:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★(一部改訂) 「ヌラリヒョン」の弁 -政府が脱原発に踏み切れない本当のわけ-

2012-09-17 01:03:34 | ★ 大震災・大津波・福島原発事故

(一部改訂) 「ヌラリヒョン」 の弁

-政府が脱原発に踏み切れない本当のわけ-


 それにしても実に長いことブログの更新をさぼったものだ。日本に帰国して以来、西に東に忙しく動いていて、ゆっくりブログを書いている暇がなかった。それに、普段カメラを手放したことのない自分が、もう何週間もシャッターを押していない。
 昨日久しぶりにある集会に顔を出したら、複数の人からブログの催促があって、いささか責任を感じた。
それで、と言うわけでもないが、今日は簡単でもいい、まだ 「ウサギの日記」 は生きているしるしを何か残したいと思った。今日は趣向を変えて、以下のように始めよう。(写真がちぐはぐなのはどうかお赦しを・・・)

 

津波被災地に生えたクローバーの花

 

 吾輩は「ヌラリヒョン」である。

 ヌラリヒョンは日本の古典的妖怪の一種なのだそうだ。

 では、ヌラリヒョンとはいかなる妖怪か?

 妖怪辞典(そんなのあるの?)によると、気の弱い、影の薄い、人畜無害な妖怪である。
 特徴はと言えば、食事時に、いつの間にか食卓の片隅にそっと現れ、家族の一員のような顔をして食事にありつく。お腹がくちくなると、そっとフェードアウトして、いつの間にか姿がない。

 私は、教区の責務を離れ、仏教の雲水ならぬ旅の神父になって以来、洋の東西を問わず常に世界中のどこかの家庭の食卓にいつの間にか現れるヌラリヒョン人生を地で生きている。
 今日も、あるご家庭でヌラリヒョンを決め込んでいたら、そこの奥さんがこんなことを言った。
 「東京の息子と電話で話していたら、息子が概略次のようなことを言った。それで、私の反原発の気持ちが揺らいだ」と。

息子曰く、
「政府が原発の全廃に抵抗を示すのは、電力需給がひっ迫するからでも、電気代が上がるからでもない。本当は-大きな声では言えないが-国防上の理由だ。近隣諸国を刺激しない為もあるが、憲法9条の問題もあって、政府は公式には口が裂けても言わないが、日本全土に51基の原発があるということは、取りも直さず日本が潜在的核(兵器)大国であるということだ。韓国、北朝鮮、中国、ロシア、アジア諸国、アメリカや世界のすべての国々に対して、日本は有事に際しては極めて短期間に核兵器大国に豹変するだけの核燃料、技術の蓄積、運搬手段を保持しているぞ、と言う威嚇のために必要だからだ。」


 航空自衛隊松島基地のブルーインパルス

全機が津波で失われた はたして再編されるのか?


 私の小学校からの同級生に一人秀才がいた。中学の頃は二人で仲よく捕虫網を振り回して、昆虫採集に夢中になったものだった。私は私学の上智の哲学科に進んだが、彼は東大理科に現役で受かり、卒業後は長く筑波大の高エネルギー研究所とやらに居た。

 もう40年近く前のことだが、当時外資系の銀行マンだった僕は、筑波の研究所に彼を訪ねて直截に聞いた。

 「日本はどれだけ時間があれば原爆を造れるかね?」
 「さーね。ざっと数カ月のオーダーではないかな!」

 奥さんと息子さんの電話の会話と同じ内容を、我ら悪餓鬼どもは40年も前に当たり前のことのように話し合っていた。地球観測衛星(軍事的にはスパイ衛星と呼ぶ)を周回軌道に乗せ、気象衛星を正確に静止軌道に投入できるロケット技術があるということは、それをそのまま明日にはICBM(大陸間弾道ミサイル)に転用できるということだ。日本の自衛隊全部より、51基の原発の方が、国家防衛上、抑止力としてはるかに重要であることは、他ならぬ隣国の戦略家が一番よく知って居る。

 

仮設住宅で一人泣くオバーチャン 僕のカメラに見られているとも知らず・・・


 憲法9条で自縛している日本は、よほどのことがない限り先に攻めては来ないだろう、と隣国は甘く見る。その日本が、福島の事故の教訓に学んで、国民の命と健康を守るために原発を全廃したら、軍事的には無防備な裸の赤子同然になる。北方領土や竹島や尖閣諸島どころの騒ぎではなくなる。経済水域も、領海も侵犯され放題になりかねないと日本の権力者は恐れるのだろう。
 こんなことを書いたからと言って、誤解しないでいただきたい。
 寝た子を起して、せっかく反原発で仲よく一致していた人たちを分断し、国防上必要なら、せめて15パーセントぐらいは原発を残した方がいいのではないかと言う方向に世論を誘導するつもりはない。
 私は、断固原発全廃を支持する。原発の戦略的意味をクールに見据えた上で、なお確信犯として原発ゼロを提唱する。

脱原発。ドイツに出来ることが、どうして日本には出来ないのか。

私は去る6月に岩手県から宮城県まで、三陸の海岸の津波の被災地をつぶさに見て歩いた。多くの地点は昨年7月に次いで二度目だった。田老町の万里の長城を誇った鉄壁の防波堤の無残な残骸の上を歩いた。女川町の無数の廃墟のビルはすっかり姿を消していた。どこへ消えたかと思ったら、コンクリートを破砕して全部地面に敷き詰め、70-80センチ沈下した地盤のかさ上げに使われていた。等々。自然の巨大な力の前に、人間は虫けらよりも微力だ。人間の驕りは必ずペシャンコになる運命にある。

 

有名になった一本松 もう枯れてはいるが保存の運動が・・・

 


 今週後半から、私は初めて念願の福島の原発事故被災地に足を踏み入れる。70を過ぎた老人の私には、数日間の放射線被ばくはそれほど問題にはならないと思っている。

 旧約聖書の預言には、

彼らは剣を打ち直して鋤とし、
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず、
最早戦うことを学ばない。
ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。
(イザヤ書2章4-5節)

とある

 新約聖書では、

 イエスがまさに捕らえられようとした時、キリストの一番弟子の 「ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。」(ヨハネ18章10節)

 するとイエスは 「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」(マタイ26章52節)と言われた。

 日本の平和憲法は、世界の国々がいつか必ず憲法に採用すべき理想を先取りして掲げた誇るべきものだ。だから、それは大切に守られなければならない。

 上の聖書の引用からも明らかなとおり、これはカトリック信者のすべてが堅持すべき信仰の立場だということが出来る。これに同意できない者は、本物のクリスチャンとは言えないのではないか。


放射能汚染地帯にペアーで見つかった四葉のクローバー 被災地に幸せを運んでくれるかな?

 

コメント (2)
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