写真・図版高橋源一郎さん=郭允撮影

 映画「父親たちの星条旗」の冒頭、「ほんとうに戦争を知っているものは、戦争について語らない」という意味合いのことばが流れる〈1〉。深く知っているはずのないことについて、大声でしゃべるものには気をつけたい。これは自戒としていうのだが。

 読売新聞主筆・渡辺恒雄が文芸春秋に書いた文章のタイトルは「安倍首相に伝えたい『わが体験的靖国論』」〈2〉。それは、消えつつある「ほんとうに戦争を知っている」世代から、そうではない世代の指導者への遺言のように、思えた。

 渡辺は、「先の戦争」の責任について語り、その象徴として「靖国問題」を取り上げた。宗教性を持たせぬようにしたため、対立を報じられることの殆(ほとん)どない、他国の追悼施設に対し、特異な宗教的施設である靖国を戦没者の追悼の場所とすることへの強い疑念を表明した渡辺は、さらに、「戦争体験者の最後の世代に属する」ものとして、自分が経験した軍隊生活の悲惨な実態についても語っている。わたしは、渡辺とは多くの点で異なった考えを持つが、戦争を語るときの真摯(しんし)さにはうたれる。彼のことばには、「戦争について語りすぎるもの」への不信が覗(のぞ)くが、その不信は、大きな声ではなく、ただ呟(つぶや)くように、書かれている。

 「先の戦争」が残した、大きな傷痕の一つ「慰安婦問題」に、今月、大きな動きがあった。朝日新聞が、「慰安婦強制連行」の証拠としてきた「吉田清治発言」を「虚偽だと判断し、記事を取り消」すと発表したのだ〈3〉。「強制連行」があったかどうかは、もともと本質的な問題ではなかったはずだ。なのに、この一連の記事によって、いつしかそれは「慰安婦問題」の中心的論点になってしまった。そのことの責を新聞は負わなければならないだろう。だが、わたしが取り上げたいのは、そのことではない。

 たとえば、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』は、この問題について、広範で精密な資料を提示する「代表的」な文献とされる〈4〉。けれど、わたしは、この、「正確な事実」に基づいているとする本を読む度に、深い徒労感にとらわれる。

 秦は、慰安婦たちの「身の上話」を「雲をつかむようなものばかり」で、「親族、友人、近所の人など目撃者や関係者の裏付け証言がまったく取れていない」と書いた。慰安婦たちのことばを裏付ける証言をするものなどおらず、彼女たちのことばは信ずるに足りない、と。ほんとうに、そうなのだろうか。

    *

 先の戦争で、数百万の日本人兵士が戦場へ赴いた。その中には、多くの小説家たちがいた。生き残り、帰国した彼らは、戦場で見たものを小説に書き残した。そこには、歴史家の「資料」としてではなく、同じ人間として生きる慰安婦たちの鮮やかな姿も混じっている。

 田村泰次郎は、次々と半ば強制的に様々な部隊の兵士の「慰安」の相手をさせられながら過酷な列車の旅を続けてゆく女たちを描いた「蝗(いなご)」や、全裸で兵士たちと共に行軍を強いられる女の姿を刻みつけた「裸女のいる隊列」を書いた〈5〉。

 強姦(ごうかん)と殺戮(さつりく)が日常である世界を描いた田村と異なり、古山高麗雄(こまお)の作品群には不思議な静けさが漂う。主人公の兵士である「私」は、戦場で自分だけの戒律を作った。「民間人を殺さない」こと、そして「慰安所に行かない」ことだ。それは「私」にとって「正気」でいるために必要な手段だった。そんな「私」は、慰安婦たちに深い同情と共感を覚える。なぜなら、「彼女たちは何千回となく、性交をやらされているわけだ。拉致されて、屈辱的なことをやらされている点では同じだ。(略)私たちが徴兵を拒むことができなかったように、彼女たちも徴用から逃げることはできなかったのだ」〈6〉。

 戦後、「慰安婦問題」が大きく取り上げられるようになって、古山は「セミの追憶」という短編を書いた〈7〉。「正義の告発」を始めた慰安婦たちの報道を前に、その「正しさ」を認めながら、古山は戸惑いを隠せない。それは、ほんとうに「彼女たち自身のことば」だったのだろうか。そして、かつて、戦場で出会った、慰安婦の顔を思い浮かべる。

 「彼女は……生きているとしたら……どんなことを考えているのだろうか。彼女たちの被害を償えと叫ぶ正義の団体に対しては、どのように思っているのだろうか。そんな、わかりようもないことを、ときに、ふと想像してみる。そして、そのたびに、とてもとても想像の及ばぬことだと、思うのである」

    *

 戦後70年近くたち、「先の戦争」の経験者たちの大半が退場して、いま、論議するのは、経験なきものたちばかりだ。

 紙の資料に頼りながら、そこで発される、「単なる売春婦」「殺されたといってもたかだか数千で、大虐殺とはいえない」といった種類のことばに、わたしは強い違和を感じてきた。「資料」の中では単なる数に過ぎないが、一人一人がまったく異なった運命を持った個人である「当事者」が「そこ」にはいたのだ。

 だが、その「当事者」のことが、もっとも近くにいて、誰よりも豊かな感受性を持った人間にとってすら「想像の及ばぬこと」だとしたら、そこから遠く離れたわたしたちは、もっと謙虚になるべきではないのだろうか。性急に結論を出す前に、わたしは目を閉じ、静かに、遥(はる)か遠く、ことばを持てなかった人々の内奥のことばを想像してみたいと思うのである。それが仮に不可能なことだとしても。

    *

 〈1〉映画「父親たちの星条旗」(クリント・イーストウッド監督、2006年)

 〈2〉渡辺恒雄安倍首相に伝えたい『わが体験的靖国論』」(文芸春秋9月号)

 〈3〉本紙記事「慰安婦問題を考える(上)~『済州島で連行』証言」(8月5日付)

 〈4〉秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(1999年)

 〈5〉田村泰次郎「蝗」「裸女のいる隊列」

 〈6〉古山高麗雄「白い田圃」(70年、『二十三の戦争短編小説』所収)

 〈7〉同「セミの追憶」(93年、同)

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 たかはし・げんいちろう 1951年生まれ。明治学院大学教授。近刊『還暦からの電脳事始(ことはじめ)』は、デジタル化が進む自身の生活をつづったエッセー集。