:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ アメリカレポート ボストン-④ ペドフィリア(本論)

2012-05-31 20:47:09 | ★ アメリカレポートー2(その他)

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アメリカレポート ボストン-④ 

ペドフィリア (本論)

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 ローマからロンドン経由でボストンに着くと、宿舎として案内されたのは郊外のマリオットホテルだった。歓迎してくれたのは、ローマで神学校生活を共にしたトニー・メデイロス神父 (彼は今ボストンの神学院の院長をしている) や、ボストンの共同体のメンバーたちだ。

 彼らといろいろ話していると、「今は、ことはうまく運び始めている・・・」、「今のボストンの枢機卿はいい・・・」などと、事あるごとに「今は、・・・」がつく。そしてその裏に、「かつては大変だった」「以前はもうどうなることかと思った・・・」などの思いがにじんでいる。

 耳にする英語の単語は確かに「ペドフィリア」(pedophilia) なのだが、日本語のマスコミで刷り込まれている私の耳は、それを自動的に翻訳して「性的虐待」と聞いてしまう。

 終戦の次の年に小学校に上がったわたしのような古い世代は、「性的虐待」と言う言葉の連想ゲームでは、第一に戦場の兵士の婦女強姦が思い浮かぶ。天皇の軍隊は大陸でもインドシナでも、南方の島々でもさんざんそれをやってきた。

 終戦直後は、「鬼畜米英」の占領軍が上陸してくるぞ、何をされるか分からないから婦女子は山の中に隠したほうがいい・・・、と言うようなことが大真面目に語られたものだった。

 続いて思い浮かぶのが不良や変質者による婦女暴行だろうか。以上はいずれも男性から女性に向けられた、倒錯した、暴力的な、犯罪行為と言う一般常識が基盤にある。

 一定程度の合意が背景にあると思われる同性間のものは、ホモは醜悪で吐き気がするが、レスビアンはまあそんなのもありか、くらいに思ってきた。

 実際は、戦後日本に上陸したヤンキーやオーストラリアの兵隊は、全体としては紳士的で好感が持てた。終戦当時、私の父は広島県警察本部長で、占領軍受け入れの日本側窓口だったが、私などはオーストラリアの将校のジープに乗せてもらって、大いに可愛がられた方だった。

 基地周辺で女子高校生などがレイプされる不幸な事件が後を絶たなかったとは言え、ベルリンになだれ込んだロシア兵の行状とは天と地ほどの隔たりがあった。あの時ベルリンの街では、幼女から老女まで、ありとあらゆる世代の女性が、地獄の戦場で血を見て頭がおかしくなった野獣のようなロシア兵たちの餌食となった。90%以上の女性が何らかの心の傷を免れなかったのではないか。

 ボストンでは、前のバーナード・ロー枢機卿に嫌疑がかけられた。普段は保守的で大人しいとされるカトリックの信者たちが退位を求めるデモを行い、彼は2002年12月13日についに退位に追い込まれた。よく背景を知らない私は、えっ、枢機卿までが若い頃にこっそり性的虐待に手を染めたのがばれてしまったの?可哀そうに。などと、あらぬ同情をした。

 ドイツでは現教皇ベネディクト16世が枢機卿時代に何かあった、だって?まさか!彼はとんでもないお爺さんだよ?!(これらは後で、すべて的外れな話だったと分かるのだが、断片的で誇張された伝言ゲームの第一印象と言うものは、およそそんなレベルだ。)

 ニューヨークタイムズ紙(電子版)は2002年までの過去60年間にアメリカ全体では1200人を超えるカトリックの聖職者が、4000人以上の子供に性的虐待を加えたと報じ、さらに米CNNテレビでは、同じく過去52年間で神父4450人に疑いがかけられ、その件数は11000件で、立証されたものだけで6700件に及んだとも報じた。

 ボストンに話を戻すと、5人のカトリックの神父が裁判所に訴えられ、全員有罪で投獄された。私の聞いた話では、一人は監獄で自殺したというものであった。

 「汝、殺すなかれ!」はハリウッド映画にもなった「十戒」-神がモーゼに授けた十の戒律-の一つで、ユダヤ人にとってもキリスト教徒にとっても殺人は大罪、まして自殺は最悪の殺人行為とみなされ、その魂は必ず地獄に落ちると昔の教会は信徒に教えた。そして、自殺者の教会墓地への埋葬を拒否するなどが横行したものであった。

 私の「健全な?」信仰のバランス感覚は、この神父の自殺に関する噂話に対してピクン!と反応した。

 その話ははたして本当だろうか?こいつは慎重に調べて事実を確認しないと、にわかには信じ難いぞ、と自分に言い聞かせるものがあった。実を言うと、わたしにこのテーマでブログを書く気にさせたのは、まさにこの一点に対する疑問だった。 

 ボストン大司教区は、この一連の裁判で、訴訟費用と被害者への慰謝料支払いで、保険がカバーしない部分だけでも1億2000万ドル(約100億円)を捻出する必要が生じた。教区会計はもちろん破産、ロー枢機卿が退位するまでに65の教会を閉鎖し、大司教館の土地建物までも売却せざるを得なかった。そんな中で、50人以上の教区司祭たちが、同枢機卿の退位を求める文書に署名した。

 2010年3月28日、ロンドンでは同問題に対するローマ・カトリック教会の責任を問い、教皇ベネディクト16世の退位を要求する抗議デモにまで発展した。教皇の出身国ドイツの世論調査機関によれば、国内2500万人のカトリック信者のうち、19%が「教会を離れることを検討中」と回答したという情報もある。

 アメリカ、ドイツだけではない、アイルランド、メキシコ、オーストラリア、ギリシャ、などなど、カトリック教会のあるところ、どこもこの問題と多かれ少なかれ全く無関係と言うところはないはずだ。日本だって、私が知らないだけで、例外ではないのかもしれない。

 カトリック教会の性的虐待事件 (Catholic sex abuse cases) は、21世紀に入ってカトリック教会を根底から揺るがした。

 

 これが、スタートの話だ。それは、いろいろなレベルの異なる問題が混雑した、公式、非公式な情報の塊である。それにしても、いかにも如何わしい、嫌悪感を掻き立てる話ではないか。

 しかし、私は言いたい。どうか表面的なこれだけのことで判断しないでほしい、と。

 私はカトリック教会を心から愛する良識の一人だと自負している。問題を冷静に解析し、浮かび上がった真実を客観的に評価する必要があると思う。

 あと1回、ひょっとすると2-3回を費やして、この問題の実物大の大きさと、深さを私なりに解説したい。このブログの読者には、その上で、そもそもこの問題は何だったのかの理解を戴ければ幸いだと思う。

 

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ボストン公演のプログラムの表紙

 その間にも、ボストンのコンサートツアーは先に進んで行く。オーケストラは5月6日午後2時、アメリカでの第一回目のステージ本番に向けて朝9時半にホテルを出た。一同はボストン交響楽団のホームグラウンド、ボストンシンフォニーホールでの昼食返上のリハーサルに打ち込むことになる。

 次回からは、上記の性的虐待問題の解析と、コンサートツアーのレポートとをバランスよく並行して展開したいと思う。


( つづく )

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★ アメリカレポート ボストン-③ 

2012-05-28 17:53:48 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1


その夕方 たっぷり練習を終えた一座は まずボストン大司教区の司教座聖堂に向かった

1788年献堂 「聖十字架大聖堂」 石造りの ネオゴシックの堂々たる構えだ


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アメリカレポート ボストン-③

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足を踏み入れると 広々とした壮大華麗なカテドラルの内部 奥の内陣まで ネオゴシックの高い天井は木製だった

 

祭壇まで進んで振り返ると 入り口の上には巨大なパイプオルガン 中央の身廊だけでなく 側廊もたっぷり幅がある

ヨーロッパ中世のゴシック建築のような 石造りアーチの天井と違い 木の天井と屋根は軽い

そのために 堂内の柱列は全体の大きさに比して 極端に細く作ることが出来る

つまり 柱の死角入って側廊の空間が死ぬ心配が少ないという利点があるわけだ

その聖堂を埋め尽くした 新求道期間の道の関係者たち


内陣の近くにリジューの聖テレジアの像があった

大いにセンチメンタルではあるが 美的にはある完成度にあって 私の鑑賞眼に堪えるものであった 


祭壇に向かって左側の壁にしつらえられた 大司教の座に着いたオマリー枢機卿

左はキコの側近マリオ神父 右の禿げ頭は ボストンの神学校の院長のトニー・メデイロス神父

私の神学校時代の同僚だ


ミサに先立って オーケストラの派遣式が行われた

この一団は 音楽を通してアメリカに福音を伝える特別な使命を持ってやってきた

だから その使命をアメリカの教会が受け入れ それを正式に宣教に派遣することが告げられる必要があるのだ

跪いて枢機卿から祈りと祝福を受ける団員たち 最前列は指揮者とキコ

派遣のために一座の体表として指揮者に按手する枢機卿

 

派遣式に引き続いて 枢機卿司式の 共同体形式によるミサが行われた

向こうに居並ぶのは共同司式司祭たち

祭壇のこちら側に居るもう一組の共同司式司祭たちの中に そっと写真を撮る私がいる

 

ミサのあと 宣教家族の受け入れ協定書にサインする枢機卿

 

一連の式が終る頃には深も更けていた 人気の無い広場から見る大聖堂の佇まい

聖堂の屋根の上の赤っぽい光 これは月だろうか


夜の光のなか 石壁に嵌め込まれた 幅1メートル以上もある「聖十字架カテドラル」の銘盤

(つづく)


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★ 福島の詩 「見えない恐怖の中で・・・」

2012-05-25 17:35:06 | ★ 大震災・大津波・福島原発事故

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福島の詩 「見えない恐怖の中で・・」

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 アメリカ ---> ボストン ---> カトリック ---> ペドフィリア(稚児寵愛) という

言葉の連想ゲームを進めるうちに 足がすくんでしまった

まだ 「決闘前の猫」―前回ブログの(注)参照― 状態のままだ

そんな時 アシジのフランシスコの修道院に居る私の友人の谷村神父さんから

一篇の詩が届いた

ご本人の了解もあったので 間を持たせるために ご紹介します

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前田 新 (福島県農民連 会津美里町 在住)


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見えない恐怖に脅かされて

4か月も過ぎたいまも

ぼくらは、ふるさとの町を追われたままだ

レベル7、その事態は何も変わっていない

 何万という家畜たちが餓死していった

人気の無い村に、その死臭だけが

たちのぼっている


姿を見せないものに

奪われてしまったふるさとの山河を

何ごともなかったように季節が移ってゆく

郭公が鳴くそこで 汗を流して働くのは

もう、夢のなかでしかないのか

ぼくらは、そこに立ち入ることもできない


かつて、国策によって満州に追われ

敗戦によって集団自決を強いられ

幼子を棄てて逃げ帰ってきたふるさと

そして苦闘の末に築いた暮らしを

あの日と同じように、一瞬にして

国策の破たんによって叩き壊された

 

しかもこれは痛みのない緩慢な死だが

あの日と同じ集団自決の強要ではないのか

七一三部隊の人体実験ではないのか

なかまよ 悲しんで泣いてはいられない

この4カ月の間 見えない恐怖のなかで

ぼくらがこの眼で見たものは

 

それでも、儲けのために

原発は続けていくという恐怖の正体だ

 

よし、そうならば

ぼくらも子孫のために、腹をすえてかかる

 

かつての関東軍のように、情報を隠し

危ないところからは、さっさと逃げ帰って

何食わぬ顔で、安全と復興を語る奴らに

そう簡単に殺されてたまるか

 

なかまよ、死んでいったなかまよ


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★ アメリカレポート ボストン-②

2012-05-23 16:25:40 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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アメリカレポート ボストン-②

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魂の洗濯に相当する「赦しの秘跡(懺悔)」のシャワーを浴びて霊的にさっぱりしたたあと、一同がまず手掛けたのは、主としてスペインとイタリアから(しかし、少数ながら東欧やアジアからも)駈け参じたオーケストラとコーラスのメンバーの合同練習だ。何回に亘るか予想の立たないこのアメリカツアーシリーズのブログだから、まず手始めにそのメンバーをひと通り紹介するところから始めよう。


先ず 若い指揮者のパウ・ホルケラ スペイン人

清楚で 無駄な動きも ナルシズムもなく 的確で 力強い さすがキコのおメガネに叶っただけのことはある 

 

  

お友達を紹介しよう

左からジャネス神父 旧ユーゴスラビア国立放送管弦楽団の第一ヴァイオリンを弾いていた プロ中のプロ 私の仲良し

このあとニューヨークに行ったとき ジュリアード音楽院の前で 「少年の頃 僕はここに留学したかった」 とふと私に漏らした

真ん中が 「マヌ」 こと マヌエル神父 高松の神学校に入ったが 去年故郷のヴァレンシアで司祭になり(このブログで紹介済み)

宣教師として今ヴェトナムに派遣されて働いている 日本での宣教を夢見ながら・・・

右が アルド神学生 今私と一緒にローマの神学院に住んでいる ジャズトランペットが得意


  

ホルンのお嬢さん(楽器だけ写っている)はシンフォニーでソロを吹く 音が甘く柔らかい オーボエ ファゴットもいる

コントラバスの間に白いチェロのハードケースがとぼけた顔で立っている


  

全体の編成のバランスとしてはヴァイオリンの人数がやや足りない ハープは ここと言うところでソロを決める


パーカッション ティンパニーの他に トライアングルも 小太鼓も NHKのど自慢の鐘の叔父さんもいる


   

フルート8人は多すぎる 私も入れてもらえるはずだったのに・・・ コーラスはまずまずのバランス バリトンのソロはいい声だ


それにしても、なんで練習場の体育館の床の上に餓鬼どもがごろごろいるの? 実は、このほかにも泣いて練習の邪魔をする恐れのある乳飲み子たちが、乳母車と一緒に別室にぞろりと控えているのだ。若い母親がオーケストラかコーラスのメンバーで、お父ちゃんが出演しない場合は彼が・・・、二人とも出演する場合は、若いベビーシッターのボランティア―が一緒にアメリカまで飛んできて、赤ん坊の面倒を見る手筈になっている。

聞き分けのいいお兄ちゃんお姉ちゃんは本国の家でお留守番 ほっとけない腕白たちだけがついてきたのだ


    

空港に着いたときの或る夫婦の姿。大きな楽器の他にミルクを飲む生きたお人形まで連れてきた。しゃがんでいるこのお母さんが、次を妊娠していないという保証はない。舞台に上る若い女性の中には、臨月ま近かのパンパンのお腹を突き出したのも何人か目立つ・・・ということは・・・、既婚の若い女性は全員とは言わぬまでも、二人に一人か、少なくとも3人に1人ぐらいは妊婦である可能性が高いと私はにらんだ。こぶ付きだらけのこんな経済効率の悪い旅のオーケストラ集団は、世界中探してもこのキコの一座を措いては他にないと私は確信する。何しろ子供5人は当たり前。8人だって10人だって13人だって別に珍しくない別世界の話だ。日本にもこのスタイルで繰り込んでくるのだろうか?


左はもう見え見え、右の女性もほぼ間違いない。真ん中の女性だって、しらばっくれてはいるが・・・

考えるだけで もう頭くらくら

(つづく) 

 

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★ アメリカレポート ボストン-①

2012-05-21 23:27:45 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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アメリカ レポート

ボストン-①

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昨日 ナポリの王宮前のプレビシー広場で開かれた

新求道共同体の若者たちの「召命」の呼びかけの集い(約6万人)に参加して 

深夜に疲れ果てて戻った (これについてはまた別箇に書きたいと思うが・・・)

今日 やっと時間が生まれたので 印象が薄れないうちに アメリカ旅行の報告をまとめようと思う

 

《先ずボストンから》

 

ボストンと言う地名は カトリック教会にとって決していい響きを持っていない

私たちは なるべく早く忘れようと無意識のうちに考えてしまうが

現地に行くと そうも言ってはいられないものがあった

しかし そのことはひとまず後回しにしよう


ボストン郊外のマリオットホテルに入った一行がまず最初にしたことは、集団告白式だった。ここに着くまでの世俗の日常生活における様々な雑音、隣人への配慮の不足、不品行、仲違い、などの諸々の罪を引きずったままでは、このコンサートツアーは清らかな霊的な響きを聴衆に届けることは期待できないという判断からだ。これはただの収益目当ての音楽興業ではない。スピリチュアルなメッセージを届けることが目標の、信仰の旅なのだから。

大広間に集合 壁に沿って座る 皆がギターに合わせて歌う中 先ず司祭同士が互いに罪を告白し合う

続いて フロアーの中央に立つ司祭たちの前に進み出て 全員が罪の告白をして

     

 キリストの代理人である司祭たちから罪の赦しを受ける  全体を仕切るキコ氏も例外ではない    

みんな例外なく 一人の罪人として 謙遜に 正直に 若い司祭の前で自分の罪を告白をする

ステージに上がる前に シャワーを浴びてさっぱりする要領で まず魂のリフレッシュと言ったところだろうか

  

赦しの秘跡が全員に一巡したら 皆で恵みに感謝して キコのギターに合わせて歌う

罪の赦しを受けて 心が清められた者は この旅の間 怒ったり 嫉妬したり 仲違いをしたり

思いやりに欠けたり つまらないことに執着したり 悪い思いや行為に耽ったり・・・

とにかく 罪を犯して心を汚し ツアーを霊的に台無しにしないように 心するのだ

みんなの罪を聴き終え 神の許しを配り終えた司祭たちも ホッとしてご苦労さん と式服を脱ぐ


先ずこんな具合で始まります

出だしから一味違うでしょう? この先 どんな具合に展開するか どうかお楽しみに・・・

(つづく)




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★ 《必読》 美しすぎる話 = 母の愛

2012-05-17 22:57:53 | ★ 自然・いのち

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《必読》 美しすぎる話 母の愛

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シカゴからロンドン経由でローマに帰った

東京=ローマと同じ7時間の時差に いささかボーっとした頭で 溜まっていた仕事に向かった

バチカン花見の常連の日本料理店の女将の息子から

福島の原発被災地の情報を読んでほしい フェースブックに書いているから と言うメールがあった

本音で言えば ブログとメールとツイッターだけで手一杯で これ以上広げるつもりはなかったのだが・・・

おっかなびっくり 始めてみたら さあたいへん

日本語だけではない 英語も イタリア語も コンタクト希望が一気に殺到した

中には イタリアのお友達も少なくなかった

その中で 私と親しい一人の女性の書き込みが目に止まった

趣旨に感動して 訳してお披露目する気になった どうせ時差ボケですぐには眠れないのだから

そんなわけで アメリカ日記は 次までお預け 話はまず以下の通り

 

 

絶望的な思いで一人の若い女性が産婦人科の医師を訪れて言った: 先生どうか助けてください。私は深刻な、非常に深刻な問題にぶつかっています・・・息子がまだ満一歳にもならないのに、私はまた妊娠してしまいました。こんなに続けさまに子供を欲しくはありません。せめて2-3年の間をおいてからと思っていましたのに・・・。

そこで医師は言いました: わかりました。で、私に何をして欲しいのですか?

婦人は答えました: この妊娠を中絶したいのです、それであなたの助けてが必要なのです。

すると医者は深く考え込んで、長い沈黙ののちに口を開いた: あなたの問題を解決するために、母体に危険が少ないいい方法が見付かったと思います。 

 

婦人は医師が彼女の希望を容れてくれたものと思って微笑んだ・・・。

すると医師は話を続けた: では奥さん、こんなに年の近い新生児を二人も抱え込まないようにと言うあなたの願いをかなえるために、貴女が今腕に抱いている赤ちゃんを殺すことにしましょう。そうすれば、貴女は次の子が生まれるまで9か月間ゆっくり休めるでしょう? もしどうしても殺さなければならないとしたら、この子にするかあの子にするか、別に違いはないでしょう? だとすれば、貴女の腕の中の子を犠牲にした方が、ずっと簡単でしょう?その方があなたの体の負担なしにすませられるのですから。

婦人はもう絶望を通り越して叫んだ: ダメ―!先生、それだけは絶対にダメです! 赤ん坊を殺すなんて、それは犯罪です!!! 。

医師は応えた:  私も貴女に同感です。けれども、貴女は私があなたを助けてくれると信じたのではなかったのですか?

医師はしばらく様子をうかがっていたが、どうやら自分の話が効果をもたらしたらしいことを悟った。彼女は、とうとう自分の腕の中にいる子供と、自分の胎内に宿った子供の間に、全く差異がないことを悟ったようだった・・・。

彼女は微笑んで言った: 先生、一週間後にエコーグラフのためにまたお会いしましょう。ちっちゃな弟の心音を聞いてみたいものですわ・・・。

この話、気に入っていただけましたか?

小さなもう一つの命を救うために、よかったらこ小話を 周りの人にも広めてくださいませんでしょうか。

 

 

カトリックでは 堕胎を犯罪 殺人とみなして認めない

現在世界で年間6千万の胎児が堕胎され 闇に葬られている

私は最近のブログ「インカルチュレーション そのー2」の中で、ある老司教との会話として 「ピルが解禁されるまでに

戦後日本で行われた人口妊娠中絶(堕胎=殺人)の数は約6000万件だった」と聞いた、と書きました。

キコのシンフォニーのテーマ「無垢な者たちの苦しみ」は、この堕胎の問題とも深くかかわっている

キコと教皇ヨハネパウロ2世の呼びかけにしたがう新求道期間の道を歩む若い夫婦は

この教えに忠実で その結果平均で5人の子どもを産むし 10人 13人の子沢山も例外ではない

(つづく) 

(コメントも届いています。右下のコメントをクリックして読んでください。)

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★ 旅のスケッチ=アメリカ東部-③ 《古い友人を尋ねて》

2012-05-14 21:40:26 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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旅のスケッチ=アメリカ東部-③

《古い友人を尋ねて》

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5月4日に始まったアメリカ東部のコンサートツアーは

昨晩のシカゴシンフォニーオーケストラの本拠地 「オーケストラホール」での公演を最後に終った

今日15日の午後 シカゴのオヘアー空港を発って 明日の昼ごろには再びローマの人となる

今回のツアーの意味については ローマに帰ってからシリーズでゆっくり書くつもりだが

今はつれづれのスケッチにとどめたい


話はニューヨークに戻る


  

ここはニューヨークのマンハッタン 昔から快速と各駅停車の線路を分けた 往復各2車線の立派な地下鉄が発達している

今さら昔の思い出に浸ってみても仕方がないのに やはり懐かしいものは懐かしい

リーマンブラザーズのヴァイスプレジデントと言えば大げさな話だが これはウオールストリート独特の肩書きのインフレで

「副社長」 なんてどんでもない 日本の大企業なら せいぜい部の次長クラスだと思った方がいい

マンハッタンの高層ビルの役員用のペントハウス (最上階マンション) に住んで 

タクシーでウオーターストリート55番地の本社に通っている間に

黒人のメイドがベッドをつくり 巨大な冷蔵庫の中に 牛乳や果物やチーズをふんだんに補充してくれている と言えば

なんとなくリッチな感じだが 今思えば 会社にしてみれば

 毎日ミッドタウンのホテルに住まわせるより はるかに安上がり というだけのことだったのだろう


 

今日は 音楽の殿堂 リンカーンセンターのエイブリ―フィッシャーホールでのリハーサル見物を途中で抜け出して

懐かしい友達との再会を求めて  地下鉄に乗った

もう30年以上前の話だが 当時 彼女は8番街と5番街のあいだで 72ストリートの駅に近い緑豊かな場所に住んでいた

私は彼女ん住んでいる家に行ったことはない しかし 運が良ければ いつも人気の少ないあのベンチのところで合えるのだった

彼女はいつもの毛皮のコートが似合う 茶色の目の娘だった

別れるとき 今度ニューヨークに来たら きっとまたここで会おうね と固く約束したのだが・・・

はたして今でも彼女は待っていて 約束通り姿を見せてくれるだろうか 思うだけでも胸が高鳴る

 

 

黒人居住区 ハーレムに行ったら 徐行する車の中からでも 絶対に写真は撮るな

トラブルに巻き込まれるといけないから と

白人の友人からきつく注意されていた 同じ注意は地下鉄の中でも当てはまるだろうか

ナイフやピストルをポケットに忍ばせた 気の短い男がいないとも限らない 

デジカメのスイッチを静かにONにして 腰だめにシャッターをめくら押ししたら 画面が10度ほど傾いていた

 

 

お目当ての72ストリート駅で地下鉄を降り 地上に出ると そこはセントラルパーク・ウエストだ

あれ? 日曜の新宿御苑ほどではないが 思ったより人がいるな シャイな彼女が果たして現れるかな?

 

  

 

茂みの小道を行くと 日本では見たことがない濃い紫の花が咲いていた

以前に野尻湖の 《キビタキ》 の悲しい話を書いたが (私のブログ 「禁じられた遊び」 参照)

この鳥はキビタキの2倍ぐらいの大きさだ

くちばしの下は白く 膨らんだ胸は茶色をしている

低い茂みの細道をさらに進むと

ぱっと視界が開けて 広い芝生に出た

あっ! 居た 居た! 彼女だ! 30年前とちっとも変っていない

 

 

720ミリの望遠を横に振って流し撮りしたのに 後足一本にしかピントが合っていない

なんとすばしこい

かと思うと グッと鋭角にコースを変えてこちらに向かってきた まさか 本当に私を覚えていたわけではあるまい

もうお分かりですね わたしが会いたがっていた彼女 それは実は栗鼠嬢のことでした

 

 

あとは もう めちゃ撮り いろんなポーズを楽しんでください

 

     

        

  

 

太い尻尾を大きく振るヒップ なかなかしっかりしていますね


    

 

木の実を上手に見つけて 手に持って食べるしぐさは 実に可愛らしい 

 

 

 

 

夢中になって彼女の姿を追ってセントラルパークを走り回っていると


Hi! John! What are you doing here?

おーい ジョン! そんなところで一体何してる?


突然背後から笑い声で名前を呼ばれた

一瞬 タイムスリップして リーマンの同僚に声をかけられたような錯覚に襲われた

まさか マンハッタンの市内だけで800万 都市域2000万の人口を抱えたニューヨーク

短い期間しかいなかった私の名前を憶えている人間に巡り合うはずがないではないか

振り返ると オーケストラのメンバーが リハーサルの後 開演までのわずかな休憩時間を利用して

セントラルパークまでやってきて しばしのジョギングを楽しんでいる物好きたちだった

左端はローマの神学生のアルド君 コンセルバトワールでトランペット奏者を志したことのある男だ

ジャズを吹かせると まさにプロの領域に居る

 

 

 白いつつじの花は日本と一緒だ いや 葉っぱがちょっと違うかな?


 

 満たされた心で 地下鉄の駅を探すころには 車がヘッドライトを点けはじめていた

時計を見ると 開演30分前だ


 

これからが本番の山場

ニューヨークフィルのホームベースで堂々のデビューとなる

すべての評価はこの一回にかかっている と言っても過言ではない

カトリック系の衛星メディアが 世界中に同時中継する手筈だ

このコンサートの歴史的な意味は ローマに帰ってから

シリーズでゆっくり書くことになるだろう

乞う ご期待! 

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★ 旅のスケッチ=アメリカ東部-② 《野球王国》

2012-05-11 17:57:36 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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旅のスケッチ=アメリカ東部-②

《野球王国》

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ボストンをバスで発って ニューヨークへ

ブロンクスからイーストリバーを渡って マンハッタンの北に入って ハドソン川を渡って ニュージャージーへ

目的地のニューワークのレデンプトーリスマーテル神学院へ向かう途中で

メッツのホームグラウンドのスタジアムが見えた

ああ アメリカは野球王国だったなあ と感慨を深くした

そして 発つ前のボストン郊外の風景を思い出した

 

 

オーケストラとコーラスが体育館でリハーサルをしている間に 閑静な住宅街を散歩した

 

 

おや どこか日本と似ているな と思ったのは 田園調布かどこかのしゃれたお屋敷街のような建物の所為ではない

どうもその原因は 電信柱と電線にあったようだ 妙に懐かしく ヨーロッパとは違う 落ち着く感じがした

住宅が切れた一段低い空き地に ベースボールグラウンドがあった

おや ちょっと狭くないか? と思ったら 子供用らしい

恰好のいいお嬢ちゃんが プロテクターを付け ミットとキャッチャーマスクをもって 颯爽と現れた

 

 

彼女の後ろには 大人のアンパイヤ―が立った 


 

 

ピッチャーの少年 投球のかまえ

 

 

 チビちゃんのバッターは へっぴり腰でバットを後ろにひいた

 

投げました 打ちました ファーゥル! バッターの頭の上に写っているボールは そのまま右のフェンスに

カウントはツースリー また投げました! 打ちました 打ち上げました! センター 前進!前進!

バッターは一塁へ全速力!

センターは構えました キャッチしました!  いや 落としました! 落としました!

その間 チビのランナーはセカンドへ

センターも慌てて拾って セカンドへ送球 タッチアウトか?

あっ! いや セカンド とり落としました グラブではじいてしまいました!

ランナーはサードを回って ホームへばく進

カバーのピッチャーがバックホーム 

セーフか? アウトか?

審判 手を平らに激しく振って セーフ セーフ!

お見事 ランニングホームラン!

観客席に可愛い女の子たち お母さんたち お父さんもチラホラ

全員 興奮して総立ち その賑やかなことと言ったら

私も 思わず手に汗を握り シャッターを押すのも忘れていました

 

 

年甲斐もなく興奮して リハーサル会場に戻るとき

ここには一体 どんな人たちが住んでいるのだろう と思っていると

家の前を掃いている叔父さんに出会った 後ろからしか撮れないのだが

彼は黒人だった

使用人ではない  自分の家をケアーしている自信が 背中に感じられた

 白人と黒人が混ざって住んでいることにホッとした

彼の庭には ライラックの花が 今花盛りでした・・・

 

 

着いた先のニューワークの神学校は 高松のレデンプトーリスマーテル神学院より 歴史が浅い

現在世界に86校ある姉妹校のうち 高松は7番目で 1990年に設立された

すでに38人の司祭を生み 教皇様の粋なはからいで 今もローマに移されて存続している

現在アメリカには ここの他 ワシントン ボストン デンバーなど そしてグアムにも 全部で7校あって

それぞれ その教区の再生と発展の原動力になっている

 

(つづく)

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★ 旅のスケッチ=アメリカ東部-①

2012-05-09 23:23:11 | ★ シンフォニー《アメリカリポート》-1

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旅のスケッチアメリカ東部-①

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 リーマンブラザーズ時代、当時のホームベースは東京の霞が関ビル上層階だったが、しばらくはニューヨークにもいたし、出張もあった。しかし、神父の道を志してからは、アメリカと言えば9.11直後の孤独な祈りと巡礼と追憶の旅や、その前は、デンバー(コロラド)のWYD(世界青年大会)ぐらいかなと思います。

 今回の大団体旅行、ちょっとの時間の隙間なら見つかりそうな気配がしてきたので、雑なやっつけとしてではないが、あまり頭を使わないあっさりしたスケッチとして、つれずれにブログを送ることにしました。(とはいっても、ローマに帰るまでに2回か、せいぜい3回までのことになるかとは思いますが・・・)

 先ずはボストンを振り返って:

キコ氏の作曲になるシンフォニー「無垢なるものたちの苦しみ」のコンサートツアー中

ホテルから出て 郊外の教会の施設の体育館で練習がある間 あたりの散歩に出たら

道の反対側に おや プロテスタントの教会かなと思うような外観の建物があった

 

近づいて看板を見ると

「無原罪の御宿りの聖母カトリック教会」 とあった

全て英語とスペイン語のダブルで書いてある

西部のカリフォルニアだけかと思ったら ここもヒスパニックが多いことが察せられた

因みに ローマを出たとたんイタリア語は全く役に立たない

 

正面の扉を開けようとノップに手をかけたその瞬間

突然中から押し開かれて ああびっくり

飛び下がった目の前に駅長さんのような帽子の叔父さんに導かれて

新婚さんのカップルが出てきたので

いい距離まで下がって まずパチリ

 

左は間違いなく花嫁の妹だろう 右はお友達?

 

少人数ながら 参列者が出てきた

 

帽子の叔父さんのお尻が映っているのは遊園地の歪んだ鏡?

 

いえいえ アメリカでやたらと見かけるダックスフンド型の胴長リムジンと その運転手さんでした

バックはリハーサルの体育館がある教会学校の建物

 

花嫁とブーケを映すリムジン

 

澄まして乗り込み パーティー会場に向かう花嫁さん

 

アメリカの人口1000人当たりの離婚件数3.6組は世界4位

一位のロシアは4.8組(2位、3位は旧ソ連圏)

日本は26位で2組ちょっと

離婚を認めない カトリック信者同志の場合はアメリカでも極めて低い(日本よりずっと低い)はずではあるが・・・

(つづく)

 

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★ インカルチュレーション =キリスト教の受肉=(その-2)

2012-05-08 01:23:32 | ★ インカルチュレーション

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インカルチュレーション(その-2)

= 宗教と文化の関係 =

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昨日(この部分を書き出したのが5月4日夜)、マサチューセッツのボストンに入りました。アメリカは広いので、あちこち行ったことのあるつもりの私でも、ここは初めての街です。気温10度Cでちょうど新緑が始まったところです。16日までのこのアメリカの旅の話は、旅が終わってからシリーズでぼつぼつ書くとして、この2-3日の旅の隙間を縫って、つなぎに一つぐらいアップしたいものだと、これから数行ずつ書き溜めます。


ボストン郊外 ベッドフォード やっと新緑が萌えはじめたところ

マリオットチェインのコートヤードホテル 星条旗がいつも掲げられているのは いかにもアメリカらしい

このホテルの310号室で以下のブログを書いています


さて、以前から気になっているインカルチュレーションのことですが、このテーマのを論ずるとき、最初にはっきりさせておかなければならないいくつかの前提があります。

その一つが「宗教と文化の関係」です。私は最近教皇ヨハネパウロ2世の回勅「救い主の使命」(Redemptoris Missio)を読み直しているうちに、教皇がその回勅の中で「インカルチュレーション」を「人々の文化の中に福音を受肉する」と定義しているのを発見しました。実に単純明快、灯台元暗しとはこのことですね。

教皇ヨハネパウロ2世が回勅の中で言うインカルチュレーションの主体は「キリスト教」であり、その「福音」であります。

霊魂と肉体からなる人間に例えて言えば、体が「文化」で、体を生かす「魂」または「命」に相当するものが「福音」、或いはもっと普遍的にいえば「宗教」と考えるのが適当でしょう。決してその逆ではありません。

ある時代のある地域の「文化」に、特定の宗教がインカルチュレートすることによって、その文化に深い影響を与えるということはよくあります。

例えば、「汝の敵を愛しなさい」と言うキリスト教の固有の「教え」は、文化次第で変わるものではなく、まして特定の文化から生まれたものでもないということです。また「隣人をおのれのごとく愛しなさい」と言うキリスト教の特徴的「教え」も、キリスト教が伝搬するどの文化圏においても、不変の「教え」として、文化の中に受肉して変化をもたらします。

その逆に、新約聖書のマタイ513節に「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである」とあるように、文化によって信仰内容が浸食され、変質し、形骸化することがあれば、それは宗教の自殺行為であり、塩が塩味を失って、ただの白い粉に成り果てた姿であるというべきで、これはインカルチュレーションとは関係がありません。

もっとわかりやすい例を挙げましょう。

先に、ブログ「自殺者統計 -なぜキリスト教の宣教は必要か-」124日)

http://blog.goo.ne.jp/john-1939/c/1b4e9eb8c54531d4404fb2075429b7bd 

の中で「世俗化」と「グローバリゼーション」のことを書いたとき、私たちは世界中の文化が「宗教離れ」現象をお越し、「均質化」の一途をたどっている有様を見ました。

この変貌していく世界の文化に対して、教皇パウロ6世は1968年に回勅「人間の生命」(フマーネ・ヴィテ)を発表し、信徒の覚醒と生活の変化を通して、世俗化に対する歯止めとして「キリスト教的な生命に対する価値観」を現代世界にインカルチュレートさせようと試みました。

この教えの中で教皇は、「夫婦の性の営み」は「新しい生命の創造」という神のみ業に参加する神聖な行為であって、常に命の賜物に対して寛大に、英雄的に開かれたものでなければならないことを、信仰の真理、カトリックの教義として、高らかに宣言しました。それは、一言で言えば、夫婦の愛の一致と喜びは、生殖と種の繁栄から切り離して取り扱われてはならないということに尽きます。

これは、迫りくる世俗化の脅威に対する教会の先制的対応でした。そして、それはキリスト教が世俗化し変貌していく社会の中で生き延びるための必須の要件でもありました。

しかし、時すでに遅く、全世界のカトリック教会は、上は枢機卿、司教たちから、下は第一線の神父たちに至るまで、それを時代錯誤の実行不可能な「絵に描いた餅」として顔をそむけ、無視し、教皇の教えを信徒に伝える義務をサボタージュしました。彼らは、それを口にしたら、ただでさえ減り始めた信者たちが一斉に教会に来なくなると恐れて、信徒たちに実践を求める勇気を持たなかったからにほかなりません。

これは、教皇の言葉こそ教会を救う切り札であることが理解できず、塩が塩味を保つための決定的なよりどころであるという預言的な意味を読み取りえなかった、独身の聖職者たちの招いた悲劇だったと言うべきでしょう。その意味で、フマーネ・ヴィテの教えは世界規模でいずれの文化にもインカルチュレートすることに失敗したと言ってもいいでしょう。

世俗化しグローバル化した社会の堕胎と避妊の「死の文化」(脚注)を前にしながら、最高の指導者である教皇の声に耳をふさいで、世俗化の攻勢に対して、無抵抗のまま組織を挙げて全面降伏したのが今のカトリック教会の姿です。これはインカルチュレーションでもなんでもありません。世俗化し、神聖な、超越的なものに対する感性を失った社会の力に飲み込まれた宗教の死骸、「塩味を失った塩」の唾棄すべき姿にすぎないと言うべきではないでしょうか。

「死の文化」に対して、キリスト教は教皇の説いた「生命の教え」をもってインカルチュレートして、社会を生かすべきものでした。

ある年寄りの司教様は(脚注)、ユーモアをこめて、パウロ6世教皇の回勅「フマーネ・ヴィテ」(人間の生命)を真剣に受け止め、世俗化の怒涛の流れに逆らって、勇気をもってその普及に努め、果敢に戦ってそれなりの成果を収め得た男は、10億のカトリック信者の中にたった2人しかいなかった、と言われました。その一人はポーランド人のヴォイティワ司教、後に教皇となったヨハネパウロ2世と、もう一人はスペイン人の一介の信徒、新求道期間の道の創始者、キコ・アルゲリオでした。

少なくともこの二人と、その二人の後に従うカトリック信者たちは、塩味を失っていない塩、本当の「地の塩」として信仰を証しする宣教者たちに育っていきました。

もちろん、10億の信徒の中には、個人の信仰と良心の声に従って、教皇パウロ6世の回勅の教えを誠実に実践した無名の貧しい子沢山の人たちもいたに違いありません。しかし、孤立してばらばらに生きられた彼らの信仰の行為は、教会と社会を大きく変革するだけの起爆力を持ちませんでした。

バチカンの大謁見場を満たしたキコの薫陶を受けた家族たちを前に、前教皇ヨハネパウロ2世と現教皇ベネディクト16世は、100家族単位で延べ数百組(多分すでに1000家族以上)-それも多くは10人以上の子沢山の-宣教家族を全世界の最も世俗化が進んだ国の、しかもしばしば最も貧しい地域に派遣しました。派遣に際して、教皇が彼らが必然的に担うであろう困難と苦しみを象徴する銀の十字架を手渡す感動的な場面を、何度も私は目撃してきました。

 そういう家族が一人っ子政策の中国に入ると、人々は驚嘆と羨望の眼差しでこのキリスト教の生きられた証しを見守ります。こうして、キリスト教の教えは「パンだね」のように現代中国の市民生活と文化を内側から変革し、インカルチュレーションが実現していくのです。

 カトリック教会が説くインカルチュレーションは、教会が新しい文化と社会を前にして、それと妥協し、融合し、自らを適応させ、折衷し、変身していくことを意味しません。あくまでも文化と言う「体」の中に「不滅の生命」として受肉し、キリスト教的魂をそれに与え内面から変革するということです。

 日本でもそのことはすでに実際に起こりました。具体的な例として、古くはフランシスコ・ザヴィエルの時代に、堺の豪商千の利休によって茶の湯の世界に起こったこと、近くはホイヴぇルス神父によって能と歌舞伎の世界においてなされた試みについて述べたとおりです。 


 ここまでの説明で、キリスト教、カトリック教会のインカルチュレーションに関する正しい在り方、正当な教義についてはっきりさせることができたかと思います。

次は、その基準、原則に照らして、過去半世紀ほどの間に、日本のカトリック教会で行われてきたインカルチュレーションの様々な試みについて検証し、私の眼には疑わしい、あるいは誤っているのではないかと思われるケースについて述べてみたいと思います。


お祭りでもないのに住宅街が星条旗にあふれている ここはアメリカのボストン郊外

6日はボストンのシンフォニーホールで キコ氏の作曲したシンフォニー{無垢なる者たちの苦しみ」

のコンサートとレセプションがありました


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(脚注)ある老司教との会話の中で、「ピルが解禁されるまでに日本で行われた人口妊娠中絶(堕胎=殺人)の数は約6000万件だった」と聞きました。

私は、今回 Wikipedia の「人口妊娠中絶」の記述の中に現れた厚生労働省の統計から数字を拾い上げ、積算して過去60年ほどの間に約3500万件以上の中絶があったと理解しました。しかし実態はそんなものではないでしょう。ひょっとしたら、日本の人口ほどの数が直接、間接に闇に消されていったのかもしれません。これは、戦争や、地震や、津波によるよりもはるかに大きな恐るべき人命の損失です。それにしても、1975年頃は10代の未婚の少女ならいざ知らず、40代の女性が妊娠した生命の90%が、2000年でも70%が、人工中絶(堕胎)の対象にされていたという数字にはさすがにショックですね。これが、世俗化しグローバル化した「死の文化」の実態ではないでしょうか。

今も急速に増え続けている地球人口の中で、カトリック人口は伸び悩み、回教徒人口はカトリックをしのいで伸び続けています。パウロ6世教皇の「フマーネ・ヴィテ」の教えは、この「死の文化」の中にあらためて「インカルチュレート」しなければならないのです。さもなければ、カトリック教会は世俗主義に飲み込まれて、静かに、ゆるやかな安楽死を遂げることになるのではないかと恐れます。


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7日 今朝ボストンを発って バスでニューヨークに向かい

 

日本の長距離観光バスよりだいぶ胴長

オーケストラとコーラスを引き連れた我々旅の一座は

このバスを 5 台連ねて巡るのだ


午後 ニュージャージーのレデンプトーリスマーテル神学院に旅の荷を解きました


人間がそばに立っていればデカさが引き立つのだが…

要するに フロントガラスが小さく見える分だけ 全体が大きいのだ

運転席の後ろには大きなキャンピングカーほどの居住空間が


晩の9時から ミサです


(つづく)


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