【和歌山城】わかやまじょう
【別名】竹垣城・虎伏城
【構造】平山城
【築城者】羽柴秀長
【築城年代】1585年(天正13年)
【指定史跡】国指定史跡 国重要文化財
【場所】和歌山市 地図
【スタンプ設置場所】和歌山城天守閣楠門受付
【動画】日本の城郭 面白・残念ネタシリーズ
豊臣秀吉が紀州を平定した後、弟の秀長に築かせた城。
関ヶ原の戦いで功績を認められ浅野幸長が入城し、その後は紀州徳川家が治めることとなります。
水戸、尾張と並ぶ徳川御三家である紀州徳川の地としての拠点がここにあります。
大手門
昭和57年に再建。
徳川吉宗の時代には門の外に領民の訴えを取り上げるための訴状箱が設置されていました。
鶴の渓
窪地になっていて、関ヶ原の戦いの後城主となった浅野家がここで鶴を飼っていたことから
「鶴の渓」と呼ばれるようになりました。
西の丸庭園
この庭園は紀州徳川藩祖頼宣公が築造したものです。
「紅葉渓」の名で親しまれてきました。
御橋廊下
二の丸と西の丸をつなぐ藩主専用の廊下で、藩主とお付きの者だけが通れる橋です。
外から見えないように屋根のある板壁で覆われた造りになって、
二の丸側が高く、西の丸が低くなっていて勾配が約11%ある珍しい橋です。
歩くと足の裏が刺激されるほどの段差が付いた板敷き。
竹踏みの効果が得られます^^;
多門櫓跡
江戸時代にはここに多門櫓がありました。
現在は発掘調査により発見された礎石列が復元されています。
穴蔵状遺構
非常の際、大奥用の調度品などを納めていたと思われる場所です。
二の丸御殿
藩主が居所とした屋敷があった場所です。
御殿は南側を正面とし、東から表、中奥、大奥と建物が建ち並び
大奥が置かれたのは江戸城、名古屋城、和歌山城のみでした。
裏坂
銀明水
天守郭
小雨の早朝なので誰も居ません。
楠門
築城当初の階段は南側から登るように出来ていたが、嘉永の再建を機に
現在の向きに変更されました。
乾櫓
天守入口
格式高い唐破風の開放的な玄関。
この日はあいにくの雨だったので普段は外で出迎えてくれる忍者がこの入口に隠れていました。
まんまと私は忍法?にひっかかり驚かされました^^;
面白いので他のお客さんが引っかかるのをしばしここで観察していました(悪趣味…)
雨の日は…お気をつけあれ。
展示品
天守玄関桃瓦
天守玄関屋根にある桃瓦。
近頃お城の屋根を見ると桃瓦を探してしまいます。(見付けられるとなんだかうれしい)
天守からの眺め
二の門櫓内部
木造部分
楠門の部分は木造です。
虎襖絵
大河ドラマのセットとして使用された襖が展示されていました。
袋狭間の石落
おしゃれな?石落し。
曲線美というかとても特徴的な格好してます。
埋門外側
和歌山城は昭和20年の空襲で焼けた時、外側の扉も焼けてしまいました。
埋門の石垣は残ったため現在は復元されています。
埋門内側
御台所と呼ばれるこの場所から水の手に通じる門として造られ、
水の手である金明水に(井戸)に出られるようになっています。
乾櫓北東隅の転用石
何気なく天守閣を一周していたら石垣にお寺などで見る台座が挟まっているのを発見。
よ~く見てあるくといろいろ使われていておもしろい。
こんな石を探して歩くのも楽しいです。
表坂
七福の庭
七福神に見立てた石を配置し、小石で舟を形どり宝船としています。
松の丸櫓台の石垣
元和期の改修による石垣は野面積みと違って角が尖っていて
つい、見とれてしまいます。
岡口門
羽柴秀長時代はこの岡口門が大手門でした。
浅野時代には大手が現在の地に移され、岡口門も秀長時代のものから現在の形へと
建て替えられているようです。
また、岡口門は空襲を免れ残った遺構で、重要文化財に指定されています。
伏虎像
追廻門
岡口門とともに現存する江戸時代の遺構です。
朝起きてホテルから早朝散歩に出かけ、まず一回りして来ました。
途中雨に降られ濡れながら歩いて来たのですが城から一番近いホテルに宿泊したため
着替えて、ホテル内の和歌山城の見えるレストランで朝食。
その後食休みをしてからもう一度登城して天守内部を見学しました。
広くて見所沢山で写真もいっぱい撮ったのですがどれをチョイスしようかと
悩みまくりました。
今後も伝え足りないなと思ったら気まぐれに書き足して行くつもりです。^^;
平成29年6月25日登城
御当地グルメ・おみやげ
井出商店の和歌山ラーメンです。
和歌山に行ったら絶対に行ってみたいと思っていたラーメン店です。
店内はとんこつの香りでいっぱいで和歌山ラーメンのはしごをしてみたのですが
他店でも一緒のスタイルでとんこつ醤油のラーメンとテーブルには鯖寿司とゆで卵がに置いてありました。
【別名】竹垣城・虎伏城
【構造】平山城
【築城者】羽柴秀長
【築城年代】1585年(天正13年)
【指定史跡】国指定史跡 国重要文化財
【場所】和歌山市 地図
【スタンプ設置場所】和歌山城天守閣楠門受付
【動画】日本の城郭 面白・残念ネタシリーズ
豊臣秀吉が紀州を平定した後、弟の秀長に築かせた城。
関ヶ原の戦いで功績を認められ浅野幸長が入城し、その後は紀州徳川家が治めることとなります。
水戸、尾張と並ぶ徳川御三家である紀州徳川の地としての拠点がここにあります。
大手門
昭和57年に再建。
徳川吉宗の時代には門の外に領民の訴えを取り上げるための訴状箱が設置されていました。
鶴の渓
窪地になっていて、関ヶ原の戦いの後城主となった浅野家がここで鶴を飼っていたことから
「鶴の渓」と呼ばれるようになりました。
西の丸庭園
この庭園は紀州徳川藩祖頼宣公が築造したものです。
「紅葉渓」の名で親しまれてきました。
御橋廊下
二の丸と西の丸をつなぐ藩主専用の廊下で、藩主とお付きの者だけが通れる橋です。
外から見えないように屋根のある板壁で覆われた造りになって、
二の丸側が高く、西の丸が低くなっていて勾配が約11%ある珍しい橋です。
歩くと足の裏が刺激されるほどの段差が付いた板敷き。
竹踏みの効果が得られます^^;
多門櫓跡
江戸時代にはここに多門櫓がありました。
現在は発掘調査により発見された礎石列が復元されています。
穴蔵状遺構
非常の際、大奥用の調度品などを納めていたと思われる場所です。
二の丸御殿
藩主が居所とした屋敷があった場所です。
御殿は南側を正面とし、東から表、中奥、大奥と建物が建ち並び
大奥が置かれたのは江戸城、名古屋城、和歌山城のみでした。
裏坂
銀明水
天守郭
小雨の早朝なので誰も居ません。
楠門
築城当初の階段は南側から登るように出来ていたが、嘉永の再建を機に
現在の向きに変更されました。
乾櫓
天守入口
格式高い唐破風の開放的な玄関。
この日はあいにくの雨だったので普段は外で出迎えてくれる忍者がこの入口に隠れていました。
まんまと私は忍法?にひっかかり驚かされました^^;
面白いので他のお客さんが引っかかるのをしばしここで観察していました(悪趣味…)
雨の日は…お気をつけあれ。
展示品
天守玄関桃瓦
天守玄関屋根にある桃瓦。
近頃お城の屋根を見ると桃瓦を探してしまいます。(見付けられるとなんだかうれしい)
天守からの眺め
二の門櫓内部
木造部分
楠門の部分は木造です。
虎襖絵
大河ドラマのセットとして使用された襖が展示されていました。
袋狭間の石落
おしゃれな?石落し。
曲線美というかとても特徴的な格好してます。
埋門外側
和歌山城は昭和20年の空襲で焼けた時、外側の扉も焼けてしまいました。
埋門の石垣は残ったため現在は復元されています。
埋門内側
御台所と呼ばれるこの場所から水の手に通じる門として造られ、
水の手である金明水に(井戸)に出られるようになっています。
乾櫓北東隅の転用石
何気なく天守閣を一周していたら石垣にお寺などで見る台座が挟まっているのを発見。
よ~く見てあるくといろいろ使われていておもしろい。
こんな石を探して歩くのも楽しいです。
表坂
七福の庭
七福神に見立てた石を配置し、小石で舟を形どり宝船としています。
松の丸櫓台の石垣
元和期の改修による石垣は野面積みと違って角が尖っていて
つい、見とれてしまいます。
岡口門
羽柴秀長時代はこの岡口門が大手門でした。
浅野時代には大手が現在の地に移され、岡口門も秀長時代のものから現在の形へと
建て替えられているようです。
また、岡口門は空襲を免れ残った遺構で、重要文化財に指定されています。
伏虎像
追廻門
岡口門とともに現存する江戸時代の遺構です。
朝起きてホテルから早朝散歩に出かけ、まず一回りして来ました。
途中雨に降られ濡れながら歩いて来たのですが城から一番近いホテルに宿泊したため
着替えて、ホテル内の和歌山城の見えるレストランで朝食。
その後食休みをしてからもう一度登城して天守内部を見学しました。
広くて見所沢山で写真もいっぱい撮ったのですがどれをチョイスしようかと
悩みまくりました。
今後も伝え足りないなと思ったら気まぐれに書き足して行くつもりです。^^;
平成29年6月25日登城
御当地グルメ・おみやげ
井出商店の和歌山ラーメンです。
和歌山に行ったら絶対に行ってみたいと思っていたラーメン店です。
店内はとんこつの香りでいっぱいで和歌山ラーメンのはしごをしてみたのですが
他店でも一緒のスタイルでとんこつ醤油のラーメンとテーブルには鯖寿司とゆで卵がに置いてありました。
日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ) | |
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