:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 最後の徹夜祭

2024-04-07 00:00:01 | ★ 復活祭の聖週間

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最後の復活徹夜祭

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 私は前回のブログ〔「菩提樹」西の故郷、東のふるさと(そのー1)〕の最後に「なぜ私が急にマカオへ行く気になったのか、気になりませんか。それは、次回のブログ「菩提樹」(その-2)であらためてお話しすることにいたしましょう。」と書いたのに、復活祭を目前に、その他の事情も手伝ってなかなか筆が進みませんでした。そして、とうとう今になってしまいました。それで、「菩提樹」(その―2)は後回しにして、ひとまず復活祭風景を描いてみましょう。

 今年の復活の徹夜祭は、3月30日(土)の深夜に、東京の八王子大学セミナーハウスでおこなわれました。深夜の11時過ぎに始まって31日未明の4時半ごろまで、ほぼ5時間の長丁場でした。普段は夜は寝かされる子供たちも、この日ばかりは、昼寝をたっぷりさせられて、夜通し起きて過ごすことになります。

 ああ、これが東京での最後の徹夜祭になるのか、と思うと万感胸に迫るものがありました。真っ暗闇にまず復活のローソクに火をともし、そこからみんなが次々と手元のローソクに火を移していく光の祭儀は、世の救い主、神の子キリストによってもたらされた信仰の火が人々の心に伝えられ広まっていくのを象徴しています。とても神秘的な沈黙劇です。

 その中を、キリストを象徴する復活の大ローソクを高く掲げた私は、「キリストの光 ♫」と歌うと、一同は「神に感謝 ♫」と歌って答えます。それを音程を上げて3度繰り返しながら、私は会衆の中をゆっくりと進みます。

 

 

 その後、救いの歴史をたどる、新・旧約聖書から取られた長い九つの朗読が続きました。先ず創世記第1章「天地創造」に始まり、アブラハムによる息子イザクの生贄、出エジプトの物語、イザヤの予言、エゼキエル書、・・・パウロの書簡、そして福音朗読まで・・・

 

 

 交代で読まれる朗読のあいだ、後ろに座っている私の姿は、このアングルでは朗読台と祭壇の上のローソクの間にちょっと見えるだけで、ほとんど隠れています。この夜、福音だけは、私が朗読台からメロディーをつけて歌います。

 

薔薇.jpg

 その後、毎年の復活徹夜祭の慣例にもとづいて、今年も満1歳前後の3人の赤ちゃんの洗礼式が行われました。

 

 

 素っ裸の赤ちゃんを高くかかげ、私は、父と、子と、聖霊のみ名によって、あなたに洗礼を授けます」、と叫びながら、ザブーンと勢いよく赤ちゃんを3度水に沈めます。今年は3人とも泣かなかった。洗礼盤を取り囲んでそれを眺める子供たちは、大喜びではやし立てます。ちょっと大きな女の子たちは、私も赤ん坊の時あれをやられたのかと想像して、恥ずかし気です。洗礼は罪に汚れた古い人間が水に沈められて死に、復活の命を身にまとって新たに生まれることを象徴しています。ただ額に水を注いで清められるだけではありません。私の後ろには先ほど火を灯したばかりのま新しい復活の大ローソクが。

 それにしても、もっといい写真があるかと思ったが、最近はみんなスマホで動画を撮っているので、私がブログで扱える静止画像をくれる人はほとんどいませんでした。

 金曜日の午後3時から徹夜祭が終わる日曜日の未明まで断食していた一同は、ラマダン明けの回教徒さながらに、持ち寄りとケータリングのご馳走のアガペー(お食事会)でお腹を満たし談笑し、夜が白むころ、キリストの復活の確信と喜びに満たされて三々五々家路につくのでした。これぞ、キリスト教信仰の原体験というべきでしょう。

 さて、来年、私はどんな復活祭を祝うことになるのでしょうか。

薔薇.jpg

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★ 10年ぶりに 日本で 復活の徹夜祭

2018-04-08 00:53:46 | ★ 復活祭の聖週間

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10年ぶりに 日本で 復活の徹夜祭

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この10年間、復活祭の頃はいつもローマにいて、日本で復活祭を祝うことがなかったが、今年は久しぶりに東京・横浜の共同体の合同復活徹夜祭に参加した。首都圏の某教会を使わせてもらって、3月31日(土)の夜11時半に祭儀は始まった。

最初は光の祭儀。聖堂の入り口で、小さなかがり火を焚いて、その火から復活したキリストを象徴する大ローソクに火をともす。暗くて見にくいが、かがり火の上に縦に光っているのがそのローソク。中央斜めの光の線は懐中電灯に照らされた典礼の本。

 

 子供たちは復活徹夜祭の主役の一翼を担う

復活のキリストのローソクから近くの人に火が渡されていくと、ぼんやり回りが見え始める。停電などめったにない日本で、蛍光灯やLEDの光しか知らない子供たちにとって、復活の徹夜祭の光の祭儀はとても神秘的な体験だ。

復活の大ローソクを先頭に暗くした聖堂の入る

子供たちも

おとなたちも

聖堂の灯かりが点されると祭壇もその前の洗礼盤にもいっぱい花が飾られている

これから長い聖書の朗読がある。旧約の創世紀に始まり、出エジプト記、・・・

7つある各朗読の前にその意味を解説する信徒の導入の言葉があって、朗読があって、それに答えて賛歌が歌われる。実に、1時間以上延々長蛇のみ言葉の祭儀だが、さらにそのみ言葉に基づく信徒の分かち合いが入るから、いやでも長い典礼となる。

復活の徹夜祭の中では、子供たちだけで歌を歌う場面がある。そして親たちに向かって様々な質問をする。今年、ある子はお母さんに向かって、「今夜私たちは何を待っているのですか?」とた訊ねたのが心に残った。母親は立って、イスラエルの民がモーゼに引き連れられて、紅海を渡り、約束の地の入ったように、イエス・キリストが十字架の苦しみと死を越えて、復活の命に入ったこと、そして、今夜その復活したキリストに出会うことを私たちは待っている、というような意味のことを子供にわかる言葉で説明する。会衆はその親子の対話を見守ると言う場面だ。

左の男の子がソロの部分を歌った。

パウロの書簡が読まれ、マルコの福音の復活の朝の情景をメロディーをつけて歌う役は私が受け持った。司式司祭の説教のあと、洗礼の式が行われた。

復活の大ローソクを漬けて洗礼の水を祝福する

子供たちは、赤ちゃんの洗礼の様子を見ようと、洗礼盤のまわりに集まってきた

 

裸の赤ちゃんが「父と、子と、聖霊のみ名によって・・・」と、水の中に頭のてっぺんまで3度沈められる

ビックリして泣く子もいる 

おや、珍しくアイフォンを手にした私が写っている

今年は男女3人の赤ちゃんの洗礼があった

洗礼式の後は、ミサが執り行われた。プロテスタントの教会では聖餐式と呼ばれるとか。

ユダヤ教の過ぎ越しの祭りにどこか見ている。9本のローソク。イーストで膨らませていない種なしパン。このおおきさのパン3つを100ほどに割くと、一人ちょうど一口の量になる。

ぶどう酒は16角形の縁の銀の大杯3つと金の杯ひとつ。なみなみと注がれたのを皆で回し飲む

聖体拝領が終わり、短い祈りのあと、司祭は会衆を祝福して、祭儀の無事終了を告げる。

司祭たちが退堂すると、ギター、バイオリン、リコーダー、タンバリン、カスタネット、ボンギなどに合わせて賛歌を奏でる、一同が歌う

5音階のオリエンタルなメロディー

会衆の一部がそれに合わせて自由に祭壇の周りを踊りだす。大人も子供も。他の者はそれを見守る。

踏むステップもリズムも、ユダヤ教の過ぎ越しの祭りと似た伝統の踊りだ。

この踊りが復活の徹夜祭の最後を飾る

全てが終わったのは午前4時38分。なんと5時間の長丁場だった。夜中に起きて100人の人間が徹夜する。普通の人間の生活にはあり得ない狂気の沙汰と言うべきか。しかし、これがお祭り、まさに非日常的な「お祭り騒ぎ」なのだ。

十字架上の最悪の拷問死のあと三日目にイエス・キリストは復活した。死すべき運命を共有する我々も、死後キリストの復活にあずかって神の生命の懐で永遠に生きる。全ての被造物、壮大な宇宙もその復活にあずかって永遠に存続する。

世の終わりの復活の思想はユダヤ教にも陰のごとくにあった。しかし、その十全な理解はユダヤ教徒のキリストを待って初めて開花した。肉体を持った人間の復活、物理的時空の永遠の持続に対する確固として明快な信仰は、キリスト教以外の宗教には見出せない。

あらゆる宗教行事を巧みに金儲けの機会にする商業主義は、キリスト教のクリスマスを取り込んだ。デパートのクリスマスセールや、銀座のクラブのクリスマスパーティー、etc. バレンタインデーもチョコレート販売促進に巧みに利用した。しかし、如何なる拝金主義も、まだキリストの復活祭を商機として有効利用することに成功していないと思われる。せいぜいがイタリアの子供向けの大きなチョコレートの玉子ぐらいなものだ。

キリスト教の復活信仰とお金の神様は、お互いに天敵か?とにかく、よほど相性がわるいらしい。キリストの復活、我々の復活、永遠の生命、の信仰はキリスト教の根幹をなしている。お金の神様と共存・両立は原理的に不可能なのだ。

どうでもいいけど、私もうだめ眠たい耐えられない!!(午前4時30分)

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★ 聖週間 今年は特別 復活の徹夜祭 (2014年)

2014-04-22 18:21:36 | ★ 復活祭の聖週間

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聖週間 今年は特別 復活の徹夜祭 (2014)

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カトリックの復活祭ユダヤ教の伝統を引き継いで、春分の日の後の最初の満月の次の日曜日に祝われる移動祝日だ。

今年はたまたま4月20日の日曜日だった。

それだけなら例年通りではないか、何も特別なことはない。

では何故今年は特別なのか?

それは、私の共同体が20数年の歩みをこの復活祭に終えたからだ。 

では共同体の歩みとはなにか?

それは、一言で言えば、大人がキリスト教の洗礼を受ける前に身に着けるはずだったキリスト教信仰教育が、

子供の信仰教育のレベルにとどまっていることに気付いた者が、初心にかえってもう一度最初からやり直そうという歩みだ。

キリストが福音を説き始めたときから最初の300年余りの間は、その歩みの「道筋」がしっかりと教会に根付いていた。

ところが、迫害の時代が過ぎて、教会が一転してローマ帝国の国教になると、

ユダヤ教の伝統を知らないローマ人、

それまで異教の神々を拝んでいた大衆が、十分な信仰教育も受けず、キリスト教的回心のなんたるかも全く知らず、

異教の神々を拝んできたメンタリティーのまま、キリスト教になだれ込んできた。

異教の偶像を拝む代りに十字架を拝むだけで、中身は全くキリスト教化されないままの信者が圧倒的多数を占めるようになった。

イエス・キリストの教えが異教の神々、八百万の神々のメンタリティーに呑み込まれて変質したという方が正しい。

そして、それがそのまま、中世を経て現代20世紀にまで及んだ、と言えば言い過ぎになるだろうか。

世俗の覇権、帝国の皇帝の守護神、御用宗教であった時代は、キリスト教も羽振りがよかった。

しかし、早くは啓蒙主義、産業革命の時代から、しかし、特に20世紀の世俗化とグローバリゼーションが進む中で、

世俗の権力の宗教的後ろ盾としての教会の地位と役割は音を立てて崩れていった。

明治以来日本の八百万の神は人気が無くなったように、コンスタンチン型のキリスト教も同じ運命をたどった。

人々は宗教を必要としなくなった。敢えて言えば、お金の神様だけで間に合うようになった。

その潮流の前に、キリスト教はなす術を知らず後退に後退を重ねてきた。

そこで始まったのが、1965年に幕を閉じた第二バチカン公会議と言う大宗教改革だった。

これは、紀元313年のコンスタンチン大帝のキリスト教のローマ帝国国教化の動きを180度転換して、

キリスト教を、コンスタンチン以前の本来のキリストの教えに戻そうとする動きとして要約できる。

第二バチカン公会議の提唱者ヨハネス23世以来、6代の教皇が全てこの公会議の路線に忠実にとどまっている。

しかし、教会の中には、公会議以前の「コンスタンチン体制」に郷愁を抱き、それに戻ろうとする動きが

あなどり難い勢力として巻き返しの機会をうかがっている。

教会の中に、保守と革新の大きな戦いがある。

その図式の中で、新求道共同体の流れは、あくまでも公会議の路線に忠実に信仰生活を生きようとする動きと言えるだろう。

私のローマの共同体は、20年以上にわたる長い歩みを終えて、その「道」の過程をこの復活祭の前に終えた。

復活祭の日曜日に先立って、その終了を告げるささやかな式があった。

式の詳細を書く立場にはないが、外から見える印としては、その道を終えたメンバーの名前を聖書に記し

霊的に洗礼の準備が整ったしるしとして白い衣(服)を着る

洗礼をすでに子供の時に受けている者は、もう一度洗礼の水を受けないところが、

プロテスタントの再洗礼派(アナバプティスト)と違う。

 

私の共同体の責任者トニーノが持っているのが金や貴重な石で飾った銀の表紙の聖書

 

共同体の歩みを指導したカテキスタのステファノが、一人一人を呼び出してその名前を聖書の一ページに記す

 

  

高価な装飾を施した聖書  その中の旧約聖書の終わり、新約聖書の始まりの前の白紙のページに記された

共同体のメンバーの名前

私の名前が左の欄の筆頭に書かれている

 

  

そして、一人一人の体格背丈に合わせてあつらえた白い麻布のローブ

私もややだぶだぶで長めのを着て一同と一緒に写真に納まった

100パーセント麻の白い布は、何度も何度も打たれ晒された麻糸が、長い年月の信仰の歩みを象徴している

 

いよいよ復活の徹夜祭の時が来た。19日土曜日の夜10時から、夜中を跨いで復活祭の日曜日の未明まで徹夜祭は続く。

それは、キリストが十字架に付けられ苦しみのうちに死に、葬られ、三日目の日曜日の未明に復活した史実に因むものだ。

私たちにとって、一生に一度の特別な復活の徹夜祭は、世界の教会の母、母教会と言われるラテラノ教会で行われた。

サン・ジョヴァンニ・ラテラノ教会の前の広場には、エジプトから盗んできたオベリスクが立っている。

 

徹夜祭の始まる前に同じ共同体の兄弟姉妹の一部と撮った記念写真

 

徹夜祭は光の祭儀から始まる。大聖堂、バジリカの入り口でかがり火が焚かれ、そこから取った火が

左側の助祭が捧げ持つ復活の大ローソクに移される。

このローソは復活したキリストを象徴する。

(しかし、どこかコンスタンチン時代の異教の拝火の儀式の混入の臭いもする)

 

大ローソクにを先頭に大聖堂に入堂するローマ教区長教皇代理のお馴染みヴァリーニ枢機卿

 

 復活の大ローソクから火を貰って、次々と兄弟のローソクに渡していくと、大聖堂の中はみるみる光に満ちていく。

これは死の支配の闇に沈んで蠢いていた人々の心に、キリストの復活信仰の火が点っていくことを象徴する。

 

私の共同体の仲間たち。実は、この大聖堂の空間の半分を埋めているのは、ローマに数百ある共同体の内、

今年歩みを終えた共同体が一堂に結集しているのだ。

 

ラテン十字の形に建てられた大聖堂の中心の祭壇の前に洗礼盤が用意されている。

キリスト教では、洗礼は伝統的に復活の徹夜祭の中で行われてきた。

それは、ユダヤ教の過ぎ越しの伝統、すなわちエジプトの奴隷状態からイスラエルの民が、

モーゼにに率いられて奇跡的に割れた海の間の乾い底を歩いて渡り、無事約束の地、パレスチナ、

今のイスラエルの土地に過ぎ越した史実を記念して、

キリストが十字架の死を過ぎ越して復活の命に渡り、我々に復活の命を与えてくれたことを記念する。

 

正装したヴァリーニ枢機卿。我々の神学校の食堂でご機嫌でナフキンヲ頭の上でくるくる回していたオジサンと同一人物だ。

 

いよいよ洗礼式が始まる。

 

 

先ず共同体の家族の赤ん坊から。 われ、父と、子と、聖霊の名によって、汝に洗礼を授ける。

 

  

子供たちの洗礼が終ると、大人たちの洗礼になる。この女性、左の写真で枢機卿から洗礼を受けた後、

すがすがしい顔で笑っている。明らかにアジア人だ。でも、直感的に日本人でないと思った。この夜洗礼を受けた大人の、

何と約半数がイタリア人でもないヨーロッパ人でもない、アジア人の若い男女だった。だが、日本人はいないようだ。

これがローマのがトリック教会の現状を如実に語っている。

 

  

主祭壇の脇から覗き込むと、大聖堂の一番奥に椅子が見えた。これがローマの司教、つまり教皇フランシスコの玉座だ。

白大理石に宝石、貴石がふんだんにちりばめられている。コンスタンチン大帝がキリスト教を国教にした時、

最初に記念に建てたのがこのラテラノ教会だ。その意味で、第二バチカン公会議まで、実に1700年にわたって続いた

コンスタンチン体制教会の象徴をなす建物だ。そこで、コンスタンチン体制との決別を決意した人たちが、

その歩みの総仕上げをしている。なんとも不思議な光景だ。

 

 

洗礼が終ると、ヴァリーニ枢機卿はミサを続ける。

 

祭壇の側から大聖堂の後ろを見渡すとこのような光景だった。

私はお化けのきゅう太郎のような出で立ちで、静々と聖堂の中を徘徊し、要所要所で写真を撮るのに余念がなかった。

幸い、イタリアは大らかな国で、私の行動に眉をしかめてとがめだてをするような人はまずいないのだ。 

 

乾杯!

復活の徹夜祭は無事終わった。気が付いたら、みんな木曜の晩から、年寄は金曜の晩から、日曜の未明、徹夜祭が明けるまで

水や牛乳など流動物だけの断食をしてきたはずだ。きちんと守った真面目な正直者は、もうラマダン明けの回教徒以上に

飢餓状態のはずだ。これから、これ以上食べられませんと言うほどまで、時間をかけてたっぷり食事をする。

我々はこんなテーブル3つに分かれて、楽しく食べて飲んだ。

 

 

食事も終わった、外は、夜霧だった。時計は午前3時半を回っていた。

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日本のカトリック教会の現状と、ローマの実情とは、これが同じ宗教かと目を疑いたくなるほど違うのは何故か。

日本のカトリック教会の復活祭の聖週間は、キリストの受難と十字架上の死で終わっているように思われる。

復活祭は、その名の通り、死の後のキリストの復活を祝う祭りだ。

奴隷状態から自由の約束の地に入ったユダヤ教の過ぎ越しの喜びを土台としている。

過ぎ越しも、復活祭も喜びの大爆発の祭りだ。踊りだしたくなる興奮の時間だ。

これこそユダヤ教とキリスト教以外の宗教にはない、最大の特徴だ。

それが日本の教会には決定的に欠落しているように思う。

言葉では「復活祭おめでとうございます」と言う。

カードには「復活のお慶びを申し上げます」と書く。

しかし、何かよそよそしいのは何故か。

観念知識ではなく、信仰体験としての、内からこみあげてくる喜びの大爆発がないのは何故か。

信仰教育の在り方を根本から問うべき時が来ているのだろう。

今や世界中で宗教が凋落している。神々の黄昏だ。

残ったのは死の恐怖お金の神様への奴隷状態だけだ。

日本の火葬場は余りに清潔で死の恐怖を麻痺させるものがある。

死がなんであるかは、私のブログのローマの火葬場の現実を見れば赤裸々に理解できる。

http://blog.goo.ne.jp/john-1939/m/201310

上のURLをダブルクリックすると飛べます

それはローマの清掃局のごみ処理の一環に過ぎない。

日本の斎場も、ローマの死体焼却工場も、アウシュヴィッツの焼却炉も、原理と目的は全く同じだ。

だが、キリストは復活して死は打ち滅ぼされた。

拝むべきは「お金の神様」ではない。「友のために命を捨てる」ほどの愛の力で自ら復活したキリストの

天の父なる神をこそ崇め、賛美し、愛すべきだ。そして、人を愛すべきだ。

しかし、自分の何かに死ぬところまでいけなければ本当に人を愛することは出来ない。

自分の復活が信じられない人は、死の恐怖の奴隷から解放されることはない。

だから復活を信じられない人を本当には人を愛せない

実に簡単明瞭な三段論法ではないでしょうか?

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15章13節)

と言って、あっぱれイエスは生涯の最後に全人類のためにそれを実践して見せた。だから、

キリストは甦られた!主はまことに甦られた!オメデトウ!アレルヤ!

(おわり)  

P.S. : 後でわかったことだが、実は上の情景と同じ白衣の集団の式が、バチカンの聖ペトロ寺院でもこの復活徹夜祭の夜

同時並行的に教皇フランシスコ自身の司式で行われていたのだった。そして、それも数年前から盛んにおこなわれているという話だ。

さらに、今年初めて、パリのノートルダム寺院でもパリの大司教・枢機卿のもとで同じことが始まったという。

フランスの急速な非キリスト教化、回教圏化の中で、これは確かな希望のともし火とは言えまいか。

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★ 復活祭の聖週間 聖木曜日(2)

2014-04-18 20:40:34 | ★ 復活祭の聖週間

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 復活祭の聖週間 聖木曜日(2)

2014年4月17日の場合

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 私は同じ題で2012年にも写真の多いブログを書いた。

復活祭の日曜日の前の木曜日の晩には、イエス・キリストの「最後の晩餐」の席で

キリストが弟子たちの足を洗った話に因んで、信者たちの足を司祭が洗う式をする。

アジア、日本と違って、ローマはヨーロッパの生活習慣の世界だから、キス、接吻は日常の風習の中に溶け込んでいる。

夫婦や親子でなくても、普通の友達が出会ったとき、別れる時、

頬と頬をくっつけて口でチュッと音をたてて挨拶をするのは当たり前。

私も、オジサン、オバサン、お姉さんの足を丁寧に洗って、タオルで拭いて、仕上げに足の甲に唇をつけてチュッとキスをして、

ハイ、一丁上がり!となる。

実は、人の頬であろうが、足の甲であろうが、人肌に唇をつけて接吻する時の感触にはあまり変わりはない。

これを立て続けに30人、35人とやるのは結構大変な仕事てある。

 

この写真は2年前の洗足式の風景。この日私はカメラを一人の信者に預けて撮ってもらったが、

今年は式にカメラを持っていくこと自体ををコロッと忘れたので写真がない。

洗足式なるものがどんなふうに始まってどう展開するかの風景は、以下をクリックして前回のブログを見ればよくわかる。 

 http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=8faa515ca0313476c45f57ddd413b84d&p=18&disp=10

洗足式は毎年の聖木曜日風景だが、今年も同じことを書いたのではあまり芸がない。

趣向を変えてみることにしよう。

実はローマの聖木曜日で一番大きな公式行事としては、聖ペトロ大聖堂での教皇による聖香油ミサと言うのがある。

このミサには、ローマ教区の全司祭たちが集まり、年に一度ローマ教区長・司教である教皇フランシスコに対して、

従順の誓いを新たにし、司祭の叙階式や、病人の塗油のために用いられる聖香油を祝別する特別なミサが行われる。


聖ペトロ大聖堂の今年の聖香油教皇ミサ風景


私はこの3月90歳を迎えた平山司教様の付き人として、神学校に残ったので、そのミサには参列しなかったが、

ミサで教皇の補佐として共同司式したローマ教区長代理のヴァリーニ枢機卿以下4-5名の補佐司教達が、

みんなそろって昼食のために、無人の我が神学校に押し寄せてくることになっていた。

実は、このローマのレデンプトーリスマーテル神学院は、4月11日から復活祭休暇に入っていて、

平山司教と私の二人の年老いた日本人の他、誰一人住んでいないのだ。

しかし、この日は朝から、コックさんと給仕や皿洗いをするために狩り集められた神学生らが忙しく働いて、

久しぶりに活気を取り戻した。

 

メインテーブルにお客様の補佐司教達の間におさまった日本人2人。

 

 

挨拶に立つヴァリーニ枢機卿。彼は来るたびにどんどん我々と親密になっていく感じがする。

 

レデンプトーリスマーテル神学院お馴染みの楽師たち

 

スペインのマリア様の歌に合わせて オーレ-!!オーレ-、オレ、オレ、オレ-!!オレ、オレ、オレ、オレ、オレ-!!

と掛け声をかけながら、全員がナフキンを頭上でクルクルと回す。

左側は通称パクちゃん。韓国人で今助祭。右側はフィレンツェ出身のダビデ助祭。

2人とも元高松のレデンプトーリスマーテル神学院でスタートを切った。この5月11日(日)に、

聖ペトロ大聖堂で晴れて教皇フランシスコから叙階第1号の司祭として誕生する。

叙階後は、ローマ教区に帰属しながら、日本の事情が許し次第、宣教師として日本に派遣されることがすでに決まっている。

日本語はもちろん検定2級を日本でクリアしてペラペラ。

圧倒的な司祭不足の日本で、一体いつまで今の異常な閉塞状態が続くのか。ローマの有識者は理解に苦しんでいる。

因みに、5月11日の教皇による叙階式では、レデンプトーリスマーテル神学院関係が7人。

あと4人がローマの他の神学院からで合計で11人。その内二人が日本への宣教師。

ここにはっきりと時の印が現れている。

日本の一般信者がこの現実に目を開くべき時が来ているのではないだろうか。

 

ヴァリーニ枢機卿のこの姿も、我々の神学院ではすでに見慣れた光景となった。

 

 ご機嫌で挨拶に立つヴァリーニ枢機卿

 

教皇フランシスコに代ってローマ教区を統治する枢機卿には、ふさわしい貫録が備わっている。

11人の司祭叙階候補者の助祭たちが、この24日(木)の朝、

聖アンナの教皇のアパートのチャペルでの教皇ミサに招かれ、謁見を受けることを発表する、

ヴァリーニ枢機卿。

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私は、その夜自分の共同体で、また30人余りの足を洗い、その足の甲に接吻した。

大任を終えた後、すがすがしい気分を味わったが、74歳の齢には勝てない、

背中と腰がかなりやられた。はたして、あと何年これを続けられることか ・・・


2年前の洗足式風景はこちらから入れます。

http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/8faa515ca0313476c45f57ddd413b84d

 

(終わり) 

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★ (一部補足) 2012年 聖土曜日 復活の徹夜祭

2012-04-12 15:18:10 | ★ 復活祭の聖週間

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2012年 聖土曜日 復活の徹夜祭

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炎の右側の助祭が地面に置いて手で支えているのが復活の大ローソク 大きいでしょう

 

2012年4月7日 聖土曜日 復活の徹夜祭は 夜の10時に始まった

会衆は一週間前の枝の日曜日にキリストの十字架によって押し開かれた正面の大扉を通って

聖堂の中に入って 明かりを既に消して 暗闇の中に待機している

聖堂の外では赤々とかがり火が焚かれている

三位一体の神の おん父の創造的愛を象徴するかのような この炎から

御子キリストをかたどった 直径12~3センチほどの太い重い復活の大ローソクに火が移されると

助祭の一人にヨイショとばかりに捧げ持たれたローソクを先頭に 司祭団と侍者たちが暗闇の聖堂に入る

電気を使った人工の光が消えた真っ暗闇に佇む人々にとって 一本のローソクが放つ光は

どんなに遠くからでも見える希望の光を象徴している

助祭が聖堂の入り口を入ってすぐのところで 低い声でメロディーをつけて


♪ キリストのひか~り (Lumen Christi) ♪

と歌うと 会衆は

♪ 神に か~んしゃ (Deo gratias) ♪

と歌って答える そして主任司祭だけが 手にした小さいローソクに大ローソクから火をもらうが まだ大ローソクの周りは闇だ


次に 聖堂の後ろから三分の一ほどのところに常設されている洗礼盤の前で 助祭はまた大ローソクを高く掲げ より高い声で

♪ キリストのひか~り (Lumen Christi) ♪

 と歌い 会衆は また

♪ 神に か~んしゃ (Deo gratias) ♪

と応え 主任司祭は周りの司祭たちと助祭たちが手に持つローソクに火を配る

すると 大ローソクの周りに小さな明かりの島が生まれる


続いて祭壇より前の 教会の内陣の手前まで進むと

助祭と会衆はさらに高いトーンで歌声を交わし

今度は司祭たちの手から周りの会衆に火が配られる すると見る見るうちに 光の絨毯は聖堂の隅々まで伝搬していく


                     右上寄りの大きな光の点は復活の大ローソクの明かり 

聖堂内がほの明るくなり  火をもらった子供たちのうれしそうな笑顔も 光の中に浮かび上がる

 

私は カトリック教会の一年間の沿った中で この復活の徹夜祭の光の祭儀ほど美しい儀式をほかに知らない

神の創った世界は 人間の罪で闇に沈んだ その闇に処女マリアに宿ってこの世に入った神のひとり子イエスの愛の火が点った

友のためなら命を捨てるほどの愛の火 (イエスはそれを十字架の上で示して見せた) は

人の心から心へと伝わり 世の光となって闇を照らしていく

キリスト教の福音が人々の心に愛の火を点し 世の光となって広がっていく姿を 目に見える形で示してくれる光の祭儀

神の栄光の讃歌が朗々と歌われ 真夜中の闇の空に教会の明るい鐘の音が響き渡るとき

40日間の断食と節制と痛悔と回心の季節の終わりが告げられ キリストの復活の喜びが爆発する

人々は抱擁し合い 接吻し 「キリストは蘇られた」 と一方が挨拶すると もう一方は 「キリストはまことに蘇られた、アレルヤ!」 と挨拶を返す

そして 聖堂の照明がともされ 復活の大ローソクだけを残して 各自の手元のローソクは吹き消される

それを見ていると なるほど 世俗化した現実の快適さと裕福さのまばゆい価値観が支配する社会の中では

キリストの愛の教えは まるで人工照明の中に光を失う復活のローソクのように すっかり色あせて見えなくなってしまうものだと納得する

世俗的価値観のまぶしさに幻惑されていただけにすぎない自分の心の闇に気付き 本当の光を渇望することの必要性を思い出すために

ときには 病や災害も 気付きのきっかけとして 大切な役割を担うことがあリ得るのかな とも思う


 

光の祭儀の後を受けて み言葉の祭儀が続く


旧約聖書の創世記第1章の天地の創造譚から始まって ユデオ・クリスチャンの伝承にある神の救済の歴史が 延々と朗読される

ひとつの聖書朗読の前に信徒による短い導入の話があって 朗読の後に祈りがあって 歌があって 次の朗読に移っていく

子供たちも参加する

可愛い子供たちの合唱や 子供たちの賢い信仰上の質問に たじたじの親たちが 大汗かいて答える場面も挿入される

今年はたまたま 私の属する第4共同体のダリオが 子供たちに親としての苦労と信仰体験を語って聞かせる場面があった

 

ダリオは可愛い5人の娘たちを育てているうちに 労災事故に遭い 両足の膝から下を失った

さらに子供をつくることは事故を境にあきらめたが すでに生まれている子供たちの信仰教育については 夫婦で細心の注意を払ってきた

屋内は杖なしに義足だけで歩き 屋外は障害者用の電動車いすを使うが 

家庭内では義足も脱いで 半ズボンから棒くいのような短い脚を露出して 毛虫のように這い回る父親の姿を 娘たちは毎日見ている

その彼自身が かつては離婚家庭の子どもとして 親の愛を知らず 信仰も希望もなく すさんだ少年・青年時代を過ごしたこと

たまたま 友達を通して今の共同体を知り 神を見出し 美しい妻と愛する子供たちに恵まれたが

事故で生活は一変した・・・ だが事故を通して神は自分に語りかけ 回心に導かれ

世俗的価値観の追及をやめ 子供たちに自分の持つ最大の宝 「信仰という宝」 を伝えることを

生涯の最高の使命 生きがいそのものとしていることを 淡々と語る

彼自身の子共達に向けて語りかけているのだが 居合わせた全ての子どもたちに

そして この夜復活の徹夜祭にたまたま参加したすべての大人たちの胸に 

司式する主任司祭の雄弁な説教の影が薄くなるほどの感動と説得力で迫るものが 彼の信仰告白にはあった

その後もさらに朗読が続き 最後の福音の朗読があって み言葉の祭儀が終る頃には すでに深夜0時を回っていた


次は 洗礼式だ


 今年 この教会では 復活の徹夜祭の中で3人の洗礼が予定されていた

 

 

先ずは一人目の男の赤ちゃん 見ると 若い母親のおなかには 順番を待つ次の子がすでに宿っている気配だ

 

  

 

ナティビタ (主のご降誕) 教会の8角形の洗礼盤は 大人の浸しの洗礼にも対応出来るだけの大きさがある だから赤ん坊には悠々だ

父と 子と 聖霊のみ名によって 汝に洗礼を授ける

助祭はそう唱えるうちに 素っ裸の赤ん坊を3度 すっぽり頭まで水に沈めて洗礼をする

 

 洗礼盤を取り囲んで楽しげに眺めている子供たちも わずか数年前には みなこうして裸ん坊で水をくぐったのだった

娘になりかけている女の子は それを思い出して チョッピリ恥ずかしそうでもある


 

二人目の赤ん坊も ジャブン!  ジャブン! ジャブン!! とやられた


  

赤ん坊は水に対しては動物的な本能で反応するので 水の中に沈めても大丈夫なのだそうだ では大人ではどうだろうか


この日の3人目の受洗者は うら若い女性だった 聞いたら ブラジル娘で わけあってイタリア人の中年夫婦に養女として引き取られてきたのだそうだ

 

 
 

 

 

 

 

 

 

        


右側 世俗に通じる聖堂の入り口側の段を降りて洗礼の水に入る

 

父と 子と 聖霊のみ名によって・・・と唱える間に 頭まで3度水に浸かる

魚にとって水は生きる場所だが 人間など哺乳類にとっては 水は死を象徴する 東北の津波はまさにそれだった 


洗礼を受けた後 左がわ つまり祭壇の側の段を上って教会の中に入る

水に沈んだとき 罪と死の恐れの奴隷の古い人に死んで キリストの復活の命を身にまとって

新しく生まれ変わる

(ここで余計なこと 低俗なことを 敢えてひとつ言わせてください)

カトリック教会の中には 共同体が浸しの洗礼を行うと聞いて 見たこともないのに あらぬ噂を広める人たちが現れた

曰く

プロテスタントの一派ならいざ知らず カトリックでありながら 全身を水につけて洗礼するなんて なんと不謹慎な 異端的ではないのか?

水から上がった女性の体を想像してご覧 濡れた体にに布が張り付いて肌が透けて見えて 裸同然になるではないか いやらしい! と

これは 見たことのない人しか言えない 想像の産物なのだが

そういう誹謗中傷に対して あらゆる言葉による弁明は全く無力だ

そんなことを触れて回る人に言いたい

一度よく見てください 上の品位に満ちた美しい大人の女性の浸しの洗礼式を

どこに問題がありましたか? 百聞は一見にしかずではないですか

カトリック教会に一大変革をもたらした第2バチカン公会議は 攻守所を変えて

「今後カトリック教会は浸しの洗礼を本来とするが 額に水を流す注ぎの洗礼も 従来通り許される」

と言う意味のことを明言している 本来の姿を忠実に実行するものを誹謗中傷するために

見たこともないのに 想像だけでいやらしく悪く言う

しかも 悪いことに 同じような心根の人たちの間ではそれがまるで事実であるかのように信じられ 見境なく言い広められていく

そんな人には 奥さんに内緒でインターネットのポルノを見過ぎではないですか と言いたい 全く嘆かわしい限りだ!

おっと 神聖な復活の徹夜祭を 下らぬ話で汚してしまいました どうかお赦しください 先を続けます


洗礼の部が終ると復活祭のミサの部に入る

 

 

16の角のある銀の大盃になみなみと注がれたぶどう酒と 8角形のお皿の上には手で焼いた種無しパンが

この夜の会衆約600人余りとして

10人の司祭・助祭がひとつの盃からそれぞれ60人にぶどう酒を飲ませる 一枚のパンも60片に裂いて配ることになる

 

 

洗礼を受けたばかりのピッカピカのブラジルのお嬢さん これから初聖体拝領になるのだが 今日の祭儀の中では特別に目立つ存在だ 

 

(もう書く方も 読むほうも いい加減くたびれましたね このあと 復活祭のミサは普段通りつつがなく進んだ とだけ報告します) 


〔以下省略〕 で 最後はいつものように 祭壇を囲む踊りと音楽で 朝の2時半ごろに 全てがつつがなく終わったのでした

深夜をまたいで延々と4時間半の徹夜祭でした 皆さんほんとにお疲れ様

 

 

 

キリストの復活を祝う喜びが爆発して 踊りながら思わずキスをするものも


 

二重三重の環になって踊りながら 喜びの余韻は少しずつ落ち着きを取り戻していく

 

 各共同体は この後レストランに場所を移し それぞれお祝いのテーブルを囲んで食事を共にする

午前3時に大御馳走? それもそのはず あるものはまじめに36時間近く水や牛乳だけの断食をした

いわば ラマダン明けの回教徒以上に腹ペコなのだ

実は ミサそのものがそうなのだが この 「一緒に食べる」 と言う行為が 共同体の一体感を養う上で 非常に大切な要素となっている


会食(アガペ=愛の食卓) は朝4時半過ぎに終わった 

 

 最後に一言 私の属するこのナティビタ (主のご降誕の教会) 小教区では40年ほど前に共同体が導入された

主任司祭は これに対して斜めに身を構えて 全面的には支持してくれなかった

だから 初めは共同体が産まれかけても 産まれかけても 流産を繰り返し

いま頃ようやく 9つの共同体が育つところまでたどり着いた

(同じように40年前に導入されたほかの教会では 20以上 教会によっては30以上の共同体が花開いてる)

事 復活の徹夜祭について言うと

以前は主任司祭を中心に 復活の徹夜祭は伝統的な古い方式に固執して行われていた

だから 今日のような新しい典礼は共同体だけで他の場所を借りてやってきた

ところが 世俗化の波はイタリアにも日本にも等しく押し寄せていて 

若い世代の教会離れと 残った信者の高齢化で すっかり活力が失われ

 教会でする復活の徹夜祭は年を追うごとにさびれ

「徹夜祭」 の名は空洞化し 妥協して夕方から始まり夜が更ける前に早々と終るように 簡略化して行う習慣が広まったが

ところが それでなお衰退に歯止めはかからず ある時点からは  

ついに ばらばらにやっていた共同体の徹夜祭をひとつにまとめて教会でやり 

共同体スタイルに統一して それに一般の信者も参加することで やっと 「徹夜」 で行う本来の姿を取り戻した

ローマの教会では全体の4分の1ほどで似たり寄ったりの形になってきた

ローマで起こったことは いずれ一呼吸遅れて全世界に 従っていつかは日本でもそうなるものと思われる


(おしまい) 

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★ 聖木曜日 洗足式

2012-04-06 23:44:02 | ★ 復活祭の聖週間

~~~~~~~~~

聖木曜日 〔洗足式〕

~~~~~~~~~

 

 

 

写真の黒い薄い手提げの中には、白衣と略式祭服のストール(ストラ)が入っている

銅の洗面器と水差しとその後ろの白いのは大判の手拭い

私の今夜の商売道具はこれだ

 

      

夜の10時ごろ 部屋の壁に沿って共同体の仲間が36~7人 式の始まるのを今や遅しと待っている

 

カントーレのジュゼッペが始まりの歌を先導する

 

一同が唱和すると 歌の半ばで私が入堂し 朗読台の側の十字架に向かって一礼する

 

私が定位置に着くと 今夜の式が始まる

(今日はカメラを兄弟に預けた だから目障りにも私ばっかり目立つ羽目になるが ごめんなさい)

次々と聖書の朗読があって 4番目のヨハネの福音の13章は私自身が朗読した (以下、要約のみ)

 

さて、過越祭の前のことである。

イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。

夕食のときであった。
イエスは、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。
さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。

「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。
あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。
ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。
はっきり言っておく。僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。
このことが分かり、そのとおりに実行するなら、幸いである。

はっきり言っておく。わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」


今夜の私は上の聖書の場面のイエスの役を演じる 兄弟たちはイエスの弟子になった気持ちで式に与る


先ず 隣のヴィトの前にひざまづいて 足を洗う その隣のセルジオは靴下を脱いで準備に入る

(後ろ向きでは 何をしているのか見えないので 数人飛ばします)


銅の水差しから人肌に温めたお湯を足にそそぎ 水差しを介助のものに渡すと

私は手で丁寧に彼女の足を洗う


肩にかけていたタオルの端で濡れた足をきれいにに拭き取る


拭き終わると 仕上げにその足の甲にしっかりとキスをする 

頬であろうが足であろうが 他人の肌にキスをするときの感触は同じだ

この一連の動作を40回近く繰り返す 一人平均約1分としても 結構な時間がかかる

初めの15人ぐらいまでは 跪いたままで膝で歩いて移動することができる

そのうち 膝と腰が痛くなる やがて背中も痛くなる

動作が鈍くなり しまいに立ちあがって腰や背中を伸ばして 一息つかないと続けられなくなる

また 二人か三人の足を洗ってキスして 立ち上がる

全員の足に接吻して立ちあがった時には 額に脂汗がにじんでいる

ああ 今年も無事にやり通した と言う安堵感が湧いてくる・・・

ここまでは ヨハネの福音書の記述にほぼ忠実に進んだ

イエスは12使徒の・・・いや 裏切り者のユダがすでに抜けているから11人の足を洗ったが

私はその3倍以上の足に接吻をした

問題はその後


   

見ていると 共同体の兄弟たちが それぞれ自分の左隣りのものの足を洗い始めた 

もちろん接吻で仕上げるところは同じだ

洗われたものが 次は自分の左隣を洗う

こうして みな一人ずつを洗って一回りすると ハイ出来上がり パチ、パチ、パチ!

ちょっと待ったー! 聖書にはなんて書いてあった? もう一度よーく聞いてください

ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。

そうです イエスが模範を示した通り 私たちも互いに足を洗い合わなければならない はずでした

自動的にお隣さんを洗って順送りして それでシャンシャン ではないのです。

実は 聖書を朗読した後 洗足式に入る前に 私は一発強烈な説教をしたのでした 曰く

皆さん 私はこれから主イエスがなさったように 皆さんの足を洗います

その後で皆さんはそれぞれ隣の人の足を洗うでしょう 私はそのやりかたを敢えて変えろとは言いません

しかし 皆さんがやろうとしていることは聖書の記述に忠実ではありません

ユダヤ教 キリスト教の伝統では 足を洗うのは奴隷の仕事でした

それをイエスは私たちに お互いに対してするようにと命じました

「足を洗う」は日本ではやくざが堅気になるときに使う言葉ですが (・・・これはイタリア語の説教では言わなかった)

キリスト教的には 足を洗うとは 敢えて奴隷に身を落とし 相手に対して犯した罪を告白して 許しを願い 和解を求める印です

私はこの一年間 心の中であなたを裁いていました あなたを憎んでいました あなたを軽蔑していました

無視してきました あなたに嘘をついていました 隠し立てしていました 視姦してきました・・・

どうか赦して下さい!

何があったかみんなの前で言葉にしては言わないけれど

黙ってその人の前に進み出て足を洗ってその足に接吻することを通して

何かわだかまるものがあったことを暗示し 赦しを願い 和解を乞う これは厳粛な儀式なのです

夫が妻に 妻が夫に AがBに CがDに だからどうか足を洗わさせて下さい と跪く

それが出来なければ 成熟した大人の信仰を持ったクリスチャンとは言えない!

できないんですねェ なかなかそれが

特定の誰かの前に進み出るのは恐ろしく勇気がいる

それ以上に ある人が自分に向かって進んでくる時の圧迫感・緊張感も半端ではない

それで 無作為に隣の一人を洗ってお茶を濁す なんて人間て駄目なんだろう

新求道共同体というカトリックの特異な集団ではこの40年余りの歴史の中で

少なくとも最初の20年ぐらいの間は 周りのカトリックの多数派から迫害されながら このヨハネの福音の言葉通り

忠実にと言うか 原理主義的に と言うか

とにかく みんなまじめにそれを実行していたものでした

日本の兄弟たちは 今でも大体まじめにやっていると思います

それが 教皇のおひざ元のローマでは 勢力を得て 教会内的にも認知されるようになると

内部からモラルのゆるみが始まったとでもいうか 形骸化が始まったというか・・・

私は この傾向に断固同意しないものであります!

外に出ると 夜中の12時を回っていた

中空に半月より太い月が輝いていた・・・


(おわり)

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★ 〔補強改定版〕 ローマの復活祭(1)=枝の日曜日

2012-04-04 08:30:32 | ★ 復活祭の聖週間

★ 〔補強改訂版〕

~~~~~~~~~~~~~~~

ローマの復活祭(1)=枝の曜日

~~~~~~~~~~~~~~~


今年はたまたま4月1日 復活祭の日曜日の前の日曜日を カトリック教会は 「枝の日曜日」 と呼ぶ

この1週間は神父たちは結構忙しい

私のようにローマで自由な神父は あちこちから声がかかり たいがい郊外まで出向することが多いのだが

幸い今年は自分の共同体のある市内の「主のご降誕教会」で仲間たちと祝うことができた

この日曜日 イエスが群衆から救世主メシアとして歓呼の声で迎えられ 謙遜にロバにまたがって

棕櫚やオリーブの枝を打ち振り、万歳!ホザンナ!と叫ぶ群衆の中を エルサレムに入城するのを記念する

この日 群衆がイエスに期待したものは革命家 地上の政治的解放者 彼らのメシアだった・・・・

写真は 主任司祭のドン・ピエトロから棕櫚の枝を渡されるアレッサンドラとその後ろは夫のマウロ

みんな20年以上の付き合いの共同体のメンバーだ

ここは教会から直線距離で1キロほど離れた普段はあまり使われない小聖堂

空き屋の小聖堂と言っても 四国の高松の司教座聖堂より よっぽど大きく立派な建物だ

枝の授与式が終ると 信者は行列をして 目的の教会に向かう

エルサレムに向かうキリストと群衆のように

 

光線の具合で上の写真よりやや暗いが 同じ聖堂の中 左手前は棕櫚の枝を渡し続ける主任司祭

棕櫚の枝をもらった信者は祭壇の後ろの内陣に枝を持って立つ

今日キリスト役の主任司祭は 年に一度 自分の教区民一人一人を名前で呼んで一声かける

牧者と羊の絆の確認の瞬間だ だから渡し終えるのに小一時間はかかる

前の会衆席が空になり 祭壇側の内陣が立錐の余地もないほどいっぱいになると

一同はギターの伴奏に合わせて 信仰宣言を高らかに歌い上げる

 

♪ われは天地万物の創造主 全能の父である神を信ず 

 おん独り子イエスキリストを信ず 

 (彼は)聖霊によって宿り 処女マリアから産まれ 

 (人類の罪を贖うために) 苦しみを受けて十字架の上で死に 葬られ 

 三日目に死者の中から復活し 

- - - - - - 

- - - - - -

 (我々の)肉体の復活 永遠の命を信じる 

 アーメン ♪  アーメン ♪  アーメン 


それから一同は小聖堂から外に出て 教会まで行列をして 街を練り歩く

 

   

聖堂の外には 必ずジプシーの女が-たいてい子供を抱いて-物乞いをしている

ちょっと離れたむこうの石段の下では

白いガウンを着せられた少年が配られた棕櫚の枝やオリーブの枝の実費をカバーするための献金を集めている

 

   

教会前の広場は雑然とした駐車場の様相だが 信者はその隙間を埋め尽くして今や遅しと行列の出発を待つ

どこからともなく湧いてきた緑のキャップのボーイスカウトがこんな日はやけに目立つ

 

 

 まさに行列に出ようとする司式者たち 金銀の装飾を施した聖書を胸元に持つのはシルバノ

この小教区に属する3人の永久助祭の一人 司祭が生涯独身なのに対し 永久助祭は既婚者だ

教会からお手当をもらわない名誉職だが お祭りでは結構役がある

右の写真のオリーブの枝で飾った十字架を捧げ持っているのはロレンツォ 彼も永久助祭 

実は 私も同じような司祭の祭服を着て神妙に司祭団の一員をなしているはずなのだが

カメラをしっかり握って手放さない 日本なら 堅物の律法主義的な信者夫人から

祭服を着てカメラを持つなんて不謹慎な とお叱りが飛んでくる いや絶対に!

しかし ここはローマだ 誰も咎めはしない おおらかなものだ

ここの空気が私には合っているのかも・・・

 

行列の通る道はあらかじめ交通規制が敷かれ車は来ない

十字架を先頭にしずしずと

 

     

行列にはこの婦警さん一人だけエスコートしてくれる パトカーは先で道路を遮断している

行列が通りかかるとガソリンスタンドで働く青年も十字を切る

色が浅黒く顔立ちの彫りから見てインド人かスリランカの人だろうか

 

行列はそんなに整然とはしていない 70年代のべ平連のフランスデモみたいといっても もう誰もピンと来る人はいないわけだ

それにしてもボーイスカウトが目立つ イタリアではカトリックのいい子の少年団ぐらいに思われているが

実態はカトリックとは無関係

日本ならキリスト教の教会は圧倒的マイノリティーだから ボーイスカウトと言えば天理教や神社の方が数が多い

要するに軒先を借りられればどんな宗教でもいいという無節操さがある

生真面目な新任の主任神父さんとスカウトのリーダーの間で意見の対立があった

数日後 彼は子供たちを連れて近所の別の宗教に寄生先を変えた

カトリック信者や司祭が加盟すれば即破門になる秘密結社フリーメーソンと どこかで繋がっているという話をローマで聞いた

イタリア人はボーイスカウトの子どもたちと そのリーダの大人たちをからかって

パッツォの姿をした子供たちと 子供の姿をしたパッツォたちの集団

と呼ぶ 「パッツォ」 とは イタリア語で 「気違い」 のことなのだが・・・・

イタリア人たちは平気でどぎつい冗談を言ってケロッとしている

 

 小聖堂を出て緩やかな坂を下ると2000年以上前からあるローマの城壁にぶつかる

そこからVの字に折れて 教会に向かう 教会は旧城外にある

 

道端の柱にはスポーツ雑誌の広告が 

 

城壁からトゥスコラーナ広場までの直線道路の両側のユダの樹は 赤紫の花盛り

キリストを裏切った12使徒のひとりユダの名にちなんだこの木 ユダは後で絶望して首をつって死んだことになっている

一説によると ユダは12使徒の中にタダ一人潜入した熱心党の一味

キリストに地上の革命家を期待し イエスを仲間に引き入れようとしたが失敗した

 こんな華奢な木で首を吊ったのか それとも花の色からユダのの色を連想したものか・・・

 

 

路上駐車の車の屋根越しに美容院のウインドウが

 

   

行列は無事教会までたどり着いた 我々の苦労に満ちた人生の旅路の終点に天国の門が (教会の正面中央のも扉がそれを象徴する)

助祭が捧げた十字架の横木の先でこのドアをコンコンと叩くと バーッと二枚の扉が内側に開く (キリストの十字架の生贄が天の門を開いたといいたいのだろう)

群衆はその扉から聖堂内に入った(写真右) これから枝の日曜日のミサが始まる 

 

 祭壇の周りに子供たちを集めてお話をするご機嫌のドン・ピエトロ主任司祭 彼は常にこの教会のプリマドンナだった

話はとても上手で もう何十年もこの教会に君臨してきた (が 長すぎて弊害もあった)

10年以上前から 彼は司教に昇進するぞ と噂されながら何故かとうとうならなかった

また 今年こそ引退と噂されながら これまた数年が過ぎた 今年の夏こそ と人は言うが ほんとかな?

彼は諸宗教対話に熱心だ その熱が嵩じて 教会の地下に貧しい回教徒たちを住みつかせている

カトリックの聖堂の下で 日夜コーランの祈りが捧げらられているのではないか

私たちカトリック信者の共同体が教会の施設を使うときなど 

ドン・ピエトロから鍵を託されている下働きの色の浅黒い回教徒の信者さんに気兼ねするはめになる

ン? これって何かおかしくない? と日頃から私は疑問に思っているのだが・・・・

昼をとっくに回ったころ 枝の主日のすべての儀式が無事に終った

私たちの共同体は これから郊外のレストランで一緒に食事をすることになっていた

 

   

道端にはタンポポの花が

 

 昔のブドウ農場の倉庫を改造したレストランでくつろいで食事をする

20年以上の付き合いの50人ほどの共同体 互いに生活の裏の裏まで知り合った仲だ 喧嘩もした

こんな席が 自然と本音の信仰の分かち合いの場になる

若い夫婦には子供が多い 子共達ばかりで別のテーブルで食事をとっている

もう年かさの子共達から結婚し始めている たいていあちこちの同種の共同体の子共達同志の結婚だ

こうして強い信仰的空気の中で育まれた子沢山の家庭がネズミ算で増えていく計算になる

 

 

外はもう初夏のような陽気で 新緑が美しい

 

(おしまい) 

 

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★(仕切り直し) 聖土曜日 の 「復活の徹夜祭」 と 復活祭の日曜日

2011-04-23 15:17:52 | ★ 復活祭の聖週間

私は、あと2時間ほどしたら、車でネプチューンの町の教会へいって、復活の徹夜祭の準備に入ります。今年は一人で全部仕切るので、呑気にカメラを構えている暇はなさそうです。それで、私がおよそどんなことをするのかのほんの一部分を、別の年にタルクイニアの教会で参加した時の例でお見せしたいと思います。今年の徹夜祭では4人の赤ちゃんの洗礼が予定されています。見てくださいね。

 

聖土曜日 の 「復活の徹夜祭」  復活祭の日曜日


 聖週間の土曜日の深夜には、初代教会の伝統によれば、真夜中をまたいで復活の徹夜祭を行うことになっている。
しかし、最近はどこでも《徹夜》祭とは名ばかりの、簡略化された典礼を日暮れに始め、夜が更ける前に早々と家路に着いてお茶を濁す悪習がはびこって、ローマはそれを正すのに苦慮している。

 我がタルクイニアの若い主任司祭のアルベルトは、それでも頑張って本格的な徹夜祭を、土曜の夜10時ごろから
深夜の1時過ぎまでかけて、ローマ典礼を何も省略することなく丁寧に行っている。

 今回、私も手伝いとして祭服をまとって祭壇に立った手前、大きめのデジカメを振り回すのは、さすがにちょっと憚られた。
だから、式の次第は写真でお伝えできないのがいささか残念ではある。

 ここはローマに比べれば田舎だが、それでも怠惰で合理主義的、享楽的な世俗文化に汚染されていることには変わりなく、
信仰の為に睡眠を犠牲にしてまで徹夜する庶民はすっかり減ってしまったのか、聖堂の中は再び私の予想を上回って淋しかった。

 しかし、集まってきた信者たちの熱気は、数の問題ではなかった。

 列席の信者たちは喜んで長い朗読と祈願と、それに答える讃美歌の連続に耐えた。
深夜を回って説教が終われば、すぐその後に洗礼式が控えている。今夜も一人の赤ちゃんの洗礼が行われるはずだった。

 共同司式司祭である私は、主任司祭の説教を上の空で聞きながら、心の中で葛藤していた。聖堂の内陣から抜け出して、寝室にカメラを取りに行こうか、どうしようか、という思いと戦っていたのだ。

 誘惑には至って弱い性質の私めは、そっと抜け出して、はしたなくも説教が終わるころには衣の下にカメラを隠して、
素知らぬ顔で元の席に座っていた。そして、いよいよ洗礼が始まった。

 主任司祭は、母親から裸の赤ん坊を受け取ると,大声で言った(もちろんイタリア語で):

 
 父とォ~~! ジャブン!




  《おっ、やっぱり蒙古班がないぞ!》 -陰の声-
   それにしても、若いお母さんの顔!

 御子とォ~~! ザッブーン!!



  《ウオッ!頭まで沈んだぞ!大丈夫か!!》-陰の声-
  でも、お母さんは全く平気!すごいね!!


聖霊のみ名によってェ~~~! ジャッポーン!!!



汝に洗礼をさずけるう~~~ゥ! 

 《ありゃ!男の子だった~ァ!》 -また余計な陰の声-


白い衣を受けなさい。生涯の終りの日まで、汚さず清く保つように、アーメン!

  

(白いケープを着せられたの、わかりますか?)

 カントーレ(歌手)達は、旧約のイスラエルの民が、エジプト奴隷状態から解放され、奇跡的に開いた海を渡って、
無事に約束の地、パレスチナに辿りついて自由を得るまでの史実を、軽快に歌い上げ、ミサもつつがなく終わって、
一同は洗礼盤の周りを輪になって踊った。

 臨席の平山司教も楽しげに踊りの輪に加わった。



 式の間、絶えず場面に相応しい音楽を奏でて会衆を歌に誘うカントーレ達も、典礼には欠かせない重要な要素だ。
ギターだけではない、ヴァイオリンもクラリネットも、ドラムも、タンバリンも、できるものがいればフルートもハープも
パイプオルガンも・・・・といった具合だ。



 徹夜祭のミサが終わると、参加者はお待ちかねのアガペー(晩餐)の会場に殺到した。
 なぜお待ちかねか? 

 参会者の大部分は、聖金曜日の昼食から、復活の日曜日の未明にミサが終わるまで(延べ34~35時間)
水やジュースの流動物以外は、何も食べずに断食していたのだ。いわば、ラマダン明けの回教徒状態だと思えばいい。
だから、過ぎ越しを祝うユダヤ人のように、満腹するまで子羊の肉やその他の御馳走を食べることになる。

 キリスト教原理主義者の奇行と笑うことなかれ。 宗教にはもともとそういう面がつきものなのだ。



 明けて、復活祭の日曜日。御前10時に始まったメインのミサは、両サイドと後ろがぎっしり立ち見で埋まるほどの大盛況だった。
人々は、「祭り」と「信仰」の場とを上手に住み分けて生活をしていたのだ。
それはそうと、私ごとき客人司祭の手伝いと言えば、この善良な信者たちの一年分の懺悔を、聖堂片隅の小部屋の中で
何時間も忍耐強く聴くことが中心だった。



 普段の日曜日の夕ミサは6時なのに、この日はそれが4時に繰り上がった。
これも、6時にスタートする「
祭り」と「信仰」の巧みな住み分けのためだった。


 この日は、遠出は無理な平山司教様にも祭りをお見せするために、歩いて行ける近くの病院の正門前に陣取った。
復活したキリストの像が町を練り歩くはずになっていた。

この病院にもやって来る。
そのキリストが、病人たちにも復活の喜びを告げに訪れる、という筋書きなのだ。

 待つこと小一時間、何やら遠くで爆竹のような音が聞こえ始めた。そして、次第に近づいてきた。
遠目にまず硝煙がかすんで見えた、頭に横浜の中華街の旧正月がイメージされた。しかし、実際は全く別物だった。



 現れたのは、地元の猟師たちだった。仕事道具の猟銃に空砲を詰めては、バン!ドン!バン!と見境なくぶっ放す。
筒先から火花を散らし硝煙が吹きあげる。よく見ると、みんな耳栓や耳当てで自衛している。
それはそうだろう。こんな狂気を2時間も演じれば、耳がパーになるのは当たり前だ!

  

 やがて、先日のブラスバンドがやってきた。聖金曜日の夜とは打って変わって、景気のいい早足の行進曲風だった。



 そして、その華やかなマーチに乗ってさっそうと現れたのが、復活のキリストの像だった。
人の頭の波の上を、まるで踊るような足どりで進むかの如く、担ぎ手は像を躍動感あふれるリズムで揺り担いでくる。



 拡声器で、病院中の患者に聞こえるように、

大音声でキリストの復活と、死を克服した勝利と、永遠の生命のメッセージを伝えたて満足げな

司教と、タルクイニアの市長と、地元の聖俗の権威を象徴する二人が、

猟師達に囲まれて記念写真に収まった。




 長居は無用と、復活のキリストは大群衆が待ち受ける旧市街の祭りの本会場に向けて乱れ撃つ銃声に追い立てられるように
足早に病院を後にした。


聖金曜日にはキリストの骸に影のように寄り添っていた重い十字架も、今日は役を終えたお添え物のように、
花と緑の輪で飾られて、これもキリストの後を追って行った。
付き人の臍の下の大きな革カップは、十字架の下端を受け止めるためのものだが、
担ぐ人のカップがずっしり膝まで下がっているのを見ても、その重さが察せられるというものだ。
輪を含めると優に100キロを超えるものもあるという。



 キリスト像が去ったあと、そこには
「復活したキリストは、生前のキリストと同じDNAを有する個体としては二度とふたたび人の前に姿を見せていないのに・・・・」と、
まるで反抗少年のように一人でぶつぶつつぶやく私がいた。

 この夕方の祭りに先立つ4時のミサを司式した私は、説教でそのことを神学的に理路整然と説いて見せた。
居合わせた田舎の善男善女たちは、始めて聞くこの異説に、ただ口をあんぐりとさせていた。

 私は、キリストの復活の場面を描いた泰西名画は、例外なく史実を裏切っていると言いたい。
そして、信仰深い芸術家たちは、キリストの復活という、イエスの生涯を締めくくる決定的事実を、
全く誤った理解に導く重大な過ちを犯していると、声を大にして言いたいのだ。

 私は、その誤謬の典型を、またしてもタルクイニアのこの行列の中に見た思いがした。

 大げさに言えば、キリスト教会は、キリストの復活から2000年以上も経った今日においてさえ、
まだその史実の真髄を赤裸々に受け止めかねているのである、と言えるのではないか。

 この間の消息は、拙著「バンカー、そして神父」(亜紀書房)の後半に詳しく展開しているから、
興味を惹かれた方は、是非ご参照いただきたい→ http://t.co/pALhrPL 

 ~~~~~~~~~~~~~~

私はこの月曜日からイスラエルのガリレア湖のほとりでの集まりに参加し、エルサレムやナザレを回って5月1日のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の列福式(聖者に挙げられる前の式)に間に合ってローマの戻ります。それまで、ブログ更新も、メールも、ツイッターもお休みです。 復活祭オメデトウ!

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★ 仕切り直しの「聖金曜日」のわがタルクイニア

2011-04-22 12:57:46 | ★ 復活祭の聖週間

去る4月17日の日曜日から、カトリック教会は聖週間(復活祭の一週間)に入りました。聖木曜日には「最後の晩餐の記念」が、聖金曜日には「主の受難と十字架上の死」が、聖土曜日の復活の徹夜祭には「主の御復活」が荘厳に祝われます。今年は、私はローマから車で南に1時間ちょっと離れたネプチューンと言う町の教会の徹夜祭を一人で仕切ることになりました。それで、呑気にカメラをぶら下げて見物している暇はありません。それで、一昨年タルクイニアというローマの北130キロほどの町で過ごした復活祭の記録を公開します。

 

「聖金曜日」 の 我がタルクイニア  

タルクイニアの主任司祭アルベルトはメキシコ人。彼はローマの神学校で私とほぼ同期だった。
聖金曜日の夜、教会ではローマ典礼に則って、型通り「受難の朗読」と「十字架の礼拝」が執り行われたが、
参会者の数は教会の規模にしては極端に少なかった。
しかも、その多くがキコの共同体で見慣れた顔ぶれだった。なぜか?

タルクイニアには、古くから聖金曜日の夜に十字架上で亡くなったキリストの像を担いで練り歩く行列が盛んに行われてきた。
普遍的なローマ典礼よりも、ローカルなこのフォルクロールの方が人気があるというわけだ。

教会での典礼を三人で済ますと、主任司祭のアルベルトを留守番に残し、
助任司祭で若いコロンビア人のウイリアム神父と早めに旧市街の広場に繰り出した。陽はすでに鐘楼の向こうに沈んでいた。



時間が余ったので、先回りして行列の出発する教会に向かった。入口にはすでに儀仗服の警官が頑張っていた。



聖堂の中には、裁かれるイエスの座像、悲しみの聖母の像、
そして、十字架から降ろされたイエスの亡骸の像が、み輿に乗せて運び出されるのを待っていた。

  



聖堂の外には、見物の群衆が集まり始めていた。母親に手をひかれてやってきた天使の扮装の少女たちが目立つ。
先頭の天使は背の高いお姉さんで、キリストの十字架の上に付けられた捨て札を捧げ持っている。
《JNRI》 の頭文字は、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」を意味する。



 処刑場に向かう十字架の道行の途中、
イエスの血と汗を拭った布にイエスの面影が奇跡的に写ったと伝えられるヴェロニカに扮する少女。



 あとで大きな男の子に運ばれることになる十字架には、
イエスを十字架に架けてから降ろすまでに使われたさまざまな小道具が並べられている。

     

 行列が通る道筋には、街のブラスバンドが演奏しながら待っていた。
行列が半分通り過ぎると、最後に来るキリストの亡骸の前あたりで隊列に入り、
その後,行列の中に溶け込んで最後まで断続的に演奏を続けた。
曲は葬送行進曲のように沈鬱なものが多かった。



 ほぼ実物大の十字架を担いで行く男たち。
長い縦棒の先をゴロゴロと石畳の上に引きずっていく。
かなり重そうだ。一人で最後までは無理。だから、両脇に交代の男たちが・・・・



 小さな天使が運んでいるのは・・・、おや、よく見るとサイコロではないか?
これも聖書に描かれている大切な小道具の一つだ。
イエスを裸にして処刑した兵士たちは、イエスの肌着は4つに裂いて分け合ったが、
上着は高価な一枚布だったので、裂かずにサイコロでくじを引きして、勝った男が一人占めにした、とある。



 中世の十字軍の時代から生きのびているエルサレム騎士団も加わった。



 そうかと思うと、ブラスバンドのすぐ前に、ギョッ!とするような奇怪な集団が現れた。
一見すると、アメリカの極右暴力秘密結社「KKK」か、と見紛うような出で立ちだ。



 どういう理由でかは確かめそびれたが、彼らは30年前にこの行列から姿を消し、
今年、久方ぶりに姿を現したという。中世には、公然と大罪を犯して教会から断罪された者たちが、
償いの為にこの姿でさらし者にされた歴史があるらしい。
その印に、今でも両足は太い鎖でつながれている。
彼らが重い足取りで歩くと、石畳の上にジャラジャラと引きずる大音が響き渡る。

    

キリストを打った鞭を下げた少女・・・台に寝かされて運ばれていくキリストの顔・・・キリストの座像と悲しみの聖母・・・。



 

 そのみ輿に付き添う十字架は、それぞれ80キロほどの目方があり、
一人の屈強な男が肩から回したベルトで支えているが、時々交代しないと、とても最後まで歩き通すことができない。



 野尻湖で隠遁生活を余儀なくされていた頃、長野県上水内郡の氏神様の秋祭りに魅せられて、
沢山の写真を撮って興奮した記憶がある。当時はブログを公開していたから、多くの人が見てくださったと思う。

気が付いたら、同じ軽い興奮状態で盛んにシャッターを切っている自分が、ここにもいた。

同じように私を魅了する祭りとは何なのだろう? 宗教とは一体何なのだろうか?

私が信じるキリスト教。その為に、全てを賭けて入った神父の生活とその裏打ちとなる私の信仰は、
どうやらこれらのお祭り騒ぎとは全く無縁のものであるらしい。
同じキリスト教のヴェールの下にはあるが、それを剥ぎ取ると、
私の信仰とこのタルクイニアのお祭りの距離は、あの長野の神社の祭りとの間の距離と同じぐらい遠いものがあると思った。

                (谷口幸紀)

 

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