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【動画】”日本の種が危ない!”元農水大臣・山田雅彦 / 幻の米」が消える? 4月「種子法」廃止、食卓や国の農業はどう変わるのか 2018.1.16 THE PAGE

2018-01-19 20:35:11 | 労働 生活一般

 

日本のタネが危ない!山田正彦先生(元農水大臣)「種子法廃止とこれからの日本の農業について」
                                                           ワールドフォーラム2017年10月

1952(昭和27)年に制定された「種子法」が今年4月に廃止されることが決まり、専門家や市民団体を中心に波紋が広がっています。一般にはなじみが薄い法律ですが、戦後の食糧難を背景に米や麦、大豆などの優良な「タネ」の生産管理を都道府県に義務付け、安定供給を図るものでした。その仕組みを今、国は「農業の競争力強化」の名の下で根本的に変化させようとしています。そのメリットとデメリットは? 残るものと残らないものは? こうした疑問を現場の声や取り組みとともに、連載で解き明かします。

【連載】タネを守る ── 「種子法」廃止で何が変わるのか

豊田の山間部で食べ続けられている米

愛知県農業総合試験場山間農業研究所に展示されている「ミネアサヒ」のサンプル

愛知県の北東部に位置する「稲武(いなぶ)」地区。自動車の街で知られる豊田市の中でも、最も山深い地域の一つに、その名も「山間農業研究所」があります。

愛知県の農業総合試験場の研究施設として1970年に発足。古い鉄筋コンクリートの建物に入ると、壁沿いにびっしりとパネルや展示物が飾られています。その大半が、この地域の誇るブランド米「ミネアサヒ」に関する内容です。

ミネアサヒは1960年代、当時まだ「実験農場」だった同研究所がコシヒカリの突然変異系統を元に交配を重ねて生み出しました。

コシヒカリゆずりの粘りとコシをもったおいしさ。稲は短めで倒れにくいと評判に。名称は食味のよい伝統品種であった「旭」と、中山間地を表す「峰」に由来しているそうです。

「おいしいけれど、平坦地ではつくれない。中山間地の農家は、収穫したらその地域だけで出回らせて、農協にもなかなか集まらなかったことから『幻の米』と呼ばれ出したようです」

研究所で育種を担当する「稲作研究室」の加藤恭宏室長はこう教えてくれました。

その「幻」の希少価値が見出され、近年はJAや自治体も積極的にPR。地元の道の駅では米粉をパンやカステラにも加工して売り出し、新米は「めったに手に入らない人気米」などとしてネット通販で取り扱われるようになっています。

ミネアサヒが正式な「品種」として国に登録されたのは1981年。「種苗法」という、新品種を育成した人や団体の権利を守るための法律に基づき、愛知県が独占的に種苗を生産・販売する権利(育成者権)を得ました。しかし、その有効期限は当時15年間(現在は25〜30年間)で、1996年には権利が消滅しています。

では、今は誰でも自由にミネアサヒを育成できるのでしょうか。愛知県や国は市場に任せていればいいのでしょうか。ここで関わってくるのが「種子法」なのです。

「純粋なタネ」守るための手間ひま

研究所の倉庫でタネの入ったボトルを見つめる加藤恭宏・稲作研究室長

種子法の正式名称は「主要農作物種子法」。稲、麦、大豆といった主要農作物について、地域ごとに優良な品種を定め、適切に生産、普及させるよう各都道府県に義務付けています。

この優良な品種のことを多くの都道府県で「奨励品種」と呼び、愛知県では2017年12月現在で22品種を採用。そのうち稲は18品種で、「コシヒカリ」や「あきたこまち」の他、主に平坦地で栽培される県産の「あいちのかおり」、標高650m以上の高地に適した「峰ひびき」、そしてミネアサヒが含まれています。

種子法では具体的にこうした奨励品種を決定するための試験の実施や、そのタネを都道府県が圃場を確保するなどして責任をもって生産するよう求めています。それを根拠に予算措置もなされてきたということです。

育成された品種の大もとのタネは「育種家種子」と呼ばれ、そこから増殖させたタネを「原原種」、さらに次の世代を「原種」と呼びます。種子法が定めるのは原原種と原種の生産。いわば子と孫の世代が責任の範囲です。その規定に基づき、ミネアサヒについては愛知県農業総合試験場が原原種、原種の生産を担当しています。

加藤室長に研究所内の倉庫を案内してもらいました。コンテナ大のスペースの棚に「平成21年度原々ミネアサヒ」「平成27年度採種ミネアサヒ原々」などと書かれたボトルがずらり。ふたを開けて中をのぞかせてもらうと、小さな玄米の粒々が明るい褐色に輝いていました。

ボトルにはそれぞれ記号や数字がふられていますが、途中で抜けている数字もあります。

「田んぼをいくつかの列に区切って稲を検査し、自然交雑で何か違う品種が混ざっていたら、その列のタネはすべて排除するので数字が飛ぶんです。それぐらい手間ひまかけてタネの品質を保っているということですね」と加藤室長は目を細めて説明しました。

こうして守り続けたミネアサヒのような希少品種が、種子法廃止によって「消えて」しまうのではないか、という懸念が寄せられています。

「消滅」懸念する専門家、首ひねる農水省

研究所の倉庫に保管されているミネアサヒの「原原種」のタネ

農村開発などを専門とする龍谷大経済学部の西川芳昭教授は近著『種子が消えれば、あなたも消える ── 共有か独占か』の中でミネアサヒを引き合いに出し、「継続的な種苗供給が公的な制度と予算のもとで行われなくなれば、存続の危機に直面する」と指摘。「種子法は、地域内での小さな経済の循環の基盤を支えてきた法律と言ってよい。それがなくなるのは、やはり大きな問題である」と述べています。

奈良県の種子農家に生まれた西川教授は、名古屋大学への在籍経験があり、ミネアサヒの産地である愛知県東部に家もあって、個人的にも思い入れが強いようです。一方で「すぐにでも遺伝子組み換えされた米が市場に出回るかのような極論や、農林水産省が法律廃止で食料安全保障のすべての責任を放棄するかのような議論は、決して建設的だとは思わない」と冷静な議論も呼び掛けています。

当の農水省はこうした批判や指摘をどう受け止めているのでしょうか。

担当者はこう言って首をひねります。

「ミネアサヒのような米がなぜ種子法廃止でなくなるという話になるのか、そのロジックがよく分からない」

よほど誤解が生じていると言いたいようです。確かに取材をすると、国が目指しているものは懸念をもつ市民や専門家の思いとはかなり違った方向にあると感じます。その「ズレ」はどこから来るのか、本当の論点は何なのか……。まずは国の考え方を検証してみましょう。


■関口威人(せきぐち・たけと) 1973年、横浜市生まれ。中日新聞記者を経て2008年からフリー。環境や防災、地域経済などのテーマで雑誌やウェブに寄稿、名古屋で環境専門フリーペーパー「Risa(リサ)」の編集長も務める。本サイトでは「Newzdrive」の屋号で執筆

 

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第2回「日本農業の舵切り替わった──種子法廃止は民間参入促進? それとも外圧?」

 

 

 

 


【動画】 「村本さんの勇気を称えるべき。"クズ"のクレームは気にしなくていい」社会学者・宮台真司氏がウーマン村本を擁護! 2018.1.17 

2018-01-19 17:40:00 | シェアー


 

「村本さんの勇気を称えるべき。"クズ"のクレームは気にしなくていい」社会学者・宮台真司氏がウーマン村本を擁護!

2018.01.17 07:00

 「テレビは若い人からお年寄りまで見ているワケです。だから1から10まで聞く必要があるんですよ。視聴者の代弁者だから」。

 

 元日に放送された「朝まで生テレビ」に出演した際の発言が波紋を広げているウーマンラッシュアワーの村本大輔。しかし、ネット上では「無知な人間の政治的意見を聞くほど無駄な時間はない」と、批判の声が殺到した。テレビ番組で"そもそも論"を持ち出すことは問題なのだろうか。15日放送のAbemaTV『AbemaPrime』では、社会学者の宮台真司・首都大学東京教授を招き、村本がたびたび口にした"そもそも論"について考えた。

 

 

■「"クズ"のクレームは気にしなくていい」

 「"クズ"のクレームは気にしなくていい。はっきり申し上げると、村本さんのことを無知だと言っている人間がどれだけ知っているのか非常に疑問」、そう切り出した宮台氏は、こう続けた。

 

 「僕も1993年、まさに"そもそも論"で朝生デビューした。あの空間は人畜無害な"お座敷"で、意味のない議論をやっていた。世の中の流れも、あるいはアメリカや中国が日本をどう見ているのかも分からないヤツが、適当なことをギャーギャーしゃべっているだけ。それを論破していって名を上げた。なんせ僕は援助交際を擁護し、広めた人間だったので、それは集中放火を浴びた。そこで『お前の言う道徳とは何だ』と"そもそも論"を問うことで全て論破していく。それが僕のスタイルだった」。

 自身の立ち位置として村本が盛んに主張する「無知」という言葉についても、「プラトンの書いた『ソクラテスの弁明』に出て来る、"無知の知"という有名な言葉がある。無知であることを知っていることは価値があるということだ。村本さんのことを『無知だ』なんて言っている人間は、自分が無知であることを恥じるべきだ。だって無知を知らないんだから。村本さんは、自分が無知であるということを知っていて、そういう切り口からモノを聞いているわけだから、ソクラテスそのものだ。プラトンの著作について教養のある人間であれば、村本さんのことを無知だなんて言うことはあり得ないし、イコール、"クズ"だ」と述べた。

 その上で宮台氏は「1980年代に人々が毎日を楽しく暮らしたいと消費社会化した時、日本以外の先進国の多くはそうではなく、"正しさ"と"面白さ"をいかに合体させるかに心を砕くようになった。コメディアンやコメディ映画を作る人たちも、お笑いに政治的なメッセージをいかに入れるのかということに腐心してきた。ところが日本のテレビ界、お笑い界は易きに流れた。『政治ネタでは視聴率が取れない』『もう正しさの時代ではない。これからは面白さの時代だ』と、"正しさ"から"おかしさ"、"面白さ"にシフトしてしまった。そうじゃないだろう!正しいことを面白く伝えるのに腐心すべき。他の国々はそうしているではないか」と厳しく批判。「そう考えれば、村本さんは非常にチャレンジング。予定調和の"お座敷"に丸腰で突っ込んでいって『私は無知なので、そもそも論からいかせてください』と言うのは、非常に勇気が要ること。称えるべきだ。村本さんのことを『無知だ』と言うヤツに同じようなことができるのか、コラ!」と舌鋒鋭く指摘した。

 村本が「ありがとうございます。出ようか出るまいかすごく迷った。朝生には僕の発言を訂正してくれる専門家がたくさんいるわけで、僕を呼ぶ意味は、無知を恥じることなく、『僕はこれが分からないのでイチから教えてください』と言うことだと思った」と話すと、宮台氏は「村本さんが出ているから見る人というのは、今までの朝生の視聴者層にはいないタイプ。そこで従来の"お座敷"を繰り返していいわけがない。だから村本さんがやったことは当然のことだ」と重ねて擁護。「エネルギーはないけど方向性を知っている知識人と、方向性は知らないけどエネルギーのある大衆が合体すると、社会がより良い方法に変えられる、という図式は、60年安保闘争の中で崩れていった。それを指摘したのが吉本隆明。そして70年代以降、論壇誌もただの"お座敷"になり、読者投稿欄は『70歳、団体職員』みたいな人ばかりになっていった」と話した。

 

 朝生で村本と共演した落合陽一筑波大学准教授は番組終了後、「初学者がその場で考えた結論は大抵、先人が既に議論済みであって、時間有効化のために歴史を学ぶこと、それを起点に現代的発展を探す姿勢は小学校訓練から始まる」と感想をツイートしている。

 宮台氏はこれについても「お笑いだね。子どもにしゃべると、何も知らない人間にしゃべることがいかに重要か分かる。ものすごい言語能力がいることがわかる。説明に苦労して、そこで初めて大学教員の側が気づきを得ることもある。"そもそも論"は、議論を深く、実りあるものにするためにも重要だ。大学教員で小学校4年生に教えることができる能力を持つ人間というのは日本にはまだほとんどいない」と指摘、さらに「理系のエキスパートが世界で戦えるのと同じように考えてもらっては困る。日本の文系の学問の水準の低レベルたるや、はっきり言って驚くべきもの。朝生にいる知識人は初学者以下」と切って捨てた。

 村本のm無知であることを傘にきたような物言いが"上から目線"だと批判されたのではないか、との声もある。しかし宮台氏は「居丈高でいいじゃん。村本さんが、そんなんじゃ見てるやつわかんねーよって言って良いんだよ!」と訴えていた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)

 

 【関連記事】

ウーマン村本よ、国民を「愚民視」しているのは誰か - iRONNA 井上達夫

 

 

 

 

 


北原みのり「『日韓合意』と『慰安婦』」 連載「ニッポン スッポンポンNEO」 2018.1.18 AERAdot.

2018-01-19 15:50:14 | 戦時中性奴隷 慰安婦

性暴力問題にどう向き合うか(※写真はイメージ)

性暴力問題にどう向き合うか(※写真はイメージ)

 

北原みのり「『日韓合意』と『慰安婦』」

連載「ニッポン スッポンポンNEO」

 産経系とフェミが違うのはその先で、「だから『慰安婦』はお商売だった、日本に責任なし」と言うのが産経系で、「だから、多様な『慰安婦』像を認めるべきだ。韓国の『支援団体』は被害だけを強調し、『慰安婦』を政治利用するナショナリストだ」と韓国の女性団体を批判するのが日本のフェミだ。「慰安婦」問題がここまでこじれたのは、決して安倍さんをはじめとする保守なオッサンたちのせいだけでなく、日本のフェミのダメさもある。


「慰安婦」にも楽しい時間があった、笑いもあった、待ち遠しく感じる軍人もいただろう。だって、生きていたのだから。でも……。

 ここでも何度も書いているけれど、1991年に金学順さんが声をあげた時、それは本当に小さな最初の一歩だった。韓国国内でも「恥」「売春婦のくせに」という批判の声があがり、日本大使館前で行われるデモは本当に小さいものだった。
 その声を大きな声、性暴力を受けた女性たち全ての声にしていき、国際社会まで動かしてきたのが当事者の女性と支援者たちだ。日韓合意は、そんな彼女たちの頭越しに交わされた。正式な文書がない合意や、電話での謝罪を見直す力が日本社会にないのだとしたら、国際社会的に終わっているのは日本のほうだ。


 産経新聞によれば、安倍さんは「お金を払っておいてよかった」ともらしたそうだ。札束を投げつけた「合意」だったことを自ら暴露したことになる。性暴力問題にどう向き合うか、日本社会が問われている。

週刊朝日 2018年1月26日号

 

 
北原みのり(きたはら・みのり)
                        1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表

 

 

 


憲法改正・天皇退位で揺れる神社界 宮司たちが明かす胸の内 AERA 2018年1月15日号

2018-01-19 10:34:27 | 昭和天皇 平成天皇 天皇制

憲法改正・天皇退位で揺れる神社界 宮司たちが明かす胸の内

AERA https://dot.asahi.com/aera/2018011200021.html?page=1

作田裕史  2018.1.15 07:00

 

憲法改正・天皇退位で揺れる神社界(※写真はイメージ)

 

 この数年は、神社界の「節目」となる。2018年には憲法改正の発議が取り沙汰され、19年4月には現天皇が退位する。神社界の「一大事」が続く。

 全国約8万社の神社が加盟する神社本庁は、「自主憲法制定」と「皇室の尊厳護持」を強く求めてきた。神社本庁が組織した政治団体「神道政治連盟」は、それに加え、靖国神社の国家儀礼確立、道徳・宗教教育の推進、夫婦別姓反対、祝日の国旗掲揚などを国会議員に働きかけてきた。2016年末から17年1月には、一部神社で改憲への賛同署名を集め、物議を醸した。


 神社界が政治との距離を縮めている現状を、現役の宮司はどう感じているのか。愛知県清須市にある日吉(ひよし)神社の三輪隆裕宮司(69)はこう語る。

「神社本庁、神政連の中枢幹部は、憲法改正の好機を逃すなと、より熱心に活動するでしょう。最近は神政連も日本会議にノウハウを学んで、氏子さんへの手紙や電話、声掛けなど政治運動が上手になった。ただ、個々の神社の宮司は、改憲でどの条文を変えるかなど細かいことには関心がない。神社本庁が『美しい憲法を』と主張するので、とりあえず賛同しておこう、と消極的に支持しているだけです」

 三輪宮司は、安倍政権での憲法改正には反対という立場を取る。特定秘密保護法、安全保障関連法などを強行採決してきた安倍政権で改憲が実現すれば、民主主義、立憲主義がつぶされかねないと危惧しているからだ。

「最も危険なのは、緊急事態条項の創設です。首相の一声でいつでも戒厳令のような緊急事態を作り出し、従わなかった国民は共謀罪で取り締まる。その情報は、特定秘密保護法で隠蔽(いんぺい)される。日本が全体主義に突き進むための『3点セット』がそろってしまう。改憲の議論終盤で9条改正を断念する代わりに、緊急事態条項を押し通すというのが一番怖いシナリオです」


 安倍政権に批判的ではない立場でも、政治との近さに危惧を抱く宮司はいる。埼玉県秩父市の秩父神社の薗田稔宮司(82)はこう話す。

 

「神職が一人の人間として政治的立場を明確にして発信することは、市民として問題はない。ただ、超政治的な空間であるべき『お宮』を使って改憲署名を集めたり、特定の議員だけに境内を使わせたりすることは、地域の公共性に反する」

 昨年10月、秩父神社でも同様のことが起こってしまった、と薗田宮司は後悔する。先の衆院選で、地元選挙区の自民党系候補者の出陣式を神社境内で行ってしまった。前例はなかったが、同神社幹部が議員と懇意だったこと、議員が「神道政治連盟国会議員懇談会」に所属していたことなどから、薗田宮司も知らぬ間に場所を貸した。

「お宮を使ってある政治家に肩入れすれば、その後、神社が政治的紛争に巻き込まれる可能性がある。神さまを政治に利用することだけは、厳に慎まなければなりません」(薗田宮司)

 憲法改正は、自衛隊明記には賛成だが「9条1項(戦争放棄)は残すべきだ」という立場。神社本庁が主張する「天皇の元首化」についてはこう話す。

「絶対君主制の響きを残す『元首』ではなく、今の『象徴』のままでいい。天皇は権威ではあるが、権力ではない。戦後70年以上かけて、象徴天皇制とは何であるかが国民にも浸透して、受け入れられていると思います」

『神社と政治』の著書がある千葉大学の小林正弥教授(政治哲学)は、「神社の署名活動などは政教分離には違反しない」と前置きした上で、こう語る。

「神社界が政治的主張をするのなら、それが宗教的にどう正しいのかという理由も明示されるべきです。しかし、戦前に宗教行為と切り離された神社界は、戦後も習俗的な側面が強く、宗教的な意味をあいまいにしてきた。ゆえに、教義や生き方について具体的な『正しさ』が一般的にはあまり示されていない。神道的な正当性が示されずに、改憲や政権支持と言うなら、それは単なる政治的ナショナリズム運動であり、宗教的行為ではありません」


 キリスト教や仏教系の団体が安保法制反対運動などを展開した流れとは、宗教的理念の有無という点で大きく異なる。

「安倍首相の改憲私案に、神社界が切望する『天皇の元首化』や道徳的な『家族条項』が入っていないことへの意見表明もない。天皇の退位でも政府の姿勢を追認して、独自の見解を出せなかった。これでは『神道界も賛成している』という印象操作のために政治家に利用されかねません」(小林教授)

 神道政治連盟は本誌の取材に、改憲について「改憲4項目は自民党が緊急性がある条項として示したものと考える。本連盟はこれまで主張してきた内容を含め、国民的議論を活発化していきたい」とコメントした。(編集部・作田裕史)

AERA 2018年1月15日号より抜粋