【種垂城】たなだれじょう
【別名】種足城
【構造】平城
【築城者】佐々木氏
【築城年代】室町時代
【指定史跡】―
【場所】加須市上種足450-1 地図
種垂城は近くの菖蒲城の支城であったとされています。
西騎城城主小田顕家は忍城城主成田親泰の子を養子に迎え入れ、種垂城を隠居城としました。
種足城祉公園
この城祉碑のデザインにはどんな意味があるのでしょう…。
何か意味のある形なんだろうなあという感じのデザインですが近くに説明書きなどはありません。
駐車場
公園になっているので駐車場とその横にはトイレが完備されています。
案内看板
現在は公園となっていますがここには城が築かれていたことが記してあります。
種足城祉公園看板
ここでは「種足城」と呼ばれていますが古くは「種垂城」と呼ばれていたようです。
公園内をぐるっとまわって遺構を探してみましたが何も残ってません。
土塁発見!と思って近くまで行ってみたら…植込みでした^^;
苔むした歩道にクモの巣があって、放置された公園ではなさそうですが
あまり散歩に使われている感じもないような公園でした。
この周辺一帯は平で凸凹している場所も無いので遺構らしきものがまったくありません。
妄想すら出来ない場所です。
この日は仕事で出張帰りだったのでこの後近くの「ゆで太郎」で、かなり遅い昼食を食べました。
平成29年7月5日登城
【別名】種足城
【構造】平城
【築城者】佐々木氏
【築城年代】室町時代
【指定史跡】―
【場所】加須市上種足450-1 地図
種垂城は近くの菖蒲城の支城であったとされています。
西騎城城主小田顕家は忍城城主成田親泰の子を養子に迎え入れ、種垂城を隠居城としました。
種足城祉公園
この城祉碑のデザインにはどんな意味があるのでしょう…。
何か意味のある形なんだろうなあという感じのデザインですが近くに説明書きなどはありません。
駐車場
公園になっているので駐車場とその横にはトイレが完備されています。
案内看板
現在は公園となっていますがここには城が築かれていたことが記してあります。
種足城祉公園看板
ここでは「種足城」と呼ばれていますが古くは「種垂城」と呼ばれていたようです。
公園内をぐるっとまわって遺構を探してみましたが何も残ってません。
土塁発見!と思って近くまで行ってみたら…植込みでした^^;
苔むした歩道にクモの巣があって、放置された公園ではなさそうですが
あまり散歩に使われている感じもないような公園でした。
この周辺一帯は平で凸凹している場所も無いので遺構らしきものがまったくありません。
妄想すら出来ない場所です。
この日は仕事で出張帰りだったのでこの後近くの「ゆで太郎」で、かなり遅い昼食を食べました。
平成29年7月5日登城
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