中さん

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日記(11.29)黒豆 記事「韓国大統領辞任」

2016-11-29 19:39:09 | 日常
11月29日   (火曜日)   晴れ

黒豆の収穫を始めた・・
3本分の木からもぎってきた。
寒くて途中でやめた!


まあ、まあ!の出来具合かな?
これから本格的に獲っていく。
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韓国のニュースが連日報道される。・・
それについて記事があった。

議会の情勢から弾劾が必至になったと見た大統領は辞任を表明する。
いや韓国の朴槿恵(パククネ)大統領ではない。

1974年のニクソン米大統領の話である。
ウォーターゲート事件で四面楚歌となった彼だった。

回顧録では辞任決意の後、
外交で二人三脚を演じたキッシンジャー氏と
2人だけで神に祈る場面がある。

辞任で特別検察官と司法取引するよう勧めた側近を
「歴史的に偉大な著作は獄中で書かれることもある。
 レーニンやガンジーのようにね」

 とさとす一幕もあった。

辞任演説の後、歴史には偉大な演説と記録されると慰めたキッシンジャー氏に
「ヘンリー、それは誰が歴史を書くかによって違ってくるよ」と返したニクソンだった。

2人の間では弾劾裁判による政治空白が米国外交に及ぼす
破滅的影響についての了解があったのだ。
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さて同じく四面楚歌の朴大統領だが、こちらは条件付き「辞意」表明だった。
「与野党の論議で安定的に政権を移譲できる方策が整えば大統領職から離れる」
ということで、進退を議会に丸投げしたのである。

ともかくも弾劾を避け、名誉ある退陣を求めたかたちだ。
これに対し与党が弾劾手続き中断を呼びかける一方、
野党は「弾劾逃れの策術」と批判し、手続き継続の構えを示した。

与党の一部が弾劾に傾くなか、
見方によれば大統領の提案が議会に新たな分断を持ち込んだと受け取れる。
混乱はむしろ深まると見る向きもある。

こと政治において混迷の打開の切り札となるはずの最高権力者の退陣表明だ。
外交・内政とも一刻の空白も許されぬ今日の韓国政界の政治的賢慮のほどは、
誰が書き手であれ史書に記される。
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日記(11.29)フィデル・カストロ

2016-11-29 09:11:22 | 日常
11月29日 (火曜日)   晴れ
 10度を下回る朝の気温。
 寒むがりな自分は、ようよう気持ちに鞭打って起きるこの頃。
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(CNN記事) キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が死去したことを受け、
各国首脳らが弔意を示すなか、米国のオバマ大統領はカストロ氏が
世界に与えた影響は歴史が判断するだろうと述べた


一方、ドナルド・トランプ次期大統領は「残虐な独裁者」が死去したなどと述べた。

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米国とキューバは長年にわたり対立していたが、
オバマ政権下で国交を回復。
オバマ大統領は今年に入りキューバを訪問していた。
オバマ大統領はカストロ氏の遺族に弔意を伝えるとともに、キューバの人々に友情の手を差し出すと述べた。
オバマ氏はまた、「フィデル・カストロ氏が、人々の人生や国の行方をさまざまに変えたことを思い出し、
キューバと米国にいるキューバ人が強い感情にとらわれていることだろう」と指摘。
カストロ氏が周囲の人々や世界に与えた巨大な影響は歴史に記録され、歴史が判断するだろうと述べた。
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一方、トランプ氏は、カストロ氏を「残虐な独裁者」だったとして非難。
ツイッターで、「自国民を60年近くにわたって迫害した独裁者が死去した」と指摘。
カストロ氏の遺産は、想像を絶する苦痛や貧困、基本的人権の否定などであるとし、
今後はキューバの人々が自由な世界で暮らしていけるよう希望するなどと述べた。

トランプ氏は米国とキューバとの国交回復について、批判的な立場を取っている。
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★過去にビジネスチャンスを失ったトランプ氏達は批判を・・
 キューバに急接近する中国に対応し、政治的判断で国交回復をしたオバマ氏・・
 さてトランプ政策はこれから受け入れられる器をもつのかな?
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その昔、チェ・ゲバラの本を読んでいた頃を思い出している。
 
エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナは1928年に、アルゼンチンのロサリオで生まれました。
ブエノスアイレス大学で医学を学んだあと、
生まれ故郷のアルゼンチン、そしてボリビアとグアテマラで政治活動を行ないました。

1954年にメキシコにいるとき、キューバの革命的指導者、フィデル・カストロとその弟、
ラウルと出会いました。


ゲバラはキューバのバティスタ政権を倒すために、
フィデル・カストロに力を貸しました。


ゲバラはカストロに対して軍事的なアドバイスをして、
バティスタの軍隊に対してゲリラ兵を指揮しました。

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1959年にカストロは権力を握りました。
後に、ゲバラは国立銀行総裁になり、キューバの貿易の相手国を
アメリカ合衆国からソビエト連邦に変えました。
3年後、彼は経済産業大臣に任命されて、
1965年にゲバラはキューバの革命理論を世界のほかの地域にひろげるために、
このポストを辞任しました。

1966年に、彼はボリビアの人々を促して、ボリビア政府を転覆しようと企てましたが、
ほとんど成果があがりませんでした。
彼を支えるゲリラ兵の数は少なく、
1967年10月9日に、ボリビア軍によってラ・イゲラで捕らえられ、殺されました。
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彼が死亡したあと、ゲバラは伝説的な政治的人物になりました。
彼の名前はしばしば、反乱や革命、社会主義と等しいとみなされました。
しかしながら、ゲバラが冷酷であり、キューバで囚人に対して裁判を行なうことなく
死刑にしたことを記憶している人々もいます。
ゲバラの人生というのは、多くの人々の興味の的であり、
数々の本や映画で描かれている。
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