【頭陀寺城】ずだじじょう
【別名】市場城
【構造】平城
【築城者】松下氏
【築城年代】1564年(永禄7年)
【指定史跡】―
【場所】浜松市南区頭陀寺町 地図
頭陀寺城(松下屋敷)は、少年時代の豊臣秀吉や徳川四天王の一人・井伊直政にゆかりの地です。
直政(虎松)の実母の再婚先でもあり、徳川家康の家臣となるきっかけとなる重要な地となりました。
松下家がなければ、直政のその後の活躍もなかったのかもしれません。
頭陀寺第一公園
城跡はこの地の地中に眠っています。
公園を見渡しても遺構らしいものは見えませんが一部土塁らしき面影が残ります。
松下嘉平次屋敷跡碑
立派な屋敷跡の碑が建てられています。
案内板
あずまやの柱にくくりつけられた説明書き。
松下屋敷には、少年時代の豊臣秀吉が1551年(天文20年)から
三年にわたり奉公していたと伝わります。
今回行けてないのですが頭陀寺町内には「鎌研ぎ池」や「目刺」など
秀吉に関わる伝承なども残されています。
案内板
幼少期の井伊直政(虎松)が松下氏の一門である松下清景の養子となり、徳川家康との謁見が
叶ったことにより、井伊直政の運命が変わって行くこととなります。
土塁
わずかにこんもりした部分が見られます。
頭陀寺城を訪れた翌日のNHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」は虎松の実母しのが松下家に人質として
嫁ぐという話をしていました。
あらすじを知っていて訪れたわけではなかったのですが、タイムリーに訪れることが出来ました。
遺構はあまり残ってないのですが大河ドラマを楽しむことができ、これもまた旅の思い出となりました。
平成29年7月22日登城
【別名】市場城
【構造】平城
【築城者】松下氏
【築城年代】1564年(永禄7年)
【指定史跡】―
【場所】浜松市南区頭陀寺町 地図
頭陀寺城(松下屋敷)は、少年時代の豊臣秀吉や徳川四天王の一人・井伊直政にゆかりの地です。
直政(虎松)の実母の再婚先でもあり、徳川家康の家臣となるきっかけとなる重要な地となりました。
松下家がなければ、直政のその後の活躍もなかったのかもしれません。
頭陀寺第一公園
城跡はこの地の地中に眠っています。
公園を見渡しても遺構らしいものは見えませんが一部土塁らしき面影が残ります。
松下嘉平次屋敷跡碑
立派な屋敷跡の碑が建てられています。
案内板
あずまやの柱にくくりつけられた説明書き。
松下屋敷には、少年時代の豊臣秀吉が1551年(天文20年)から
三年にわたり奉公していたと伝わります。
今回行けてないのですが頭陀寺町内には「鎌研ぎ池」や「目刺」など
秀吉に関わる伝承なども残されています。
案内板
幼少期の井伊直政(虎松)が松下氏の一門である松下清景の養子となり、徳川家康との謁見が
叶ったことにより、井伊直政の運命が変わって行くこととなります。
土塁
わずかにこんもりした部分が見られます。
頭陀寺城を訪れた翌日のNHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」は虎松の実母しのが松下家に人質として
嫁ぐという話をしていました。
あらすじを知っていて訪れたわけではなかったのですが、タイムリーに訪れることが出来ました。
遺構はあまり残ってないのですが大河ドラマを楽しむことができ、これもまた旅の思い出となりました。
平成29年7月22日登城
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