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:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 【一部補足】 福島第1原発「メルトダウンの真相」 NHK BS 1 「隠されていた炉心爆発の衝撃の映像」

2020-03-07 18:33:23 | ★ 大震災・大津波・福島原発事故

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【一部補足】

福島第1原発「メルトダウンの真相」 NHK BS 1

隠されていた炉心爆発の衝撃の映像

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今朝(3月7日)、NHK BS 1 を見ていたら、たまたま福島第1原発「メルトダウンの真相」と言うドキュメンタリ―番組を放映していました。

 

2011年3月、事故の直後にイタリアの新聞1面トップに掲載された特大写真

赤い字の見出しは「見えない破綻の震源地」でした

 

先ず目に飛び込んできたのは3号機の炉心爆発の瞬間をとらえた衝撃の動画でした。

2011年の大震災のころ、まだローマに住んでいた私は、この爆発の写真を一早く事故の翌日の新聞で見ました。

これは核爆発ではないかと直感した私は、それをすぐにブログに取り上げましたが、当時、日本の全国紙では完全に封印されていて、今日にいたるまで大部分の日本人はまだそれを見たことがなかったのではないかと思います。

この3号機の爆発は、発電所の建物に溜まった水素ガスに火が付いて外側の建屋を破壊し、白い煙が低くたなびいた水素爆発のように説明されてきましたが、動画で見るかぎり、その最初の閃光とそれに続いて垂直に吹き上がり多くの構造物の重い残骸を空から降らせたこの茶色がかった黒いキノコ雲は、単純な水素爆発とは全く異質の、炉心の核燃料が爆発した一種の核爆発であったに違いありません。

原子力発電所の3基の原発が相次いで炉心溶融を引き起こした前代未聞の過酷な事故は、チェルノブイリ原発事故を上回る人類史上最悪のもので、その原因はアメリカのGE社の設計上の二つの重大なミスによるものであることが、今日のドキュメンタリー番組で明らかになりました。

ひとつは、非常事態発生の場合に炉心に冷却水を注入するためのバルブが、炉心内部の圧力の上昇によって自動的に作動しなくなる構造に設計されていたこと。もう一つは炉心格納器内の圧力を下げるための緊急ベントのバルブが、十分な耐震強度を持っていなかったために破損して作動しなかったことです。いずれも炉心メルトダウンを回避するための設備の致命的欠陥で、そのためにメルトダウンをみすみす引き起こしたものでした。

国(または東電)は、この件でGE社を相手取って訴訟を起こすべきであるのに一体何をしてきたのでしょうか。

  

3号機炉心爆発の瞬間の閃光      次の瞬間のキノコ雲は煙突の4倍の高さまで!

広島・長崎の原爆の別名は当時から「ピカドン!」だった

事故後すぐに公表された1号機の水素爆発(閃光は無かった)と比べれば違いは明白 

破壊力の違いは一目瞭然 ただのガス爆発炉心の核爆発の違いだと思われる

また、新たに見つかったこれらの致命的欠陥が取り除かれないまま、つまり、同じ欠陥を持ったままの状態で、現在停止中の全国の原発を、再稼働向けて我武者羅に急ごうとする阿部政権の悪政、暴政は決して許されてはなりません。

 

ブログを遡って、3.11関連の記事を覗いてみてください。

 

「再び福島原発災害について」(2011.04,20)

https://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/31fcd9219158ac0d4d3c14620beb455e

「津波の被災地は今ー1」(2011.08.10)

https://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/2a725b58bc24cb3bbd2e1cf665e4807d

 「悲しい便り」-ついに恐れていたことが現実に (2011.10.26)

https://blog.goo.ne.jp/john-1939/m/201110

  「今さら誰も驚かない」(22012.08.02)

https://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/3d20cdf6718683fb8c5e19ec5b3e19d0

 

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★ 飯舘村(福島)からの最新レポート

2017-08-14 00:46:47 | ★ 大震災・大津波・福島原発事故

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飯舘村(福島)からの最新レポート

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ほぼ1年半ぶりに飯館村の役場に菅野村長を訪ねた。用件は今年の11月14日(火)に東京のトッパンホールで開くコンサートのために「名義後援」を依頼するためだった。

ヘンシェルカルテットと言うドイツの第1級の弦楽四重奏団の特別公演に、なぜ飯舘村の「名義後援」が?と思われるかもしれないが、それは、東京都下に避難している3.11「東日本大震災」避難者向け定期便にコンサートの案内を載せてもらうために被災地の自治体の「後援」が必要だったからだ。

 

私は昨年5月7日のサントリーホールにおけるシンフォニー「罪の無い人々の苦しみ」に避難者を招待するためにも、同じ「定期便」を使わせてもらったが、その時は福島第1原発の敷地がまたがる双葉町と大熊町の後援を得た。今回は昨年のコンサートで講演して下さった菅野村長が快く「後援名義」を貸して下さることになった。

用件はそこそこに、村長はその後の状況を話しはじめた。

原発事故のあおりで全村強制疎開が決まる前は、飯舘村に6000人余りの住民がいた。村長の努力もあって、飯舘村には「飯館牛」などブランド化された特産品や、田舎の小さな村には異例の青少年の集団海外旅行と国際交流など、垢抜けした施策で全国に冠たるモデル村の様相を呈して栄えていたのだが、3.11の強い放射性降下物の影響で、心ならずも全村民が避難することになった。それに伴い村役場も疎開して飯野町役場に間借りした。

5年経ってやっと1年前に避難命令が解除され、帰還呼びかけが行われたが、帰ってきた村民は今のところ役場の職員とその家族を含めてわずか350人にとどまっている。菅野氏によれば、向こう4年間をシュミレートしても、帰還してくるであろう村民の数は1500人程度に止まると見られている。

決定的なのは、3.11以前には1500人いた飯舘村の小中学生のうち、村に戻ったのはわずか14人にしか過ぎない事だ。飯舘村にいた児童の大部分は、今も全国の700の学校に分散していて、この先、飯舘村の小中学校に子供たちが戻ってくる展望はほとんどない。小さな子供に持つ若い家族は、放射能の影響を恐れ、子供たちの将来を思って飯舘村を捨て、早々と新天地に根を下ろしてしまっているのだろう。

菅野村長以外からもいろんな話を聞いた

他方では、強制疎開以来、支給された国の補助金や行政の支援だけを頼りに村外で細々と生き延びてきた老人たちは、冷酷にも相次いで補助金や支援が打ち切られ、たちまち村外避難生活が成り立たなくなり、心ならずも土地と家のある村に帰る以外に選択肢がない袋小路に追い込まれるのだが、帰りたくても6年以上住まなかった家はネズミや野生動物たちに荒らされてすでに廃屋同然になっている。そのままでは居住に耐えられるものではないが、住めるように手を入れるだけの資金もない。

村に残った家のほとんどが住める状態にない現実を察知した国は、何が何でも帰還者を増やそうとして、住めなくなった家を取り壊して更地にする費用を国が負担することにした。住めなくなった廃屋は取り除いてやるから、何が何でも自分で跡地に家を建てて住め、と言うわけだ。

広くゆったりした長年住み慣れた故郷の家が無残にも取り壊されていくのを、人々はどんな思いで眺めたことだろう。

更地になった自分の土地に、金を工面して仮設住宅よりわずかにましな平屋の小さな家を建てては見ても、たちまち、医療、日常の買い物、郵便局・・・と、生活のインフラは全く整っていない現実と向き合わねばならない。そんな老夫婦一代限りの住居に、その後に子供たちが戻ってくる希望は全くない。飯舘村は早晩無人の地になるのだろうか。飯舘村だけではない、事故原子炉に近い浜通りの広い範囲が、過密日本の中で、ただ一か所、人口空白の砂漠地帯が出現することになるのだろう。

ここからは村長さんとの話ではないが、私は飯舘村の行き帰りに被災地の現状の貴重で興味深い写真をたくさん撮ったので、それでこのブログを飾ることが出来ると楽しみにしていた。ところが、カメラから写真をパソコンに取り込む過程で、愚かな不注意からそれらを一瞬にして全部消去してしまった。意気消沈して、一旦はこの報告のブログを書くのをやめようかと思ったが、気を取り直して、必要なメッセージだけは伝えることにした。

 (ここに菅野村長と私のツーショットがあると想像してください)

行き帰りにあちこち車を止めて写した写真は見るだけで説明が要らないものばかりだが、それを文字でどこまで伝えられるだろうか。

除染作業員の宿舎となるプレハブ建設の簡易ホテルは、最近は余り流行っていない。除染作業が一段落したことを示している。役場や学校や住宅の周囲の点と、それを結ぶ道路沿いの線の除染は一巡したのだろうか。しかし、田んぼや畑の面の除染はほんの一部で残りは放置されて雑草が生い茂っている。

その耕されない農地には膨大な量の放射線レベルの高い除染廃棄物の袋が山積みされている。以前は高さと直径1メートル余りの黒い袋が裸で積み上げられてまれていたが、今はその上から緑色のシートで覆われて整然と並んでいる。しかし、これは根本的解決ではない。応急に地下に埋めたのも掘り起こして、全て中間貯蔵所に集めなければならない。多分無人の地となった双葉町あたりになるか?中間貯蔵所と言うが、最終貯蔵所の目途があるわけではない。永久にそこに放置され、その土地は永遠に遺棄されたままになるだろう。

除染されず、除染しても耕す人が戻ってこない田畑は荒れ放題。そこに今広大な太陽光発電のパネルが敷き詰められ始めている。電力を産むために原発が作られた。それが事故を起こして広大な土地が放射能汚染で荒廃し、そこが再生可能エネルギーの発電場所となった。何という皮肉な循環だろう。原発など造らずに、初めから田んぼに太陽光発電のパネルを敷き詰めればよかったのだ。

人が住まなくなったら、動物が増えた。ネズミに始まり、イノシシ、タヌキ、ハクビシン、アライグマ、猿、etc. そこに大手を振ってハンターたちが集まる。残酷な狂気の無差別殺傷ゲームが野放しだ。

除染は目立つ点と線と僅かな田畑に手を付けたところで打ち切られた。山や林や大部分の農地は除染の対照にはならなかった。放射能レベルは今も高い。獣医さんは山裾の農家の庭先で飼われている犬の皮膚癌がひどいと言う。

風邪の日に屋外で洗濯物を干して、取り入れる前に簡易線量計を近づけると針は赤い危険水準まで振れる言う。風が運んできた汚染物質が付着したのだ。うっかり屋外に洗濯物も干せない。

国が、病院が、保健所が、安全だと言っていることに疑問を持ち、自衛のために線量に高いものは食べない家族がいると、反逆者のように村八分になりその土地に住みづらくなるという話も聞いた。

せめて子供だけでも線量の出ない遠隔の地に疎開させようとすると、行った先で、また帰ってきてから、学校でイジメに合う。

話は尽きないが、東京あたりで考えているより実際ははるかに深刻な状態にある。

(ひとまず終わり)

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★ 吾輩は「犬」である=福島被災地に生まれて

2017-03-23 00:52:45 | ★ 大震災・大津波・福島原発事故

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吾輩は「犬」である 福島の被災地に生まれて

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元銀行マンの私は、十数年前、神父をしながら四国・高松の司教館で、教区会計の仕事をしていた。

その時以来ずっと今まで付き合っている人の中に、Kさんという若い女性がいる。彼女は、私が東京に居ようが、ローマに居ようが、お構いなしによく電話を掛けてくる。多い時は、日に2度、3度、5度とかかってくることがある。だが、内容はいつもあっさりしていて、実に短い会話で終わるので、さほど苦にならない。出られるときはなるべく出てあげるように努めている。

彼女はずっと以前から犬を飼いたいと望んでいるが、ペットショップの20万円も30万円もする仔犬を買う資力がない。かといって、保健所に掛け合って捕獲されたわけありの犬を貰いに行く才覚もない。

昨年の暮れ、所用あって福島県のある町に投宿した時、泊めてもらった家に大小の犬が7-8匹、まるで家族の一員のように、小学生の子供たちと一緒に家の中でじゃれ合っていた。毎日生命にあふれたお祭り騒ぎだ。

最近拾われて家族に加わった雌の野良犬が、私の泊まった翌朝、2匹の仔犬を産んだ。私は、これは神様の仕業だと思った。

そのうちの黒い雌を欲しいと言ったら、いい返事が返ってきたので、その場で高松のKさんに電話を掛けると、彼女もぜひ欲しいという。とはいえ、生後一日の仔犬を母犬から離したら、高松で生き延びられるとは思えない。しかも、私は数日後にローマに帰らなければならない。3か月したら日本にまた戻るから、それまで頼む、と言い残しその場は引き払った。

ローマから帰ってすぐ連絡したら、その仔犬はあげられない事情が発生した、ということだった。すっかりなついて今さら子供たちから引き離せないということか?だが、待ちわびている高松のKさんに、あの話は駄目になったとも言えない。ただでさえ傷つきやすい彼女に、神父は嘘つき、という印象を植え付けることは避けたかった。さりとて、帰国早々、自力で代わりの犬を見つけられる展望もなかった。

大迷惑を承知で、無理に福島で代わりの犬を探してもらった。幸い、この写真の仔犬が見つかった。推定生後2か月余りの野良公。まだ名前はない。福島県下で拾われて保健所にあずけられたが、一定の期間以内に里親が決まらなければ、処分される運命にあった。

東京のペットショップで移送用のケージやもろもろの付属品を買い求め、福島へ急いだ。帰りの新幹線の中では、知らない人にどこに連れられて行くのか不安で、狭いケージの中で落ち着かず、結局、頭だけ出して私にあやされながら東京に着いた。

3泊4日、東京の私の部屋に泊まり、朝晩は新中川の土手を散歩した。行き交うお犬様たちは、柴犬や、ダックスフンドや、プードルやらの血統書つきばかりで、雑種の野良犬なんかいない。ところが、それがかえって珍しいのか、散歩の人からは「あら、可愛い!」と声がかかる。 

この季節、新中川の土手の斜面には今年も土筆が生えていた。 

お散歩の間は可愛いパンパースを外して犬らしく裸で走り回る。お利口にも私の小指ほどのウンチもオシッコも外で済ませてくれた。

新幹線「のぞみ」に乗って一路岡山へ!私にすっかり慣れて信頼したか、おとなしくケージの中でウトウトしていることが多かった。

マリーンライナーで瀬戸大橋を渡って坂出の私のアジトに着いた時は、さすがに疲れたか、甘えて、甘えて、どうしようもなかった。ちょっと他の仕事に集中すると、クーン、クーンと甘えてくる。甘噛みのつもりだろうが、歯先は鋭くけっこう痛い。パソコンの電源ケーブルも、ボロボロで導線剥き出し寸前、危うく食いちぎられそうになった所を未然に防いだが、そうなっていたら大被害、彼も感電していたかもしれない。

体重計にまず手ぶらで乗って、次に仔犬を抱いて乗って、差を計ったら、ちょうど4キロだった。足が太くしっかりしているから、あと3-4カ月で10キロほどの中型犬になるだろうか?なつかれると、情が移って手放したくなくなったが、世界を放浪する貧乏神父ではどうしようもない。心を鬼にして、明日には待ちわびているKさんに渡さなければ・・・。

幸いKさんはとても気に入ってくれた。彼女は彼に「チビスケ」という名を贈った。(けっこう大きくなりそうだが?)朝晩の散歩で彼女は少しやせるだろうか。2人とも幸せになれよ!と祈った。

 それなりに色々忙しい仕事の合間を縫って、東京から福島まで新幹線で、そこからレンタカーでメルトダウン事故を起こした福島第1原発から遠くない町まで行って、一匹の仔犬を引き取って、ペットショップで買い求めたケージに入れて、東京を経由して、新幹線で岡山へ、マリーンライナーで高松へ、最後に仔犬をKさんに無事届けて東京に戻るまで、大変な手間と時間と、馬鹿にならないほどのお金がかかった。

お前は一体何をやっているのか?と自問した。それは神父の仕事か・・・? そんなことして何になる? 世の中何も変わらない!

高が仔犬一匹ーされど命。Kさんーどこにでも居そうな自閉症気味の孤独な女の子。この娘が愛情を注ぐ相手の小さな命に出会い、その小さな命は優しいし女主人に可愛がられて10数年の命を幸せに全うできるなら、この「愚かな大仕事」も神様の前に無駄ではないと思える心境になった。やはり歳をとったせいだろうか?

大災害から6年、福島県の浜通りには野良犬が多いのではないかと思う。避難した人々に遺棄された哀れな犬たちだ。「チビスケ」はその2世だろうか?野生に戻っても、餌が豊富とも思えない過酷な世界では、生き延びるのも楽ではないだろうに?

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

私は福島の原発事故と、何十万人の被災者と、天文学的な廃炉費用と、何十年、何百年も後を曳く放射能汚染にもかかわらず、なおも原発推進、原発輸出に血道をあげる為政者に同意しない。北朝鮮のミサイル基地への先制攻撃能力を持とうとする意志に抗議したい。PKO戦死者の命を9000万円の弔慰金で買おうとする國の方針を悲しく思う。

この仔犬のつぶらな瞳を見つめながら、人間の命とは何かと自問した。

天地万物の創造主なる神様! あなたは確かにおられます。

罪人の私を、全ての人を、そのまま、在るがままに

愛してくださいます。

永遠の命、復活の命!

私を憐れんでください。

 

 

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★ 「福島異聞」 (そのー4)

2017-01-09 00:01:50 | ★ 大震災・大津波・福島原発事故

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「福島異聞」 そのー4

チェルノブイリリング

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舞台で重々しい「能」の演目ばかり続いたら、好きな人でも途中で疲れてしまうだろう

だからその合間に「狂言」を挟むのが 日本人の知恵だ

私は「ある神父の告白」と言う「狂言」を一つ挟んだ

だから「福島異聞」のまじめな「能」に戻るのを許していただきたい

 

 

 発事故現場からあまり遠くない土地(しかし、避難指定地区の外)に住むわたしとお友達のある小学生に甲状腺異常と数個の膿疱(この字で正しいかな?)が見つかった。汚染した生活環境からの放射線被ばく(特に内部被ばく)を疑った若い母親から、SOSが届いた。自分の人脈の中から九州の某施設に話をつないで、転地療養の手はずを整えた。それなのに、いざとなったら、親はなかなか実行に移さない。特別にお願いして受け入れ態勢を整えてもらった手前もある。「何をもたもたしているの?」と不審に思って尋ねたら、学校が必要な手続きに協力してくれないという。学校の言い分は、「福島の子供が、放射能被ばくで転地してきたことが知られたら、行った先で社会問題になるから」という理由のようだった。福島には「放射線被ばく児」はいないことになっているらしい。自然の甲状腺ホルモン異常の子」は大勢いるのだが・・・。

日本は国として世界に向かって胸を張って公言してはばからない

「エブリシングアンダーコントロール!」

「ノーデンジャー」「プリーズカムトゥーザオリンピックゲーム!」

日本にもやがて「チェルノブイリリング」(首に月の輪熊みたいな甲状腺手術の痕)のある子供たちが続出しなければいいのだが・・・。 

ここまでが私の短い話だ。

~~~~~~~~

以下の文章は、もっと怖くて説得力がある。少し長いが、我慢してお読みいただきたい。2011年7月11日といえば、3.11からわずか4か月のきわめて早い時期の予言的な記事だった。

ニューヨークタイムズの記事
チェルノブイリのネックレス(傷跡のリング)

これは、チェルノブイリ原発事故が、よく知られているベラルーシやウクライ
ナだけではなく、はるかに遠く離れたポーランド北部に、大量の被爆者を作った
実例です。そして、そのようなことがいかに無視され続け、事実を調べもせず
に「無関係」とされてきたのかということへの痛烈な告発でもありま す。

おそらく日本でも今から、子どもたちに鼻血が出ようが皮下出血があろうが、
甲状腺が腫れようが癌が増えようが、「フクシマとは無関係」と言い張る似非学
者・似非医者と似非ジャーナリストたちが跳梁跋扈する時代が 訪れるでしょう。

このNYタイムズ記事は、そういった時代への警告ということができます。

そんな時代に、それぞれの立ち位置から、いったい何をなすべきか、この記事
は鋭く問いかけているようです。

童子丸開 拝

=======以下転載・転送歓迎=======

ニューヨークタイムズ記事:全文和訳(暫定訳)

《チェルノブイリのネックレス(傷跡のリング)》


【訳者より】
 これは2011年7月11日付のニューヨークタイムズ紙に掲載された、
ジョー・ノシーラによるコラム記事の和訳(暫定訳)である。
記事原文は、和訳の後ろに貼り付けておくことにする。


 まずは訳文の全てをお読みいただきたいのだが、この中で私が注目したいの
は、25年前のチェルノブイリ核(原子力)発電所事故の後に、東ヨーロッパで
拡大している膨大な数の健康障害について、まともな「疫学的な研究が全く始
められなかった」と作者が述べている点である。当時のソ連当局が十分 なデー
タを出 さな かったせいもあるのだろうが、何よりも、顕著にそして膨大に現れ
てきた事実を研究しようともせずに、癌についてすら「欠陥のある研究の方
法」と語ってこの 問題を「かなりの論理的な難問」と話をすり替える頑迷な専
門家たち、そしてせいぜい動物の異常出産に注目する程度のジャーナリズムにこ
そ、最もその責 任を問うべきものだろう。

 今から後、福島のみならず日本の各地で発生する様々な健康への被害に対し
ても、チェルノブイリに関して行われてきたのと同様に、この種の専門家たちや
ジャー ナリズムによる無視と矮小化とすり替えが始まることだろう。いやもう
すでに始まっている。インターネット上で各地から報告される鼻血、下痢、皮
下出血などをまともに調べてデータを集めている研究者が何人いることだろう
か。そしてそれをまともに知らせようとする報道機関がいくつあることだ ろうか。

 まともな研究がいまだに行われていないのだから、「科学的」も「非科学
的」もあったものではあるまいが、やがて日本人の中に甲状腺障害や白血病など
の事実が現れてきたときに、いくつかの明白な態度が出てくる だろう。

 それらの事実に対して「福島事故との関係性は認められない」と言いなが
ら、関係性を指摘する声を「非科学的」として否定し非難する専門家、およびそ
の取り巻きたち…、彼らの声を単に垂れ流しにして事実に蓋をする報道機関…。
下部の医療機関に調査をしないように圧力をかける上級の機関、下部の研究者
に調査と分析を行わないように圧力をかける上級の研究者や機関…。おそらく
我々は、そういった様々な醜い者たちの姿が事実の前に立ちふさがるのを、
しっかりと目撃することだ ろう。

 もちろん最初から福島事故と健康障害の事実との関係を追及する専門家たち
もいるし、いままでの態度はともかくも途中で事実に気づいて態度を変える人も
いると思う。そのような人々が一人でも多いことを祈りたい。

 しかしその前に、何よりも、過去にあったチェルノブイリ事故の影響につい
て、世界中の良心的な研究者と支援団体によって数々になされた研究成果が報道
機関によって正当に幅広く伝えられ、多くの人が事実を知り、また研究機関の
間で大きな話題として議論されなければなるまい。我々は、チェルノブ イリに
ついて、そしていずれ日本人の上に迫り来る大災厄について、どこの誰が、い
つ、どのように語っているのか…、それを克明に記録し、正確に伝えなければな
らな い。そういった一般の多数の非専門家による作業が、日本国とそこに住む
人々を破滅に導く者と救おうとする者の区別を、白日の下にさらすことだろう。

 さらに大切なことは報道に対するチェックだろうと思う。頑迷な専門家たち
の声を垂れ流しにして事実を覆い隠す報道機関はどれか…。これに対し て、大規
模なボイコット(新聞や雑誌の不買運動、テレビやラジオの不視聴運動、それ
ら のスポンサーとなる企業に対する不買運動、等々)が組織される必要があ
る。また その 逆に、事実を収集し正確に伝え、専門家たちに正直で価値ある調
査と研究を促そうとする報道機関があれば、それへの推奨運動(新聞や雑誌を
買って経営を支える、視聴率を上げてその番組や出演者を応援する、等々)の
動きが、是が非でも必要となってくるだろう。

 このような種類の全国規模の巨大な動きが、強大な権力を動かし政治を動か
し、世界を破滅に導く者たちの歩みにストップをかけていくことになる。我々日
本人こそがその当事者なのだ。

 最後に、この報告を書いたジョー・ノシーラ氏とこれを掲載したニューヨー
クタイムズ紙に感謝を捧げたい。

2011年7月13日 バルセロナにて 童子丸開

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  * 
 *    
【和訳】

《チェルノブイリのリング状の傷跡》
     ジョー・ノシーラ
    2011年7月11日 

 実に奇妙なことだが、史上最悪の核事故の25周年にジャーナリズムが注目
したのは動物に関してであった。二つの雑誌 Wired と Harper's は、ウ クライナ
にあるチェルノブイリ原子力発電所付近の、いわゆる避難地域での、動物の新生
児について長ったらしい記事を発表したのである。

 まあそれはそれで結構なのだが、しかし最近起こった日本での核事故を考え
るならば、あなた方はむしろ…、チェルノブ イリで被災した人々に何が起こって
きたのかを知るほうが良いのではないだろうか。

 私はそういった人を知っている。彼女の名はマリア・ガウロンスカ。30歳
で賢く魅力的な女性のマリアは、2004年にニューヨークに移り住んだポーラ
ン ド人である。私は4年前に私の婚約者の紹介で彼女を知った。彼女はいつも
タートルネックの服を着ていた。どんな暑い日でもだ。

 マリアが生まれた町オルスチンはポーランド北部にあり、チェルノブイリか
ら400マイル(約644km)も離れている。その原子炉がメルトダウンし膨
大な量の放射能を空高く吹き上げた1986年4月に、彼女は5歳だった。そ
の事故で放射能はウクライナやベラルーシをこえて、そう、ポーランド 北部に
まで広がったのである。

 「最初は」と彼女は言った。「爆発だけど危険じゃないと言われたんで
す」。しかし数日のうちに、ソビエト連邦はそれが事故であることをしぶしぶ認
めた。マリ アは、みんながヨウ素の錠剤を渡され、屋内に留まるように命令さ
れたことを思い出す。彼女は続く2週の間自宅内に留まった。

 同時にまた彼女は、その事故の健康への影響をポーランド人たちが知るのに
何年もかかるだろうと言っていた人々の声を覚えている。何にもまして放射線は
甲状腺の重大な障害を引き起こす。それが、人々がヨウ素剤を飲む理由なの
だ。甲状腺が吸収する放射性のヨウ素の量をできる限り減らすためである。

 案の定、この四半世紀を通して、オルスチンでは甲状腺障害が爆発的に増え
てきている。あらゆる病院の病棟がいま甲状腺疾患に充てられているとマリアは
私に語った。これは決して大げさではない。オルスチンの甲状腺外科医アル
ツール・ザレウスキ博士は、1990年代初期以来、莫大に増加する甲状腺の
手術に携わってきたと断言した。一部の人々は甲状腺ガンを患うが、多くは甲
状腺の肥大、あるいは正常な機能を失った甲状腺に悩んでいる。

 しかしザレウスキ博士は同時に、甲状腺の疾患とチェルノブイリとを結びつ
ける科学的な証明は無いのだと私に注意した。一部にはソビエト連邦の頑迷な態
度のため、また一部には、ランセット【注】が「かなりの論理的な難問」と述
べるかも知れないもののために、チェルノブイリの大災害とポーランド におけ
る甲状腺の問題とを結びつけるのに役立ったかもしれない疫学的な研究が全く
始められなかったのだ。
【訳注:「ランセット」は週刊で発行される査読制の医学雑誌。こちらを参照
のこと】

 いままでになされてきた研究は癌に焦点を当てたものだ。ランセットによれ
ば、ベラルーシとウクライナでの小児白血病と乳がんの増加はチェルノブイリに
起因しうるが、「欠陥のある研究の方法」のためにこれらの研究は決定的なも
のではない。

 しかし、私がマリアの母親のバーバラ・ガウロンスカ-コザクにeメールを送
ると、彼女は頑として譲らなかった。「私はチェルノブ イリが甲状腺障害を増
やしたのだと確信します。」バーバラは自身が(疫学者ではないものの)科学
者であり、これが「平均的なポーランド国民」の信じていることだと私に語っ
た。彼女自身、あの事故の10年後に甲状腺手術をしなければならなかった。
彼女の母親は2回の甲状腺手術を受けた。彼女の親友は甲状腺手術を1度受け
た。高校時代の古い友人は甲状腺腫瘍の摘出手術を受けた。父親が甲状腺の障
害を持たなかった唯一の家族だと、マリアは私に語った。

 5年ほど前にマリアの番が来た。徐々にだが、彼女の甲状腺は気管を圧迫す
るまでに膨れ上がり、姿勢によっては呼吸が困難になっていった。もちろんだ
が、 その 醜い成長こそ彼女がタートルネックの服を着る理由だった。ニュー
ヨークのある専門家は彼女に、こんなものはいままで見たことがない、その矯
正の手術はきわめて危険でありおそらく声帯を痛めるだろうと彼女に言った。
だからマリアはポーランドに戻り彼女の故郷の町で手術を受ける決心をしたの
だ。今年に入ってすぐ、彼女は手術を受けた。

 チェルノブイリで起こったことと全く同じように、福島第一原子力発電所の
事故が近隣に住んでいた人々の健康にどんな影響を及ぼすのかを我々が知るまで
に、 何年もかかるだろう。漏れた量がずっと少ないにもかかわらず、放射能は
海に流れ込んだのだ。そしてその跡は食料の中で発見されている。どのように
核力(原子力)を取り扱うべきか考えこまされる。それはクリーン・エネル
ギーの見通しが立たない苛立たしさを与えるものだ。いままでに存在している
災厄の危険性と相まって事態は悪化していくに違いないという…。これらは単
純な疑問ではない。我々が福島第一のような、またはチェルノブイリのような事
故が起こるときには必ず思い起こすはずのものだからである。

 少なくともマリアにとってこの話はハッピーエンドになっている。彼女を手
術したザレウスキ博士はその甲状腺の大きさを見たときにひるまなかった。手術
は成功した。彼女の声帯は良好なままである。彼女はいままでにも増してエネ
ルギッシュになっている。
 マリアは私に、オルスチンにいた間に旧友たちを探し出したと語った。故郷
に戻った理由を彼女らが聞いたときに「みんな笑って自分たちの傷跡を指さしま
した」と彼女は言った。

 彼女がニューヨークに戻ってからほどなく、私が彼女に会ったとき、彼女自
身の小さな傷跡に気づかざるを得なかった。タートルネックを着ていなかったの
である。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  * 

【原文】
http://www.nytimes.com/2011/07/12/opinion/12nocera.html?_r=2&emc=tnt&tntemail0=y

Chernobyl’s Lingering Scars
JOE NOCERA
Published: July 11, 2011

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★ 仕切り直し 「福島異聞」そのー3

2017-01-02 17:56:59 | ★ 大震災・大津波・福島原発事故

~~~~~~~~~~~~~~~~~

仕切り直し 「福島異聞」そのー3

~~~~~~~~~~~~~~~~~

明けましておめでとうございます。本年もよろしく!

前回は割愛したが、「伝聞ではなく、自分の生の体験を書くのも悪くはない」、 

そう思ってアップしかけたのが以下の短い記事でした。

割合に最近のこと、寸暇を惜しんで汚染地帯にレンタカーを駆ってきた。そして、除染作業員などが長期滞在していると思われるあちらこちのプレハブ簡易宿舎の一つに泊まってみた。私が70年代に山谷や釜ヶ崎で泊まっていたドヤ街の畳一帖ほどの蚤がいそうな安い部屋とは大違い。糊のきいたシーツのベッドにユニットバス付で素泊まり6千円。貧しい神父の一泊代としては高額な宿だが、作業員は月18万円の宿泊費を払う余裕があるということだ。

夜は居酒屋が大繁盛。一人黙って冷酒をちびりとやりながら、それとなく場の空気を観察した。大声で話し合っている。広い店の中はひどく騒がしい。板さんと注文を取りに来る男は日本人だが、給仕やカウンターの中で働く手伝いの若い女性たちは全員東南アジア系だった。空間線量が常態的に高いこの地域で働く日本女性はいないということか?直感的にベトナム人ではないと思った。かといって、フィリッピン人でもないようだ。タイか、ビルマか?

客が外から連れてきたのか、はじめから店に居たのかは知らないが、あちこちに交じって座って一緒に飲み食いしている若い女性たちも、皆例外なく東南アジア系だった。除染作業員や原発の廃炉作業員は、ここでは本名や身元が不詳でも、働きさえすればまとまった金を手にできる日本では他に例のない特異な地帯ではないか。被曝を恐れない-或いは被曝について無知な-ワケアリの男たちが、無法の天国で稼いでいる。

この店では客はみんな日本人だった。では、日本人でない男はいないのか? 除染作業員、廃炉作業員の中に外国人が目立つようになって久しいという話も聞いていた(これはまさに伝聞として)が、彼らは何処にいる?

思い返せば、私が山谷で日雇い労働者をしていた頃 ―それは30年以上も前のことになるが― ひょんなことで私の仮住いに一人のイラン人の青年が居付いたことがあった。政治亡命者で、国に帰れば殺される。日本にも多分不法滞在だろうが私は意に介さなかった。困っている異邦人を助けるのは人道的な義務だ。居たいだけ居てくれればいいさ。不法滞在者をかくまうのは犯罪ではないかと目くじらを立てる人がいるかもしれないが、それはユダヤ人を命がけでかくまったドイツ人がナチス政権下では犯罪人扱いされたのと同じ意味でだろう。命からがら日本に逃れてきた寄る辺のない異邦人を庇護するのは、神を信じる者の務めではないかと思う。

イラン人は色白で、ハンサムだ。昼まで寝ていて午後になるとフイと出かけていく。身なりは山谷には似つかわしくないほど、清潔でダンディーに決めている。流暢な英語と、下手ながら丁寧な日本語を話す。何をしているのかと聞いたら、ー銀座ではなくー上野公園あたりで、婚期を逸した女性がターゲットなのだそうだ。結婚願望が強く、愛にかわいて焦っている彼女に言葉をかけて、あわよくば結婚に漕ぎつけて日本に住みたい、と。そのために死ぬほどの空腹に耐えても、身なりには金をかける。彼のやっていることは悪いことといえるだろうか。

ある日、予告なしに私のもとからフッと消えた。念願のお相手をついに見つけたのだろうか?

話を戻そう。聞き違いでなければ、廃炉作業員にはけっこうトルコ系が多いらしいということだった。イラン人と違い、トルコ人は浅黒く、一目でヨーロッパ人と区別がつく。彼らには私のもとに居たイラン人のような芸当は出来ない。どうせ一時的な闇の出稼ぎだろう。もしかしたら海をまたいで呼び寄せ手配師が介在しているのかもしれない。福島の仕事が彼らの目的と肌の色に合っている。危険な高放射能に身を晒す命知らずの作業員がいないと廃炉作業は進まない。彼らが無知なら好都合だ。需要と供給が絶妙にバランスしていると言うべきか。

彼らに被ばく限度が守られているだろうか。彼らが身に着ける線量計の目盛りは細工されていないだろうか。疑い始めたらキリがないが、それは余計なお世話か?「直ちに健康被害が出る量ではない」と言うかもしれないが、時間差を置いて高い確率で深刻な被ばく症状が現れる、と言っているのと同じように聞こえる。もっとも、その頃には彼らは日本にはいないだろう。金を握ってさっさと帰ってくれれば、あとは野となれ山となれ。後腐れが無くて都合のいい使い捨てだ。そんな環境に色んな国籍の作業員がいるらしい。

わたしが冷酒を飲んだ店の客はみんな日本人の男性だった。客にまじっている東南アジア人の女性たちは、彼らのパラサイトだろう。

では、外国人の廃炉作業員たちは何処に群れ、溜まっているのだろう。そんな飯屋、居酒屋が別にあるのかどうか確かめそこなった。もしあったとして、そこに寄生する日本人女性がいるとも思えないが・・・。

原発汚染地帯、廃炉作業の現場周辺が無法のレイプ街道であることには必然性がある。そして、潜在的加害者としては日本人も例外ではない。 現に「寝屋川事件」の犯人山田浩二もこんなところにいたのだろう。

(まだ つづく

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★ 「福島異聞」 そのー3 伝聞だけではなく実体験も

2016-12-30 21:33:02 | ★ 大震災・大津波・福島原発事故

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「フクシマ異聞」 そのー3 

伝聞だけではなく実体験も

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「伝聞だけで物を言うな」と文句を言う人もいるが、気にしない。情報源の秘密と安全を護りながら、リスクを承知の上で、自分が信頼できると思った大切な情報を拡散することは、民主社会に生きる市民の義務ではないかとさえ思う。とは言え、たまには自分の生の体験を交えて書くのも悪くはない。

しかし、その前に一つ挟んでおきたい投稿がある。

 

〔投稿ー4〕

(福島のレイプ事件)読み返す度に、残酷さが・・・そして心痛みます・・・こんな酷い状態が、まかり通っているなんて・・・ 

この夏、中学一年生の まだ幼さが残る男の子と女の子が、夜中から未明にかけて、商店街を徘徊し、その後行方不明となり、遺体で発見され、大騒ぎとなりました。大阪の寝屋川だったと思います。 

その後犯人が逮捕されましたが、大騒ぎになった事件でしたが、犯人逮捕と同時に報道は、あっけなくおさまりました・・・なんとなく違和感でした。 

勘というか 第六感でしょうか・・・犯人が 福島の除染作業員ということで、あまり大きな騒ぎになってほしくない人たちがいるのでは? と感じました!!!(夏の休みで、福島から大阪に帰っている間の凶行で、福島に再びかえって、逮捕されたようです。) 

除染の作業は きつい仕事で、命がけでしょう。ストレスが とても溜ることは、想像できますが、だからといって、殺人・婦女暴行は、絶対に許されないことです。 

身も心も 深く傷つき、自死を選んだ女性を想うと、たまりません・・・どうしてこんな状況が 許されているのでしょうか・・・考えるほどに 憤りが 湧きあがります・・・ 

勇気ある 発信をされておられる神父さまに敬服いたしますが、神父さまが、なんらかの迫害を受けるのでは? と 心配です!!!大丈夫でしょうか? 主がお守りくださいますように!!!

〔匿名〕

 この投稿は、私が「福島異聞」そのー3 を書き上げてアップしようとした約2時間前に私の目に留まった。

「ウン???」と私の神経に引っかかるものがあった。夏の休みで、福島から大阪に帰っている間の凶行で、福島に再びかえって、逮捕されたようです。」と言うくだりが私の心の中で警鐘をならした。私は、情報ソースの人柄を熟知していても、投稿を拡散する前に必ず「情報」そのものの内容を吟味する。それでなければやられるのは私だからだ。

既に出来上ってアップ寸前の「福島異聞」そのー3 を一時棚上げして、数時間、猛烈な裏付け捜査に没頭した。インターネットで「寝屋川事件」をキーワードの検索をかけるだけで十分だった。今だに50件以上がヒットする。この夏私は日本にいた。毎日くどいほどテレビに映る防犯カメラの映像をみた。中一の星野りょうと君と平田奈津美ちゃんが深夜の繁華街を行き来する姿が網膜に焼き付いた。その後の報道から、犯人の山田浩二容疑者(45歳)が8月21日8時22分に逮捕されたことも報じられた。犯人の顔写真や生い立ちや・・・あらゆる詳細が今もネットで再見できる。

しかし、何かしっくりこない犯人逮捕と同時に報道は、あっけなくおさまりました・・・と言う印象に同意するものが私の中にもある。匿名」さんの「なんとなく違和感」「第六感でしょうか」と言う言葉が気にかかる。ふつうの凶悪事件の報道では、テレビ、新聞、週刊誌、などの各社は、事件の詳細スクープで競い合うものだ。逮捕状況として、8月21日8時22分に逮捕されたと詳細に時間を報じるのなら、どこで、どのような状態で逮捕されたか、犯行から逮捕場所までの犯人の足取りはどうだったか、も同じ詳しさで報じられるのが自然ではないのか。普通の事件の報道は必ずと言ってもいいほど、それらの点を詳しく書いている。ではなぜ「寝屋川事件」に限ってその情報が、私の一覧した50件近い記事の全てに、すっぽり欠落しているのか。

もう一つこの事件に特徴的なことがある。それは、「新聞の大チョンボ―」という記事にまとめられているからありがたい「・・・とあるのは誤りでした。お詫びして削除します。」(毎日新聞)「中日、毎日、朝日の各紙が22日から23日にかけて相次いで・・・したと報じたのですが、これが事実誤認だったのです。」「25日になって様相が一変。・・・とあるのは誤りで、この事件に無関係でした。お詫びして削除します。」(毎日新聞)など、報道各社があたふたと一斉に訂正に動いたのだ。私は、削除された内容に逮捕場所の情報が含まれていた、とか、犯人の足取りを詳しく書いたのを削除したに違いない、などと言う憶測で物を言い、このブログを面白く創作する意図はさらさらない。削除された部分は今となっては知る由もない。私はそれと断定できる痕跡をそれらの訂正・削除との関連で何一つ見出しえなかった。

私の知る限り、私に「逮捕場所と、犯行から逮捕までの犯人の足取り」をきわめて具体的に教えてくれたのは、〔投稿―4〕「匿名」さん、ただ一人だ。世の中には、同じ情報を個々別々に得て記憶する人がほかにもおられるかどうかは知らない。しかし、私が知っている関西在住の「匿名」さんは、もうかなりの年輩のご婦人で、ご主人の介護に専念しておられる敬虔なクリスチャン。私のブログ記事に口裏合わせて、でっち上げの嘘を投稿することなど、120%、絶対にありえない正直で単純でまっすぐな人柄だ。彼女が犯人逮捕の直後に信頼できるソースから逮捕劇の顛末を何らかの方法で知り得たからとしか、私には思えない。彼女が関西在住であることを思えば、言論統制でテレビ新聞大手各社が右へ倣えして訂正削除し沈黙を決め込んだとき、統制の網から漏れた関西のメディア、消息通がいち早く真実を流し、その後も撤回しなかったから、関西の一部の人々で共有された真実を彼女も知っていたのかもしれない。

私は、二十歳代の前半を、ラテン語を第一外国語として学ぶ日本では極めて例外的な学生として過ごした。死語であるラテン語の勉強の手段として、たくさんの意味深いことわざをラテン語で丸暗記したものだ。その中に、日本語に訳すと:

「人は理由なしには決して嘘をつかない!」

と言うのがあった。誠に知恵に満ちた永遠の真理だと思いませんか?神様は人間の心をそのように造られた。私は、「寝屋川事件」に関して、嘘を捏造するような大それたことをする動機(理由)を「匿名」さんの中に見出さない。

私の中の結論はただ一つ。彼女の話は本当だ。何らかの強烈な言論統制の力が、あらゆる報道から、犯人の職業と、逃走経路と、逮捕場所、に関する情報を消し去った。一流紙があたふたと「誤報でした。お詫びして削除します。」と書いたことと関係があるともないとも私は断定しない。多分ないかもしれない。しかし、そのあたふたぶりはお粗末と言うか、普通ではない。報道の意図的誘導と、情報のかく乱が裏にあったことだけは強く匂ってくるが・・・。

なぜこんなことになったのか。それは、犯人の山田浩二が福島の現役の除染作業員であったこと、逮捕現場が福島県下であったこと、以外に考えられるだろうか。

なぜそこまでして「フクシマ」を隠すのか?

~~~~~

〔投稿―4〕にかかわっていて、思いがけず長くなってしまった「福島異聞」そのー3 の本文は割愛して、次の機会に回すほかはない。皆さん、良いお正月を! 谷口幸紀 敬白

(新年もこのシリーズまだまだ続きます)

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★ 「福島異聞」 ただいま 「連鎖反応中」

2016-12-28 22:12:59 | ★ 大震災・大津波・福島原発事故

~~~~~~~~~~~~~~~~

「福島異聞」ただいま連鎖反応中」

~~~~~~~~~~~~~~~~

〔投稿―1〕

はい!!!

私のコメント、もしご迷惑がかからないなら、ブログに、適当に使ってください。

情報操作や、意図的な隠ぺいは、戦前の日本のようです。(まだ生まれてなかったけれど・・・)

日本人は過去の過ちを、学習しないか、忘れてしまうのか?

それとも、経済優先・・・人命よりも 人権よりも、何よりも経済優先の、お金の亡者になってしまったのでしょうか?

そのしっぺ返しを 受ける時が 来たようです・・・自分の蒔いた種は、自分で刈り取るのですから・・・

 

〔投稿ー2〕 

拝見したブログに違和感はなく、自然のこととして 受け止めていました!!!

奇形児とか、障害児(障害者)とは、決して差別ではない。差別だと思う方が、神経質になりすぎていると思うのです・・・

障害(不自由)があっても なくても、一人ひとり、その人らしく、生き切ること!!!

私のコミュニティーに ダウン症のお嬢さんがおられますが、とっても純粋で優しく 天使のようで、心なごみます。何事にも一生懸命です・・・すてきな女性です・・・大江光氏のように 特別な才能が開花する方も おられます・・・

もし、障害があるかも、と中絶していたら・・・ 認知症の高齢者は、抹殺せよ・・という発想になるのでは? と思うと ぞっとします!!! 

気温差が激しい日本です。ローマは いかがでしょうか・・・お元気で よい新年をお迎えください!!! 

 

〔投稿―3〕

ほんとうに、日本人は(私も含めて)無責任で忘れっぽい!!!

原発事故の後、秘かに、「小魚は食べるな」(大きな魚は 放射能の蓄積は骨の部分だけど、小魚は 全体に蓄積するから・・・)とか言われたけれど、カルシウムのためには 食べないわけにはいかず・・・

嘘かほんとうか 真偽のほどはわからないが、「福島産の野菜やお米は、外食産業や給食に使うよう 全国に出回っている。それは、癌が 福島に集中しないで、他府県にも癌は発生している と言いたいために」 とか・・・一切公には されないが・・・

何より、政府は 信じられない。マスメディアも・・・との政治不信も いつしか忘れているかも・・・

原子炉の爆発も 予想できていたのに、公表せず、福島の人々を、危険にさらしたことも 日本人は忘れているかのようです・・・

もんじゅ を廃炉に・・・ほとんど使用できなかった「もんじゅ」を 失敗と認めない政府!!!

造るにも 廃炉にするにも 巨額の費用がかかり、事故処理に、必ず除染できる との確証もないのに、外国に売りつける 無神経・無責任な日本人・・・

垂れ流しの汚染水は、やがて世界中の海を汚染するでしょう・・・除染した土は、やがて日本中に溢れ、住居区域にも進出するでしょう・・・

すべての情報は 歪められ、真実は、隠されたままでしょう・・・

「福島の子供たちは、福島から 逃げろ」 という本を書いた人は、書店での販売は禁じられ、

ネットでの通販も 妨害されたそうです・・・

戦前のように、情報操作されて、気付かぬうちに、とりかえしのつかぬ事態になってしまうのでしょうか?

 

 

イタリアの新聞によれば、福島第一原発の事故が引き起こした被害額は

推定2.76兆ユーロ=約337兆円

これは、日本の2016年度の国家予算のなんと3.5倍に相当することになる。

 

「福島異聞」 その-2

地震、津波、福島第一原発の過酷事故、から5年半余り。いま、現地はどうなっている?巷の話題を拾ってみた。

 、あたりに人気のない証明写真用のボックスから裸足の足先が覗いて動かないのを、通行人が見咎めた。不審に思ってカーテンを開けてビックリ。全裸の若い女性が倒れていた。息はあったが、魂は抜けていた。たちまち人だかりになった。気丈な女性が急いで毛布を持ってきて彼女の体を包んで、猟奇的な視線から彼女のからだを救った。

またも、レイプ事件が起きた。この日本に、おばあちゃんでも夜は一人歩きの危ない地帯がある。女性であれば年齢を問わないのだろうか。加害者は全国から流れ着いた「除染作業員」や「廃炉作業員」と大体相場が決まっている。新聞には報道されない。

肉親も保護者も名乗り出なかったのだろうか。被害者の女性は、親切な人に保護されたが、必死の慰めも励ましも、犯され壊れてしまった彼女の心には届かなかった。結局、ちょっと目を離した隙に、誰にも気づかれないところで、誰にも迷惑をかけずに、ひっそりと自死していた。死だけが彼女を優しく解放し、救うことが出来る唯一の道だったのだろう。

これが首都圏の深夜の歌舞伎町あたりの事件なら、マスコミが見逃すわけがない。朝のお茶の間の時間帯にパネル解説入りでにぎやかに犯人像の推理で盛り上がっているはずだった。しかし、こと「福島」の事件とあっては、テレビも、新聞も、週刊誌も申し合わせたように固く沈黙して、一切取り上げられることがない。警察は立件して、真面目に捜査して、犯人を検挙するまで頑張る気があるのだろうか。病院も、役場も、国も挙げて、この種の事件は闇に葬り去り、隠蔽するつもりではないのか。やり得の犯人は、野放しのままだ。このような暗黙の統制に異を唱える医者は、薬剤師は、個人病院は、職を失い、経営が破たんし、県外に出ても前科が付きまとい、日本に絶望して海外に活路を求める人もいる。

為政者は、福島は「アンダーザパーフェクトコントロール」と世界に豪語して恥じず、オリンピックの呼び込みに血道をあげている。今「フクシマ」に何かコントロールできていない問題があることが知れては困るのだ。なんとしても「問題なし」で口裏を合わせなければならない。奇形児は生まれない。癌は発症していない。治安は完全に保たれている。避難解除地区には人々が粛々と帰還している・・・。もちろん、米、生鮮食品、果実、漁獲物からは放射線は検出されず、食べても「直ちに」健康被害が出ることは「絶対に」ない。(それは確かにそうだろう。健康被害は必ず時間差を置いて現れるからだ。そして、続々と被害報告が上がってくる頃には、保証した彼らは現役を退いていて、責任の追及を免れることだろう。)

何が「アンダーザコントロール」だ。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。炉心溶融は起きていないと最初に真っ赤な大嘘」をついた。無責任な保守的良識派(大多数の日本人)は、一旦はそれを素朴に信じた。(最初から異を唱えた私など、被害妄想のヒステリー扱いされた。)だが、嘘がばれて5年以上たっても、融け落ちた超高放射性核燃料の裸の溶融塊が、今どこにどのうような形状でどれほどの高温で放射能をばら撒き続けているのかという最も基本的な実態でさえ、全く把握できていない。アンダーザコントロールとは、聞いてあきれる。今頃やっとそれを探し当てようと探査ロボットを用意して、炉の中心部に挿入しようと小さな穴をあけたら、高濃度の放射能が噴出して慌てて穴をふさぎ、この先どうしたらいいかわからず、また途方に暮れている段階ではないか。答えてほしい。情報」と「言論」以外にコントロールできているものがあるなら、具体的に言ってほしい。少なくとも溶融した核燃料のデブリは所在不明のままコントロールできていない。

チャイナシンドロームと言う言葉がある。原発事故を扱ったアメリカ映画の題名だ。溶融した炉心の核燃料の塊は、金より重いウランでできているから、高温の火の玉は下にある鉄もコンクリートも土壌も岩も溶かしながらじりじりとメルトスルーして、アメリカの事故現場からチャイナ(中国)を目指して進んでいく、というシナリオだ。(本当は地球の中心で重力の方向が逆転するからそこでストップ。東京から井戸に飛び込んだら、リオのオリンピック閉会式の場にポンと踊り出るということにはならないのだが・・・)

スリーマイル島の事故でも、チェルノブイリでも、幸か不幸か、実際にはチャイナシンドロームは起きなかった。起きていれば今頃地中深く沈んで放射能をばらまくこともなくなるはずだったのに。今でも高放射能を空中にまき続けているからには地中浅くとどまった証拠だ。それを封じ込めるのに巨大な石棺が必要になった。一代目の石棺は(放射能被ばくで劣化して?)ボロボロになった。安全に封じ込め続けるために、それを包み込むより巨大な二代目石棺が最近完成した。しかし、それも劣化したらどうなる?3代目、5代目・・・マトリューシュカのロシア人形のように次々重なって、〇〇代目の石棺は古代エジプトのピラミッドの数倍の高さでロシアの大地にそびえるのだろうか。

そのためにどれだけの血税が注がれるのだろうか?国家予算ほどの額を注ぎ込んでも、融けた核デブリを掘り出して処理できなければ、福島にも巨大な墓、現代のピラミッドが聳えることになるのだろうか。

つづく、手元のメモにはまだ7つのエピソードが残っている。)

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★ 「福島異聞」そのー1 に対する反響

2016-12-25 23:26:22 | ★ 大震災・大津波・福島原発事故

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「福島異聞」そのー1 に対する反響 

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はクリスマスのメッセージとしてこのブログの内容はちょっと重すぎるかなと初めから懸念していました。人々はクリスマスのメッセージとしては、もっと明るく、軽く、楽しく、希望のある話を好むと思われるからです。

案の定、早速いくつかの反応が届きました。皆さんとシェアーして考えてもいいかなと思った点を拾って、私の考えと共に紹介します。そして、元々短すぎて書き足りなかった重大な点を、この機会に補足したいと思います。

 

1 番目のコメント: 更新されたブログ拝読しました。内容のすさまじさにびっくりです。しかし、伝聞だけでこれだけのことを書かれるのはどうなんでしょう。

私の考え: 私が伝聞だけをもとに書いていることは、読む人にもはっきりわかると思います。私は伝聞のソースの人物の人柄、考え方を長い付き合いから知っていて信用しています。だからソースの秘密を護りながら敢えて書きます誰かが書かなければ重大なことがいつまでも闇の中に閉ざされ、人々の知るところとならないからです。第三者がそれをどう読むかは自由です。その伝聞を拡散した私の人格をどう評価されるかも自由です。

 ~~~~~~ 

2 番目のコメント: 読む人の中にもし当事者がいたらさぞや辛い思いをされるだろうと思います。「奇形児」という文字自体も(言葉狩りをする気はありませんが)極めて慎重に使われるべきだと思うのです。

 

私の考え: 曽野綾子さんを盾にする気はありませんが、多くの新聞を敵に回しても、日本語を大切にする主義を貫く人が居てもいいと思います。言葉狩りに気を使いすぎたら日本語が貧しくなります。言葉狩りで金儲けしている人を挑発するつもりは更々ありませんが、どうせ私ごとき貧乏神父に言いがかりをつけるほど暇人でもないでしょう。

世界中の聖書がライ病者を一律に癩病者(英:leper)と訳しているとき、日本の共同訳聖書だけが言葉狩りに気を使って「重い皮膚病を患った人」と訳しているのはがっかりです。まさに茶番です。

「癩病」のままでどこが悪い?

要は言葉の問題ではなく、暖かい繊細な寄り添う心の問題です。言葉を慇懃無礼に選ぶ人に限って、心の奥に根深い差別心を宿していることが多いのも厳しい現実です。そういう人のさり気ない言動こそ、もっと深く人を傷つけるのではないでしょうか。

~~~~~~

3 番目のコメント: だからと言って「場」を弁えることが悪ということでもないと思います。正に「暖かい繊細な寄り添う心の問題」です。そして大切なことは、暖かいと感じるか否かは言葉を発する側ではなく、受け取る側の感覚だということです。そいう子供を持つ家庭を長きにわたり身近に見てきたこともありまして・・・。

 

私の考え: 福島の放射線被曝のために奇形で生まれた子供を持つ家庭を長きにわたって身近に見てこられたのではないでしょう?福島の被曝が原因ならまだ3-4年のことで「長く見てきた」とは言えないし、生きて生まれてこられたからには奇形ではない何か他の障害を持ったお子さんのことではないでしょうか。ここははっきり区別しないと、話がおかしくなります。

そもそも「奇形」と言う言葉は「言葉狩りの対象」「差別用語」でしょうか。角川の必携「国語辞典」には

「奇形」:動植物で、ふつうとちがった、不完全な形をしているもの

とあります。それ以上でも、それ以下でもありません。卑下や蔑視を含む差別用語のカテゴリーには元来属していないと思われます。精神障害者や、まして、身体障害者ともカテゴリーが微妙に違います。

本来事実を伝えるだけの言葉に、敢えて差別や蔑視を込めようとするのは、人の心の在り方だと思います。

大江 光(おおえ ひかり)氏は日本の作曲家。(ノーベル賞)作家の大江健三郎氏は父。映画監督の伊丹十三は伯父。光氏は頭の上に大きなこぶのある奇形児として生まれました。脳の一部が頭骸骨の外にはみ出した?のではなかったかと思います。(ローマの手元にいま大江氏の本はないので正確な引用は出来ませんが・・・。)

直ちに大きな手術をしなければ命が危ぶまれたが、手術をして生き延びても、重度の知的障害が残ると診断されました。若い大江夫妻は奇形の息子の命を闇に葬らず、救う道を選びました。光氏のことは大江健三郎氏の作品に大きな影を落とし、ノーベル賞の受賞とも少なからぬ関係があっただろうと思います。

成長した光氏は、知的障害があっても、その鈍重な肉体に包まれた魂はモーツァルトの再来を思わせる光を放ち、そのCDは世界中で聞かれています。

大江健三郎氏は光氏が奇形で生まれたこと、知的障害者であることを隠さず、それを恥ともしていません。確か、ノーベル賞の授賞式にも伴って行かれたのではなかったでしょうか。

奇形児の親が子を恥じ、辛い思いをするのは、その親自身が世の差別心に呪縛されているからであり、その点を気遣ってに触れないように心を砕く周囲の人もまた、思いやりを装って問題から目を背ける差別主義者なのではないでしょうか。 

肉親が、身近な人が、差別し卑下し隠すなら、子は、本人は、一体誰に救いを求めればいい?

「暖かい繊細な寄り添う心」は、寄り添われた人の肉親、知人の中にある差別心との日々の戦いなしには伝わらないと思います。おっしゃる通り、要は受け取る側の問題です。

 

経験から、文字が多すぎるブログは敬遠され読まれません。読者の忍耐力に限界があるからです。だから、〔福島異聞そのー1〕を短く収めるために端折った(次回以降に割愛した)大切なことを一緒に書きませんでした。そのために、私の真意がよく伝わっていないことが上のコメントからわかりました。

だから、いま敢えて続けます。

「読む人のなかにもし当事者がいたら・・・」まさにおっしゃる通り、その通りです。それこそ本質的な問題です。

この場合「当事者」とは誰でしょうか。「親」にも、「生んでもらえなかった子供」にも、何の罪も咎もなかったのに、突然「診断によればあなたの子供は奇形児です」「福島の放射能被ばくが原因と思われます」「堕胎することを強くお勧めします」と突然告げられた母親のショックと悲嘆はいか程でしょう?医師の有無を言わさぬ言葉の背後に、冷酷な国家の意思、東電の意思、の重い威圧を感じ取った密室に孤立した心弱い母親が、誰にも相談できず、支えられることもなく、決断を急かされて心ならずも堕胎承諾書に署名させられてしまったた母親の、術後の悲嘆、後悔、罪悪感はいか程だったでしょう。誰にも知られていない、誰にも告げられない、もしかしたら、愛する夫にも言えていない、絶望的な孤独感と恐ろしい良心の呵責を思うと私の心は震え、張り裂けます。

もし、神父である私がその当事者に出会い、その心の苦しみを知ったら-相手がたまたまカトリック信者なら、告白(懺悔)の秘密のもとに知ることが実際にあり得る-、言葉を失い、ただ強く抱きしめてともに涙を流す以外になす術を知らないだろうと思います。たとえ「奇形児」でも生みたかった母の心を踏みにじった「国」と「東電」の残酷な仕打ちを一緒に恨み呪う意外に何か思いつくでしょうか。私たちは巨悪の前に全く無力なのです。

いいですか、これは国のせいでも、東電のせいでもありません。五体の形状にふつうと違ったところのあるお子さんは(私は「奇形」なんて差別的な言葉は絶対使いませんよ!)自然界の中で一定の確率で常にあるものです。その場合は、お子さんのためにも、社会のためにも、生まれない方がいいのです。良心の呵責なんか感じる必要はありません。こんな場合たいていみんな堕胎するのです。呪いたければ「神」を呪いなさい。国も東電も決して悪くありません。

母性本能はこんなまやかしの洗脳でごまかし切れるものではない。彼女の悲嘆、罪障感の地獄の苦しみに対する慰めがあるとすれば、それは唯一キコのシンフォニーのテーマ、「罪のない人々の苦しみ」意外にはないでしょう

キリスト教徒ではない、600万人以上の家族を、同胞を、ナチスのガス室で失ったユダヤ人の生き残りが、その慰めに敏感に反応しました。奇形児の親となる十字架を背負わされた母親たちも、本能的、直感的にこの曲の中にその真実を理解するでしょう。

生まれてこなかった「奇形児」の魂と、その魂を心ならずも闇に葬ってしまった母親の苦しむ魂の救済は、全てを赦し、全ての魂を愛し、復活の永遠の命と喜びに迎え入れようと手を広げる創造主なる神の愛以外にない、と私は信じます。「罪の無い人々の苦しみ」には人類の巨悪に打ち勝つ救済的神秘が隠されています。それは復活と永遠の命の希望と無限の喜びによってのみ埋め合わせがつく神秘な「苦しみ」なのです。

成長して十字架の上で壮絶な最後を遂げるイエスと、その十字架のもとに一人佇んで我が子の肉体を極限まで追い込む拷問死の苦痛を自分の魂の中でそっくり味わう宿命のもとに生きた母マリアの、ベトレヘムの町から打ち捨てられ家畜の間でなされたひそやかな出産のドラマを祝うクリスマスに、結果として実にふさわしいテーマとなったブログだった、と自分では思っています。

 神学校の馬小屋の風景

(つづく)

                                          

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★ メリークリスマス 福島異聞 そのー1

2016-12-21 19:54:02 | ★ 大震災・大津波・福島原発事故

 

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メリークリスマス 「福島異聞」(そのー1)

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 ローマの神学校の広いロビーには毎年この季節に大がかりな飾り付けがなされる。我こそは、今年こそは、と自信のある神学生の創意の力作だ。テーマはいつもキリストの降誕の場面。

歩数で測ったら15歩、端から端まで約9メートルある。

後ろの窓はブルーの羅紗紙で塞がれ、発光ダイオードで満天の星。左側はエルサレムの街と圧政者ヘロデ王のお城。右はベトレヘムの町と幼子イエスの誕生の馬小屋の場面。彗星は三次元に馬小屋の真上に飛び出ている。

ベトレヘムの洞窟の中は特に明るく作られている。

その中に母マリアと父ヨゼフ。そして飼い葉おけの中に救世主幼子イエスの像が。

今日の夕方までに100人ほどの神学生が一斉に休暇先へ散っていった。広い建物に平山司教(93歳)と私(77歳)の日本人「老々介護組」が残って、台所ネズミをしながらのサバイバルゲームが始まった。

幸い、時間がたっぷりあるので、日本を去る前のあわただしさの中でいろいろ拾った福島の話をまとめてみよう。

① まず北海道のE.M.さんからのメールについて。

私なりにそれを解釈すると、要するに、チェルノブイリでは原発事故後に沢山の奇形児が生まれたが、福島では奇形児出産の報告がないようだ。だから、チェルノブイリは重大な放射能汚染事故だったが、福島の第一原発の場合は、こと放射能汚染に関しては軽い事故だったのだろうか?本当にそうならいいのだが・・・。 

ところが、彼は違う書き方をしている。曰く、「こちらで古くから泊まり原発反対を闘っている方の話によると、福島では胎児のうちに奇形児を中絶している。しかし、この件をマスコミは一切報道していない、とのことでした。それで、あるマスコミ記者にそのことを話したら、そんなことどうやって裏付けるのか、と凄まれました。普段は反原発集会に来る記者でしたが、あちらの人だったようです。」と。

「あちらの人」とは、もちろん東電の側に立って報道している「御用記者」の意味です。

チェルノブイリのロシア人は、敬虔なロシア正教徒で、神を信じるから、堕胎中絶は神の意志に反する殺人行為であり、重大な「罪」だと考えて堕さない。また、医療検査が進んでいないから、どの胎児が奇形でどの胎児が正常かは生まれるまで分からない、と言う事情もあるだろう。しかし、日本は、そして福島は、胎児の奇形を敏感に識別して、神を信じないから良心の呵責もなく、母親がいとも安易に自分の愛の果実、胎の子、を殺すのだろうか。奇形児は人間ではなく、抹殺すべき有害な怪物なのだろうか。600万人のユダヤ人をガス室で殺害したヒットラーと同じ論理ではないか。背筋が凍るような奇形児出産のない福島の不気味な現実。実際には福島の汚染はチェルノブイリ同等かそれ以上かもしれないのに・・・。

同じ現実でも、観点を変えればこんなにも違う話になってしまうのだと思い知った。

マリアの子イエスも当時の政治指導者にとっては「奇形児」以上に疎ましく危険な存在だった。それは、やがて為政者の欺瞞と犯罪を暴く聖者、世界の罪を一身に背負って贖い、貧しい人々、虐げられた人々を開放する聖者、となる筈の赤子だったからだ。ヘロデ王はどの子がイエスか特定できないことに苛立って、一群の兵隊を差し向け、ベトレヘムの町一帯の嬰児をすべて、泣き叫ぶ母親の手から奪い取って、殺害した。だが、マリアとヨゼフは幼子イエスに迫る危険を察知して、タッチの差でエジプトに逃れ、ヘロデの魔手からイエスを救った。(マタイ2章1節以下)

この嬰児たちを、カトリック教会は最初の殉教者として記念し、その日を祝日と定めた。

(つづく)

 

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★(イタリア発=福島原発事故)あなたは富岡町を知っているか? 

2016-12-19 18:19:28 | ★ 大震災・大津波・福島原発事故

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イタリア発=福島原発事故

あなたは富岡町を知っているか?

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昨夜ローマに着いて、今朝なにげなく新聞を開いて驚いた。

12月19日付のラ・スタンパ紙の第1面に「福島の亡霊たちの中に」と言う見出しと写真が踊っていた。その本文と写真は、第10面と11面の見開き2ページの全面に展開されていた。日本の新聞、例えば「読売」「日経」「朝日」などのどの新聞に、5年前の原発過酷事故について、このようなまじめな大特集が期待出るだろうか? 

事故原発を背にする放射線防御服の男女。私はレンタカーでこの辺りまで行ったことがある。

上下の写真は富岡町の廃墟の家と、そこから避難したタナコさん(68歳)

私は夫と富岡町に住んでいました。波々(複数形=つまり津波による原発事故を含む?)は、私たちからすべてを奪いました。

福島の廃墟の中の富岡町 放射線が時を止めた亡霊の町 と、見出しは言う

日本と核 原発49基のうち稼働中3基 再稼働待機中3基

電力依存度

        福島事故前   福島事故後

原子力     29%     2% 

天然ガス    29%     48%

etc.     

富岡町は双葉町の南側 福島第一原発事故現場から南南西16キロ

18万人が避難

福島の核の大惨事の結果、半径20キロ以内は生活不可能な高濃度汚染地域

福島第一原発の事故が引き起こした被害額は推定2.76兆ユーロ=約337兆円

これは、日本の2016年度の国家予算96.7兆円のなんと3.5倍に相当することになる。

そして、これは国民一人当たり265万円強に当たる。これをすべての日本人が大人も子供も負担するのだ。

原子力エネルギーが一番安いエネルギーだなんて、どのお口が言ったのでしょう。

ああ、神様!どうか私の計算違いでありますように!

3.11地震と津波の直接死者は15,894人だったが、放射能被ばく者の癌死は今後それにいくら上乗せされるのだろうか?考えるだけでも気が遠くなる。

芸能人のスキャンダルもいいだろう。小池劇場もいいだろう。オリンピックのお祭り騒ぎもいいだろう。

しかし、2020年のお祭りが終わって日が暮れた後、日本の経済と社会の一大凋落が待ち受けていることを忘れてはならないのではないだろうか。

イタリアの普段ドオッテコトない新聞がこれだけのことを書けるのに、日本の新聞は、テレビは、週刊誌は、インターネットは、一体どこへ国民の目を向けようとしているのだろうか?

イタリア人は富岡町の名を覚えた。日本人は双葉町や大熊町は知っていても、富岡町の名を知る人はまだほとんどいないのではないか。いい機会だと思ってイタリアの新聞記事を紹介した。

  

 

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