:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ ローマの休日

2023-12-20 00:00:01 | ★ 旅行

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ローマの休日

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 私は一つ前のブログをローマで書いた。

 それは、総勢17名のツアーの一員としてローマを訪れ、本隊が帰国した後も、我が人生最後になるかもしれないローマの休日を味わう中で、ブログを書くわずかなひと時を見出したからだった。

 話は19年前に東かがわ市がバチカンの庭園に桜並木を寄贈したことにさかのぼる。

 地元の人々は、大内町に「高松教区立国際宣教神学院」が開設され、過疎化が進む東讃地域に若い健全な外国人の青年たちが集う施設の誕生を、地域の国際化に資するものとして歓迎した。

 そして、その感謝の気持ちを表すために、東かがわ市の中条市長以下90名余りがバチカン庭園に桜の苗木20本余りを寄贈した。植えた時は太さ1センチほどの苗木が、今は15センチほどの成木になり、春ごとに見事に咲いて人々の目を楽しませるまでに育っている。

聖ペトロ大聖堂のクーポラを背景にした日本のさくら

 

花見の頃には野生のインコが蜜を吸いに集まる

 日本の桜を聖教皇ヨハネパウロ2世に献上した「東かがわ市国際交流協会」の新会長に選ばれた六車さんは、その桜の木が今どうなっているかを自分の目で確かめたいと思い、花見の季節ではなかったが今回の11月ツアーとなった。

 

19年前の植樹記念のプレート

今回のツアーに花はなかったが 参加者一同銘板と桜の木を囲んで

 

 この桜植樹に最初から関わったキーマンの私は、今回もバチカン当局との折衝役として参加した。そして一行が無事に帰国した後も、ローマに残り、一人静かに「永遠の都」の休日を堪能したのだった。

 ローマ後半のハイライトは、マリアンネとの再会だった。

 マリアンネ・シュロッサ―嬢と初めて出会ったのは、もうかれこれ40年近く前のことだ。当時私は英国の名門銀行サミュエル・モンタギューを最後に、国際金融業からさっぱりと足を洗い、東京は瀬田の聖アントニオ神学院でフランシスコ会の志願者として受付に座り電話番をしていた。

 瀬田の神学院には「ボナヴェントゥーラ研究所」があり、ミュンヘン大学の同名の研究所と日・独交互に総会を開く慣例があった。その年はデットロフ教授が秘書にマリアンネ嬢(当時大学院博士課程)を連れて東京での総会に臨んだ。

 その時、私がドイツ語ができるということで、初めて来日したマリアンネの息抜きに、東京見物に連れ出す任務を院長から託された。それが、彼女との出会いの始まりだった。

 当時、彼女は26歳の学者の卵、私は46歳の元銀行マンから修道者志願1年生だったが、その日は開放的で心楽しい「東京の休日」となった。以来、二人にはそれぞれに人生の紆余曲折はありつつも、心の交流はずっと続いた。

 彼女は修道生活を望んでいたが、既存のどの会にも心惹かれるものがなかった。それで、ミュンヘンの大司教のもとで個人的に「終生乙女の誓願」を立てた。それは、初代教会に生まれ、中世に消滅し、第二バチカン公会議で再発見された女性信徒の正式な身分で、ドイツでは彼女がその第1号となった。彼女はミュンヘン大学神学部に教授職を得て祈りと研究の生活をしていたが、オーストリアのウイーン国立大学の神学部が学部長を公募しているのを知って応募し、女性神学者として見事に神学部長の椅子を射止めた。

 一方、私は希望を持って入会したフランシスコ会をまわりの誤解嫉妬で追い出され、落ちるところまで落ちて山谷で日雇い労働者をしていた時も、その後、高松教区の神学生としてローマで神学の勉強をしていた頃も、彼女との交流はずっと続いた。

 ドナウ川に沿った美しい中世の街、ドナウヴェールト郊外の彼女の母親の家に泊まったり、ウイーンの彼女の居所を訪ねたりした。また、ローマの中心のサンマルコ教会で学生神父をしていた時は、彼女の弟の結婚式をドイツからやってきたお母さんの見守る中で司式をしたこともあった。

 

マリアンネの生まれたドナウヴェールト中心部の美しい街並み

 

  

マリアンネのお母さん 庭のフサスグリの実 ジャムのために摘むマリアンネ   

 

ウイーンのマリアンネのアパートの建物はもと中世の修道院だった

よく見ると建物の左上の旗の下にはベートーベン終焉の家とある

 その彼女が、聖教皇ヨハネパウロ2世の後継者となったラッツィンガー枢機卿改めベネディクト16世教皇の神学的教説を集大成し、その論文を教皇に献呈したのを機に、教皇と女性神学者マリアンネとの間にドイツ人同士の親密な私的交流が生まれ、それは教皇の最晩年まで続いた。

 そして今、彼女はバチカンお抱えの最高神学者集団である「国際神学委員会」(約30名で構成)のメンバーの一人に選ばれ、バチカンの公費でウイーンとローマを往復し、ローマでは教皇フランシスコの私生活の場でもある「聖マルタの家」(ホテル)の一室に常宿している。要するに、彼女は教皇との特別に親密な個人的関係も含めて、カトリック界では女性として考え得る最高のキャリアーを登り詰めたと言っても過言ではない。しかも、「天は二物を与えない」というが、彼女の場合それは当たらないのだ。神学者として傑出した才能の輝きを発揮した彼女は、コロラトゥーラのソプラノ歌手としても知る人ぞ知る存在である。正規のコンセルヴァトワールは出ていないが、ミュンヘンの大聖堂で復活祭のミサでソロを歌うほどの実力者なのだ。

 

バチカンの衛兵に護られるフランシスコ教皇の居室のある聖マルタの家

マリアンネはローマではこの建物に住む

 

 他方、私はと言えば、生涯にわたり無位無冠の貧乏神父として巷に埋没し、迫害され、数えきれない失意と挫折にまみれ、手負いの野良犬のように老いて朽ち果てようとしている。彼女のキャリアーと名声の頂点に立つ輝かしい姿と、みすぼらしい無名の敗残者老神父の間には、天と地ほどの身分の隔たりがある。しかし、40年前の若い可能性の卵の彼女と、まだ可能性を信じていた40男の神学生との間に生まれた友情だけは今も全く変わっていない。

 今回、彼女は偶然「国際神学委員会」の公務でローマにやって来ることになっていた。彼女は多忙なスケジュールをやりくりして会議の始まる二日前に着き、グループを日本に帰して自由になった私とうまく時間がつながって、最後になるかもしれない二人だけの「ローマの休日」が実現することになった。

 一緒に古い教会を巡り、食事を共にし、ワイングラスを傾け、話題は自然に神学問題になる。私は神学者ではないが、神学的にきわどい問題については妙に敏感なところがある。そして、それを彼女にぶつけると、彼女の博識と深い信仰に裏打ちされた手応えのある意見が返ってくる。今回も私は、素朴な体験の中から自分なりに得た強い心証と教会の伝統的な教えとの調和を求めて疑問を吐露した。そして、それに対する彼女のコメントは実に的確で、聞いていてこころ楽しいものがあった。

 しかし、今回思ったのは、彼女の答えは常に教会の伝統的な立場を擁護するものではあるが、私の人生経験と直感に基づく大胆な新説に必ずしも理解を示すものではないことにいささかの失望を覚えた。

 教会の教えが断固「天動説」であった時代に、ガリレオ・ガリレイは、同じく地動説を支持したブルーノが火刑に処せられたこともあり、自説を撤回し終身禁固の判決を甘受したが、退廷するとき、「それでも地球は動く」とつぶやいたと伝えられているように、今回、私もマリアンネのお説に対して、似たようなつぶやきを禁じえなかった。

(じつは、ここにその神学的疑問の具体的な内容を詳しく書き始めたが、長くなりそうだし、多くの読者には専門的すぎるので、思い直してバッサリ省略した。)

 しかし、それは大したことではない。ローマの街を二人連れだってそぞろ歩き、教会をはしごし、ワイングラスを傾けること自体が心楽しかった。40年の歳月を飛び越えて、二人の初めての「東京の休日」の思い出に浸ることが出来ただけで、私の心はもう十分に満たされていた。

 私が彼女の輝かしいキャリアーを称賛すると、「確かに私は最高のキャリアーを登り詰めた、しかしあなたの一見挫折と失敗に埋もれた惨めな生涯が、神様の目には大きな輝きを放つものでないと誰が言えようか。ナザレのイエス・キリストも人間的に見れば最大の失敗者、最も苦難に満ちた人生を生きて最後は無残に孤独に十字架の上で刑死した。しかし、天の御父は彼に復活の栄光で報われたではないか」と言って慰めてくれる。それが彼女の優しさだった。

* * * * * 

 暇を見つけてこのブログの原稿を少しずつ書き進んでいたこの一週間の間に、NHKのテレビで「ローマの休日」をやっているのを偶然見た。

 

 ローマの休日 : 作品情報 - 映画.com 

『ローマの休日』(Roman Holiday)は、1953年に公開されたアメリカ映画。主演はグレゴリー・ペックとオードリー・ヘプバーン

ローマの休日 に対する画像結果.サイズ: 168 x 185。ソース: eiga.com

 1953年と言えば、私がまだ14歳、中学生の頃だ。無論白黒映画だった。今までに何度見たか数えきれない。ローマに住んだ通算20年近い日々の間に、あの映画のロケ地は全部巡ったりもした。

 シェークスピア原作のロメオとジュリエットの物語は、私の理解が間違っていなければ、確かほぼ一昼夜の間に完結する出来事ではなかったかと思う。アーニャとブラッドレーのローマの休日も、夜に始まって次の日の夜にはほぼ終わる24時間の出来事だった。私とマリアンネの「東京の休日」も同様にたった一日の出来事だった。浅草で一緒にアイスクリームも食べた。隅田川で水上バスにも乗った・・・

 ヨーロッパ某国の王女様とアメリカ人の新聞記者の物語と、ドイツ人の女流神学者と日本人のさすらい老神父の物語を同列に語るのは、とんだ場違いの艶消しものかもしれないが・・・

P.S. (追伸):  普通いただいたコメントはコメント欄に残すべきものですが、私の尊敬する人から素敵なコメントを頂いたので、匿名を条件に本文に追伸として転載させていただきます。

* * コメント * * 

ブログ、拝読しました。

 いつもながら読み応え充分でしたが、谷口神父様は、“無位無冠の貧乏神父として巷に埋没し、迫害され、数えきれない失意と挫折にまみれ、手負いの野良犬のように老いて朽ち果てようとしている〜〜みすぼらしい無名の敗残者老神父”ではありませんよ。

 谷口神父様を知っている人は、誰もそのようには思っていないでしょう。

 もし仮にそうだとしても、世の囚人となって真っ当な者を迫害する高名な現代のファリサイ人、より、よほど立派でイエズスの姿に近いというものです。(M.M.)

(本人の陰の声: M.M. さま。有難うございます。神父冥利に尽きます。)

 

 

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★ 現在 3.6 プラス 1

2020-01-16 16:21:51 | ★ 旅行

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現在 3.6 プラス 1

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一つ前の私のブログのトップ記事は

イタリア小旅行へのお誘い

= ローマでフランシスコ教皇にもう一度会いましょう =

でした。

「現在 3.6 プラス1」は、女性の申し込み者が 3.6 人、男性が 1人という意味です。

女性3.6人は、3人が確定、一人が前向きに検討中という意味で、男性一人とあわせて合計4人は確実、多分5人、という中間結果です。

イタリア人の運転手、日本人の神父の他の組み合わせはどんなだろう、女性が少なかったらどうしよう?と思ってためらっておられる女性の方に、心配の一つを取り除くためにこの中間報告のブログを書いています。

因みに、昨年はマウロと私の他は、女性5人、男性2人でした。これが、けっこう楽しい旅になりました。今回も、定員いっぱいが望ましいのですが、あとお一人でも、旅は多分成立することになるでしょう。

それでは、以下、前のブログと同内容を繰り返します。

10年ほど前までは、毎年人を誘ってイタリア、スペイン、フランスあたりを9人乗りのワゴン車で気ままに旅をして歩いたものでした

企画も、ガイド役も、運転手も、みんなわたし一人で引き受けて、気ままな旅は参加者に喜ばれていました。しかし、この10年余りは、生活の拠点がローマであったためグループを募るのが難しくなり、また、そろそろ高齢者運転と言われる年齢に達して、全行程独り運転することを自重していました。

ところが、昨年イタリア人のマウロから、小さなグループで一緒にイタリア旅行をしようという誘いがありました。マウロは、10人の子持ちの若いお父さんで、旅の企画とイタリアでの車の運転を一手に引き受けてくれて、私はただ参加者を募ってグループを取り纏めればいいという役割分担です。

私が加わるのは今年が2回目ですが、昨年の旅は参加した皆様から大好評をいただきました。さて、同じ柳の下に泥鰌が二匹居るかどうか、試しに、去年と同じようにブログで参加のお誘いをかける次第です。

マウロが用意したチラシはこれです。

 

上のチラシの写真では細部が読みにくいかと思い、以下に内容をもう一度列記します。

           旅行期間:2020年5月6日(水) ~ 5月14日(木)   7泊9日 (機内1泊)

          費用:今回はアリタリア直行便利用で457,000円-  (アエロフロートモスクワ乗換なら417,000円のところ) 

旅行日程(仮)

1

5月06日

ローマへ ・ ナポリへ

2

5月07日

カゼルタ宮殿・ナポリ市内観光

3

5月08日

カプリ島・青の洞窟

4

5月09日

アマルフィ海岸

5

5月10日

ポンペイ・酪農の体験

6

5月11日

マルケ州へ ・聖ベルナルディノ僧院

7

5月12日

ロレート・ ポルト・サン・ジョルジョ

8

5月13日

教皇様謁見 ・ ローマ・東京へ

9

5月14日

東京到着

 

                                                                                            アマルフィの海岸 風景

旅行の内容について

・ローマ市内は4星ホテルに滞在

・滞在中は全日三食お食事付、本場イタリアの味をお楽しみいただけます。

・イタリアでの滞在期間中の観光にはガイドを付けます。

・やむを得ない事情で予定 の一部が変更になることがあります。

 

参加費に含まれるもの

・航空運賃(往復エコノミー席)

・ホテル(宿泊費)

・食事代

・現地交通費

・博物館等の入場料

 

参加費に含まれないもの

・国内の集合地までの航空運賃・航空保険料

・ホテル1人部屋利用追加料金 (35,000円 )

・海外旅行傷害保険料                                      

 

 ナポリ湾の彼方のヴェスヴィオ火山に沈む夕日

 

マウロがチラシに付けたタイトルは「今まで見たことがないイタリア」でしたが、昨年の旅は、ローマに通算20年ほども住んでいた私にとっても、目からうろこの知らなかったイタリア満載で、さすがはイタリア人マウロならではの選択でした。さて今年はどうなるのでしょうか。

 

      カプリ島の青い海?

 

簡単なパンフレットなので、わたしなりに少し説明を加えたいと思います。

今年の旅行でまず特筆すべきことは、昨年11月に長崎、広島、東京を風のように通り過ぎた教皇フランシスコにローマの聖ペトロ広場の謁見で再び会えることでしょう。この謁見の可能にするために、帰路の便を当初予定の午後13:15発から16:10発に変更しました。そのために航空運賃が6,960円高くなりましたが、この教皇謁見にはその値打があると思います。

また、今年は羽田発・着のアリタリアの直行便をお薦めしています。

参考のために似た時間帯で往復できる他の航空会社とのコスト比較を出してもらいました。例えば、アエロフロートはモスクワ乗り換えで、往復とも4時間ほど長い16時間前後のフライトになります。現在東京―ローマ直行便を運航しているのはアリタリアだけですが、私も含めてメンバーの平均年齢が比較的高いことを思うと、速い直行便のほうが体の負担が軽く、旅費がロシア航空より約4万円ほど高くなることは正当化できるのではないかと思いました。

スケジュールについて若干コメントします。

1.ナポリについて、私は度々行っているのに、一言では語れません。マウロの案内に任せましょう。

2.カプリ、アマルフィの海岸の景観は素晴らしいです。カプリ島の「青の洞窟」は森鴎外の「即興詩人」にも出てくる有名な場所で、中の洞窟全体の青さは全く幻想的です。ただ、普通は穏やかな海ですが、たまに荒れた日は入れないこともあり得ます。中は深い洞窟ですが、唯一の小さな入り口の高さは水面からわずか1メートルほどで、波が下がった瞬間に頭を下げてスルリと入り、同じようにして出てこなければならないからです。

3.ポンペイの遺跡は一見に値します。酪農の体験は私も初めてで、マウロの旅の特徴的アイディアです。

4.古い聖ベルナルディーノ修道院は、今現在は廃墟ですが、その聖堂の壁には世界で一番古い日本の26聖人殉教者の壁画が残っている場所で、日本ではまだ全く知られていません。いま、その廃墟は修道女たちの修道院として再建されつつありますが、シスターたちと交流するほか、26聖人の壁画の前でミサがたてられるよう交渉中です。このツアーでなければ誰も行けない穴場です。

4.ロレートは、イスラエルの地が回教徒に支配される前、十字軍が聖地ナザレトのマリア様のお家を解体して、そのレンガなどをイタリアに運び、小さなチャペルとして移築したものです。中世ヨーロッパで聖地巡礼が出来なくなってからは、たくさんの人々が訪れる巡礼地となりました。チャペルの壁のレンガが聖地からもたらされたものであることは考古学的に証明されています。

全体にわたって、移動の車窓から、食事休憩の際に、また宿のある村や町のたたずまいをとおして、南イタリアを堪能してください。

前回はオプションの劇場や博物館、施設などの入場希望者からは別途2万円を頂きましたが、今回は、皆さんご一緒に行動されると考えて、全体の旅費の中にすでに含まれていますので、別途徴収はありません。

以上が、現時点での私のコメントです。

マウロが運転するワゴン車で、私と、気の置けない7人の仲間たちの小グループで、仲良く旅を満喫致しましょう。旅するうちに友情が芽生え、楽しい、忘れ難い思い出になるでしょう。お誘いいたします。

谷口幸紀拝

アマルフィの海岸

 

〔お申込み方法〕

○ このブログの右下に小さくコメント欄への鍵〔コメント〕があります。そこをクリックして、旅行参加希望と書いて、お名前、年齢、性別、ご住所と、電話番号、メールアドレスを記してください。

○ 申し込み内容は公開されませんので、プライバシーは守られます。

○ コメント欄に戴いたメールアドレスを使って、具体的手続きを進めます。

○ 定員(7名)に達した時点で締め切らせていただきます。早めにお申し込みください

(以上)

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★ イタリア小旅行へのお誘い

2020-01-14 17:21:05 | ★ 旅行

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イタリア小旅行へのお誘い

ローマでフランシスコ教皇にもう一度会いましょう

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10年ほど前までは、毎年人を誘ってイタリア、スペイン、フランスあたりを9人乗りのワゴン車で気ままに旅をして歩いたものでした

企画も、ガイド役も、運転手も、みんなわたし一人で引き受けて、気ままな旅は参加者に喜ばれていました。しかし、この10年余りは、生活の拠点がローマであったためグループを募るのが難しくなり、また、そろそろ高齢者運転と言われる年齢に達して、全行程独り運転することを自重していました。

ところが、昨年イタリア人のマウロから、小さなグループで一緒にイタリア旅行をしようという誘いがありました。マウロは、10人の子持ちの若いお父さんで、旅の企画とイタリアでの車の運転を一手に引き受けてくれて、私はただ参加者を募ってグループを取り纏めればいいという役割分担です。

私が加わるのは今年が2回目ですが、昨年の旅は参加した皆様から大好評をいただきました。さて、同じ柳の下に泥鰌が二匹居るかどうか、試しに、去年と同じようにブログで参加のお誘いをかける次第です。

マウロが用意したチラシはこれです。

 

上のチラシの写真では細部が読みにくいかと思い、以下に内容をもう一度列記します。

           旅行期間:2020年5月6日(水) ~ 5月14日(木)   7泊9日 (機内1泊)

          費用:今回はアリタリア直行便利用で457,000円-  (アエロフロートモスクワ乗換なら417,000円のところ) 

旅行日程(仮)

1

5月06日

ローマへ ・ ナポリへ

2

5月07日

カゼルタ宮殿・ナポリ市内観光

3

5月08日

カプリ島・青の洞窟

4

5月09日

アマルフィ海岸

5

5月10日

ポンペイ・酪農の体験

6

5月11日

マルケ州へ ・聖ベルナルディノ僧院

7

5月12日

ロレート・ ポルト・サン・ジョルジョ

8

5月13日

教皇様謁見 ・ ローマ・東京へ

9

5月14日

東京到着

 

                                                                                            アマルフィの海岸 風景

旅行の内容について

・ローマ市内は4星ホテルに滞在

・滞在中は全日三食お食事付、本場イタリアの味をお楽しみいただけます。

・イタリアでの滞在期間中の観光にはガイドを付けます。

・やむを得ない事情で予定 の一部が変更になることがあります。

 

参加費に含まれるもの

・航空運賃(往復エコノミー席)

・ホテル(宿泊費)

・食事代

・現地交通費

・博物館等の入場料

 

参加費に含まれないもの

・国内の集合地までの航空運賃・航空保険料

・ホテル1人部屋利用追加料金 (35,000円 )

・海外旅行傷害保険料                                      

 

 ナポリ湾の彼方のヴェスヴィオ火山に沈む夕日

 

マウロがチラシに付けたタイトルは「今まで見たことがないイタリア」でしたが、昨年の旅は、ローマに通算20年ほども住んでいた私にとっても、目からうろこの知らなかったイタリア満載で、さすがはイタリア人マウロならではの選択でした。さて今年はどうなるのでしょうか。

 

      カプリ島の青い海?

 

簡単なパンフレットなので、わたしなりに少し説明を加えたいと思います。

今年の旅行でまず特筆すべきことは、昨年11月に長崎、広島、東京を風のように通り過ぎた教皇フランシスコにローマの聖ペトロ広場の謁見で再び会えることでしょう。この謁見の可能にするために、帰路の便を当初予定の午後13:15発から16:10発に変更しました。そのために航空運賃が6,960円高くなりましたが、この教皇謁見にはその値打があると思います。

また、今年は羽田発・着のアリタリアの直行便をお薦めしています。

参考のために似た時間帯で往復できる他の航空会社とのコスト比較を出してもらいました。例えば、アエロフロートはモスクワ乗り換えで、往復とも4時間ほど長い16時間前後のフライトになります。現在東京―ローマ直行便を運航しているのはアリタリアだけですが、私も含めてメンバーの平均年齢が比較的高いことを思うと、速い直行便のほうが体の負担が軽く、旅費がロシア航空より約4万円ほど高くなることは正当化できるのではないかと思いました。

スケジュールについて若干コメントします。

1.ナポリについて、私は度々行っているのに、一言では語れません。マウロの案内に任せましょう。

2.カプリ、アマルフィの海岸の景観は素晴らしいです。カプリ島の「青の洞窟」は森鴎外の「即興詩人」にも出てくる有名な場所で、中の洞窟全体の青さは全く幻想的です。ただ、普通は穏やかな海ですが、たまに荒れた日は入れないこともあり得ます。中は深い洞窟ですが、唯一の小さな入り口の高さは水面からわずか1メートルほどで、波が下がった瞬間に頭を下げてスルリと入り、同じようにして出てこなければならないからです。

3.ポンペイの遺跡は一見に値します。酪農の体験は私も初めてで、マウロの旅の特徴的アイディアです。

4.古い聖ベルナルディーノ修道院は、今現在は廃墟ですが、その聖堂の壁には世界で一番古い日本の26聖人殉教者の壁画が残っている場所で、日本ではまだ全く知られていません。いま、その廃墟は修道女たちの修道院として再建されつつありますが、シスターたちと交流するほか、26聖人の壁画の前でミサがたてられるよう交渉中です。このツアーでなければ誰も行けない穴場です。

4.ロレートは、イスラエルの地が回教徒に支配される前、十字軍が聖地ナザレトのマリア様のお家を解体して、そのレンガなどをイタリアに運び、小さなチャペルとして移築したものです。中世ヨーロッパで聖地巡礼が出来なくなってからは、たくさんの人々が訪れる巡礼地となりました。チャペルの壁のレンガが聖地からもたらされたものであることは考古学的に証明されています。

5.ポルト・サン・ジョルジョはアドリア海に面した港町ですが、その背後の丘にキコさんが建てた大きなコンベンション施設があります。素朴な羊小屋を改造した宿泊施設と超モダンな建築のコントラストが際立つ、素敵なスポットです。

全体にわたって、移動の車窓から、食事休憩の際に、また宿のある村や町のたたずまいをとおして、南イタリアを堪能してください。

前回はオプションの劇場や博物館、施設などの入場希望者からは別途2万円を頂きましたが、今回は、皆さんご一緒に行動されると考えて、全体の旅費の中にすでに含まれていますので、別途徴収はありません。

以上が、現時点での私のコメントです。

マウロが運転するワゴン車で、私と、気の置けない7人の仲間たちの小グループで、仲良く旅を満喫致しましょう。旅するうちに友情が芽生え、楽しい、忘れ難い思い出になるでしょう。お誘いいたします。

谷口幸紀拝

アマルフィの海岸

 

〔お申込み方法〕

○ このブログの右下に小さくコメント欄への鍵〔コメント〕があります。そこをクリックして、旅行参加希望と書いて、お名前、年齢、性別、ご住所と、電話番号、メールアドレスを記してください。

○ 申し込み内容は公開されませんので、プライバシーは守られます。

○ コメント欄に戴いたメールアドレスを使って、具体的手続きを進めます。

○ 定員(7名)に達した時点で締め切らせていただきます。早めにお申し込みください

(以上)

 

 

 

 

 

 

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★ あと二人、いや、一人でもいい、参加追加募集します。

2019-06-16 16:22:15 | ★ 旅行

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あと二人、いや、一人でもいい、

参加者を追加募集します。

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ウンブリア風景

 以下の要領でイタリア旅行の参加呼びかけをしました。

第一次の締め切りは一昨日15日でした。

あと2人まで参加できます。

希望者はいませんか?

すでに申し込まれている皆さん(半分強が女性)は素敵な人ばかりです。

経験によれば、今回も絶対楽しい有意義な旅になる筈です。

出来上がるグループは、人の思いからではなく、神様が集めてくださったものです。

日常性から解放され、明るいイタリアの空の下で、

自然に包まれ、イタリア人の人情に触れ、小さなグループで食事を共にし、語り合い・・・

忘れ得ぬ思い出を作りましょう。きっと人生の新しい発見があるでしょう。

取り敢えず締め切りを6月25日まで延長します。

勇気をだして、ためらいを乗り越えて、お申し込みください。

 

旅のコンセプトは以下の通りです。

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谷口神父と 

「今まで見たことのないイタリア」 を見に行きませんか?

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         谷口です      運転とガイドを受け持ってくれるマウロさんです

 

手作りのミニグループの旅はいかがですか?

以前、私は自分でワゴン車を運転し、7-8人の親しいお友達とイタリア中を、

そしてヨーロッパ中を、何度も駆け巡ったものです。

この度は気の合った友達がドライバー役を引き受けてくれました。

イタリア人のマウロさんと言う50才で10人の子持ちの頼もしい仲間です。

市販のパッケージツアーに満足できない皆さんに、

イタリア人から本当のイタリアの味わいとして愛されている

とっておきの町や村を存分に堪能していただこうと思います。

ローマの穴場はもちろんですが、美しい自然、ワインの里のテースティング、

中世に迷い込んだような職人の里、ちょっと盛装してオペラ座でバレーを観る、等々。

豪華なホテルの夕食では、お互いに知り合い、心開いて語り合いましょう。

運命的出会いや、生きる意味の貴重な発見もあるかもしれません。

生涯忘れえない旅になるに違いありません。

 

マウロさんは言います

日本の旅行会社のプランとは一味違う、イタリア人の目線で選んだルートを考えました。

私が提案するのは、イタリアの歴史や文化、伝統や料理、芸術や産業、その他、

世界中でも卓越しているイタリアの特殊性に興味をお持ちの方が、村々を辿り、

様々な現実の中でその魅惑的な美しさに浸ることができる旅です。

歴史的なロケーションで忘れられないグルメ体験、イタリアの芸術や伝統工芸の原産地での交流など、

まだ手付かずの地域と風物を多く取り込みました。

 

【スケジュール】

 

今までに見たことがないイタリア

 

201995日(木)~913()

お一人様7泊9日 380,000

お申し込み締め切り 6月15日

 

旅行日程*

1

9月5日

ローマへ

2

9月6日

ローマ市内観光

3

9月7日

バチカン観光 / カステル・ガンドルフォへ

4

9月8日

ウンブリアへ出発 / マルモレの滝  / スポレ-ト/ラシリャ

5

9月9日

 モンテファルコ / ベヴァニャ / アッバデッサの洞窟

6

9月10日

デル-タ・オルヴィエート /   ローマへ

7

9月11日

ローマ市内観光 / 歌劇場

8

9月12日

東京へ (機内泊)

9

9月13日

東京到着

 

   

 

 

   

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 ~ご旅行案内~

4星ホテルに滞在

滞在中 の全お食事込み、本場イタリアの味をお楽しみいただけます。

観光地では現地ガイドも加えます。

申し込まれた参加者のご様子をみて、日程の詳細をより適正化する余地を残しています。

参加費に含まれるもの     ・航空運賃(往復エコノミー席)・ホテル宿泊費・全食費・交通費(イタリア内)

参加費に含まれないもの  ・日本国内航空使用料・航空保険料・ホテル(1人部屋利用料35,000円)

                                  ・海外旅行傷害保険料・劇場や博物館の入場券)

                                        ・※飲み物(酒類)が含まれない食事の飲み物代(※詳細は後日説明)

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

お問い合わせ、お申し込みは

メール: john.taniguchi@nifty.com (谷口まで)

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★谷口神父と 「今まで見たことのないイタリア」 を見に行きませんか?

2019-05-01 18:12:53 | ★ 旅行

ウンブリア風景

 

【旅へのお誘い】

 

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谷口神父と 

「今まで見たことのないイタリア」 を見に行きませんか?

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         谷口です      運転とガイドを受け持ってくれるマウロさんです

 

手作りのミニグループの旅はいかがですか?

以前、私は自分で9人乗りのワゴン車を運転し、7-8人の親しいお友達とイタリア中を、

そしてヨーロッパ中を、何度も駆け巡ったものです。

しかし、最近は、運転もガイドも一人で責任を負ってやり通す自信がなくなり、自重していました。

ところが、この度は気の合った友達がドライバー役を買って出てくれました。

イタリア人のマウロさんと言う50才で10人の子持ちの頼もしい仲間です。

市販のパッケージツアーに満足できない皆さんに、

日本人にはまだ知られていない、しかしイタリア人からは本当のイタリアの味わいとして愛されている

とっておきの町や村を存分に堪能していただこうと思います。

ローマの穴場はもちろんですが、美しい自然、ワインの里のテースティング、

中世に迷い込んだような職人の里、ちょっと盛装してオペラ座でバレーを観る、等々。

豪華なホテルの夕食では、お互いに知り合い、心開いて語り合いましょう。

運命的出会いや、生きる意味の貴重な発見もあるかもしれません。

生涯忘れえない旅になるに違いありません。

 

マウロさんは言います

日本の旅行社のプランとは一味違う、イタリア人の目線で選んだルートを考えました。

私が提案するのは、イタリアの歴史や文化、伝統や料理、芸術や産業、その他、

世界中でも卓越しているイタリアの特殊性に興味をお持ちの方が、村々を辿り、

様々な現実の中でその魅惑的な美しさに浸ることができる旅です。

歴史的なロケーションで忘れられないグルメ体験、イタリアの芸術や伝統工芸の原産地での交流など、

まだ手付かずの地域と風物を多く取り込みました。

 

【スケジュール】

 

今までに見たことがないイタリア

 

201995日(木)~913()

お一人様7泊9日 380,000

お申し込み締め切り 6月15日

 

旅行日程*

1

9月5日

ローマへ

2

9月6日

ローマ市内観光

3

9月7日

バチカン観光 / カステル・ガンドルフォへ

4

9月8日

ウンブリアへ出発 / マルモレの滝  / スポレ-ト/ラシリャ

5

9月9日

 モンテファルコ / ベヴァニャ / アッバデッサの洞窟

6

9月10日

デル-タ・オルヴィエート /   ローマへ

7

9月11日

ローマ市内観光 / 歌劇場

8

9月12日

東京へ (機内泊)

9

9月13日

東京到着

 

 

 

   

    

 

  

 

 

 

 

       

 

~ご旅行案内~

4星ホテルに滞在

滞在中 の全お食事込み、本場イタリアの味をお楽しみいただけます。

観光地では現地ガイドも加えます。

申し込まれた参加者のご様子をみて、日程の詳細をより適正化する余地を残しています。

最小催行人数  7名(7名で一旦締め切ります。お申し込みが10人以上になる場合はワゴン車2台を考えます)

参加費に含まれるもの     ・航空運賃(往復エコノミー席)・ホテル宿泊費・全食費・交通費(イタリア内)

参加費に含まれないもの  ・日本国内航空使用料・航空保険料・ホテル(1人部屋利用料35,000円)

                                  ・海外旅行傷害保険料・劇場や博物館の入場券)

                                        ・※飲み物(酒類)が含まれない食事の飲み物代(※詳細は後日説明)

 

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お問い合わせ、お申し込みは

メール: john.taniguchi@nifty.com (谷口まで)

又は、このブログのコメント欄(このページ右下の目立たない細字の「コメント」をクリック)にあなたのお名前、メールアドレスを投稿してください。折り返し、詳細をお知らせします。尚、戴いたコメントは保留のまま公開されませんので、プライバシーは守られます。

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★ ウランバートル(モンゴル)発=アジアの宣教師の集い 《厳しい宣教事情》(そのー2)

2018-09-30 00:01:00 | ★ 旅行

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ウランバートル(モンゴル)アジアの宣教師の集い

《厳しい宣教事情(そのー2)

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先日都内のある女子修道院の朝ミサを頼まれて出かけたら、帰りにモンゴル出身のシスターから、「昨日モンゴルの司教様がお亡くなりになった、お祈りください」と言われて耳を疑った。モンゴルの司教様と言えば、この8月中旬に首都ウランバートルでお目にかかったばかりだ。まだ60歳台とお見受けしたが、かくしゃくとしておられた。それが朝椅子に座った姿勢で亡くなっているのを発見されたと言う。心臓麻痺ではないかということだった。78歳のわたしなど、いつお呼びがかからないとも限らないと、身の引き締まる思いだ。

 

司教様の追悼もかねてブログを続けよう。

黙想の家のチャペルは居住棟から少し離れて斜面に建っている。斜面はお花畑のようで、日本の高山にも見られる豹紋蝶が乱舞している。

足元には、なんとエーデルワイスが群生しているではないか。エーデルワイスといえばスイスやオーストリアなどドイツ語圏のアルプスに咲くものと思っていた私は大感激だった。日本アルプスで見たことがないが、北海道の山にはあるのだろうか?

一人一人の紹介を受ける司教様

ミサの中で説教をする司教様

パンと葡萄酒を奉献する司教様

手焼きの種なしパンを人数分に割く

12角形の角取りをした大きな杯でブドー酒(キリストのおん血)を皆で回し飲みする。

ミサが終わると皆で祭壇を囲み手を打ち鳴らしながら輪になって踊る。

司教様とモンゴルの国旗を囲んで記念写真

昼食はスズの容器のなかで熱く熱した石と羊肉を一緒に入れて蒸し焼きにするモンゴルの独特の料理。

ワイルドで美味しい料理の出来上がりがそれぞれのテーブルに。

 食後、リキュールが入って、ペットボトルをマイクに見立てて熱唱する司教様は、もうこの世にいないのだ。

集いの合間を縫って合宿所を抜け出した。道端で運よくヤクと出会った。羊をちょっと大きくしたものを想像していたが、どっこい、大きい。オスは体長3メートル、肩の高さ2メートルにも及ぶと言う。牛の仲間だが牛よりさらに大きい。長い毛は柔らかい肌触りのカシミヤの原料だ。

30分も行くと広大な草原地帯にはいる。これだ!私はこの景色を見たかった!

遠くに長い細い糸のようなものが動いている。ズームレンズで引き寄せると2両のディーゼル機関車に曳かれた貨物列車だった。手前のゲル(移動用の白いテント家屋)の周りには家畜が放牧されている。

羊もいる

一軒のゲルに近付いた。

中に入れてもらった。最低限の家財道具が揃っている。

何人家族だろう?いま中には3人しかいないが・・・

真ん中にストーブが。これで煮炊きをし、極寒の冬には暖房になるのだろう。

どのゲルも同じ大きさに見える。これでは貧富の差はあり得ないか?大きなホームセンターに行けば、ゲルの全てのパーツが売られていると言う。

モンゴルと言えば、英雄ジンギスカンの騎馬軍団。フン族の戦士たちは東欧のハンガリーにまで版図を広げ国を築いた。

騎馬で子牛を追う少年

 騎馬で羊の群れを牧する青年

私の姿を見て穴に逃れようとする小動物。プレーリードックみたいだが、別にちゃんとした名前があるだろう。空港の免税店の毛皮の装身具の材料だろうか。

話し合いの中でアジアの宣教事情は各国各様に厳しいものがあることがわかってきた。モンゴルでの宣教は初代司教を失って、大きく後退を余儀なくされるだろう。マレイシア、インドネシアは回教からの締め付けで厳しい。パキスタンはもっと厳しい。キリスト教徒を一人殺せば天国に行けると信じる過激さがある。パキスタンにレデンプトーリス・マーテル神学校が開設されたとき、高松の神学校から優秀なのが一人、リーダー格の先輩神学生として送り込まれた。クリスマスには狂信的な回教徒が神学校を襲撃する恐れがあると言う情報に、政府は銃を持った兵士を複数送って神学校を護衛しなければならなかった。そんな緊張の連続に耐えられず、高松から派遣された神学生は神経を壊して国に帰って行った。宣教に入って命を落とす「殉教」のリスクが現実の可能性としてあるのだ。タイやビルまでは仏教を実践している人たちへの宣教と改宗は極めて困難だ。仏教の締め付けの弱い僻地の少数民族には期待が持てると言う。中国は無神論的共産主義の一党独裁で、愛国教会とバチカンとつながる非合法化された地下教会の問題は今も解消されていない。教皇フランシスコはいろいろ模索しているようだが・・・。

日本はではカトリック教会を取り巻く環境は格段にいい。信教の自由は大幅に保証され、国としては宣教師の入国も比較的容易だ。だから、バチカンがアジアのための宣教拠点として「アジアのためのレデンプトーリス・マーテル神学院」を東京に置くことを決めたのは当を得ている。問題は、世界最先端の最も純粋な拝金主義(マンモンの神)の存在と、「イデオロギー化したインカルチュレーション(土着主義)と、ナショナリズムと、ほとんど自然宗教に近いエコロジーへの傾倒」だと思う。これは私の私見には終わらない。最近UCAニュースかどこかで教皇フランシスコの文章の中に類似の言葉を読んだ。

 

 

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★ ウランバートル(モンゴル)発=アジアの宣教師の集い 《厳しい宣教事情》(そのー1)

2018-09-20 00:00:07 | ★ 旅行

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ウランバートル(モンゴル)発=アジアの宣教師の集い

《厳しい宣教事情》(そのー1)

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ウランバートルの「ジンギスカン」国際空港の正面の夜景。大きさは日本のローカル空港並み

市内の大通りの緑地帯にラクダのキャラバンの彫刻群像が

モンゴルの戦争記念の丘へ

日本軍との戦争のモザイク壁画。丘の頂をぐるりと囲む壁画には、対中、対ドイツ、対ソ連の場面が

 

モニュメントの一郭で鷹匠ならぬ鷲(わし)匠が。黒い革の目隠しの下に鋭いくちばしが 日本の空を舞うトンビに比べると、その大きさは2倍かそれ以上。日本の空にトンビが舞うように、モンゴルの空には鷲(わし)が悠々と舞う。 

 モンゴルの人口300万人。そのうち半数の150万人がウランバートルに集中。 

冬はマイナス40度にも達する 集中暖房と火力発電の工場か

 

建築中のビルの間の空き地にはゲル(テント家屋)が点在している

注意してみると原始宗教のシャーマニズムの石塚があちこちに

背の高い二人はマレーシアの宣教師 黒シャツは同僚のルイス神父

チベット仏教寺院の前で

大きな仏陀の立像

読経する僧侶たち

仏像の前のお賽銭

仏陀の涅槃像の前で油を入れたガラスコップに火をともす婦人たち

  

ウランバートルの郊外 車で約1時間の黙想の家で司教の到着を待つ

司教を待つひと時 黙想の家の食堂の壁には興味深い額が掛かっていた

よく見るとモンゴル人に日常生活の場面が50-60景もユーモラスに描かれている まさに生活曼荼羅だ

丘の上でシャーマニズムのお供えと奏楽の儀式の場面

羽飾りの帽子をかぶったシャーマンが太鼓を打ち鳴らしながら踊っている アメリカインディアン アラスカのエスキモーなどと共通のルーツかもしれない 

ラクダの背に家財を摘んで移動する遊牧民のキャラバン

目的地に着くと白く丸いテントの家ゲルを建てる遊牧民

馬のお尻に焼きごてで印をつける遊牧民の一家

野馬追い

おや、穴を掘って板を二枚渡して囲いの中でトイレをする人 つい一昔前日本の田舎にも同じ光景が

馬の交尾を見て思わず顔を覆う若い娘 怖い顔でその髪を引っ張るおばさん

ゲルの解体現場 どさくさに紛れてテント布の下で男女が重なってキスをしている?

出産の瞬間 介助する二人の女と産婆さん

 駱駝と馬がみているのに・・・おおらかなものだ

そうかと思ったら 羊の乳しぼり風景 こんな調子で50シーン余りが一枚に書き込まれて、カトリックの黙想の家の食堂の壁を楽しく飾っている

司教様が到着。彼はモンゴルにおける宗教事情を話してくれた。

モンゴル政府は数年前にバチカンとの外交関係を望んだ。しかし、モンゴル政府は宗教に関して寛容ではないと司教は言う。フィリッピン国籍の司教は3か月ごとにビザを更新しなければならない。宣教のために司祭を入れることは認められるが、一人の外国人宣教師は5人のモンゴル人に対して雇用を創出しなければならない。仮に、一人当たり300ドルの給料を支払うとして、一人の宣教師が入ると5人を養うために15-16万円を用意しなければならない。10人の宣教師を迎えるために毎月150万円、年間1500万円を教会は用意しなければならないのだ。司教にとって、小さなモンゴルの教会にとって、大きな財政的負担になっている。

原始的なシャーマニズムや伝統的なチベット仏教は一部に根強く残っているが、多くの人は共産主義的無神論教育の洗礼を受けている。

人口の半分の多くが遊牧民で、余りにも希薄に散在しているので宣教師との安定的な接触は望めない。etc.

アジアン宣教。難しいのはモンゴルだけではない。いずれの国にも、それぞれの困難があることが分かった。それについても語られなければならない。

(つづく) 

 

 

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★ 追憶の旅 - ウイーン

2018-06-24 00:49:51 | ★ 旅行

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追憶の旅 - ウイーン

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ウイーンのシュヴェヒャート空港に着いたヴェーリング格安航空機

もう以前のように気軽にローマと日本を頻繁に行き来することもあるまいと思うと、最後に一か所だけどうしても立ち寄っておきたい都市があった。それはウイーン。オーストリアの首都だ。

そこに30年来の親友が住んでいる。その名をドクター S. マリアンヌという。ドイツ人の名前はカタカナで書いても、分かる人はそれが女性だと理解するだろう。

出会った時、彼女はまだ20歳台で神学博士になったばかりの学究の徒だった。瀬田のアントニオ神学院で開かれたボナヴェントゥ―ラ学会の講師として来日したミュンヘン大学の D 教授の秘書としてはじめて日本にやってきた。その時、私はアントニオ神学院の受付兼電話番をしていた。

院長の粋なはからいで、学会のスケジュールの合間を縫って、マリアンヌの息抜きに一日東京見物の案内をしてあげなさいとい、う言う指示を受けた。それで、二人して浅草に行ったり、水上バスに乗ったり、アイスクリームを食べたりの、ローマの休日ならぬ、「TOKYOの休日」とあいなった。元銀行マンのドイツ語を話す神学生と、まだ20歳台の金髪の神学博士の(院長公認の)デートは、非日常的な香りがした。

その後、私がローマのヴェネチア広場にあるでサンマルコ教会で学生神父をしていたとき、当時ミュンヘン大学で確か助教授だった彼女は、弟の結婚式を司式してくれないかと頼んできた。快諾すると、彼女は弟とその婚約者と数名の親戚を伴ってローマにやってきた。そこで、私は由緒ある古くて美しいサンマルコ教会で二人の結婚式を挙げて差し上げた。

そのマリアンヌが、厳しい男性社会の競争に勝って、ウイーンの国立大学の神学部の「カテドラ」、つまり名誉ある「学部主席教授の地位」を射当てて、ミュンヘン大学からウイーンに移り住んだ。以来すでに10数年になる。

わたしは、彼女のアパートを訪れた。

マリアンヌの住むマンション。元は古い修道院だった。馬車のまま中庭に乗り入れられる大きな入り口の左側には、オーストリアの国旗4枚が掲げられた白い銘板がある。

ウイーンの記念碑的建造物にはこの手の印があちらこちらにある。ジークムンド・フロイドの診療所あと、とか・・・。マリアンヌのマンションの場合は「ベートーヴェンの終焉の家」とあった。マリアンヌの家は、あの有名な作曲家が亡くなった家のある建物の一郭だ。

私と彼女の関係はあの「TOKYOの休日」以来の友情がベースになっているが、当時から2人の専らの関心事は深い真面目なテーマについて神学論争をすることにあった。今回わたしが持ち出したテーマは、死から復活(世の終わり)までの心理的時間と、人類の歴史の時間との相互関係についてだった。彼女は博識の上、非常にバランスの取れたオーソドックスな教会の教えに忠実な学者だが、私はいささか乱暴な野心的な新説を持ち出しては、彼女に挑み挑発するスタイルで臨む。彼女は大概のことでは冷静さを失わない。かといって、教条主義的に私の説を頭ごなしに切り捨てることもしないで、予断と偏見なしにまず私の説を理解しようと心を開く。実に最高に楽しく最高にスリリングな、かなり高度で専門的な知的遊戯のお相手なのだ。

滞在中、彼女が大学の研究室に行って仕事をしなければならない時間帯は、私は邪魔をしないで、一人で気さくにウイーンの散策と洒落こむ。

この日は、ウイーンのカテドラル(司教座聖堂)のシュテファンドーム前の広場で手回しオルガンを奏でている山高帽のおじさんに出会った。明るく軽やかなワルツの調べを紡ぎ出している。

通りには絶えず馬の蹄の音が響いている。往時は紳士淑女の日常の乗り物だった馬車が、いまは手軽な市内観光の足になっている。

電車に乗ってシェーンブルン宮殿に足を延ばした。バラが満開で甘い香りを漂わせていた。

宮殿の正門の前では、生きているモーツァルトの彫像が出迎えてくれた。足元の帽子にチャリンと硬貨が入ると、彼は大げさな身振りで優雅に挨拶を返してくる。顔も手も金色に塗っている。

フランスのヴェルサイユ宮殿に負けじと、オーストリアのハプスブルグ家が造営し、女帝マリアテレジアによって完成された宮殿と庭園群は、いまは世界遺産に登録されている。女帝のむすめでフランスのルイ16世に嫁いだマリー・アントワネットは、6歳の神童モーツァルトとここで戯れた。そして、彼女はフランス革命の時、断頭台の露と消えた。歴史を感じさせられる。

庭園の随所に彫刻を配した噴水がある。

たいていは対称美を基調にした庭園だが、中にはジャポニズムの影響を受けた日本庭園もある。 

宮殿の一郭では、世紀末ウイーンを代表する画家グスタフ・クリムトの展覧会がたまたま開かれていてひどく心を惹かれたが、気の多い私は、すでに予定していた次のスポット、中央墓地に行く計画を変更しなかった。

やはり、ウイーンの中央墓地は欠かせない。トラムを乗り継いで、中央墓地の第2ゲート前で降りる。ここの一郭に私たちの耳にも親しい大音楽家たちの墓碑が集まっているのだ。

まずはベートーヴェンの墓

 

モーツァルトの墓を正面から見る。左の側面にはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの銘板が。     

 

  フランツ・シューベルトの墓     ヨハン・シュトラウスと妻アデーレの墓

 

    ブラームスの墓           ヨハン・シュトラウスの父

ヨーゼフ・シュトラウスと妻アンナ

ヨハンシュトラウスの大きなモニュメントは一つだけ離れたところにある

広大な中央墓地のはずれのユダヤ人の墓地にも足を運んだ。ダビデの星以外に葬られた人を特定する手がかりのない墓碑。草ぼうぼうで長年人の訪れた気配のない一画に、幽霊のように墓碑が傾いたりして雑然と立っている。

一つの立派な墓碑が目を引いた。ヘブライ語とアルファベットで葬られた人の氏素性が刻まれているが、気になるのはこの墓石の表に明らかに銃弾によると思われる跡が無数に見いだされることだ。銃撃戦の痕か、処刑の痕か??

長い初夏の一日も、太陽が西に傾き始めていた。プラトーに急がなければ。ウイーン版の後楽園の遊園地みたいなところだ。

リーゼンラート、つまり「巨人の輪」と呼ばれる大観覧車だ。映画、第三の男のラストシーンはこの箱の中だった。あのメロディー、哀愁に満ちたチターの響きが聞こえてきませんか?

遠くの塔には空飛ぶ回転椅子が高く高く回っている。素朴な仕掛けだが、怖いぞー!

地下鉄と郊外電車の路線図にハイリゲンシュタットという駅名を見つけた。約30分でたどり着けると踏んで、急いだ。しかし、駅を出てみたら、ただの住宅街。日本の完備したガイドブックも手元に無いし・・・。ベートーヴェンのハイリゲンシュタットの遺書に結び付く何の印も見つけずにすごすごと撤退した。こんな時、マリアンヌが待っていなければ、気分直しに懐かしいウイーンの森のホイリゲ(ワイン酒場)に行ってひとり白ワインを夜更けまで飲むのだが・・・。

翌日、北京経由のチャイナエアーで羽田に向かった。

* * * * * * * *

付記:マリアンヌは私と出会った時、どのような人生を選び取るか悩んでいた。修道女になりたかったが、入りたい修道会が見つからなかった。結婚は考えていなかった。結論としては、初代キリスト教会にあった「奉献されたおとめ」の生活に落ち着いた。ミュンヘンの大司教に直接誓いを立て、その直接の庇護のもとに生涯を教会への奉仕と祈りに捧げる。生活の資は自分で工面する。同じ生き方を選ぶ女性が現れたら、緩やかに連帯するが、組織的な結びつきは選ばない。初代教会にはあったが、女が一人で生きることの難しい粗野な中世時代には、高い塀に囲まれて集団で生きるしか道がなかったためにそのスタイルは自然に消滅した。それを、第二バチカン公会議は再発見して、信仰に生きる女性の生き方の選択肢の一つとして公認した。彼女は、ミュンヘン大司教区における先駆けとなった。

彼女は、教義神学の大家だったラッツィンガー枢機卿がドイツ人教皇ベネディクト16世になると、彼の全著作を研究した論文を教皇に献じて、教皇からバチカンで個人謁見を賜った。その様子は写真入りでオッセルバトーレ・ロマーノ(バチカン広報誌)のページを大きく飾った。

現在、彼女はバチカンの神学学会の正式メンバーとして、定期的にローマに旅行し、バチカンの城壁の中のフランシスコ教皇の質素なアパート「聖マルタの家」の一室に寝泊まりしている。

天は二物を与えないというが、それは正しくない。彼女、優れた女流神学者であるばかりではなく、プロとして立派に通用するコロラトゥーラのソプラノ歌手として、ミュンヘンのマリーエンドーム(聖マリア大聖堂)その他で復活祭やクリスマスのミサなどにソロで歌ったりしている。

彼女のゼミにはウイーンのレデンプトーリス・マーテル神学院(キコが創立した神学校)の神学生が多数学んでいる。私は、日本にレデンプトーリス・マーテル神学院が再建された暁には、彼女を集中講義で日本に呼びたいものだと思っている。 

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★ スペイン旅行(その-1)「カルメンの墓」「キコの家」

2018-05-19 03:32:51 | ★ 旅行

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スペイン旅行(その-1)「カルメンの墓」「キコの家」

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(実はこのブログ、5月14日のスペイン旅行(そのー2)》より先にアップするはずのものだった)

4月27日に日本から新求道共同体の一団がローマにやってきた。5月5日の共同体の活動50周年記念の大集会に合わせて、はるばるやってきたのだ。

私は次の日に合流して、一緒にスペインに発った。ライアンの格安航空で。

ローマとマドリッドを直線で結ぶと、ちょうどマジョルカ島のポルト・ダ・ポリェンサの上を飛ぶことになる。

着いたらまずカルメンの墓のあるマドリッドのレデンプトーリス・マーテル神学院に向かった。

カルメンの墓。1930年生まれはキコや私より9歳年上だ。2016年に86歳で逝ったことになる。

白い大理石の簡素な墓だ。

私も日本語とローマ字で記帳した。カルメンの右隣りの空の墓はキコのためだろう。そして、二人の奥の横向きの墓はマリオ神父のものと思われる。

この時点で35人?そのほかに1歳未満の乳飲み子を含む3人のおチビちゃんたちがどこかに隠れているはず。

ゼロ歳から83歳までの男女の不思議な集団。 

キコの生家に着いた。 ぼさぼさの街路樹の後ろが入口。

入り口のドアのは教区立新求道共同体センターとあるが、教区立とは?

キコが住んでいた頃の室内の調度や雰囲気を保存すると言うよりは、人が集まって使い勝手がいいように改装されている感じ。

広さとしては一家族には十分すぎるものがある。

集会場として天上に手を加え、壁には新しくキコが壁画を描いている。

 キコの初期の画風の絵が数舞壁を飾っている。いずれもオリジナルと思われる。

キコは現代に相応しい宗教画のスタイルを創出しようと試行錯誤を重ねてきた。

20歳台の美術アカデミーの学生時代のキコの寝室と思われる部屋は意外と狭く、4帖半の変形ぐらいしかなかった。

壁は落書きだらけ。

釘打たれたキリストの手だろうか。キコも釘は手のひらに打たれたと考えているようだが、それは史実と違うのではないか。聖骸布によれば釘は手首を貫いている。

初期の人の顔は写実的。キコのデッサン力は一定水準を越えている。

これは数少ないキコの自画像だ

父親のポートレートもこの部屋の壁に直接描かれている。

抽象的な図柄もある。それに署名を大書している。

彩色された落書きも

ドアにまで絵を描いている

外に出ると通りの向かえの建物が自然に目に入った。

次の日は日曜日だった。スペインにいる間この日だけ雨に降られた。ユニクロの薄いダウンの上着が肩のあたりは肌着まで水が通ったが、午後にはいつの間にか乾いていた。

団体用のバスの停まれる場所からマドリッドのカテドラルまでの途中に公園があった。痩せ馬にまたがったドン・キホーテとロバに乗ったお供のサンチョパンサの銅像を、作者のセルバンテスが上から見下ろしている。

カテドラルは日曜のミサに与る信者と、中を見物しようと押し掛けた観光客が鉢合わせして、行列してのろのろと中に入ることになった。中は礼拝が挙行中で、ミサにあずかって祈るために動かない信者と、動き回りたい見物客の間に緊張があった。正面祭壇を取り囲む内陣にはキコの壁画とステンドグラスがあるのだが、それを見える位置にはとても潜り込めなくて断念。側廊の柱の間にはキコの壁画に囲まれて、彼のマドンナの絵の本物が安置されていた。鉄の格子の間にレンズを差し込んで撮ったのがこれだ。石の厨子の中央に金色の枠と宝石に囲まれているのが、キコのマドンナの絵。元々はキコのお母さんの寝室の枕元にあったものだ。

保護のためにはめたガラスが反射して絵が見えにくいが、このコピーは世界中に広まっている。マドリッドの大司教区も、キコとその運動を受け入れている。

(終わり)

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★ スペインの旅(そのー2) 「マドリッドのミサ」「ハビエル城」「テレサの終生誓願」

2018-05-14 06:28:53 | ★ 旅行

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スペインの旅(そのー2) 

「マドリッドのミサ」「ハビエル城」「テレサの終生誓願」

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日本からの一行は土曜日の夜マドリッドのある教会でミサを祝った。

イタリア人のアントネロ神父が日本語は当然だが、スペイン語も堪能なので司式することになった。

共同体のミサの形式は基本的に世界中で同じ。言葉も流れもローマ典礼を厳格に守りながら、歌や所作にいろいろな工夫がなされている。アントネロ神父の正面が日本からのグループ。

宣教家族のコルデロ家の未亡人マイテさんが、苦労の多かった日本での生活について証言した。

夫が早くに癌で他界した後は、大勢の子供を抱えて心配の絶えない生活だった。しかし今、その多くは結婚し、息子の一人ホアンは司祭職を目指してローマの神学院におり、娘の一人テレサは3日後にフエスカの街で終生誓願(生涯をキリストの浄配=花嫁として捧げる誓い)の式をすることになっている。日本からの50人余りの団体の多くはテレサの式に出るのが旅の大切な目的の一つなのだ。

マドリッドの共同体の兄弟たちの一部。

ミサの終わりに広島の K 夫妻の結婚記念の祝福が、

つづいて、スペインの共同体の臨月の姉妹が、アントネロの祝福を受ける。

ミサの終わりには、もうお馴染みの踊りが始まる。祭壇を囲んで、旧約の時代のユダヤ人の過ぎ越しの祭りのように。手拍子も、単純なステップも、オリエンタルなメロディーも、信仰における「兄」にあたるユダヤ教徒から正しく受け継いだもの。

ミサ後、外へ出て空を仰いだ。ほとんど満月だった。

 翌朝、テレサのいるフエスカの街に向かってバスで移動。川は雪解けの水で流れが速い。

スペインでは菜の花を多く栽培して菜種油を収穫する。遠くの山は雪を頂いている。

マドリッドから東北へ280キロ余りでサラゴサ。そこからさらに東北へ80キロでフエスカ。フエスカの北西にハビエル城がある。ハビエル城は聖フランシスコザビエルの生誕の地だ。どうやら着いたらしい。

広島の K さん夫妻と 

城内の一窒。1506年4月7日フランシスコ・ザビエルここに誕生す、とある。日本のキリスト教宣教の始まりと、その後の鎖国と、激しい迫害と殉教の歴史の展開の原点がここにあった。 

お城の前の広場でお弁当。バケットにソーセージを挟んだのをアルミホイールで包んだ質素なもの。

道に真鍮のホタテ貝がはめられていた。気を付けているとフランス、ドイツあたりからすでに始まって、ヨーロッパ中に何万個か、数十万個の真鍮の貝が歩道に埋められている。この貝の示す方(ここでは右)に歩いて、次々と貝を辿って歩いていくと、800キロ以上西のサンチャゴ・デ・コンポステッラの巡礼聖地にたどり着く仕組みになっている。フランス・ドイツ・スイス、イタリアなどを起点に様々のルートがある。

 

 翌日テレサの修道院のチャペルの前庭で昼食があった。焼きソーセージ食べ放題の感じだった。一度宿に帰って、晴れ着に着替えて式に臨む。

調理はいとも簡単。地面に無造作に広げた燃えた炭火の上に、直に置いて火が通るのを待つだけ。

式を待つ会衆。あらゆる隙間の椅子が並べられ、立錐の余地もない。

祭壇の両脇には一階も、二階にも広い部屋があって聖堂は T の字型になっている。ただし、両脇の部屋と中心の部屋との間は鉄の格子で仕切られている。ここは厳格な禁域を守るカルメル会の女子修道院だ。一度この会に入会したものは、終生誓願と共に、二度とこの禁域の外に出ることはない。敷地はシスターたちの散歩の場所と自給自足のわずかな菜園があるがそれほど広いわけではない。周囲は監獄のように高い塀で囲まれていて、世俗社会とは完全に遮断されている。司祭がやってきてミサをし、信者一般も参列できる聖堂は俗人と修道女が空間を共有する唯一の場所だが、祭壇の正面の信者席と姉妹たちが預かる左右の部屋は鉄格子で区切られていて、格子の奥にいる修道女の姿は一般信者席からは見えにくい死角の位置にある。私は祭服をまとって祭壇の後ろの司式者の列に居るから、横を向けば修道女の部屋はのぞき込める。しかも、カメラのズームは居ながらにして肉眼よりも大きく彼女らの姿を捉えることができるのだ。

祭服の盛装にカメラはどうにもなじまないのだが、私だけは例外を決め込んでいる。左の格子の奥の脇部屋にテレサの姿があった。10名ほどの平均年齢の高いシスターたちがその後ろに控えてていた。彼女のヴェールは有期誓願者を意味する白だ。これから、そのヴェールが黒になる終生誓願式が始まる。

中央の司式者はフエスカの司教。その向こうの白髪はフエスカの教会の主任司祭だ。

誓願式そのものは格子の向こうで行われる。院長の前でテレサが自筆の誓願の言葉を読み上げている。

その請願書にいまテレサが、次に院長が署名する。

誓願のあと着衣が変わる。ベールの色は黒に、その頭には白いバラの冠が載せられる。お盆の上にバラの冠を載せて、母親のマイテが司教にそれを渡す。

黒いベールとバラの冠を戴いたテレサ。キリストの浄配、彼の花嫁としてこの禁域に世俗から身をひそめ、天国に旅立って地上に遺した亡き骸が棺桶に入って墓地に向かう日まで、生涯一歩も外に出ることなく、祈りと労働と苦行に身を捧げる。

聖体拝領の時だけ格子に小さな窓が開く。司教さんが持っている特別な器の真ん中にはキリストのおん血(ブドー酒)、その周りにはキリストのおん体(薄い小さなパン)が載っている。パンをブドー酒に浸して頂くとき、テレサとキリストの婚姻は成就する。

聖体拝領後のテレサの至福の表情。

テレサが去った場所にはバラの花びらの雨のあとが・・・、しかしその情景も他のエピソードも詳述しなかった。儀式の全てを中継してたら、長い長いブログになってしまうのだから。

テレサが神様へ、天の浄配キリストへの愛をこめて手書きした誓願文。

最後の院長のシスターとテレサの署名がある。

テレサの喜びに満ちた顔を、皆さん忘れないでください。

神父の更衣室の姿見の鏡の前で。この格好で黒い目立つカメラをもって祭壇に上がり不審な挙動を続けたら、日本の教会では不真面目の誹りで完全に降ろされるだろう、が・・・

* * * * *

纏めに一言解説したい。今のカトリックの世界で、純粋に神様オンリーになって、青春も才能も一切捨てて、厳しい禁域の中の祈りと労働と苦行の生活に身を投じる女性は少ない。テレサは宣教師になった親にくっついてスペインから日本に来て、神様に呼ばれ、日本のカルメル会に入った。しかし、厳しい戒律と日本の湿気の多い気候の組み合わせが彼女の体に合わなかった。それで、乾燥したフエスカに転院したわけ。日本から来た多くは彼女の親友だった。私のことも彼女はよく覚えていてくれた。式のあと、格子越しに一人一人と一秒でも長く話していたかった。私自身、彼女と話していて、涙が止まらなかった。彼女がここにいる誰よりも幸せであることは見るだけで分かったからだ。

もう一つ。私はすっかり大きな錯覚の虜になった。式が進むにつれて、彼女たちシスターと、祭壇の上の聖職者や聖堂を満たした信者たちの間を遮る鉄格子が耐え難いほど邪魔に思えてきた。こちらから向こうに自由に渡れないことが息苦しくなった。それは、この狭い聖堂の中にひしめき合っている我々が、世俗という籠の中、鉄格子の牢獄の中の囚人で、テレサたちが天上の自由を味わっている人たちのように思えてきたからだった。金銭欲、肉欲、傲慢、嘘八百の二枚舌、嫉妬、エトセトラ、の奴隷として鉄格子の中に自由を奪われて捕らわれているのは実は我々の方で、テレサたちは自我と我欲を完全に神様に捧げつくした、天上の自由を先取りした羨ましい人々であることを、この式を通して徹底的に思い知らされたのだった。

 (旅はまだ続く)

 

 

 

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