中さん

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
kumagaya001nakanaka002

日記(12.31)

2020-12-31 15:47:08 | 日常
12月31日(木曜日) 晴れ 寒い日

昨晩の本当に強い風は雨戸や木々を揺らして激しい音を立てていた。
あまりにも風音が酷く、何回も目が覚めた。
朝方には風も止んで・・片づけをする。
ベランダに置いてあったものが散乱している。土もカラカラだ。
畑の雑多なものが散らかってしまった。
正月用の野菜を準備。
~~~~~~~~~~~~~~
毎日新聞の余禄にあった。

「マイ フレンズ」
 国民にそう呼びかけたF・ルーズベルト米大統領の
 ラジオトークが行われたのは就任8日後である。
 米国は銀行の信用不安のさなかで、まさに金融制度崩壊の瀬戸際での大統領談話だった。

●大統領は銀行の仕組みから分かりやすく説明し、国民に金融システムへの信頼を訴えた。
 とりわけ国民の心をつかんだのは、その落ち着いて温かみがある声、
 自信に満ちた力強い語調であった。

 その後続く「炉辺談話」の初回である
~~~~~
●この故事を振り返ったのも、菅義偉首相が就任した折、
 ルーズベルトにちなんで「最初の100日」への期待を。
 就任後100日でニューディール政策を法制化した大統領のような
 危機克服の指導力を求めたのだ。

●その100日が過ぎて、残念ながら国民はコロナ禍による
 医療の危機におびえる年末年始を迎えることになってしまった。
 世論調査の示すその内閣への支持率もわずか3カ月で大幅にダウンし、
 国民の信頼も得られていない。


●予測の難しいコロナ危機への対応に神ならぬ人間の失敗はつきものである。
 だが、そうだからこそ政治指導者に必要なのが国民とのコミュニケーションと、
 リスク認識の共有ではなかったか。「炉辺談話」の故事の示すところである。

●国民を安心させる声や語調まで求めはしない。だが国民多数と医療者の危機意識に
 少しでも寄り添い、自分の考えを自分の言葉で伝える誠実さがあれば、
 こうまで惨憺たる100日にならなかったろう。

============================
★最初の3ケ月(100日)で政治指導者の評価が決まるというが
 今回、個人的には新政権に期待していたが、経済優先で人の移動を煽った感あり
 どうも急激に逆の方向になっている。
================== 
炉辺談話(ろへんだんわ )とは
フランクリン・ルーズベルト大統領が実施した、国民向けラジオ演説
1.に倣ってジミー・カーター大統領が実施した国民向けラジオ演説。
1.から転じた用法で、政府首脳による非公式な会見。日本独自の用法
~~~~~~~~~~~~~~~
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日記(12.30)

2020-12-30 17:17:09 | 日常
12月30日(水曜日)晴れ⇒曇ってきて強風
午前中年越しそばを小分けで3回打ってみた。4軒分だ。
午後はお届け周り。
~~~~~~~~~~~~~~
15時半から青色パトロールで約1時間
車でゆっくり地区をまわり始めたら急に冷たい強風が吹く。
学校も休み、冷たい風で外を歩く人は限られていて寂しい晦日だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
記事には
一段と少子化が進むことになると伝えられる。
来年2021年度は出生数80万人割れと推計されているらしい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲全国の自治体が受理した今年の1~10月の妊娠届の件数は、
 前年同期比5・1%減という激減ぶりをみせた。
 コロナ禍による将来への不安のためとみられ、
 民間シンクタンクからは来年の出生数は80万人を割るという推計が出ている。

▲少子化で減り続ける出生数だが、初めて90万人を割ったのは昨年で、
 推計通りならわずか2年で今度は80万人割れとなる。
~~~~~~~~~~~~~~~~
 「時」ならば何かの間違いかと、手元のリストを見直すだろう。
 少子化予測を約10年も前倒しする数字という。

▲背景となる婚姻数の減少も著しく、巣ごもり生活による出会いの機会の減少は今後も続こう。
 子どもたちをこの世に呼び寄せるには、まずウィズコロナ時代の
 私たちが喜びと希望の歌を取り戻さねばならない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
童話劇「青い鳥」
「出て行く時刻の来た子どもたち、用意はいいか」。
 扉を開けたのは砂時計と鎌を持つ老人で、背が高く長いひげがある。
 これから生まれる子どもたちを送り出す「時」という老人だ。
「未来の王国」というその大広間には、
  地上にもたらす禍福さまざまなものを携えた子どもたちが誕生の時を待っている。
 「時」は生まれるべき子どもの数が間違いなくそろっているかをチェックし、
  地上行きの船に乗せるのである。


●「お前たち、遅れたらもう生まれられないぞ」。
 「時」にせかされた子どもらが船出すると、
  遠くから喜びと希望の合唱が聞こえてきた。
  お母さんたちの歌声である……。
  しかし「時」も子どもたちも戸惑うコロナ禍での異変だった。
=======================
★2019年の出生数は過去最少86万5,234人、出生率1.36

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日記(12・29)

2020-12-29 15:35:05 | 日常
12月29日(火曜日) 晴れ 
穏やかな天気が今日も続いたが
明日からは日本海側から寒気が下りてくるらしい。
今日は、買い物で運転手お店を幾つか回る。
==============
もうすぐ大晦日だ。
●除夜の鐘がいつ始まったのかははっきりしない。
 仏教研究家の安達俊英氏によると、中国が起源とみられ、
 江戸時代には京都・知恩院などで行われていた記録があるという。

●除夜の鐘を巡っては昨年、深夜の鐘の音を「うるさい」と騒音扱いする
 住民苦情の増加も報じられ、話題となった。
 国民になじんだ慣習とはいえ、取り巻く環境は年々、厳しさを増しているようだ。
================
●鐘つきの回数「108」は人間の煩悩の数といわれるが、
 「四苦八苦の表れ」という風変わりな解説もあるそうだ。

  苦を九に見立てて計算をすると、
  36たす72で108になるというわけだ。
  コロナ禍で苦労した年に区切りをつける鐘の音、
  今年は自宅の窓を開け、換気を心掛けつつ耳を澄ましたい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
昔、川柳にあった・・何故か忘れられない!
”除夜の鐘 俺のことなら ほっといて”
今年は”オンライン除夜の鐘”のところも多いのかな?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
メモ)ウキペディアには
四苦八苦(しくはっく)とは、仏教における苦(ドゥッカ, dukkha)の分類。
根本的なドゥッカを生・老・病・死(しょう・ろう・びょう・し)の四苦とし
生苦(Jāti dukkha)- 生まれることに起因する苦しみ。
老苦(jarāpi dukha) - 老いていくことに起因する苦しみ。
          体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる。
病苦(byādhipi dukkha)- 様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる仏教問題。
死苦(maraṇampi dukkha) -死ぬことへの恐怖、その先の不安などの自覚。
根本的な四つの苦に加え、
~~~~~
愛別離苦(あいべつりく、appiyehi dukkha)- 愛する者と別離すること
怨憎会苦(おんぞうえく、piyehi dukkha) 怨み憎んでいる者に会うこと
求不得苦(ぐふとくく、yampiccha dukkha)- 求める物が得られないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと
             の四つの苦を合わせて八苦と呼ぶ。
====================
過去、二十回弱を仕事と旅で訪れている
お隣の韓国は鐘は低い位置に吊るされている。打つ数は33回


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日記(12.28)

2020-12-28 16:32:37 | 日常
12月28日(月曜日) 晴れ  小春日和だ!
大きい枝を切って柚子を獲る。バケツ一杯。
棘を避けながらで手間もかかった。

柚子湯にしよう。
大根が欲しいと友達が言うので何本か用意しておく。
~~~~~~~~~~~~~~
天気もいいので久々の車2台のワックスがけ。
肩が疲れたなあ~。
~~~~~~~~~~
今年作った玉ねぎも芽を出してしまって整理。
 ジャガイモも芽がどんどん出てくる。
 玉で栄養を持っている作物は強いなあ~!
 サツマイモ・里芋は寒さに弱いので毛布に包んでいる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いよいよ新型コロナ禍のこの一年が過ぎようとしているが
自分にとって何であったろうか?この一年・・無駄に過ぎたか!
今更、進歩は望まないものの、悔いは残したくないと”もんもん”としている。
夕方、散歩に出て ついでにお墓掃除をする。
大分陽が伸びたがその分朝の明けるのが遅い。

==========================
最近、袴田事件のことがニュースで度々、報道されるので気には留めるが
所詮遠くの事件であるが、・・万が一自分の身に降りかかったらと思うと背筋がぞくぞくする。
  袴田事件1966年(昭和41年)6月30日に静岡県清水市で発生した強盗殺人放火事件
 およびその裁判で死刑が確定していた袴田巌元被告人が判決の冤罪を訴え、
 2014年3月27日に死刑及び拘置の執行停止並びに裁判の再審を命じる決定がなされた事件。
~~~~~~~~~~~~~~
映画で冤罪を扱うシーンはよく見るが
実話とフィクションでは大差だ。それにしても裁判が長いなあ~!
~~~~~
冤罪とは・・をチェックすると
無実の罪をいう「ぬれぎぬ」の語源説の一つに、
  先妻の娘をねたんだ継母が
  漁師のぬれた衣を娘の枕元に置いて
  不義の罪に陥れたという話がある。
 怖い話だ!
=================
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日記(12.27)

2020-12-27 15:25:07 | 日常
12月27日(日曜日)晴れ いい天気だ。
今日も余禄から学ばせてもらう。
「売れなければ売れるまで、売れれば売れなくなるまで書いてくれ」
 プロダクションの新人歌手の歌をこう依頼したのは石原裕次郎だった。
 なかにし礼さんが作詞の仕事をするきっかけをくれた大恩人である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●歌手は黛ジュンさん。さてと考え込んだが、
 「ハレルヤ」という歓喜の言葉がひらめいたとたん、
 絶対にヒットすると確信した。
 喜びの言葉で失恋を歌う「恋のハレルヤ」は恋が受け身でない
 今時のアイドルの歌として大ヒットする。

 ●実はなかにしさんが「ハレルヤ」と記した時、
 心にあったのは8歳の時に見た大連の青い空と海だった。
 旧満州(現中国東北部)で家族と終戦を迎え、
 死と隣り合わせの凄絶な体験の末に行き着いた引き揚げ船の出発港の光景だった。

「僕の歌は戦争体験の一種の記録なんだ。その最初の作品がこれ」
  近年のインタビューでそう語っていたなかにしさんだ。
  たとえば弘田三枝子さんの「人形の家」は国に
  見捨てられた旧満州の日本人の絶望を織り込んだ歌詞という。

●「子ども時代の体験を直視することで僕は言葉というものをつかんだ」。
  平成に入ると小説「長崎ぶらぶら節」での直木賞受賞など文学に活躍の舞台を移したが
  旧満州の戦争体験は小説「赤い月」をはじめ作品の底流をなし続けた。

「僕の歌はすべて昭和という時代への愛と恨みの歌です」
  戦争で少年の内面に刻まれた心の傷を、時代を代表する
  ヒット曲や文学作品に変えたなかにしさんだ。
  残すべきものを手渡しての旅立ちである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
”昭和という時代への愛と恨みの歌です”・・そうだったのか!
歌手の歌声が勝ってか歌詞を読み取れなかった若造時代であった。
文に出てくる内容と年代は違うものの・・
個人的に大連の203高地には興味あって20年ほど前に行ってみた。
映画や記録ではわかっていたつもりが実際に現地の地形やロシア軍の陣形を見て
なぜ、あんなに人が死んだのかが良く分かった。無理やり突撃を命じられた兵が
ここでは隠れるものもなく山頂からの銃撃で死んでいったのだ!
今では裾野で中国の人たちの花見場所だ!
~~~~~~~~
遼寧省大連市の旅順口区は、
日露戦争での旅順港を巡る攻防で日本とロシアが激突した場所です。
激戦地「203高地」はロシア軍艦が停泊する旅順港まで約4kmの距離。

港を見下ろせることからロシア軍が防備を固めたのです。
対して日本軍はここから大砲で軍艦を攻撃したい。
1980年には映画「二百三高地」が上映され数々の賞を受賞した・
小説は「坂の上の雲」が知られる。
~~~~~~~~~~~~~~~~
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする