異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

11/14名古屋街宣で初スピーチ [漫才を武器に、原発事故を追い続ける!おしどりマコケンさん]

2015-11-24 17:53:47 | 案内 情報 デモ 集会 逮捕

 漫才を武器に、原発事故を追い続ける!芸人ジャーナリスト おしどりマコ・ケンさんの初スピーチが素晴らしい !!
                 
    

nonnieのブログ http://ameblo.jp/nonta508/entry-12096764578.html より転載

2015-11-17 21:31:48
 

先日の辺野古新基地建設反対の名古屋街宣に飛び入りで参加され
初スピーチをされたおしどりマコケンのお二人。

その場で聞いた直後に、もう一度聞きたいと思いました。

衝撃的でもあり、ケンパルさんのマコリーヌさんへの深い愛情もひしひしと伝わってくる

素晴らしいスピーチでした。

書き起こします。

+++++++++++++++++++++++

マコ「みなさんこんばんは、マコですぅ。」

ケン「ケンです。」

マコ&ケン「おしどりです。よろしくお願いしますー。」

 

ケン「すごいたくさん集まってるね。」

マコ「ほんとに。実は私達、人前でスピーチするのは初めてで。

   吉本クリエイティブエージェンシーに所属している芸人なんですが、

   原発事故のあと、メチャメチャ取材をしています。」

ケン「たくさんね。おとつい・・・おとついの前の日も行ったね。」

マコ「取材をしているので、ね、ほんとに取材をしているだけなので、

   ま、いろいろ圧力がかかるんですけど、

   取材をして何が悪いんですか?って言いたいが為に、

   色々スピーチをして下さいって言われても、なんとなくお断りをしてたんです。」

ケン「そうなんです。取材をさせてください、っていうことで。」

 

マコ「でもね、今日はほんとに色々考えて、原発事故の取材の後にほんとに色々考えて」

ケン「考えました、はい。」

マコ「やっぱりね、やっぱりね、言いたいことは言わないといけないし、

   抗議しないといけない時は抗議しないといけないと思う。」

ケン「そう、自分でちゃんと言わないとね。ほんとです。はい。」

 

マコ「でまあ、辺野古の問題も、今年、名護市に1週間いて色々取材をしたり

   去年から取材をし始めてますけど、ほんとにひどいです。

   原発事故のね、報道も、あれフェアじゃないって思う事多いんですけど。

   名護市の市役所に基地対策係っていうのがあるんですよ。

ケン「ええ、ええ。」

マコ「で、基地対策係の市役所の方に聞いたら、なんか市役所の方が

   海上保安庁に抗議しに行ったんですって。そのね、ちょうど6月ね。

   その反対している市民の方々に、海上保安庁が救急車を呼ばないといけないようなくらい

   手荒な行動を取っているので、手荒なマネはやめて欲しいって、

   名護市の市役所の基地対策係が海上保安庁に言いに行ったんですけど、」

ケン「当然ですよね、はい。」

マコ「そう。でもね、海上保安庁は『現場からそんな報告は上がってきていません。』と。

   なんにも話を聞いてくれなかった、って名護市の市役所の方に聞きました。」

ケン「はい。」

マコ「だから、現場で何が起こっているか、報道の人達はきちんと取材をして、全国に、東京に

   ちゃんと伝えて下さい、って名護市の市役所の人に言われました。」

ケン「そう、言われましたよね。はい。」

マコ「でもね、私わかりました!って言ったんですけど、『あ、すいません、でも私芸人なんですぅ。』

   って謝ったんですけどね。申し訳ない、出来るだけ頑張ります、って。」 (笑い)

ケン「調べたことはね。」

マコ「そう、調べたことは言うね。」

ケン「そうそう、わかった事はみんな全部伝えていきましょう。」

 

マコ「そう。ほんとに原発事故の報道も、出て来てない現場の話がいっぱいあって。

   それで、まあね、2011年からずっと取材してる、って私たちいつの間にか、いつの間にか

   ベテランになってるんですけど、」

ケン「まあ、少なくともマコちゃんはね。大ベテランです。」

マコ「でもほんとに、うーん、原発事故の取材をテレビ局でも新聞でもフリーランスの方でも

   ちゃんとアグレッシブにされてる方々はたくさんおられるんですけど」

ケン「おられますよー、はい。」

マコ「なかなかそのニュースが外に出て来なくって。

   で、局でも新聞社でも色々圧力があって、嫌がらせがあって、っていう事を聞きます。」

ケン「そうですね。」

マコ「それで、えーと、原発事故の取材をし始めて、東京電力にね、ずっと一緒に通ってた方や、

   えー、福島の検討委員会に一緒に行ってた方が、去年の暮れから・・・違う、去年の夏から

   今年の頭にかけて3人自殺をしました。」

ケン「そう、うんうん。」

マコ「で、被爆の研究をされてる方も、今年一人自死されました。」

ケン「うんうん。」

マコ「で、いろいろ心労がたたって病死した研究者もいるし、もう余命数ケ月でありながら

   モルヒネ打ちながら、ずっと取材してた記者も知っています。

   で、本当に、なんでこんなギリギリのところで取材をしている人達のニュースが外に出ないのか

   なんでいちいち、いちいち色んなものと闘わないといけないのか。本当に悔しいです。」

ケン「ほんとうですね。」

マコ「ね、悔しいよねー。」(涙をこらえるマコさん)

ケン「うん。」

 

マコ「それで今日名古屋に来たのは、先月末に、琉球大学で蝶と被爆の研究をされていた野原千代さん

   っていう研究者が先月末に亡くなって、」

ケン「亡くなっちゃった。」

マコ「名古屋の方だったので。」

ケン「そうです。」

マコ「名古屋でずーっと何回も会って、いろいろ話を聞いていて、

   で、去年仲良しのテレビ朝日のディレクターが亡くなった時、自死した時、

   二人とも仲良しの友達だったので、あの名古屋の駅前のね、マリオットホテルに二人で泊まって

   夜通し私が取材して話をしたんですよね。」

ケン「そうです。」

マコ「その亡くなった、自死したディレクターと前日に会ってたのが私達だったので、

   何があって、どう取材したのかっていうのを話していて。

   マリオットなんかそんな高級なホテルに私は泊まったことないんですけど。

   その研究者が『外資系のホテルだったら盗聴器がないからここに泊まろう。』って言って。」

ケン「そう。」

マコ「そうなんです。もうね、わりとね、そんなところになってるんですよ。

   だからそれ以来、名古屋のね、名古屋から琉球大学に移って研究されてた方が亡くなって以来

   初めて名古屋に来て。

   もうここに来ても待ち合わせすることもないし、いないんだなって改めて思うとやっぱ悔しいし。」

ケン「悔しいですよね。」

マコ「ね。」

ケン「だからこそ今日こうやってね、ここでこうお話しさせて頂く機会をもらったんでね。」

マコ「そうなんです。だから色々いやな事とか、悔しい事とかがいっぱいあるんですけど、」

ケン「ええ、ええ。」

マコ「でもやっぱり!こう生きているのは私達なので、その悔しくてもっと動きたかった人達を

   私は知っているので。

   だからやっぱり何があっても色々勉強するし、取材するし、動き続けていこうと思います。」

                        (拍手と歓声)

ケン「そうですね。はい。みんなの声、自分で声出してね、全部喋っていったらいいもんね。」

 

マコ「そうなんですよ。で、なんでかね、私達に色々、なんでしょうねぇ、なんか国からの圧力とかも

   なんかよくわからない物があるんですけど、こんなちっぽけな私達なのにね。

                           (笑い)

   なんか、一番やっぱり嫌な事は、『想定外』なんですって。

   芸人が、こんなに何年も原発事故に一番しがみついて取材してるっていうのが

   すごい想定外らしくて。」

ケン「想定外!うんうん。」

マコ「で、だから辺野古の問題も、今いろんな所で起こってる嫌な問題も、あきらめるんじゃなくて

   一人ひとりがメチャメチャ想定外に動くことっていうのは絶対に何か動くと思います!」

                        (大歓声と拍手)

ケン「なるほどね!ほんとやね。ほんとや、ほんとや。そうしよう。」

 

マコ「まあね、でもね、こうやって人前で喋るの初めてで、先月の名古屋吉本の名鉄観光の

   お仕事呼んでいただいてるんで、ここ、めっちゃ新幹線に聞こえてるんでドキドキしてますけどね。

                          (笑い)

   でもそう、私達も先輩にね、師匠にね、楽屋に呼ばれて怒られることもあります。」

ケン「あります。」

マコ「『お前らだけが一人で動いたって、世の中何も変わらない』と。

   『一人で青臭い事言ったって百年かかる』って怒られたことがありました。でもね、」

ケン「マコちゃん、言ったもんね。」

マコ「そう、でも思いついたんですよね。私達みたいなのが100人いたら1年で済みますよねと。

   思ったんですよ、ほんとに。」

ケン「そう。ほんとよね。そうそう。」

                          (歓声)

マコ「なので、ほんとに今、色んな悔しい事多いですけど、もう一人ひとりが想定外に、

   もう100人も200人も1000人も、これ今カウントしただけでも100人以上いるんで。」

ケン「いっぱいいますよね。」

マコ「半年くらいで済みますよ。ほんと、ね。」

ケン「ボクは一人にカウントできないんですけどね。」

マコ「情けない事言うね・・・ハイ、頑張ります。

   なので、ね!もうみんなが一人ひとり『想定外』になって動くこと。

   それで、そうですね、原発の問題も辺野古の問題もいろんな公害の問題も

   そして今日のパリの問題もそうだと思うんですけど、

   遠くで、誰かが踏みにじられてるっていう事に、どれだけ自分の事として怒れるかどうか。

   ほんとそれだけだと思うんです。」

ケン「ほんとですね、はい。」

マコ「遠くの誰かは絶対に自分なんですよ。」

ケン「そう。」

マコ「他人事じゃなくて、国とか権力とかに踏みにじられてる人を無視するっていうことは

   自分が困った時に誰も助けてくれない、っていう事だと思います。」

ケン「そうですね。全部返ってきますよね。」

マコ「うん。なので、今日これだけ集まっていらして、ほんとに嬉しいし有り難いですよね。

   もう、これから、想定外に、一人ひとりが遠くの問題を自分の事として考えること、

   そして想定外に動いていって、周りをビビらしていくっていうのが、必要だと思います。」

ケン「ね、いいですね。」

 

マコ「今日、ほんとうに、その仲良しの研究者が亡くなって初めて名古屋に来て、

   ものすごくものすごく色々考える事があったんですけど、

   今日こうしてみなさんの前で、初めてスピーチをする事ができて

   本当に有り難い機会を頂いたと思います。ありがとうございました。」

ケン「ありがとうございます。」

                        (大拍手)

 


<関連記事>

原発を追及する芸人ジャーナリスト~「おしどり」マコ&ケン

 
http://www.labornetjp.org/news/2015/1437448543108staff01

 

 

 おしどりマコ・ケンの「脱ってみる?」‐マガジン9

http://www.magazine9.jp/oshidori/110525/

おしどりマコ・ケンの「脱ってみる?」

 

 


11/29(日)金沢「漫才を武器に、原発事故を追い続ける!マコ・ケンの福島取材報告」

2015-11-24 16:54:52 | 福島、原発

https://www.facebook.com/events/559243047559264/

原発・いのち・みらいシリーズ講演会 第10回
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漫才を武器に、原発事故を追い続ける!
芸人ジャーナリスト おしどりマコ・ケンの福島取材報告
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◇と き
2015年11月29日(日)
午後2時~午後4時

◇ところ
金沢都ホテル 5階・加賀の間(定員150人)...
(金沢駅東口正面)

++++++++++++ 

おしどりマコさんとおしどりケンさんは、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属の芸人さんですが、福島原発事故後、東京電力の記者会見に最も多く出席しているフリージャーナリストでもあります。

マコさんは出身地の神戸で「阪神大震災」を経験、鳥取大学医学部生命科学科を中退し大阪で芸人の道へ進まれました。
2011年東京に転居した3ヶ月後に「東日本大震災」に遭遇、震災後の原発事故に関しては一般の方同様に漠然とした恐怖感を感じていたそうです。しかし、あるきっかけから東京電力の会見に参加するようになり、知識を深めることで徐々に冷静に考えることができるようになったそうです。そして知ることが力になることに気づき、周囲の人々にも知識を広めていきたいと思い、フリージャーナリストとしての活動を始められました。
現在では、最も原発関連に詳しいジャーナリストとして、雑誌『DAYS JAPAN』の編集委員も務めています。

原発事故から4年が経過した現在でも、汚染水等の問題は全く解決していませんし、事故を起こした原発の後始末は数十年以上先になると言われています。また、原発事故の汚染地区は福島県に限定されるものではなく、その影響は日本全体の問題です。
石川県にも志賀原発があり、隣の福井県には多数の原発が存在しています。今回の講演会ではお二人に原発事故の最新情報を伝えていただきながら、原発のこれからについて皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
ご参加をお待ちしています。

◆主催/問合せ 石川県保険医協会
金沢市尾張町2-8-23 太陽生命金沢ビル8階
TEL:076-222-5373 FAX 076-231-5156
Email:ishikawa-hok★doc-net.or.jp(★⇒@)

 

 

 


【沖縄】 政府の強行批判、辺野古移設「解決にならぬ」 (大江健三郎)

2015-11-24 15:02:13 | 沖縄

琉球新報http://ryukyushimpo.jp/news/entry-176863.htmlより転載

大江氏、辺野古移設「解決にならぬ」 政府の強行批判

名護市辺野古への新基地建設について「沖縄の問題として何も解決しない」と述べた大江健三郎氏=23日午後、琉球新報ホール

 戦後70年企画「大江健三郎講演会~沖縄から平和、民主主義を問う~」(琉球新報社主催、岩波書店共催)が23日午後、那覇市泉崎の琉球新報ホールで開催された。

 モニター画面で聴講した人も含め740人がノーベル賞作家の沖縄への思いに聞き入った。学生との対話も催され、学生から政府の新基地建設強行について問われた大江氏は「狭い沖縄に核兵器の基地があるということが本質的問題。移設しても根本的には何の解決にもならない」と答えると大きな拍手が起きた。

 講演では、沖縄との出合いや「九条の会」の活動を振り返り、サンフランシスコ講和条約で沖縄が日本から切り離された日(4月28日)を「主権回復の日」として「天皇陛下万歳」と唱和したことに触れて、安倍政権を厳しく批判した。
 80歳になる大江氏は講演で、憲法の価値が文化として日本に根付いていることを強調し「海外で危険な目に遭いながら活動する、特に女性たちが、憲法を文化として持っていることに希望を持っている」と述べた。その上で「そのような子どもたちを育てていただきたい」と若い世代への期待を語った。

 講演に続いて、潮平芳和琉球新報編集局長の進行で県内の学生3人との対話が行われた。沖縄国際大3年の植(うえ)憲介さん、同大大学院の儀間友里花さん、琉球大4年の酒本萌子さんが質問を投げ掛け、大江さんは丁寧に応じた。岩波書店の岡本厚社長も登壇した。
 沖縄の意見を無視し行われている基地政策をめぐり「沖縄にとって何が一番大切か」という学生からの問いには「あなたたちが大事だ。はっきりと主張する新世代がいることが希望だ。具体的にどうするか、考え続けることだ。頑張ってください」とエールを送った。
 会場からの質問にも答え、著書の「沖縄ノート」(岩波新書、1970年)について「沖縄の人に読んでもらっていることで緊張が続いている」と話し、「このように多くの方が来られて討論が続いていることに敬意を持つ。呼んでくださってありがとう」と感謝を表した。

 

 

 


【沖縄】坂本龍一さん、辺野古移設は「理不尽」「意見を言わないと全体主義に」

2015-11-24 14:46:43 | 沖縄

沖縄タイムスhttp://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=142874&f=i より転載

坂本龍一さん、辺野古移設は「理不尽」「意見を言わないと全体主義に」

2015年11月24日 06:24  
  • 坂本龍一さんが辺野古新基地反対の姿勢をあらためて示した
  • 抗議集会やデモに理解を示し「民意が反映されない現状に疑問」
  • 平和や言論の危機「反対意見を言わないと全体主義体制になる」
  • 「新たに軍事基地を建設して貴重な自然を壊す。まったく不可解」と話す坂本龍一さん=現地時間11月12日、米国・ニューヨーク((c)2015 キャブ・アメリカ) 
「新たに軍事基地を建設して貴重な自然を壊す。まったく不可解」と話す坂本龍一さん=現地時間11月12日、米国・ニューヨーク((c)2015 キャブ・アメリカ)
「スカイプ」で沖縄タイムスのインタビューに答える=11月12日、米国・ニューヨーク((c)2015 キャブ・アメリカ)
 
「スカイプ」で沖縄タイムスのインタビューに答える=11月12日、米国・ニューヨーク((c)2015 キャブ・アメリカ)
 
 
 中咽のため、昨年7月から音楽活動を一時休止。今年8月に再開し、古謝美佐子さんらの女性ユニット「うないぐみ」と「弥勒世果報-undercooled」を10月に発売した。その際、「ぼくも、うないぐみの皆さんも、アメリカ軍基地の辺野古移設で沖縄の海と貴重な生態系が壊されることに反対です。この曲の売り上げはコストを除いた全額を辺野古基金に寄付します」とのコメントを出した。

 辺野古基金への寄付について坂本さんは「私が古謝さんに提案し、進めようということになった」と説明。「新たに軍事基地を建設して貴重な自然を壊す。何でそこまでして沖縄が犠牲を払わなければいけないのか。まったく不可解」と、政府の政治姿勢を疑問視した。

 辺野古で続く市民の抗議集会やデモなどについては、新基地建設反対の沖縄の民意を踏まえ「選挙結果もきちんと出ている、世論調査のアンケートでも結果もはっきりしているのにそれを政府が無視するなら、それ以外の他の方法を取らざるを得ないのは当然」と理解を示した。

 また、辺野古や安保法制の強行採決で「民意と国会や政府がねじれている。民意が反映されない状態で今の日本の民主主義に疑問を抱かざるを得ない」と指摘。「国民の間に空気として自主規制のようなムードが広がっている」「明確な意識を持たないうちに自主規制が広がっているのは大きな問題」として現状への危機感をあらわにした。

 

  うないぐみと共同制作した「弥勒世果報-undercooled」。ジャケットはCoccoさんが手掛けた。  
うないぐみと共同制作した「弥勒世果報-undercooled」。ジャケットはCoccoさんが手掛けた。

首相官邸前で行われた集会で、脱原発を訴える=2012年7月6日、東京・永田町
首相官邸前で行われた集会で、脱原発を訴える=2012年7月6日、東京・永田町

【インタビュー詳報】

 -「うないぐみ」とのコラボレーションで10月に発売したシングル「弥勒世果報(みるくゆがふ)-undercooled」の「undercooled」(冷やし足りない)に込められた思いを聞かせてください。

 「ご承知のように9・11の米同時多発テロ後のイラク戦争が始まる時、復讐(ふくしゅう)だという風に米国や世界の人々の頭に血が上り、闘いモードになっている時に、不幸なことだ悲しいことだと思って作った曲です。頭を冷やせよという意味で作りました」

 -楽曲制作でどのような点を意識されましたか。

 「去年の時点でうないぐみの歌はもう録音されていたんですね。僕も参加しようと思っていたら病気が分かり、1年くらい空いてしまって。ことし体調が良くなったので曲を取り出して音を足したわけです。三線と歌で、一つの素晴らしい音楽の世界ができているので、僕が足すのは最小限にしようと。歌を引き立たせる役割として音を足そうということで歌ありきのアレンジになりました」

 「(歌手の)UA(ウーア)さんは沖縄に何年間か住んでいて独特の思い入れがあると思いましたので、何かトークを入れてほしいと思ったんです。お子さんの声まで入ったのはUAさんのアイデアで強いメッセージ、思い入れの強さを感じました。映画でも音楽でも子どもが入るとすべて負けてしまうというか、子どもの勝ちになってしまうわけです(笑)」

■お隣の文化

 -沖縄民謡や沖縄のミュージシャンとの共作を多く手掛けられていますが、沖縄の音楽や文化について感じることは。

 「僕が最初に沖縄の音楽や文化に興味を持ったのはもうずいぶん前になりますが18歳くらいですか。それまでは西洋音楽を勉強していたんですけども、その限界を強く感じて、他の所に目を向け始めたころでした。世界中には無数の素晴らしい民族音楽があり、沖縄やアイヌの音楽など、日本にも多様で素晴らしい音楽があるということに気が付きました」

 「琉球音楽は日本列島の音楽とは大きく違うものですね。民族音楽的な目で学者として調査するならば、琉球音楽は同じ国とは言えないくらい違っています。まず音階が大きく違います。琉球民謡で使う音階に近いものは、遠く何千キロも離れたインドネシアのバリ島にありますけど、世界的に見ても非常にユニークな音階ですね。同じ日本語を話して政治的には日本の一部ですけれども、文化的には全然違う。韓国中国よりも日本に一番近い、お隣の文化という意識を僕は持っています」

 「古謝美佐子さんたちと1980~90年代にワールドツアーに行って非常に楽しかったんですけど、ヨーロッパやアメリカなどで古謝さんたちが歌ったり踊ったりすると、普通のお客さんは『日本の歌、踊りだ』と思うわけですね。それでステージからは言えませんけど、インタビューを受ける時に『これは日本じゃないんだ。沖縄という独特の文化で日本文化と思ってもらっちゃ困る』と、すごくカッカして(笑)。当時は分からなかったけど、最近だと音楽好きの人は沖縄といえば独特の文化だと分かる人も多くなりました。沖縄の立場に立って日本だと思って誤解されるととても腹が立つというか。僕は日本人ですけど、気持ちはウチナーの気持ちになっちゃって(笑)、すごく腹立たしい気持ちがしたことを覚えています」

 -なぜ沖縄は独特の文化になったと思われますか。

 「ご承知の通り、歴史的に見れば琉球王朝は日本とは違う独立した国を長く保っていたわけで、地理的にも中国と日本の影響を受けているし、南からの影響も大きい。非常に独特だと思います。東アジアの列強の下で非常に苦しい歴史を持っていますし、島々の関係も非常に複雑ですよね。大きいのは、日本は長く鎖国をしていましたが、沖縄は開いていました。さまざまな影響を受けるということは、沖縄が日本以上に世界性や国際性を持つということですから、音楽や踊りも外からの影響を元にユニークな文化ができたと思っています」

 -「弥勒世果報-undercooled」の発表と同時に、坂本さんは「僕も、うないぐみの皆さんも、アメリカ軍基地の辺野古移設で沖縄の海と貴重な生態系が壊されることに反対です。この曲の売り上げはコストを除いた全額を辺野古基金に寄付します」とのコメントを発表しました。寄付の提案は誰がされたんですか。

 「私が古謝さんに提案しました。それで(古謝さんらが)『願ってもない』ということで、そういう風に進めようということになりました」

 

■国民に主権

 -政府が進める現在の辺野古基地建設について、どうお考えですか。

 「僕は法律的なことは全く分からないですが、その素人が見ても日本政府がやっていることは法に基づいておらずそれを無視したやり方だなと思います。逆に損害を被っている沖縄の方が、あくまでも冷静に法律に基づいて手続きを進めているのに、米国にしろ日本にしろ、大きな力を持っている側が凶暴なまでに法を無視して強行しているというのはとても理不尽なことだと思いますね。歴史的に見ても第2次世界大戦で本当に大きな犠牲を払った沖縄ですが、また戦後何十年もアメリカの基地を押し付けられて大きな損害を受けている。沖縄には罪がないのになぜ犠牲を払わなきゃいけないのかということを強く感じます」

 「やっと雪解けが来るのかと思ったら、また新たに軍事基地を建設して貴重な自然を壊す。何でそこまでして沖縄が犠牲を払わなければいけないのか。本土の人間としても全く不可解です。いろんな記事を読むと米軍は、海兵隊は沖縄から出て行きたいけど、止めたのは日本政府だと。防衛ということはあるんでしょうけど。沖縄の貴重な自然を壊してまで米軍に居てもらうことで、そんなに大きなメリットがあるんでしょうかね。よく分かりませんけど全く不可解としか言いようがないですね」

 世論調査では沖縄県民の約7~8割が辺野古新基地建設に反対。県内主要選挙でも辺野古の基地に反対する候補者がずっと当選していますが、その民意が政治に反映されていません。

 「この夏に注目を集めた安保法制にしても、民意が反映されない民主主義というか疑似民主主義がこのところ目立っていますよね。だけども少なくとも沖縄に関して言えば選挙結果と民意は一致しているわけですね。しかしそれを中央政府は認めない。中央と地方の問題ということになりますが、翻って中央の安保法制を見ると、政府寄りと言われる新聞まで安保法制に反対という民意の方が大きいのに採決を強行してしまった。完全に民意と国会や政府がねじれて、反映されていないという状態です。今の日本の民主主義に疑問を抱かざるを得ない状況が続いていますね」

 -辺野古で続く市民の抗議集会やデモなどの意思表示について。

 「政府がきちんと法律に基づき、民意に基づいて行動してくれるならばそういうことはする必要はないんでしょうけども。先方がそうしないもんだから。選挙結果もきちんと出している、世論調査のアンケートでも結果もはっきりしているのにそれを無視するんだから、それ以外の他の方法を取らざるを得ないというのは当然のことです。民主主義というのは何年に1回ある選挙の1票だけというのは全く間違った考えです。民主というのは国民が主権であるということです。『デモクラシー』の語源をたどれば『デモス』(民衆)の『クラシー』(政治を統べる)ということですから、本来なら『民衆が政治をやる』という意味なんですよ。ですが1億人が寄ってたかってワーワー言っても収拾がつかないので代表制ということになっているわけです。でも、それは現実的にそうせざるを得ないからというあくまで仮の姿であって、本来は民衆一人一人が自分の意見を述べることが本来の民主主義です。だから1人でも10人でも100人でも、意見があれば堂々と言うということは当たり前のことなんです」

 

■危機的状況

 -ご自身もこれまで原発安保法制の反対集会に参加するなど、積極的に社会的な発言を繰り返されています。現在の日本で「平和」や「言論の自由」はどのような状況にあると思いますか。

 「非常に危機的な状況にあると思います。昨今、急にそういう記事を目にしますけど、例えば憲法9条の『9』と書かれたTシャツを着ていたら警官に呼び止められたとか、学校で『平和』とか『peace』というタグをかばんに付けていたら先生に注意されたとか。まるで平和とか自由とかいう言葉が悪いかのように。戦前は『社会主義』じゃなくて、ただ『社会』という言葉の付いた本を持っているだけで特別警察とか憲兵が来て捕まえていくというひどい状態だったわけですけど。そんなことにもなりかねないような兆しがもう既に始まっています。これがどこに向かうのか、非常に不安だし、良くない」

 「しかもそれは、誰かが命令してそうさせたのかっていうと、なんとなくなんですよね。安倍首相が一つ一つ命令したわけではないのになんとなくそういう空気が広がっていく。あぁこうやってファシズムって広がっていくんだなと感じます。しかもそれは恐ろしい勢いで短時間に進んでいく。副総理が『ナチスに学べ』と言ったらしいですけども、ナチスがやったことと非常に似ていることが今起きていて、ナチスが全権を取るまでに非常に短期間で、1年以内にやっている。その前段として徐々にだんだん党員を増やしたりということはあるんですけど、いざ始まったらすべての反対意見はシャットアウトする、というファシズム体制が1年以内に築き上げられた。今から来年というのがそうなりかねない状況なので、私は非常に大きな危機感を持っています」

 -6月自民党若手勉強会であった一連の報道圧力や百田発言などについて。

 「政府に反対する意見を述べるメディアや個人は全部しょっぴく、あるいは潰(つぶ)してしまうという体制は全体主義ですよね。明確自民党人たちがそういう意識を持っているということがはっきりしている。面と向かってそういう体制が好きですか? そうなってほしいですか? と聞けばまだほとんどの人は嫌だ、困ると言うでしょう。ただ、そう単刀直入には聞いてこないで、じわじわと自主規制させるような空気がすでに気が付かないうちに始まっている。自分たちが明確な意識を持たないうちに自主規制が広がっているのは非常に大きな問題です。敏感にそういうことに目を向けてできるだけ明確に反対意見を言わないと、全体主義体制になってしまうでしょうね」

 -県民へメッセージを。

 「これからも沖縄の音楽や文化と親しんでいくと思いますし、久しぶりに今回、古謝さんたちと仕事をして、やはり沖縄、琉球の文化が好きだと思いました。自然を守ると同時に文化も守ってほしいですね。沖縄県がずっと長寿1位だったのに長野県に負けちゃったということがありましたが、これは『食』の変化ですよね。西洋式の食が沖縄に入ってきて伝統的な食を食べる人が少なくなってきたせいかとも思うんですけど。食も大事な文化なので、たまにはハンバーガー食べるのもいいかもしれませんが(笑)、やはり伝統的なものをぜひ守ってほしいですね。一度壊れたら取り戻せませんから。自然と同じですね」(聞き手=学芸部・与儀武秀)

 

 さかもと・りゅういち 音楽家。1952年生まれ。76年、東京藝術大学大学院修士課程修了。78年、細野晴臣、高橋幸宏とともに「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)を結成し社会現象となる。YMO「散開」(解散)後、84年に映画「ラスト・エンペラー」でアカデミーオリジナル作曲賞受賞。平和、環境、社会問題でも積極的に発言する。2014年7月に中咽頭がん治療のため活動を一時休止。今年8月に活動を再開した。

 

 


「なんて微笑ましい領土争いなんだ!」デンマークとカナダの『ハンス島』をめぐる主張のしかた

2015-11-24 14:19:54 | 歴史  歴史歪曲

グノシー https://gunosy.com/articles/aLxO3より転載

「なんて微笑ましい領土争いなんだ!」デンマークとカナダの『ハンス島』をめぐる主張のしかた

  • らばQ
  • 更新日:2015/11/23

領土問題は、国際関係を何かとギクシャクさせるものです。

カナダとデンマークの間でも、100年にわたって「ハンス島」と呼ばれる小さな無人島の領有権が争われてきました。

ところが、両国の主張のしかたが、かなり変わっていると注目を浴びています。

どんな主張なのかというと……

なんと両国の軍隊がたびたびこの島を訪れては、自国の旗を立て、さらに自国のお酒のボトルを置いていくという手法なのです。

デンマークの軍隊が上陸した時にはシュナップスを、カナダの軍隊が上陸したときにはカナディアンウィスキーに置き換えていくとのこと。

「ウィスキー戦争」と呼ばれるこの主張合戦。もともと友好的な国民性と言われる両国なだけに、領地の取り合いもユニークで平和的な方法となるようです。

ハンス島は、グリーンランド(デンマークの自治領)と、カナダのエルズミーア島との間のネアズ海峡に位置します。

デンマークは1815年にはグリーンランドの支配を確立しており、長期にわたって北極地方の存在は明らかにされてきました。

カナダは、16世紀ごろから領有権を保持していたイギリスからの独立プロセスが1867年に始まり、同年にアメリカがロシア帝国からアラスカを購入したことから、イギリス人とアメリカ人のこの地域への興味が強まりました。

(※当時の探検地図はイヌイット族やグリーンランド在住のデンマーク人を頼っており、ハンス島の名前はアメリカ人探検家のハンス・ヘンドリック氏が由来)

しかし1880年に、イギリスが領有権をカナダに移譲した際には、ハンス島は含まれていませんでした。

一方のデンマークも地図にようやく含めることができたのが1920年代と、地図上では面積がたった1.3平方キロメートルであることから、ないがしろにされてきたような小さな点だったのです。

そうした曖昧な歴史があるものの、その位置が国益が生じる可能性のある国際海域にあることから、この奇妙な領有権の主張が続いているそうです。

 

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昔は、日中とも、尖閣諸島問題は”紛争のタネ”にならないよう、常に棚上げで合意してきた。しかし、今は…

安倍政権の広告塔となってしまった、あの読売新聞の、《昔の》社説です。(1979年5月31日)

「尖閣問題を紛争のタネにするな」

 

                                                         画像by上野 俊一さんFB