マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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誓多林八柱神社秋祭宵宮

2011年11月09日 06時42分14秒 | 奈良市(東部)へ
奈良市の東山間部にある誓多林町では年中行事が行われている。

トーヤ制度もある誓多林の八柱神社の行事。

かつては八王子神社と呼ばれていたのであろう灯籠にはそれを物語る刻印(明治四十年)がみられる。

以前は数多くの行事があったが村を出る人もあって負担感が増えていった。

「行事なんかやめたほうが・・・」の声が高くなり次第に止めていったそうだ。

昭和40年代後半のころに上誓多林の宮さんを中誓多林に合祀された八柱神社。

それからは上(10軒)、中(7軒)、下(12軒)誓多林地区の合同行事となった。

祭りは10月15日と決まっていたが体育の日の前日に替った。

祭りのヨミヤである。

氏子たちは昼頃に集まって千本搗きをしている。

長老、消防団の若い男たちに婦人たちも交替して搗くというから村あげての秋祭りである。

6臼も搗くという。

相撲の神さんやからゴク(御供)を搗くのだという。

かつてはそのあとに昼寝をして相撲の儀式をしていたそうだ。

社務所には氏子たちがあがって会食をしている。

お酒を飲むなど会話は盛り上がっている。

普段見掛けない若い人たちに小さな子供までいる。

千本搗きといえば唄が出る。

モチツキの唄だというI長老。

「・・・おもしろや はぁーなんじゃいのぉーぉ ひょうたんや イントセー イントセー」を繰り返すモチツキ唄の唄声に合わして千本杵でモチを搗く。

ゆったりとした唄の調子に合わせて搗く。

「ほんまはもっと早めだと思うのだが・・」と話す。

好いた お方に サカズキ さされ 飲まぬうちかぁら はぁ 桜色 おもしろや はぁー なんじゃいな イントセー イントセー」

「おまえ百まで わしゃ九十九まで はっ ともにいきなら こえるまで おもしろや はぁ なんじゃいなぁ ひょうたんや イントセー イントセー」

ここのヤカタは 目出度いヤカタ はぁ 鶴が御門(ごもん)で ほら 巣をかける おもしろや はぁなんじゃいなー ひょたんや イントセー イントセー」などの唄を即興で歌ったI長老は79歳。

その唄は生まれ育った長谷町で覚えたそうだ。

当地では正月行事のコンピラサンで千本搗きをしている。

「毎年していたので耳が覚えてしまった」そうだが全文の歌詞を聞き取れなかった。(※ 下線部は田原の里の歌詞資料を参照し補完した)

搗いたモチは千本杵で持ち上げることなく婦人たちが手で丸めていく場に移された。

キナコを塗したできたてのモチは柔らかい。

八柱神社のヨミヤの行事といえば相撲である。



土で固めた土俵を作り真新しい俵が丸い円を描く。

周囲240cmほどの長さになる。

中央にはサカキが挿されている。

相撲が始まるころには箒で奇麗に掃いていく。

その土俵の前に2枚のムシロ(蓆)を敷いて朱塗りの盆に刀が置かれた。

そこには白い紙片がある。

選ばれた二人の力士は社務所で相撲取りの格好をする。

六尺褌を身につける力士。

その姿を見る婦人。



のどかな村の行事の始まりだ。

本来の力士は褌姿であったが、今は下着の上から付ける。

そうして登場した二人の力士。

上、中誓多林のトーヤ家の若い男性だ。

かつて13歳になった人が村入りした。

その順でトーヤになれる資格を得る上、中誓多林。

祭りのトーヤになるのは家の順だが、下誓多林ではクジ占いで決めるそうだ。

まずは紙片を右耳に挟む。

紙片はどうやら幣のようだ。

ムシロに置いた刀を手にしてその周りを一周する。

東の力士は時計回りで西の力士は逆回り。

刀を置いて土俵にあがる。

東の力士を「アニ」と呼び西は「オトウト」と呼ぶ。

見合っての行司の掛け声が飛ぶ。

手を広げる相撲の作法にぶつかり合うような所作までだ。



そのあとは小さな子供力士が土俵に登場する。

衣装を着た長老はソウに烏帽子姿。

足元は雪駄履きだ。

軍配を手にして子供に優しく相撲を教える。

初めての体験だけにきょとんとした表情の子供たち。

はっけいよいと押せ押せの相撲取り。

押し出し一本、勝ちー。

母親がその様子を見て笑顔になった。

子供相撲を終えると再びムシロに登った力士。

同じように幣を耳に挟みぐるぐる回る。

2回目の作法では東が逆時計回りで西は時計回り。

そして刀を担いで土俵にあがり作法を終えた。

このように刀を置いて紙片を耳に挟む所作は奈良市下狭川の九頭神社で行われる「タチハイ(太刀拝)」と同じだった。

ガチンコ勝負をしようと大人も飛び入り。

そのよう様子を赤幕が張られた拝殿から見る長老たち。

以前は六人衆と呼ばれていた年寄りたちだ。

特別の観覧席であろうが大半の氏子たちは社務所からそれを観覧する。

昔は真っ暗な夜に行われていた神さんに奉納する神事相撲はまだ陽があるうちに終えた。

ドラム缶の火で身体を温めた。

(H23.10. 9 EOS40D撮影)