろう。現に、キコ自身、大勢の器用に職人技を磨いた弟子の画家集団を抱えている。そのチームに手伝わせて、キコはローマの神学院の聖堂に、バチカンのシスティーナ礼拝堂正面のミケランジェロの「最後の審判」の壁画よりもさらに大きな壁画を描き上げた。

しかし、彼の絵は単なる写実画とは違う。実在のモデルを描くような写実性だけで他と比較できるものではない。彼のキリストの顔は彼の魂に映ったキリストの霊的な面影に創造的に形を与えたもので、ミケランジェロからは同じものは決して生まれない独自の霊的香りを伴っている。

キコはその絵の裏に教皇フランシスコの新求道共同期間の「道」に宛てられた言葉を各国語で印刷させた。その言葉は昨年の5月5日にローマで教皇フランシスコとともに世界120ヵ国から集まった20万人の道の兄弟たちが見守る中、ローマでの活動開始から50周年を盛大に祝って語られた教皇様のことばの一節だ。その集いには私も参加したが、その日の様子は下のURLのブログに詳しく書いた。

https://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/c80ef4a2780a5b15df375a6c35d35827

教皇フランシスコは言われた:

親愛なる兄弟姉妹たち、あなた方のカリスマは、現代教会に与えられた神からの大きな賜物です。この50年間の故に主に感謝しましょう。この50年間のために拍手しましょう!また、神の父性的な、兄弟的な、そして情け深い忠実さを見ながら、決して信頼を失うことがないように。彼ご自身が、愛する弟子のように、あなた方を謙遜な単純さとともにすべての国民のもとに行くよう駆り立てられるその時、きっとあなた方を守ってくださるでしょう。わたしもあなた方に伴い、あなた方を励まします。前へ進みなさい!そして、どうかここに残るわたしのために祈るのを忘れないでください。

教皇フランシスコは、今日では世界中に展開している新求道共同体を賞賛し、保護し、推奨されている。教皇によって日本に送られ、日本で福音宣教に邁進している兄弟たちにもこの言葉は贈られた。現教皇だけではない。第2バチカン公会議終了以来、パウロ6世から始まって、聖教皇ヨハネパウロ2世、ベネディクト16世も、全ての教皇様が一貫して評価し、推奨してきたこのカリスマが、恐らく世界で唯一の例外として、日本の教会に限って、挙げて一体となって、圧迫し、禁止し、あたかも教会の教えに反する悪しきものであるかのように宣伝されるのは何故だろうか。しかも、教会の片隅から、あるいは底辺から泡沫的にではなく、何となく日本の教会の中枢部から、上層部の奥の方から、組織的にそのような操作が行われているような空気が意図的に醸成されているかのような印象を受ける人が決して少なくないように思われるのはどうしてなのだろうか。

我々末端の信者たちは、何も知らない、知らされていない、判断の材料を持たない、その重苦しい空気を日々呼吸する以外に選択肢がない。陰湿な閉塞感が日々漂っている。

私はかねてから、これは信仰の問題ではなく、教義の問題でもなく、世界の教会のことでもなく、日本のカトリック教会という閉鎖的なローカルな村社会の中で何時の頃からか密かに醸成されてきた宗教的イデオロギーの問題ではないだろうかという疑念を抱き、これまでいろいろな角度からブログのテーマに託して繰り返し問題提起してきた。

それ、-つまりこの宗教的イデオロギー-は、世界のカトリック教会の2000年の普遍的な、正当な、教えの王道に合致するものなのか、例外的で問題の多い、偏った、危うい性格の傾きを内包するものなのか、あらためて冷静に注意深く分析し、識別される必要のある問題ではなかろうかと思っている。

 

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★ アナの結婚式の場合

2017-12-15 00:24:37 | ★ キコの壁画

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アナの結婚式の場合

=神様は忠実=

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 ちょうど2年前、2015年の12月の今ごろ、私は一人で慣れない仕事に忙殺され、疲労困憊していた。キコの率いる総勢200人のオーケストラ、コーラス、スタッフを迎えて、2016年5月初めに福島、郡山、東京はサントリーホールで彼のシンフォニー「罪の無い人々の苦しみ」のツアーを実現するための準備に追われていたのだった。会場の予約、集客、一行の宿泊、食事、バス会社との折衝、リハーサル会場の手配、etc. etc. 。信頼できる秘書が絶対に必要だった。その時、忽然と現れたのが、以後私の右腕となったアンナ(本当の発音はアナ)だった。

 

彼女は私の住まいの至近距離にあるアパートに移り住んで私を手伝い、キコの一行が日本に着くと、成田のリハーサル会場から、福島、郡山、東京と、ずっと行動を共にしてくれた。私の仕事はもはや彼女無しには回らなかった。

上の写真は二年前のアナ。その彼女のことは、2015年12月22日のブログ「神様の素敵なクリスマスプレゼント」=やっと秘書を見つけました=に詳しく書いたので、よろしかったらこの先を読む前に以下のURLで見て下さい。

http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/666cf4e95bbc6b8eb7f3bf568f9753ca

 ところで、私は彼女の献身的な働きに報酬を払わなかった。11人兄弟の真ん中の彼女は、自立心旺盛で、自分の自由になるお金を確保するために様々なアルバイトをしていた。その彼女に他のアルバイトをさせずコンサートのためにタダ働きさせる私の方針を社会的不正義として非難する者も周りにいたが、キコのシンフォニーツアーを実現させる仕事は神様の仕事で、それには無償の奉仕が相応しいと考える私は意に介さなかった。これはこの世的にお金でかたをつけてチャラにすべき類の仕事ではない。神様自身が100倍にして報いて下さってはじめて絵になる、と私は考えたのだ。

事実、神様は私の期待を裏切らなかった。宣教家族の一員として両親と共に新潟で育った彼女には当時恋人がいなかった。それが、シンフォニーツアーの仕事を東京でしている半年の間に、東京の宣教家族の10人兄弟の2番目のマティアスと巡り合ったのだ。勿論、ここに来るまで、アナにはいろいろな歴史があっただろう。

あれからちょうど2年。二人は先日東京のカトリック調布教会でめでたく結婚式をあげた。神様は見事に100倍をもって彼女の無償奉仕に報われたではないか。神様は「忠実な方」であることが見事に証明された。

さて、結婚式の共同司式司祭として調布教会に行ってビックリ仰天。なんと、キコのオーケストラのコンサートマスターがニコニコして挨拶してくれたのだ。聞くと、新郎のマティアスの父のマウロが彼女をアナの証人としてわざわざスペインから招待したのだそうだ。マウロはシンフォニーツアーのロジスティック担当としてホテルとの折衝、部屋割りや食事のメニューの件などでアナと一緒に働き、その時にオーケストラの彼女と親しくなったらしい。そのマウロとアナが義理の親娘になったのも不思議なご縁だ。

キコのシンフォニーを客席で聴いた人は思い出すだろう。2年前の5月、彼女は指揮者の左脇で臨月の大きなお腹を堂々と突き出してファーストバイオリンを弾いていたことを。

この日のアナは輝いて見えた

結婚式とミサが終わると、参列者が祭壇の周りで輪になって踊るのは彼らの習慣だ。

私がズームレンズで追っているのも知らずに、子供に話しかけるアナ。

銀座のラ・ボエームの広間を借り切った披露宴で自分たちの席に落ち着いたアナとマティアス。彼らも、両方の両親の例に倣って、8人、10人、13人の子供を産み育てるカトリックの大家族を形成するだろうか。

このブログは単なる結婚式の報告ではない。私はそこにメッセージを籠めたつもりだ。それは、確かに神様はいる。そして、神様はご自分の言葉に対して忠実だ、というのがその一つ。

もう一つは、大家族には神様の祝福がある、と言う事だ。

中国は国策として一人っ子政策を導入し、今その矛盾と過ちのしっぺ返しに直面している。慌てて政策を転換し、二人目を産んでも法の制裁を受けることはなくなったが、もう手遅れだ。日本や他の先進国と同様に、出産と子育ての負担から解放され、その結果生まれた経済的余裕を夫婦のエゴと欲望の充足に当てる自由を一度味わってしまったあとでは、ピルや避妊と堕胎をやめて子沢山の家族を作るなんてことは、もはや絶対にあり得ない。敢えて大家族を営むためには、強い信仰と神の計らいに対する無条件の信頼と委託が不可欠なのだ。

聖教皇ヨハネパウロ2世がカトリック教会としてははじめて、プロテスタントの牧師家族のように、子沢山の家族を宣教家族として全世界に派遣するようになってからもう20年は経っただろうか。日本にも25家族前後が全国に散らばっている。

第1世代の子供たちは、日本で生まれたのもふくめて相次いで結婚適齢期だ。マティアス10人兄弟、アナ11人兄弟、からもわかる通り、多くは超子沢山の家庭に生まれた。ほとんどがスペイン人かイタリア人だ。そして、彼ら同志で次々と結婚していく。今婚約中のカップルは来年結婚ラッシュを演じるだろう。

この世代の間に20数家族の子供たちがほとんどすべて親戚になる。すると、その次の代の子供たちはほとんど血のつながった親戚になる。血が濃くなりすぎないためには、必然的に日本人と結婚することになるだろう。これも日本の社会に新しい時代をもたらすに違いない。

最近キコは中国を訪れた。北京の大司教に会ったそうだ。キコの第2作目のシンフォニーの完成は間近だという。大司教はキコを招いてペキンオリンピックのメインスタジアム「鳥の巣」(収容人数9万1000人)で披露してはどうかと提案したという。中国なら、スタジアムを人海戦術で満席にすることはたやすいのだそうだ。無神論的唯物論であるはずの共産主義中国が、その上から下までの汚職の対策と少子化による国の破綻を克服するために、あえてキコの運動のようなキリスト教の導入に踏み切る日があるかもしれないと思った。 

メリークリスマス!

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★ キコの壁画が出来るまで(そのー5)

2017-06-15 20:47:54 | ★ キコの壁画

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キコの壁画が出来るまで(そのー5)

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キコの壁画最終回は、軽いスライドショーで流しましょう。

お披露目にはローマ中の共同体の責任者が招かれた。キコの表情にも一仕事終えた安ど感が溢れている。

本当はフランシスコ教皇に見せたいところだが、ローマ教区の教皇代理のヴァリーニ枢機卿の、私が行く、の一言で話はおさまってしまった。彼は珍しく素直にキコの画をほめた。

ヴァリーニ枢機卿がほめたキリストの顔

壁画完成祝いのミサを司式する枢機卿

ギターを弾いて歌を導くキコ

キコから右に数えて二人目は、前教皇ベネディクト16世から指名を受けた日本のためのレデンプトーリス・マーテル神学院の院長平山司教(93歳) 

ミサで使うパンは手焼きの種なしパン。ぶどー種は参会者が皆たっぷり一口飲めるだけの量を大きな杯で用意する。この聖体拝領のやり方は、教皇ヨハネパウロ2世が2000年の聖年にイスラエルのドームスガリレアにヘリコプターでやってきて、キコと一緒のミサを司式して公に承認された。

ヴァリーニ枢機卿もこの6月にローマ教区長を退任する。

お祝いの食事の席ではいつも神学生の余興が入る。

ワインが適当に入っているから、頭上にナフキンを回してみんなで合唱になる。

ボストンのオマリー枢機卿も来賓として挨拶。フランシスコ教皇の教会改革8人衆の一人。

テレビの画面から。右の背の高い部分が、今回増築になった聖堂の部分。壁画はその正面に描かれている。

壁画はあくまでも典礼の一要素。ぎっしり人が入って初めて引き立つ。

今年の復活祭明け。今年も100広場の街頭宣教が世界中で行われた。今年のポスターとスケジュールの披露があった。

 集まりがあるとキコは必ずギターを取って自作の聖歌を一同と歌う。

聖堂の後ろ二階の聖歌席から見下ろすと、手前中央に洗礼盤があるのがわかる。1965年に幕を閉じた第2バチカン公会議の典礼改革では、イエスがヨルダン川で洗礼を受けたときのように、全身水に沈む浸しの洗礼が本来で、額に注ぐだけの洗礼は、状況次第では今後も許される、となっている。この洗礼盤は大人の浸しの洗礼に対応している。

キコの人生も最円熟期に入っている。画家としてのキコは、この壁画を彼の集大成と考えているのだろうか。今後は、彼の弟子たちの画家集団に、彼の開いた新しい宗教画のスタイルが受け継がれていくだろう。

(終わり)

 

 

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★ キ コ の 壁 画 が 出 来 る まで (そのー4)

2017-06-11 19:28:12 | ★ キコの壁画

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キ コ の 壁 画 が 出 来 る まで (そのー4)

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 そのー3 を書いてから、ひとつ「マチェラータの神学校訪問」を挟んだが、キコの壁画の完成までを書き終えておいた方がいいと思った。

部分、部分が仕上がっていく。どれもどこかで見たような絵だ。ちなみに、この絵は受胎告知じゅたいこくち)だが、新約聖書に書かれているエピソードの1つ。一般に、処女マリアに天使のガブリエルが降り、マリアが聖霊によってイエスを身ごもることを告げ、またマリアがそれを受け入れることを告げる出来事。

キコはそれを東方教会の伝統に近い様式で描いている。私は、個人的にはフラアンジェリコの最高傑作とも言われるフィレンツェのドミニコ会修道院の階段を上がった突き当りにある受胎告知が一番好きだが、キコのも悪くない。

その右はキリストのベトレヘムでの降誕の絵だが、これも東方教会の伝統様式にのっとり、嬰児キリストは飼葉桶ではなく、死者の棺桶にミイラのように布で巻かれて横たわっている。キコの弟子たちは、キコが以前に全部一人で自筆で描いた同じモチーフの絵の忠実な模写として描き、キコはその中の主要人物の顔などに手を加えるだけにとどまる。

完成が近付いているのがわかる

ある日、私は絵の足場に上るための移動式エレベータに乗せてもらった。この写真は上昇中に途中で撮ったものだが、ガクンと小さいショックと共に止まった最高点から下をのぞいた時は、高所恐怖症とは無縁のはずのわたしでさえ、いささか体がこわばった。

足場が取り除かれた。システィーナ礼拝堂のミケランジェロの最後の審判の絵はこれよりわずかに小さいが、彼がひとりで6年かかかって描き上げたものだった。ところが、キコの手法にかかると、正味半年もかからずに完成している。ルネッサンス期のものと、東方教会のイコン画様式のキコの画とではそこにも大きな違いがあると言える。

ところで、キコの画の作成過程で、私には初めから大きな技術的疑問が一つあった。それは上の写真の左にも映っている移動式エレベーターのことだ。キコの画が書かれる前から増築作業に必要だったから聖堂の中に二台入っていて、画の作成過程でも大いに活躍した。私も一度それに乗せてもらったことは先に触れたが、絵が完成したら一体どうなるのだろうか、不思議でならなかった。細首の壺の中の餌を握った猿の手が抜けなくなるように、大きな開口部の無いこの聖堂からこの大きな塊はどうやって出ていくのだろう?まさか分解して小さな部分に分けて担ぎ出すのではなかろうに・・・

 

ところがある日、職人たちが妙なことを始めるのに気が付いた。大壁画の左右と上辺には、採光用と外の自然の借景をかねて大きなガラス板がはめられている。その右側の最下段のガラスに8個の巨大な吸盤が吸い付いた。エレベーターはどうやら自走してガラスを外したその場所から外に出るらしいことがわかって納得した。

大任を果たして無事外に出たエレベーター。ご苦労さん。

バチカンのシスティーナ礼拝堂の祭壇画、ミケランジェロの最後の審判は、ルネッサンス期の人間中心主義、3次元の遠近法を使った写実主義により、画家の天才的個性を前面に出した自由な絵画だった。だから、同じものはこの世に二つと存在してはならないものだ。また復活したキリストは、筋肉モリモリの青年像として描かれているが、そこからキリストの聖なる内面性は伝わってこない。

それに対して、キコの画は頑固に11世紀までのイコン画の基本に忠実に、神中心主義、非写実的に様式化され、画家の個性を消して、二次元描写と逆遠近法の手法に徹し、信仰と職人的技術を身に着けた弟子たちによって、キコの没後も末永く世界中で描き続けられるように計画されている。

出来上がりは、キリストの受胎告知から聖母の被昇天まで、キリストの生涯の主な出来事を回りの14枚の絵に表し、中心の上段には世の終わりの再臨のキリスト、下段には三位一体の神を描いた、曼荼羅形式をとっている。

 完成した自分の画を孤独に見つめるキコの後ろ姿

早耳で、完成を知って取材に来たテレビ局のインタビューに答えるキコ

午後の日差しが受胎告知を照らしている。

(つづく)

(あと1回でこのシリーズは終わる予定)

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★ キ コ の 壁 画 が 出 来 る まで (そのー3)

2017-05-18 17:24:54 | ★ キコの壁画

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キ コ の 壁 画 が 出 来 る まで

(そのー3)

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色付けのもとになる白黒のデッサンがほぼ出来上がった。 

手前のシルエットは只の見物人ではない(私みたいなのもいるが・・・。)多くはキコの弟子たちの画家の集団だ。キコは描く絵の中心人物の顔や手など、決定的な部分はすべて自分で描くが、衣服や景色や動物や背景や補助的人物の顔等は、教え込んだ弟子たちに意図的に手伝わせる。それは、彼が死んだ後も、キコ様式の絵を描き続ける一団を育てるためでもある。

画家たちは、イタリアやスペインを中心に世界中から家族を連れてここに結集し、自分の個性を完全に消して、せっせとキコの手足として絵筆を振るう。奥さんも子供も連れてくる。神学校の中に、にわか保育室までできた。子供たちが走り回っている。

 

空白部分は金色の絵の具でうめられていく。微妙な塗り斑が私の神経に障った。

 

絵と聖堂の後半部分との間にビニールのカーテンが出来た。埃を嫌うのか?

 

私はカーテンの中に入るのをしばらく控えていた

 

絵の色付けはどんどん進んで行く。上の段の椅子に座っているのはキコ。絵筆を振るっている。

 

伝統的なイコン画様式に沿って三位一体の神の絵を描いている

 

キコは美術アカデミー(芸大)の絵画部門の卒業生だ

 

 キリストの顔がほぼ完成に近づいた。黄色い余白の部分は、後日その上に金箔をおして仕上げられるだろう。なんだ、それなら下地の金泥の塗り斑は消えるわけだ。納得!

(つづく)

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★ キ コ の 壁 画 が 出 来 る まで (そのー2)

2017-05-14 18:13:15 | ★ キコの壁画

 

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キコの壁画が出来るまで 

(そのー2)

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増築部分の内部はどうなっているのだろうか?

天上まで20メートル近くある。ビルの4-5階に相当するだろうか?

 

 

正面のコンクリートの壁は全く凹凸の無い滑らかな面に仕上げられた

 

一旦足場を外すと、回りを素通しのガラスで囲まれた巨大なキャンバスが現れた。構造が単純なのと、作業をしている職人が壁から大分手前にいるので、実感がわかないかもしれないが、バチカンのシスティーナ礼拝堂の正面の壁より広い。その広い壁を囲む外の自然がそのまま見えるガラスの額縁は、実は日本の伝統建築から来ている。日本の庭園に配された屋敷の広間は、襖や障子を取り払うと、座敷から庭園の自然が連続して視野に入るのを立体的に模している。

 

職人たちは床に大理石を敷き始めている

 

あらためて足場が組まれ始めた。今度のは画家が壁に向かうためのものだ

 

移動式エレベーターも2基持ち込まれた。私は後日その一つに乗って天井近くまでい行ったが、高所恐怖症でなくても足がすくんだ。

 

背に上着のかかった椅子がキコの司令塔だ。ここから絵の全体を眺めて細部のバランスをチェックする。いつも水とパンとチーズぐらいが置かれている。

キコと、キコの建築顧問のマティアス(中央)と弟子の画家集団の一人

 

脇のテーブルには雑然と資料が置かれている

 

キコが現場でデッサンした顔や目

 

構図が固まったら色付けに入る。原色の絵の具の色見本。

 

休憩時間の職人たち。純朴で実直な人たちだ。

これで下絵を描き始める準備はほぼ整ったことになるか。

(つづく)

 

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★ キ コ の 壁 画 が 出 来 る まで (そのー1)

2017-05-08 18:32:06 | ★ キコの壁画

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キ コ の 壁 画 が 出 来 る まで

(そのー1)

バチカンのシスティーナ礼拝堂にミケランジェロの「最後の審判」の大壁画がある

今回、それよりも大きな壁画「黙示録」にキコが挑戦!

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ローマにも10年に1度ぐらい雪が積もることがある。

10年ほど前に雪が降った日、私は自分の部屋の窓からこの写真を撮っていた。

三角の屋根、「通称ピラミッド」の右奥に聖堂の建物が見えている。 

 

 

同じ窓から撮った2年前の写真。右上、ローマの松のとことの十字架は、

聖堂脇の鐘楼の十字架。

窓は東向き。冬は鐘楼の十字架より右(南東)から太陽が昇り、

真夏はこの画面の外、遥か左(北東寄り)から太陽が昇る。

 

 

 昨年の夏、コンサートツアーもあって日本に帰っていた。

秋の宵にローマにもどった翌朝、朝焼けの下に見慣れぬ大きなシルエットがあった。

 

 

聖堂の正面をぶち抜いて高さも幅も倍近くの増築が始まっていた。

全部同じ場所からだが、雪の写真にも次のにも、この部分はまだ存在しなかった。

 

 

正門から入ると、聖堂の増築部分は今まで一番高かった鐘楼の塔よりも高くなったのがわかる。

 

        

この増築は何のため?

聖堂の床面積を7割がた広くするためだが、それだけではない。

正面にキコが絵を描く巨大な壁面を作るためなのだ。

ふつう大家が絵を描くとき、キャンバスや襖や壁面にはそれほど金をかけない。

ところが今回のキコの壁画の場合、その壁を用意するために億単位の金がかかっている。

また誰か、信仰深いスポンサーを見つけたのだろうか?

 

 

これから、画家キコの壁画制作の過程をカメラで密着取材しよう。

どんな展開になるのか、

アルバム風に綴るので、次回からをお楽しみに。 

(つづく)

 

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