:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 「ローマの火葬と散骨」 = 不発に終わったイタリア語の説教-2=

2013-10-29 17:16:03 | ★ ローマの日記

ローマ最大のフラミニオ墓地の入り口の花屋 こんなのが20軒あまり軒を連ねている

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ローマの火葬と散骨

不発に終わったイタリア語の説教-2

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思い出していただきたい。私が説教をするはずだった日の朗読はルカの福音書からだった。

イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。

「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」(ルカ18章1-8節)

 別にクリスチャンでなくても、天地万物を創った生ける神の存在を受け入れる立場に仮にも身を置けば、上のたとえ話はそんなに難解なものではないだろう。神がいるなら、絶えず祈り求めるものの願いを聞き入れないことがあるはずがない。問題は、疲れを知らず神に祈り求めたのに、願いどおりに聞き入れられなかったと思われるケースが実際には決して少なくない、という現実をどう受け止めるかだろう。

 前回のブログで紹介したイタリア人の同僚神父の説教は、その点を何とか人間の知恵で折り合い良く説明しようとしたものだった。

 生まれて間もない初子の赤ん坊が、高熱を発して苦しんだ挙句、五日目に死んだ。必死で祈り続けた若い母親の祈りは空しかった。神はどうして速やかに聞き入れて下さらなかったのか。その母親の悲嘆は誰が慰めてくれるのか。

 神は人間の祈りを速やかに聞き入れてくれるものである反面、無私な愛が動機であれ、欲得のためであれ、人間が祈りで神を都合よく操ろうと言う試みは決してうまくいかないという、ただそれだけのことだろう。(ご利益主義の宗教の世界の話ならともかく・・・。)これは神の自由に属する神秘であって、人間の合理的な説明を受け付けない。

 そもそも、私の不発に終わった説教は、上のテーマに何かより賢い解説を試みるものではなかった。私の関心は全く別なところにあった。

 あの「悪い裁判官としつこいやもめ」のたとえ話の結びの言葉に続いて付け加えられた、

しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。

と言う、やや脈絡不明の謎めいたキリストの問いかけに私の好奇心がピクリと反応したことをめぐって展開するはずだった。

 約2000年前のパレスチナの地に生きた歴史上の人物、ナザレのイエス=キリスト=は自分の事を好んで「人の子」と自称していた。そして、「人の子が来るとき」とは、自分の再臨の時、つまり終末の時、今の宇宙の歴史が終る日、のことを指している。宇宙の始まりとされるビッグバンから今日までに137億年が経過したとは、神を信じない科学者の定説だが、始まりのあったものには、必ず終わりもあるだろう。「人の子の再臨」(世界の終末)まで、今から1000年なのか、100万年なのか、数十億年先なのか、誰も知らない。

そのとき

「はたして地上に信仰を見出すだろうか」

と言うイエスの問いは、その終末のときキリストの教えはまだ命脈を保っているだろうかとか、そもそも、宗教と言うものがまだ存在しているだろうか、と言う問いとも受け取れる。また、たとえキリスト教が生き延びていたとしても、本物の信仰を持った人が残っているだろうか、と言う意味にも取れる。

 もしそうだとすれば、このイエスの唐突な問いは、今の時代に生き、あと十数年もすれば死んでいなくなるはずの私と、私の同世代人には、取り敢えず何のかかわりもない話と言うことにはならないだろうか。

 だが、果たしてそうだろうか。私はどうも腑に落ちない。イエスが、話している相手に直接関係のないことを言う、とはどうしても思えないのだ。だから、

「しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」

と疑問を投げかけるとき、イエスは私に、

「お前はどう思う?お前の場合はどうなんだ?」

と聞いておられるように思えてしようがない。さらに、

「イエス様ご無体な!そんな何万年先かも分からない世の終わりの事をわたしに聞かれたって知りませんよ。

私には関係ないでしょう?」

というトボケた返事をイエスが期待しておられるはずがないと私は思う。

実に謎めいた話だが、まあ、この話はひとまずここで一休みしよう。

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 日、私はイタリアではまだ珍しい火葬された遺灰の散骨の現場に立ち会った。人口270万人の都市ローマに、一か所だけ人間の火葬場がある。さらに2005年には、その火葬場に隣接して散骨葬をする場所が設けられた。東京には1300万の人口に28か所の火葬場があるが、そのような散骨施設を備えた墓地の話などまだ日本では聞いたことがない。

まるで何かの工場のような火葬場の佇まい


脇に回れば 霊柩車が次々と遺体の入ったお棺を運んでくる


裏には何十というお棺が何日も常温のなか火葬の順番を待っている


新しいお棺が焼却炉に入って火がつくと 下腹に応えるゴーッという炎の音が周りに響きわたり 

煙突からは始めのうち黒煙がもうもうと立ち上がる


 順番待ちの後 火葬が終ると 引き取り日を指定した通知が届く

人々は、火葬場で遺灰の詰まった茶色のアルミの壺を受け取り、その足で散骨の場所に向う

そこに遺灰を撒いて死者の弔いの締めくくりとするためだ

(もちろん日本のように遺灰を墓地に葬る人も少なくない) 

私はその散灰に立ち会ったが、正直のところひどいショックを受けた。


火葬場から50メートルほど離れたところに「追憶の庭」と書かれた石があった

2005年に開設されたばかりだった


その中には白い壁に一部を囲まれた芝生の空間が広がっていて

その芝生の中にカーブする一本の道があった

白壁の右肩あたりには、目の高さに小さな真鍮の銘盤がぎっしりと貼られはじめていた

ここで散骨された人々の唯一の手がかりだ


その一本道はやがて真っ直ぐな緩やかな上り坂の木道に繋がる

ここから見ると その坂道の行く手は空で

まるで光に包まれた天国につながっているかのようだった

 

しかし その道を先端まで進むと そこには朝露の粒ををレースのように繋いだ蜘蛛の巣があった


天国への道はそこで終わり 蜘蛛の巣の真下には巨大なコンクリートのお皿があった

 

 遺族は火葬場の事務所の窓口で遺骨の壺を受け取ると、まっすぐ木道を進み、その灰を下に撒いてさっさと帰っていった。目の前に私が-つまり、カトリックの神父が-いるのに、彼らはお祈りの一つも頼むことを思わなかったのだ。宗教は、したがって、信仰はそこには見いだされなかった。(まるで2000年まえのキリストの問いに早速答えが出ているかのようだった。)

 灰は日本の火葬場の遺骨のように真っ白でまだ何とか骨の形を保ったものを拾い集めたものではなく、まるで臼で挽いたかのように細かな灰色の粒子になっていた。散骨の台からから撒くと、乾いた砂のようにサーッと下へ落ちていくが、細かい粉末状の部分は下まで落ちる前に風にあおられて空中に舞い上がる。それが居合わせる人々を包み、目に入ったり、鼻の穴や口の中をざらりとさせる。一方、下まで落ちた灰は大皿の中心に小さく盛り上がるが、皿の周りのノズルから噴き出した水が、中心部を残して全て洗い流し、リング状の隙間から地中に浸み込ませ、大部分はあっという間に見えなくなる仕掛けになっている。形は大きなお皿だが、原理は洗面台やビデやトイレと同じことだ。灰を流した水の行先まで考えたくない。まさか生活排水の下水管に直結していないことを祈る。


これで何人分の灰だろうか? このリング状の溝の外に落ちた灰は

皿の縁に配置された数個のノズルから噴き出す水できれいに流されていった


 遺灰は風に流され、地下水に溶けてどこかへ消えていった。墓碑もない。もはや死者は愛する人々の追憶のなか以外にどこにもいないのか。

 

庭を戻る道が沿うあたりの壁には幅10センチほどの真鍮のミニ銘盤が隙間なく貼られていたが

中には同じ大きさの陶板に写真を焼き付けたものもあった

左のマリアは今年の7月7日に死んだ 遠いテルニの町から運ばれてきた あの町にはまだ火葬場がないのだろう

右側の筋肉男(65歳)はこの10月4日に死んだ。まだ一月にもならない。

この人たちにも 彼らをここに葬った人たちにも もはや信仰は見出されない

「イエス様 これが現実です!」



 人々が挨拶もそこそこに解散する中、私もその場を去ろうとしたが、立ち話をしている火葬場の職員の作業着の背中を見て、またもギョッとした。背中のマークは紛れもなく見慣れたローマの清掃局のものだったからだ。町中の汚いゴミ箱にも、それを収集に来る清掃車にも、その作業員のツナギの服の背中にも同じマークがついている。五本指のようなあの印だ。ama Roma S.p.A.をヤフーイタリアで検索すると、「ごみの収集、運搬、処理、再生、廃棄を業とする株式会社」と定義されていた。イタリア人にとって、人間はただのゴミだったのか?もし神を畏れ人間の不滅の魂の尊厳を認めるなら、こんな露骨な扱いをするだろうか。資本は同じでも、せめて「フラミニオ斎場」とか名乗って、清掃局のロゴも隠して、別組織を装うだけのデリカシーは無いものか。

「もう地上に信仰は見出されない」 のか?


なぜ「不発弾の説教」の話が「ローマの散骨」の話にすり替わったのか?

それは、私がするはずだったあの「説教」の核心部分と深い関係があったからだ。

だが、そのあたりの事情は次回のブログに譲ることとしよう。

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ローマの火葬場の周りの普通の墓 

他にも高層マンション型の個室の墓 お金持ちの家族向け家型の豪華戸建ちの墓もある

これは貧しい人の墓?


ところ変わって 神戸のカトリック教会墓地にある母の墓

銀行マン時代にドイツから持ち帰ったグラナイトの墓石に

母の作曲手帳から私の好きな曲の手書きの譜面を写して刻んだ音楽墓碑

その前には父と妹と二人目の母の墓碑

庵治石は高松の信者の石屋さんがタダで譲ってくれた

(つづく)

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★ 不発に終わったイタリア語の説教

2013-10-23 18:48:23 | ★ ローマの日記

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不発に終わったイタリア語の説教

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 日本中を旅して巡った夏休みからローマに帰り着いたのが、10月16日水曜の晩だった。その土曜日の夕方、久しぶりに市の中心にある教会で自分の共同体のミサを司式するために出かけた。

 デモやストライキは日常茶飯事のローまでも、その日はめずらしく超大型だという情報に、交通規制による迂回も考えて早めに神学校を出たのだが、夕方にはデモは既に教会の近くを通り過ぎ、機動隊もデモ隊も衝突の現場を市街地の北東部に移していた。お蔭で、私は規制の解かれた道をスイスイと教会にたどり着くことができた。

 なんだ?大したことなかったのかな?と思って翌朝新聞を見ると、なんとまあ、結構派手な写真が紙面を飾っていた。


 

火焔瓶やゲバ棒もありの荒れたデモ 機動隊も情け容赦なく乱暴に対応する


 昔の日本の全共闘のヘルメットは

工事現場の作業員が被る薄手の安物で、機動隊の催涙弾の水平撃ちの直撃にはひとたまりもなく砕け

若者たちが脳に重篤な障害を受けた

イタリアのデモ隊のヘルメットは値の張る最新式のバイク用だから性能は抜群にいい

機動隊の警棒ぐらいならなんてことはない 催涙弾の水平撃ちにも顔面以外は耐えられるだろう


高性能の火炎瓶の前には 機動隊も命がけか


デモ隊の中には 職場や学校に身元が割れぬように仮面を被っている者もいる

われわれの頃は 手ぬぐいやタオルで顔を覆ったものだった


夜になってもデモは収まらない 多くの若者たちが広場にテント村を築いて坐り込んだ

こんな無法状態を はたして日本の警察は許すだろうか? 

 

 私は、1960年代、70年代を、学生として、院生として、研究室の若い助手として、ずっと上智大学のキャンパスで過ごした人間だ。学園紛争、安保闘争、ベトナム反戦の銀座のフランスデモ、新宿騒乱事件、春闘のデモ、等々、今の若い人たちの知らない数々の街頭行動を常に日常生活の一部として生きてきた世代にとって、イタリアの騒々しい日常こそ当たり前で、日本に帰った時のうわべだけの秩序と静けさがむしろ異常に感じられる。

 日本にだって市民が立ちあがった日々が過去にはあった 

60年安保の時国会を取り囲んだデモ隊の姿

貧しさをまだ抜け出してはいなかったが 自由と希望を呼吸することが出来た時代だった  

 

 「秘密保護法」 が可決しそうな極めて危機的な状況の中で、日本の街は何事もないかのように静まり返っている、そんなこと、イタリア、ローマでは絶対にあり得ない。

 その陰で、雇用の底辺では過酷な使い捨て労働に人心は病み、自殺者が後を絶たない。それなのに、人々は個に分断され、自分たちの権利を守るために団結して立ちあがることが出来ないまま泣き寝入りさせられている。大企業、資本家、勝ち組だけが肥え太り、弱者は人間らしく生きる最低の権利すら奪われて息も絶え絶えに喘いでいる。日本の市民生活からデモやストライキが消え去って久しいのは、いつの間にか自由を奪われた社会が、すっかり右傾化し、皆が保身のために長いものに巻かれることに甘んじ、諦めて声を失ってしまった印に違いない。 

 話を昨夜のミサに戻そう。せっかく早めに教会にたどり着いたので、久しぶりの再会に皆と歓談して時を過ごそうと思ったのに、そうは問屋が卸さなかった。一人の姉妹に告白(懺悔)を聞いて欲しいと頼まれて、(こいつは断れないから)二人別室に籠る羽目になった。彼女の懺悔は毎度どうでもいいような繰り言で長くなる。やっと聞き終えて部屋を出ると、すでにミサの準備は整い、私の不在中このグループの世話をしてくれていたイタリア人の神父が先に祭服を着て司式の準備を終えていた。ままよ!と成り行きに任せ、私は司式をあきらめて彼の補佐役に回ることにした。

 その日の聖書朗読は三つとも「絶えず祈ることの大切さ」に関するもので、説教もそのテーマに沿ってなされるはずだった。私も自分なりに準備をしてはいたが、こうなったら説教も彼に譲るしかない。

 読まれたルカの福音書は次のようだった。

 イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。

 「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」 (ルカ18章1-8節)

 私の代わりに説教をした司祭の話は、概略次のとおりだった。

 ある町に、小さな古ぼけた貧しい修道院があった。そこに住むシスターたちは、市が文化財として管理する中世の修道院の廃墟を修復することを条件に、それを払い下げてもらい、広い新しい修道院を作る許可を取りつけた。さっそく、信徒団体や、財界や、個人のお金持ちなど、各方面に趣意書を送り、寄付を募った。そして、シスターたちは、毎日「神様、思し召しなら、どうかお金が集まりますように」と祈り続けた。しかし、いつまでたっても十分な資金が集まらなかった。

 やがてシスターたちは悟った。絶え間なく祈ったのに願いが叶わなかったのは、もし十分なお金が集まって新しい修道院が出来たら、シスターたちは快適な生活に慣れて、規律が緩み堕落すると見抜かれた神様が、彼女たちをつつましい清い生活にとどまるよう護って下さったのだ。彼女たちの祈りは形を変えてすでに実を結んでいたのだ、と。

 その司祭は「絶え間なく祈り求めたことは、必ず何らかの形で良い実を結ぶ、だから、たとえ人間の思惑通り願いがかなわなくても、絶えず祈ることには意味がある」と言いたいのだろうか。

 要約すればただそれだけの話を、彼は10数分をかけ、いろいろ尾ひれをつけて往きつ戻りつした。

 信者たちは神妙な、と言うより、能面のように無表情な顔で聞いていた。

 私も、少しも感動を覚えなかったばかりか、なんとなくしっくりこないものがあった。しかし、敢えて異を唱えるのも大人気ないかと黙っていた。

 帰りの車の上を、ひと月遅れの満月が煌々と照らしていた。中秋の名月は長野県の野尻湖畔で特別な思いで見たことを懐かしく思い出しながら、神学校のベッドに入った。

 

 

野尻湖で見た2013年9月19日の中秋の名月 特別な感慨を持ってカメラに収めた

 

 翌朝になって思った。もしきのう私が司式をしていたら、信者たちは私の下手なイタリア語の全く別な説教を聞いて帰るはずだったのに・・・。だが、もうその話を彼らにすることはないだろう、と。

 その時、ふとアシジの聖フランシスコが魚や小鳥たちに説教をしたという伝説を思い出した。詩的で一見ありそうな話だが、私はフランシスコがいくらイカレた聖人でも、誰でもするような簡単な声掛けならともかく、人間の言語を解さない小鳥たちに正気で説教することはなかったはずだと考える。

 

 

小鳥に説教するアシジの聖フランシスコ

(ジョット作 1305年頃)

 

 フランシスコは彼の説教を聞くべきはずの人々に語りかけたのに、その人たちが耳を傾けなかったから、普段信心深い人々とは交わりのない教会の外にいる人々に向って話したのだろう。そして、それが伝説化して、魚や小鳥たちに話したと言い伝えられるようになったのではないか、とひとり勝手に思っている。

 熱心に教会に足を運ぶカトリック信者はむしろ少数派と思われる私のブログの読者を魚や小鳥に例えるのは、まことに失敬千万な話だと思うが、そこはどうかお許しいただきたい。フランシスコを気取って、きのう不発に終わったわたしの説教を、そのような皆様にぶつけてみたいという思いが湧き上がってきたものだから・・・。

 ただし、長すぎるブログは歓迎されない。今回はここらで終わりにして、次のブログで、私がどんな説教を準備していたのかをあらためてご披露申し上げることにしよう。

 (「そんな話には興味ないね」 と思われる方は、次回のブログは読まずにパスしていただいても結構。)

(つづく)

 

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★ 特定秘密保護法案-②

2013-10-17 08:28:31 | ★ 日本の社会

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特定秘密保護法案-②

「歴史の教訓を記憶にとどめないものは・・・」

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Bengoshi Kaikan 2012-11-29.JPG

 

日弁連は言います

 「今から27年前、1985年に、スパイ防止に名を借りた『国家秘密法』案が国会に提出されました。この法案も、国の政治を左右する防衛や外交に関するほとんどの情報を『国家秘密』とし、秘密を漏らす行為や、秘密情報を取得する行為を重く処罰することを内容としていました。」

 「しかし、『政府が国民に知られたくない情報を隠すための、国民の知る権利と民主主義をないがしろにする法案』 と言う、国民やマスコミからの大きな批判を受け、結局 

 廃案 

となったのです。」


そこで私は言いたい

 問題は、27年前には、国民やマスコミからの批判の声が十分大きく、野党も国会で法案の可決を阻止するだけの力を持っていたから 廃案 を勝ち取ることが出来たが、今の世論の麻痺状態と、野党が委縮し、ねじれ状態が解消した国会では、十分な審議も尽くされぬまま、与党グループ独走のまま―全く抑止力が機能しないまま―あれよあれよと言う間にあっさりと 可決成立 する恐れが大であるという危機的状態にあるということです。このままでは、日本人は ジョージ・サンタヤーナの知恵ある警告に学ぶことなく、歴史の同じ悲劇を、繰り返し経験することになるのではないかと恐れます。

 私の父は戦時中に警察国家日本の内務省高級官僚でした。そのため、戦後マッカーサーの占領軍による公職追放の対象にされ、その後一家が悲惨な道を辿ったことを私は決して忘れません。今回の「秘密保護法」が成立すれば、勝てない戦争に突入していったあの「闇の時代」へと逆戻りする第一歩が始まるのです。

 ホロコーストを歴史の過去に葬り去りたいと言う大方のドイツ人の感情に抗して、アウシュヴィッツの犯罪の証拠を消し去ることを決して許さないユダヤ人たちは、「秘密保護法」の成立を手をこまねいて許す日本人のような、歴史に学ぶことを知らない愚かな選択は絶対にしないことでしょう。

 問題は、「もう手遅れだ、どうあがいても流れは変えられない」、とあっさり負けを受け入れるか、「まだ間に合う、今からでも何とか阻止できる、そのために今すぐみんなが声を上げなければ、力を結集しなければ!」と立ち上がるかです。

27年前にはそれが出来たではないですか! この声を広げましょう。

まやかしの修正案可決ではなく  廃案  を勝ち取るまで。

  


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★ 2013年 「ノーベル平和賞」 に想う

2013-10-12 20:23:30 | ★ シンフォニー《イスラエル=ガリレア》

《2013年 「ノーベル平和賞」 に想う

8月18日にアップした以下のブログに一部加筆したものです。

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  無垢な人々の苦しみ ② 

=アウシュヴィッツ=

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アウシュヴィッツの強制収容所の壁のパネルには

「歴史の教訓を記憶にとどめないものは

同じ悲劇を再び体験することになる」

ジョージ・サンタヤーナ

と記されていました



だから この旗を掲げた人たちのように

今もユダヤ人のアウシュヴィッツ見学者団体は 後を絶ちません



「ユダヤ人たちは完全に絶滅されるべき人種である」

ハンス・フランク

ポーランド占領ナチス総司令官の言葉 1944年

と言うことばが その背景にあります



そういう狂った信念のもとに駆り集められ

アウシュヴィッツに送られてきたユダヤ人の罪なき婦人と子供たちの姿

 


そして、裸にされ ガス室に向かって死の疾走を強いられる ユダヤ人の婦人たち

上はナチスSSの隠し撮りフイルムから


 

ガス室で殺され 焼却炉で焼かれた犠牲者たちの灰の一部を納めた 壺

 

 

犯罪の物質的証拠

 

 

犠牲者たちが身に着けていた義足や身体補助装具の山

 

 

犠牲者たちが履いていたおびただしい数の靴の山

 

 

生きてここを出られるという希望を託して名前を大書したカバンの山

その他 メガネの山 歯ブラシの山 櫛の山 

ガス室に送られる前に丸坊主にされた女性たちの髪の毛の山 それで織られた純毛の布地

etc, etc, etc. 紹介しきれない数の写真が私のファイルにはある



ガス室のガスになったチクロンの空き缶の山

(ここからの黒字今日2013年10月13日に追加)

チクロン、サリンなどの毒ガス、化学兵器は 貧者の核兵器と呼ばれる

旧日本軍も、関東軍の731(しちさんいち)石井部隊のように細菌や毒ガスなどの

生物化学兵器を開発し、それを実験し、使用した

かつての日本や今のシリアなどのような資源の無い貧しい国々にとっては

コストパーフォーマンスのいい有望な兵器だ

「シリアの化学兵器攻撃は世紀の大ウソ」 

と言うカトリックの修道女マザー・アグネスの報告書のような根強い反証もあるが

化学兵器禁止機関の ノーベル平和賞受賞》 

この種の兵器は俄かに世界の注目を集めることになった

ブッシュがイラクに侵攻し サダム・フセインを追い詰め殺した

イラク戦争の口実になった大量破壊兵器の存在は大ウソだった

オバマがシリア空爆寸前までいったアサドの化学兵器使用

マザー・アグネスの報告書の通り大ウソだったかどうかはなお検証を要するが

世界中に化学兵器が存在することは厳然たる事実だろう

(以下元のブログに戻る)



毒ガスで殺された遺体を昼夜休むことなく灰にした焼却釜の列

 

 

アウシュヴィッツはドイツ人が作った強制収容所、死の収容所、の最大のものだった

1940年から1945年の間にここに送られてきたのは、少なくとも:

ユダヤ人  1,100,000 人

ポーランド人 140,000-150,000 人

ジプシー 23,000 人

ソ連の戦時捕虜 15,000 人

その他の人種のもの 25,000 人

これらの人たちの内 1,100,000 人がアウシュヴィッツで死んだ

 その約90%がユダヤ人だった その大部分をSSはガス室で殺戮した

 

 

他にも 多くの人たちがこの壁の前で銃殺された

 

 

止まれ!

と書かれていても 多くの人がその向こうの高圧電線に触れて命を絶った



3本の柱の上に渡された何の変哲もない一本レール

これが見せしめの大量絞首刑の装置として日々利用された

 

 

特別重要なな囚人の処刑に用いられた絞首刑台

ここで

戦後ポーランドの国家最高法廷で死刑の判決を受けた

アウシュヴィッツのSS最高司令官

ルドルフ・ヘス(Hoess) 

1947年4月16日に吊るされて死んだ

因果応報 とはこの事か?


私は何故 しつこくアウシュヴィッツを描写するのか?

それは

ここで無数の無垢な魂たちが意味もなく殺されたこと

そして この場所で最近キコの作曲したシンフォニー

「無垢な魂たちの苦しみ」

が多くのユダヤ人たちの前で演奏されたこと を記録にとどめたいからだ

キコは このシンフォニーを日本でも演奏したいと考えている

次回から そのシンフォニーの東欧ツアーに話題を移す

(つづく)

 

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★ 特定秘密保護法案 「歴史の教訓を記憶にとどめないものは・・・」

2013-10-11 15:37:59 | ★ 日本の社会

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特定秘密保護法案

「歴史の教訓を記憶にとどめないものは・・・」

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アウシュヴィッツの強制収容所の壁のパネルには



「歴史の教訓を記憶にとどめないものは

同じ悲劇を再び体験することになる」

ジョージ・サンタヤーナ

と記されていました


数日前に遠方の親しいお友達から一通の電子メールを受けていました

以来、そのメールにどう対処すべきか迷っていました

それは、以下のような文章を広く拡散してほしいという依頼の伝達でした

「プロ」「コントラ」 をさんざん考えました

出来れば関わり合いを持たず距離を置いて静観していたい

と言う思いと

いや、いま私も関わって動いておかなければ

自分は、ブログで何も書かない、何も書けない人間になってしまう

と言う思いと

その両方の間で揺れ動いていました

そして、結局取り上げることにしました

取り上げる以上、少しは知識を蓄え、自分の心象と意見を持たなければ、と思い

ネットでいろいろ調べましたが

問題の法案文は無味乾燥で長く、専門的でした

専門家たちの意見は膨大な量で、多岐にわたり、下手に要約できそうにもありません

それで、自分も理解し、おおむね同意見だということで

友人からもらった文をそのまま下に引用することにしました

 

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『秘密保全法案』 が成立する見通しです

     
 経産大臣が、たとえば福島の事故に関する一切の情報について「特別秘密」に指定すると、マスコミの取材も、国会での追及も、フェイスブックでの個人の発信も、すべて違法・厳罰となります。
 処罰されるのは公務員だけでなく、仕事上「特別秘密」を取り扱った民間の労働者なども含まれます。
 放射線量の分布や健康への影響、環境汚染などに関するデータを調べて、公表しようとして取りやめた場合でも「未遂罪」としてやはり刑罰が課せられます。それに関して一般の民間人の日常会話でも、フェイスブックで何かコメントを書き込むと「共謀罪」が適用されて前科がつきます。
 また、福島原発で放出された放射線量について情報を開示しろとして呼びかけると、「特別秘密の取得罪」が適用されます。     
 マスコミも、どのような取材が正当かを、マスコミでなく一切を政府が判断することになります。
 一般の民間人は何が「特別秘密」であるのかわからず、自分は知らなくても犯罪を犯していることになるのでフェイスブックへの投稿やコメントも、この法律に基づいて捜査機関によって監視されます。そこで何が「特別秘密」であるかを知りたいと表明すると、検挙されます。
 また、たとえば防衛大臣が「特別秘密」に指定すると、自衛隊が海外で憲法第9条を無視して戦闘行為を行うことも可能となります。それをマスコミが取材したり、違憲であるとして国会で追及すると検挙されます。  
 この法律は、この秋の国会で自民賛成多数で衆参両院を通過して成立する予定です。
 独裁政権の党首である限り、首相が外国に向けて公式の場で虚偽の証言を発信しても、それで国民には何かができるわけでありませんね。加えてこの法律の制定も、独裁政権というものの力でしょう。

~~~~~~~~

すぐその後に続いて以下の URL が付けられていました

「日弁連」(Japan Federation of Bar Associations) の公式のサイトです

「日本弁護士連合会」と言えば日本のすべての弁護士が加入している権威ある団体で

国家権力からわれわれ国民を護ってくれる公然団体です

その事務所は 東京都千代田区霞が関一丁目1-3 弁護士会館 にあります

 

Bengoshi Kaikan 2012-11-29.JPG

 

それがこんな形で啓蒙活動をしていることを知る人は多くないようです

私も友人からメールを貰うまで知りませんでした

私のブログの読者にも知っていて戴いていいことだと思いました

上のアウシュヴィッツのパネルの言葉ではありませんが、このまま過去の歴史に学ばなければ

近い将来に再び「壁に耳あり、障子に目あり」の、何も言えない

 暗黒の時代 

が戻ってくるような気がしました

下のURLをクリック しましょう

 http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/publication/booklet/data/himitsu_hozen_qa.pdf

(おわり)

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★ 〔号外〕 『出版だより』 (カトリック出版連絡会)

2013-10-06 02:56:12 | ★ 私の一冊

〔号外〕

~~~~~~~~~~~~~~~~~

『出版だより』 (カトリック出版連絡会)

2013年 秋/冬 号

~~~~~~~~~~~~~~~~~

〔号外〕 は私のブログとしての号外の意味です


手元の部数が少なくなって出版社に 「ケリグマ」 20冊を追加注文していたら

昨日届きました

中に

 カトリック出版連絡会の 『出版だより』 2013年 (秋/冬 号)

が30部ほど同封されていました

何でこんなものが? と思いながら

A3 裏表カラー印刷で四つ折りの 《出版だより》 を広げてみると

中に写真のとおり 「ケリグマ」 の紹介があって納得しました

バチカンの「典礼秘跡省長官」の推薦つきの本などめったにありませんから

「カトリック出版連絡会」 も取り上げることになったのではないでしょうか?

 


 二つ折り状態にして左上に 「出版だより」 の表紙が来るよう工夫して写真にしました

 

この 『出版だより』 が書店向けの業界内PR紙なのか

各小教区教会にも配布される一般的なものかは知りませんが

広く読まれたいと願う訳者としては

ありがたいことだと思いました

ネットショップなら大抵どこでもOK!ですが

例えば下をクリックするとすぐ手に入ります送料無料がいいですね

http://books.rakuten.co.jp/rb/%E3%82%B1%E3%83%AA%E3%82%B0%E3%83%9E-%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E3%81%AE%E5%91%8A%E7%9F%A5-%E3%82%AD%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%82%A8%E3%83%A8-9784434183058/item/12485983/

 

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