:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 姉の葬儀ミサの説教(下)

2018-08-30 01:27:17 | ★ 日記 ・ 小話

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姉の葬儀ミサの説教(下)

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姉の葬儀ミサの説教は、大体以下のような言葉で結んだように記憶する。

私はイエスのたとえ話の放蕩息子を地で行くような人生を歩んだが、私の姉は、そのたとえ話の兄のように、まじめに忠実に父の家で働いて過ごしたと言える。

聖書に描かれたたとえ話では、兄は父の弟への深い愛に全く気付かず、父をも、弟をも愛していなかった。彼はただ義務の観念と恐れや打算のために、喜びも誇りもなくひたすら召使のように父の命令に従って働いていた。

ところが、姉の場合は、自分が父に愛されていること、そして父が弟をも深く愛していることを知っていたし、父の家で働くことは-つらいこともあっただろうけど-召使のようにではなく、自由な子のプライドをもって働いていたに違いないと私は信じている。 

その証拠に、姉は弟のわたしが、放蕩息子の兄のような生き方をしている多くの人たちからの反発を買い、誹謗、中傷に囲まれて生きてきたのを目の当たりにしても、雑音に耳を貸さず、世間の波風に対して私を弁護し、守ってくれた。

私が身を投じた「新求道共同期間の道」に対しても、旺盛な好奇心と共感を示し、私を信じ、見守り励ましてくれた。そして、私がその建設に深く関わり、その後逆風の中で閉鎖され、追放されてローマに行って辛酸をなめた四国の小さな神学校が、ちょうど青虫が蛹(さなぎ)になり、蛹が脱皮して美しい蝶になるように、高松の小さな「教区立」神学院が「教皇預かり」の神学院になり、さらにはアジアのための「教皇庁立」レデンプトーリス・マーテル神学院として東京に上陸する展望が見えた時、姉はそれを我が事のように喜んでくれた。まだ人々が「またオオカミ少年が、あり得ないホラを吹いている」と冷笑していたころの話だ。

彼女の弟への愛は、時々見当はずれで滑稽な形をとることもあった。清貧のシスターが自由にできる僅かなお金をはたいて「幸紀ちゃん!バザーでいいズボンを見つけたからはいて頂戴」という。ところがそのズボン、ウエストが10センチも足りないから前のジッパーはYの字に開いたままで締まらない。すると、「あら、あなたもうちょっとお痩せなさい!」でおしまい。どこか生活感覚からずれた可愛いところがあった。

あるときなど、「幸紀ちゃん、あなたは私の知っている神父さんたちの中で、一番格好いいわよ!」とポロリと言ってのけた。唐突な物言いに、「この僕が?姉さん、あなたの目は節穴か?」と返したいところだったが、今ごろ天国で「あら、私そんなこと言ったかしら?」ととぼけているに違いない。それが私の姉だった。

姉のお通夜は、聖母病院の地下の霊安室で、シスターたちが三々五々集まって開かれ、部外者は私一人だけだった。姉についての思い出話やエピソードに耳を傾けたが、姉が弟のわたしのことを気遣ってよく話題にしていたという複数の証言を聞くにつけても、放蕩息子の姉である彼女が、父の設けた宴席に無事入ったと言う確信を一層深くした。

姉は放蕩息子に対する父親の愛に気付いていた。彼女も家を出て行った弟のことを気遣い、父親同様にその帰還を待ちわびていた。だから、仕事から帰ったとき家の中から予期せぬざわめきが聞こえ、それが行方不明だった弟の帰還の祝宴だと知らされると、野良仕事の道具を放り投げて、宴席に飛んでいって弟を抱きしめただろうと想像できる。

父親も、右側の上席に姉を座らせ、帰ってきたダメ息子は自分の左に座らせて、ぶどう酒と歌と踊りで宴は夜更けまで続いたに違いない。

これが天国に凱旋した姉に当てはまるたとえ話のシナリオではないか。そして、このバージョンこそ、姉への花向けに相応しいと思った。

 

このあたりまでが私のお説教の内容である。だが、時間が気になって、話の後半をかなり端折ったので、うまくこの落ちが参列者の心に届いたか、一抹の不安を感じている。

そして、さらにもっと大きな問題が残る。

もし姉のようなケースがどこにでもありそうな平凡な話だとすれれば、イエスは何のためにあのようなたとえ話を聖書の中に残したのだろう。

この疑問に対して、イエスは「答えは聖書の中に十分に記した。よく読んで学びなさい」と言うかもしれない。だが、ここで私は長々と聖書の講釈をするつもりはない。ただ、聖書から読み取れることは、私のような放蕩息子や、姉のように真面目で善良でちょっと抜けたところのある子どもたちが、何とか救いの網に引っかかって天国にたどり着くのはいいとして、問題は、世の中にはレンブラントの絵の中の兄のように、確信犯として地獄の亡びを選び取る真面目で立派な大人たちが世の中には思いのほか大勢いるらしいと言う現実ではないだろうか。

聖書を読むと、父に愛された神の独り子イエス-非の打ちどころがなく、付け入る隙の無い、正しく聖なる人-を目の前にして、苛立ちを感じ、執拗につけ狙い、イエスを亡き者にするまで、しかも、十字架上の屈辱に満ちた死に追いつめるまでは決して心の安らぎを得られない確信犯たちのことが記されている。そして、同じ部類の人間がいつの時代にも少なからずいる、という動かしがたい現実が見えてくる。

また、聖書に描かれた放蕩息子が特異な筋金入りの悪(わる)だということも忘れてはならない。そもそも、遺産とは父親が死んだ後で分けられるものと決まっている。それなのに「お父さん、あなたからもらう筈の遺産を今すぐ分けて下さい」と言うのは、「お父さん、今すぐ死んでください」というにも等しい「父殺し」の大悪党のせりふだ。息子が息子なら、その要求にやすやすと応じた父親も父親だ。

聖書はこの現実にはあり得ないような二人の配役を軸にたとえ話を構成し、私たちに重大なメッセージを伝えようとしているのではないだろうか。

レンブラントの「放蕩息子の帰還」の絵の中で、私の目をクギ付けにしたのは兄の姿だ。

 

左下に息子を抱く父親を描き、暗い影の部分を挟んで、右側にまっすぐに立つストイックな長身の兄を配している。端正な身なりの兄は、厳しく冷ややかな面持ちで高いところから二人を見下ろしている。その目は「お父さん、このとおり私は召使や奴隷のように何年もお父さんにお仕えしてきました。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、私が友達と宴会をするために、小山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。あなたは不公平だ。納得がいきません。そんな宴席はまっぴらです。絶対に入りません。」と語っている。

私はかつてあるサロンで、上流社会の奥様方にこのたとえ話を解説したことがある。その時、「あら。わたし、お兄さんの気持ちがよくわかるは!」と何の屈託もなく漏らしたご婦人たちの本音に、ショックを受けたことを思い出す。貞淑で従順で、優雅な奥方の座にありながら、適当に遊び、浮気している夫に対して「赦せない!」と唇を噛み、さりとて別れもせずに耐えてきた女性たちの正直な本音を聞く思いがした。

聖書には、ナザレのイエスと厳しく対立し、イエスからは「蝮(まむし)の末よ!」と一喝されて公衆の面前でプライドの鼻をへし折られたファリサイ人、律法学者、大祭司たち-ひと口で言えば「偽善者」たち-が登場する。彼らは、正しく威厳に満ちてつけ入る隙のない聖者を見ると苛立ち、彼を十字架の上で血祭りに上げて殺すまでは、ひと時も心が休まらなかった。そして、その種の人間が今の世の中にも大勢いるのではないかと思われる。しかも、往々にしてそういう人たちが高い地位に着き、世間の尊敬を集め、自らも正しい人間だと信じ込んで社会を牛耳っている。宗教家一般、従ってカトリックの聖職者や修道女にもそういう人がいないとは限らない。(私自身、厳に自戒しなければならないのだが・・・。)

「放蕩息子の例え話」は、そういう人たちに向かって、「気を付けなさい、あなた達偽善者こそ、天国に入らない道を自ら進んで選び取る危険な可能性を帯びている。」と厳しく警告しているのではないだろうか。

私はこのブログの中で愛する姉をいささか美化して描いたことを告白する。お許しいただきたい。現実の姉も私もただの凡俗な人間であることは先刻承知の上だ。一皮むけば恥ずかしい陰の部分がいっぱいあるただの罪人に決まっている。神様の正義と憐れみがどちらも完全で均衡がとれていたならば、私たちに天国に入る救いのチャンスは絶対にない。

しかし、放蕩息子のたとえ話は、神様の本性、すなわち、溢れる憐みと自分の子に対する盲目の愛が神様の正義を凌駕していることを示している。神様の特性のこのアンバランスにこそ、私たちは救いを期待することができる。

しかし、そういう神を高いところから批判し、バランスの取れた自分の正義をその上に置く人間は、自ら選んで神の愛と憐れみも届かない暗い淵=「地獄」=に、雪が降るように落ちていく・・・。キリストの十字架の贖いも、神が差し伸べる救いの手も、その魂たちには届かないと言うことだろうか。放蕩息子のたとえ話の裏には、この神秘な怖さが潜んでいる。

後に、故人の尊厳とプライバシーに関するデリケートな問題で、書くべきか書くべきでないかギリギリまで迷った話が残っている。

姉の最後の日、私は徹夜で彼女を見守った。個室の枕辺には、名を知らない若いシスターと私と二人しかいなかった。深夜の2時か3時ごろ、姉は私に握られていないもう一方の手の指を一本立てて何か言った。わたしには聞き取れなかった。シスターが気を利かして、弟さんと二人きりになりたいのですか?と訊ねると、彼女は首を横に振り、二人とも出て行って、自分を一人にしてほしいと言った。私たちはベッドを囲むカーテンの外に、そして、ドアを開けて外の廊下に出た。

やがてのことに、病室から叫びとも喘ぎとも取れる声が漏れてきた。不測の事態を思ってドアをそっと開けて中に忍び込んだが、厳粛なものに打たれたように足がすくんでカーテンの中までは入れなかった。5分続いたか、15分も続いたかはっきり覚えないが、ほぼ収まってから枕辺に戻り、また手を取った。それからあとは、私たちの声掛けは届いているようだったが、彼女自身はもう意味のある言葉を発しなかったように思う。空が白むころ、モニターのグラフは心拍数も、血圧も、呼吸も、酸素も明らかに死期が迫っていることを示しはじめた。浅くなった呼吸が止まり、続いて私の手に伝わる心拍が止まったのは朝の7時37分だったが、駆け付けたドクターは「40分に死亡」と宣告した。実に静かな最期だった。

そして、私の耳には姉の深夜の孤独な叫び声がずっと鳴り響いていた。そこには絶望の響きがあった。葬儀ミサの最中もそれをどう理解すべきか思い悩んでいたが、説教ではそれに触れなかった。

あとで悩みながら聖書を開いた。そこには、イエスの死の場面が描かれていた。

《さて、昼の12時には、全地は暗くなり、それが3時まで続いた。3時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と言う意味である。》(マタイ書45-46節)

私はこの個所を読んで得心し、慰められた。生前ご自分の死について弟子たちに語るとき必ず復活の話をされていたイエスが、死のぎりぎりの瞬間に、父なる神から完全に見捨てられた絶望を体験をされたのなら、姉が絶望の叫びをあげたのは当たり前だと思った。姉がキリストの絶望を共有したのなら、イエスの復活をも共有するに違いないと思ったからだ。

長文にお付き合いいただき、有難うございました

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★ 姉の葬儀ミサの説教(上)

2018-08-23 00:00:11 | ★ 日記 ・ 小話

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姉の葬儀ミサの説教(上) 

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 私は7月23日の姉の告別式のミサの福音朗読個所として、ルカの15章の「放蕩息子のたとえ話」の全文を読んだ。やや異例な選択ではあったが、私は姉の天国への花向けとして是非それを読み、説教ではそのたとえ話に新しい解釈を試みたかった。

若かりし頃の姉の姿 

その「放蕩息子のたとえ話」は次のように始まる。

  ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、「お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前を下さい」と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。「父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。『お父さん、わたしは天に対しても、又お父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください』」と。そして、彼はそこを発ち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。」しかし、父親は僕(しもべ)たちに言った。「急いでいちばん良い服を持ってきて、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れてきて屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。」そして、祝宴を始めた。(ルカ15章11節-24節)

 私の説教はこのたとえ話を土台にして始まったのだが、いざ改めて当日の説教を再現しようとすると、自分がどんな表現を用いてどのように展開したか、記憶が薄れてよく思い出せない。録音したものを文字に起こすような具合にはいかないものだ。そこで、私が言ったつもりのことを自由に再構築してみようと思う。

 姉は、私と正反対の性格で、「真面目」を絵にかいたようなところがあった。若くして修道会に入り、会の規律を忠実に守り、上長の命令に従って勉強のためにパリに送られれば、言われた通り勉強しかしなかった。何年もパリにいて、修道院と大学と図書館の3点以外のところには足を運んだことがないというから開いた口が塞がらない。私だったら、勉強はほどほどに、与えられたチャンスを最大限に利用して、パリの面白いところを貪欲に体験しつくしたに違いなかった。

 聞くところによれば、いつの間にかフランス語、英語、イタリア語、スペイン語などを身に着け、アフリカに送られては、現地の若い修道女の養成指導などに当たっていたと思われる。日本に帰ると、一時は横浜の修道院にもいたが、最後は中落合の聖母病院で外国人患者の受付やドクターの問診の通訳をしながら、80歳の誕生日を目前にこの春まで現役で働いていた。たとえて言えば、ルカの福音書の放蕩息子の兄のような生き方を生涯にわたり貫いたと言ってもいい。

 私はと言えば、父親に逆らい、家族の平和を乱して出奔し、好きなことは何でもしたが、好きなこと以外は何もしてこなかったように思う。世界中を渡り歩き、放蕩の限りを尽くしてやっと我に返り、遠ざかっていた教会の門を叩き、54歳で辛くも神父になりおおせた。

 しかし、聖書のたとえ話によれば、私のような人間でも心を入れ替えて父親の家に帰ってくると、全ての罪は許され、父親の愛に抱かれて天国の宴に迎え入れられることになるというから、有り難くももったいない話だが、すべては神の愛と憐みの業であって、自分には何ら誇るところがないことを知っている。

 ところが、ルカの福音書のたとえ話によれば、生涯を忠実に、まじめに勤め上げた兄は、天の御父の弟に対する偏愛を目の前にして、憤然として宴席に入ることを拒んで外にとどまり、天国の宴に入りそこなうことになっている。放蕩息子のたとえ話の後半にそのあたりのことが描かれている。曰く:

  ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕(しもべ)の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。「弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたと言うので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。」兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。「このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、小山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして返って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。」すると、父親は言った。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しむのはあたりまえではないか。」(ルカ15章25節-32節)

 ロシアのエルミタージュ美術館で見た巨匠レンブラント晩年の代表的宗教画「放蕩息子の帰還」

父が憐れな息子を抱く場面には、まだ野良で働いているはずの長兄がなぜかそこに居合わせて、きあう父と弟を高い位置から厳しい面持ちで冷ややかに見下している。たとえ話の前半と後半を一枚に描いている。これがレンブラントの理解した兄の姿なのだ。

 弟が出奔して以来、ひと時も彼のことを忘れることのなかった父親の愛を、兄は生涯父のそばにいながら全く理解していなかった。兄にとっての父は、長男とは名ばかりの自分を、召使や奴隷と変わりなく義務と労働に縛り付ける厳しい主人のような存在だった。心のどこかでは、財産を手にして出て行った弟の身勝手と自由をうらやみ嫉んでさえいたかもしれない。つまり、彼はずっと父のそばにいながら、そんな父を愛してはいなかったし、弟のことも愛してはいなかったと思われる。

  言い換えれば、兄は義務の観念から父のそばを離れず、忠実に自分の務めを果たしてはいたが、日々喜びをもって生きていたわけではなく、ただ辛抱して父に忠実に仕えてさえいれば、いつか父の家督を継げることを期待し、あの不埒な放蕩者の弟は遠い土地で野垂れ死にでもすればいい、くらいに思って自分を納得させていたに過ぎなかった。

 だから、兄は父の弟に対する処遇に納得できず、弟のために父が開いた宴席に頑として入ろうとはしなかった。 

 父は説得をあきらめ宴席に戻り、その後、日没が迫ると召使はいつも通り家の門を閉じた。外では空腹と寒さが襲ってきたが、何よりも耐え難いのは暗闇の中の孤独と寂寥だった。夜遅くまで続く祝宴が天国ならば、これはまさに地獄そのものではないか。

 そして、翌朝召使が門を開けると、そこにはもう誰もいなかった。

 聖書の中の数あるたとえ話の中の最高傑作と私が考えるこの「放蕩息子のたとえ話」が、人間の生き方のパターンをこの兄と弟の二人のどちらかに振り分けるものだとしたら、私は姉の死を前にして大きな戸惑いを禁じ得ない。私のようなダメ人間が、父の愛と憐れみに救われるのは、もったいない話だが有難いことだ。しかし、あの愛すべき忠実な姉が、たとえ話の兄のような運命を自分で選び取ることにならざるを得ないのだとすれば、それはどうしても納得がいかない。もしそれ以外に落としどころが無いのだとすれば、聖書の記述は間違っていると言いたい。

 私は告別式ミサの説教の中でこの問題に対する納得のいく答えをきちんと出して締めくくったつもりだが、火葬場の時間厳守の制約を受け、自分の思いのたけを十分に展開するだけの余裕を与えられなかったので、列席者の心に果たしてどこまで私の真意を伝え得たか心もとない。

 今回はここで一区切りつけ、次回では結論の部分をもう一段掘り下げて、説得力をもって展開してみたいと思う。

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★ 「透明なゆりかご」 NHK 連続ドラマ化

2018-08-17 00:35:29 | ★ 日本の社会

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「透明なゆりかご」 NHK でドラマ化さる

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主人公沖田X華

ちょうど1年前、私は沖田X子のマンガ「透明なゆりかご」についてブログを書いた。

私のブログの題は:

  「一位は本当に癌なのか?日本の死亡原因」 (2017.07.08)

https://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/25dd3f6e36d84d8d23a80b4766d02423

  「日本人の死因の第一位はやはり癌ではなかった!」 (2017.07.21)

https://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/12859ece22fe910cd8b6ef95ac6aeb1e

  「=反響=癌は死因の第1位ではなかった」(2017.07.25)

https://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/40324311d1c44cbbca6dde62fb45af5f

 

全てはマンガ「透明なゆりかご」からヒントを得たものだった。 

マンガ「透明なゆりかご」vol 1-6 

 それを、一年遅れてNHKが取り上げた。

どうやら、この「産婦人科医院 看護師見習い日記」に注目し、ブログに取り上げた私の目に狂いはなかったようだ。

 https://www.nhk.or.jp/drama10/yurikago/

今現在webサイトには関連の記事があふれている。一見をお勧めします。

NHK総合テレビ毎週金曜日夜10時

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