中さん

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
kumagaya001nakanaka002

日記(8.31)

2021-08-31 08:55:05 | 日常
8月31日(火曜日)晴れ
朝は畑にサクを起こしてマルチ掛けを始める。
まだ暑い!
========================
こんな記事が
「ワクチンにはマイクロチップが仕込まれ、5G通信で操作される」
「ワクチンは人口を減らすために5年後に死をもたらす生物兵器だ」

  欧米で流布されてきた新型コロナワクチンをめぐる陰謀論である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲陰謀論者が黒幕呼ばわりするのはマイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏や、
 米国の感染症対策の権威、ファウチ博士らだ。
 ある調査では米国人の14人に1人は、
 ワクチンに追跡用チップが仕込まれているという話を信じているという。
▲それを笑い飛ばすだけですまないのは、
 こんな荒唐無稽な話でも人々がワクチンに抱く不安と共鳴する部分があるからだ。
 ワクチンから正体不明の異物が見つかれば、
 まさかチップとは思わずともその安全性への不安はふくれ上がる。
▲国内各地で発見が相次いだモデルナ製ワクチンの異物混入である。
 政府はスペインで生産された3種のロット番号の製品の使用を一時停止した。
 異物は粒子状の金属片とみられるが、
 該当の製品はすでに50万人以上に接種されていた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

▲うち30代の男性2人が接種3日後に亡くなっているが、
 ワクチン接種との因果関係は分かっていない。
 さらに沖縄や群馬ではロット番号の異なる製品でも今までとは違う異物が見つかっている。
 疑心暗鬼を呼ぶ混入発覚の連続である。
▲異物の分析や混入の経緯、健康への影響などについては近く公表されようが、
 徹底的な情報公開が求められる。
 どんな陰謀論もつけ込む余地のない透明性こそが、
 ワクチンへの信頼を保つ唯一の手立てである。
===================================
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日記(8.30)

2021-08-30 11:41:17 | 日常
8月30日(月曜日)晴れ
8時半、有機肥料センターにKさんの軽トラで
堆肥0.5トンを購入して畑の隅2箇所に置く。
とても暑い!ので降ろして即休憩だ。
夕方から秋物を植えるサクに沢山入れる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
高知新聞のコラムに・・
 徳川家康の遺訓に
「堪忍は無事長久の基(もとい)」がある。
 無事に長く、安らかでいられる礎は忍耐だとした。
 辛抱を美徳とする日本の価値観は現代生活でもちょっとした場で感じられる。
~~~~~~~~~~~~~~~~
 例えば行列。日本人は秩序だって並ぶことで知られる。
 広告大手博報堂の研究組織が6年前、東南アジアと日本の計6カ国で
 行列に対する意識調査を行った。
 その結果、レストランなどで並んで待てる時間の長さは日本が断トツだった。
=================
 並ぶのが苦にならない国民性にも映るが、そうではないようだ。
 調査では、
 並んで待つのに「抵抗感がある」、行列には「並ばない」と答えた人の割合も日本が群を抜いて高かった。
 行列嫌いだが、耐えて並んでいるのが分かる。
===================
 いくら辛抱強くても、行列がコロナ禍、しかも真夏の街に1キロ近くも続いたら、たまらない。
 東京都が若者のワクチン接種を促そうと、渋谷に設けた専用会場。
 希望者が殺到し、混乱が続いている。
~~~~~~~~~~~~
 予約不要の先着順にしたのが原因だろう。
 2日目からは抽選にしたが、並んだ揚げ句、抽選に漏れた若者も多い。
 恨み節が聞こえるのも無理はない。
 人口の規模を考えれば想像できた事態だ。
 若者に行動自粛を呼び掛けながら、密になる行列と無駄足を誘う政策にあぜんとする。
 コロナ禍ではとかく詰めの甘い「やっている感」政治が目立つ。
 辛抱にも限界はある。
 日本には「堪忍袋の緒が切れる」という言葉がある。
========================
★政府は、民間も使ってでも、もっと知恵を出して欲しいものだ。
 優しさもおもてなしも”心”というより”知恵”だと誰かが言っていた。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日記(8.29)

2021-08-29 10:16:20 | 日常
8月29日(日曜日)曇り日

今日はややくもり日である。
コロナも一向に落ち着かない日々で
ちょっとした気晴らしも出来ず、ストレスがたまる。
何処に行くにもマスクでこの時期はイラつく。
畑に行ってるときだけはマスクもしない、
来ている人は皆ワクチン2回接種済み、会話する距離も離れていて
あまり心配はない!
======================
話題は変わってとちぎの空の移動革命というのが記事にあった。

 東京五輪の開会式でとりわけ印象に残ったのは
1824台のドローンによるショーだった。
 市松模様の大会公式エンブレムから地球の形に変化し、夜空に消えた。

凄い技術だ!びっくりした。

▼技術力に感嘆したが、今はまさに「空の移動革命」のさなかなのだという。
 先日、県などがオンラインで開いた「とちぎ空飛ぶクルマ開発促進セミナー」で紹介された。
 第1部に登場した経済産業省の担当者によると
 昨年7月、省内に次世代空モビリティ政策室が発足し、
 ドローンと空飛ぶクルマの産業振興を図っている。
 ドローン市場は拡大の一途で、産業面では空撮・測量・農業などを中心に利用が進んでいる。
▼それを発展させたのが空飛ぶクルマである。
 第2部では製造・販売・運航を行うスカイドライブ(東京都)の開発リーダーが講演した。
 世界で200を超える企業の開発競争が佳境に入り、
 実証実験の段階に突入。同社はその先頭を行く。
昨年8月、国内で初めて公開有人飛行試験に成功した。
 今後、国土交通省の航空法に基づく認証を取得し、
 安全性が認められれば一般の乗客を乗せた有人飛行が可能になる。

▼2025年の大阪・関西万博での運航開始を目指している。
 将来は、都市部でのタクシーサービスや離島や山間部の新たな
 移動手段として期待されている。
 SFの未来社会が現実に近づいているようだ。
=================================
いよいよ空飛ぶ車社会が近づいてきた。
子供のころよく漫画に描いたものが実現されるんだなあ~!
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日記(8.28)

2021-08-28 12:07:23 | 日常
8月28日(土曜日)晴れ
気温はぐんぐん上がって、畑でちょっと動くと
滝のように汗が流れる。ようやく土も乾いてきたので石灰を振って
耕運機を幾つかのサク列にかけておく。
大根・キャベツ・ブロッコリー・白菜などの準備だ。
キュウリが終わってしまった。みなかたずけた。
8月上旬に植えたきゅうりの秋ものはまだ10日以上はかかりそうだ。
モロヘイヤはが大きく育ったので新芽部分を摘んでくる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
新聞コラムに
外交用語のペルソナ・ノン・グラータ。もともとはラテン語で、
 今もそのまま各国で使われる。意味は「好ましからざる人物」
 この通告をすれば、ある国の外交官の着任を接受国が理由を示さずに拒否できる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼このところ、その人の名を聞くたびに「ペルソナ…」と頭をよぎってしまう。
 「銀ぶら」が目撃された国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長だ。
  昭和の名ギャグを借りれば「お呼びでない」のにまた来日した。

▼政府のコロナ感染症対策分科会で、尾身茂会長が痛烈にバッハ氏を批判した。
  冷静で客観的な受け答えと説得力が身上の尾身さん、
 よほど腹に据えかねたのか、「なぜ、わざわざ。
 あいさつならオンラインでできるじゃないですか」
~~~~~~~~~~~
人格識見ともに優れた人物がいつも組織のリーダーになるわけでは、もちろんない。
 それにしてもバッハ氏、警備を引き連れての銀座散策といい、
 週刊誌の報道によると美術館見学といい…。
 感染拡大を警戒する市民の心情には無頓着だ
▼バッハ氏の母国ドイツを含む欧州では、週に100万人超の新規感染者が出ている。
 拡大の抑制はどの国にも難題だ。
 日本では27日から緊急事態宣言などの対象地域が広がった。
 この人を反面教師に、私たちはより自制的な行動を。8.27
==============================
尾身会長も今回は相当怒っているなあ~!はっきりしていていい感じだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日記(8.26)

2021-08-26 11:21:24 | 日常
8月26日(木曜日) 酷暑戻る。
朝のうちにきゅうり杭を一列倒してかたずける。
自治会の要件で役員宅周り。暑くて仕方がない!
~~~~~~~~~~~~~~
感染症の事を新聞記事では
 天然痘(疱瘡)の流行がくり返された江戸時代、
 免疫のない子どもの感染が軽くすみ、後遺症も残らぬよう願う親たちの祈りは切実だった。
 だが種痘が普及するまで、神仏やまじないに頼るしかなかった昔だ。
~~~~~~~~~~~~
 疱瘡にかかった時は、部屋に赤い布をかけ、
 当の子どもはもちろん看護人もみな赤い着物を着たという。

 玩具も本も赤尽くしにしたのは、
 赤を好む疱瘡神を物に引きつけるためとも、
 逆に赤の呪力により退散させるためともいわれた。
 赤べこや鯛車といった赤い玩具はその名残という。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 鍾馗や源為朝、金太郎などを赤い色で描いた「赤絵」
 疱瘡よけの護符とされた。
 家の入り口に張った護符には、
 ずばり「子供不在」と大書して疱瘡神に帰ってもらうものもあった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 さて今日、子どもの感染者増が目立つ「第5波」のコロナ感染拡大である。
 従来のような家庭内感染に加え、保育園など施設でのクラスター発生も相次ぎ、
 休園する施設は1カ月前の4倍という。そしていよいよ学校の夏休み明けだ。
 子どもが感染しても大半が無症状や軽症なのは前と変わらないが、
 感染者が増えれば重症例がいつ出てもおかしくないという。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 デルタ株の広がりで米国では1週間の子どもの新規感染者が12万人を超え
 7件の死亡例があったそうだ。
 専門家は子どもを守るには周囲の大人の免疫獲得が重要と訴え、
 保育士や教員、親へのワクチン接種を推奨する。
 もちろん学校などのクラスターから
 家庭を守るのにも必要な大人たちの免疫の護符である。
===================================

少し感染症の・・天然痘などの歴史をしらべる。
 天然痘の予防法となった「ある感染症」とは
 致死率が非常に高く、「天然痘」は長らく人類全体にとっての脅威だった。
 天然痘を患った日本史上の有名人といえば、
 「独眼竜」の異名で知られる戦国大名の伊達政宗が挙げられる。
  政宗が右目を失明したのは幼少時にかかった天然痘が原因で、
  近代以前の日本では失明の原因の最たるものがこの天然痘であった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  天然痘の致死率はもとより、命を取りとめても失明や痘痕などが
  後遺症として残ることも大きな問題だったのだ。
  現代社会は予防接種(種痘)をすることで根絶に成功したが
  同様の予防法は早くからあり、中国・宋の時代には人痘接種法が生まれていた。
  ただし、それは原始的なもので、被験者を感染・死亡させることが多いなど、
  かえって危険だった。
~~~~~~~~~~
犠牲者を出さない予防法はないか。
その苦闘に活路を見出したのが英国の外科医、エドワード・ジェンナー(1749~1823年)だった。
ジェンナーは、乳搾りの女性たちが「牛痘」(牛のウイルス性伝染病)の罹患経験がありながら、
天然痘にかかる人が少ないことに気がついた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そこで、1796年5月14日、8歳の少年に牛痘の膿から採った内溶液を接種。
わずかな症状が出たが、すぐに完治した。
同年7月、同じ少年に今度は患者から採った膿を接種したところ症状が表れず、
ジェンナーは2年後、『牛痘の原因と効果に関する研究』を発表。
「牛痘(天然痘の予防接種)を打つと牛になる」との風評に悩まされながらも、
牛由来の種痘を天然痘の予防手段として確立させたのだった。

==============================
天然痘が日本でなくなるまでの道のり
 ジェンナーの種痘技術は広東の英国商館を通じて1805年には北京へ、
 日本へはそれより少し遅く、長崎出島のオランダ商館長を通じて
 享和年間(1801~1804年)に伝えられていたが、
 それらはあくまで情報にすぎなかった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 肝心のワクチンがないことにはどうにもならず、
 その役目を果たす痘苗(天然痘の予防に用いる接種材料)が
 初めて日本に伝えられたのは1812年のことだった。
 松前藩(北海道)で役人を務めていた中川五郎治は、
 1807年に択捉島でロシア人に捕らえられ、滞留中に種痘術を学ぶ。
 送還帰国したときに痘苗を持ち込み、
 北海道と東北地方に普及させ、多くの人命を救った。

~~~~~~~~~~~~~~~~~^^
 一方で、関東以西はこれと別の歴史をたどる。
 痘苗はジャワ(現インドネシア)から輸入されることになったが、
 熱帯を通過する間に変質するとあって、有効な現物が全国に到来するのは遅れに遅れ、
 普及したのは1849年のことだった。
 普及にあたって最大の貢献をしたのは緒方洪庵で、
 越前藩の藩医・笠原白翁から痘苗を分けてもらった彼は大坂に「除痘館」を設立。
 豪商たちの協力のもと種痘の普及に務め、天然痘の予防に大きく貢献した。
==============================
西南戦争の裏に感染症が関係していた?
 明治時代に入り、外国船の来港がさらに増えると、
 それに比例して感染症の流行も増加する。
 人々が戦々恐々とする状況下、明治最初のコレラの流行が起きたのは1877年のことだった。
 同年の春先、横浜在留の欧米人が神奈川県令(知事)に対し、
「手洗い」の普及を要請したにもかかわらず、右から左へ聞き流された。
 不幸にして彼らの危惧は的中する。第四次パンデミックの襲来である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 上陸地点は横浜と長崎の2カ所。長崎の大浦では1877年8月、
 コレラで死亡した水夫の埋葬を手伝い、横浜では9月にアメリカ商館で働いていた
 日本人老女2人が感染したのを端緒とする。
 すでに清の厦門「アモイ」ではコレラが大流行しており、
 それはアメリカの艦船が厦門から入港して間もなくのことだった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 さらに、同年2月には西南戦争が勃発。戦争自体は同年9月24日に終息するが、
 同月16日にはすでに政府軍内でコレラの発症が確認されていた。
 彼らがそれぞれの故郷に凱旋したことで、コレラは一気に全国に波及し始める。
 政府内には彼らを足止め・隔離すべきとの声もあったが、
 兵士らの剣幕に恐れをなし、現場でそれを実行できる者は誰一人いなかった。
 その年の死者は7000人にとどまったが、
2年後の再発時には10万人の命を奪うことになる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
強制的な封鎖・隔離で起きた暴動
 政府は1877年8月2日付で「コレラ病予防法心得」を公布し、
 医師による届け出と予防法の実施を義務付け、
 患者が出た場合には徹底した消毒を行い、患者の移動を禁止するよう命じた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 魚類の販売禁止や米価の高騰がこれに拍車をかけ、
 コレラ患者専用に設けられた避病院は一度入ったら生きては出られない場所として敬遠された。
 強制的な消毒や隔離が重なり、封鎖も長期化する事態に人々の不安と不信が募るばかり
 となれば何が起きてもおかしくはない。事実、全国各地で警官隊との衝突や暴動が頻発した。
 現場の警官の強圧的な姿勢が人々の反感を呼び、
 警官を「巡査コレラの先走り」と称して毛嫌いする風が広がった。
 治療にあたる医師が思わぬ誤解から 惨殺される事件さえあったのだ。
=================================
いまウイルスと戦う私たちが後世に伝えるべきこととは
 いま、人類は新たな感染症「新型コロナウイルス」を戦っている。
そしてそれをどうにかして乗り越えなければならない。
克服するのが早いか自然終息のほうが早いか。
人類の歴史を顧みれば後者が普通だが、
その場合、われわれは再発を覚悟しなければならない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
 そして再発したときにはウイルスの力が増しているか、
 変異している可能性が大きい。
 つまり、初期対応を誤れば再びパンデミックに陥ることは避けられない。
 今回の新型コロナウイルスに感染しながら完全治癒した人間には免疫が備わるだろうが、
 それは遺伝されることがないのだから。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 われわれが後世に伝えるべきは、初期対応や感染防止の心得だろう。
 その場合に大切なのは、現時点で声高に報道されている内容は片隅に置いて、
 終息してからの科学的かつ客観的な調査報告に依拠すべきということ。
 政治的色彩を帯びたものや偏見で覆われた内容では有害無益なことはいうまでもなく、
 デマや根拠なき憶測であればなおさらである。
 今回の新型コロナ騒動が一日も早く終息すること、
 パンデミック終息後の世界が少しでも前向きなものとなることを願ってやまない。
==========================


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする