荻野洋一 映画等覚書ブログ

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オランダについて(1)

2008-01-22 10:36:00 | 身辺雑記
レンブラント(画家)
フランシス・シルヴィウス(ジン[蒸留酒]の発明者)
ポール・バーホーベン(映画監督)

 さて上の3人の共通点は、何でしょう?


 おそらくかなりの人が「オランダ人」と回答して下さると思う。それはもちろん正しい回答なのだが、もっと的確な回答は、彼らが「ライデン大学のOB」であるということだ。私の最も愛する外国の1つにオランダがあるが、2002年晩春のライデン&アムステルダム滞在は、薄弱なる根拠ながら「波長の合う国だ」というかねてからの感情を再確認させてくれた。
 TVの仕事でドイツ西部のルール工業地帯からラインラント地方にかけてロケーション撮影で回り、スキポール空港から帰国便に乗るため、オランダ人クルーたちと共にオランダに入国した。入国して一瞬で、自分という人間はやはり、オランダの空気が性に合うことがわかった。そこには、英国でもなくドイツでもない独特の妖しい色香に触れる感触があった。

 ライデンはオランダ最古の大学都市であり、ヨーロッパ最初の日本学科が設立された場所だ。撮影クルーをここでばらし、彼らはアムステルダムに帰っていった。私は、この学科の出身だというロケ・コーディネーター「E」と2人で、夕方の街をほっつき歩き、大学生たちでごった返すCDショップでCDを漁ったり、Eが在学時代にたむろしたらしいカフェでオランダビールを飲んだりと、平凡な時間を過ごすことができた。Eとは、お互いのPowerBookを見せ合いっこしたり、有名らしいホットケーキ屋で食事を執ったりした後、Eを自宅に帰した。

 私は一人、春宵のライデンをまたほっつき歩き、運河を渡ったり、家々を眺めたりしながらホテルに戻った。家という家には雨戸、鎧戸のたぐいはなく、人々の生活は大きな窓を通してほとんど丸見えだった。家族団欒の光景、若者同士の集まり(下宿だろう)、カップルのおしゃべり、一人暮らしらしき老婆が居間でTVを見ている様子など、トリビアルな事象を歩道からよく観察することができた。

 何と言うこともない一日だったため説明するのが難しいが、私にとって生涯で最もリラックスした一日だった、と今でも思えるのである。

『砂の影』 甲斐田祐輔

2008-01-20 02:06:00 | 映画
 自主映画界のベテラン甲斐田祐輔の新作『砂の影』は、撮影・たむらまさき、音響効果・菊地信之という豪華布陣で撮られた。興味の焦点はどうしても、この両人が8mmフィルムというレガシー・メディアをどう扱うかというところに向かってしまう。

 若手アマチュアの主流がDVとなって久しいが、8mmもまだまだ愛好者は多く、生産と現像サービスが綿々と続行しているのだという。本作はおそらく富士シングル8の高感度フィルムを使用しているかと思われるが、一見して驚くのは、全篇ノイズだらけのぼわぼわした映像である点だ。
 私たちが学生時代に8mmを使用した際は、メカスかゴダール気分で大いに背伸びし、私自身の8mm作品や私が撮影を担当した暉峻創三の『この村の伝承』でも実際、本作よりずっとクリアな映像を得ていたはず。しかし私の過去の作業は余裕のなさゆえのものであったに過ぎない。
 つまり、むしろ『砂の影』では逆に、より積極的に8mmという媒体のもつ不明瞭さと戯れてやろうという意図があるのだ。時を超えたこの顛倒に戸惑い以外の何を感じていくか? そこがこの作品を見る勝負所だと個人的には感じた。

P.S.
 本作とは直接関係ないが、ひとつだけ付記しておきたい。ビデオ編集のエフェクトによく “フィルムノイズ” の類が出回っているが、プロのTVディレクターやビデオ・アーティストといった人々がノスタルジックな映像効果を得る場合に、この手のエフェクトを衒いなく多用している。恥というものを知ってほしい。


2月2日(土)よりユーロスペースにてレイトショー予定
http://sunanokage.com/

『AVP2 エイリアンズVS.プレデター』 ストラウス兄弟

2008-01-19 05:01:00 | 映画
 誰もが知るクリーチャー同士を対決させて楽しむ企画物のパート2だが、特筆すべき点はない。とにかく各自勝手に楽しんで下さればよろしかろう。

 ドン・シーゲル版『ボディ・スナッチャー』(1956)以来脈々と流れた、スモールタウンに襲来する恐怖というジャンル性を受け継いではいるが、善良なる保安官のおろおろした視点を軸に、単に「平和なアメリカの田舎町がこんな惨状になってしまった」という感嘆しか表現されておらず、なんと貧弱なビジョンなのだろう。
 それにしても、いつの時代から「保安官」という役柄が、こんなにも滑稽で無力な存在の象徴として扱われなければならなくなったのか?

 何も、ご近所の家にお裾分けに伺ったら町会全体がエイリアンに変わっていたとか、最後まで助かったとほっとしてガールフレンドとキスするとプレデターの味がしたとか、そういう悪い冗談を効かせろ、と言うのでは決してない。本作のように、単なる化け物同士の鬼ごっこという物語でもよいのだが、クリーチャーデザインへの耽溺や、シリーズ過去作への情熱以外にも、映画作りをする者たちには、やらなければいけないこと、考えなければいけないことがもっとたくさんあるはずだ。

 しかし、この映画を見た後に、「金返せ」とかそういう下品な言葉が口を突いて出てくることは、一切ないだろう。


有楽座他全国で公開中
http://movies.foxjapan.com/avp2/

松岡正剛 著『外は、良寛。』

2008-01-15 06:20:00 | 
 丸善で立ち読みしつつ、あまりの面白さのため先月に衝動買いした松岡正剛の『外は、良寛。』(1993 芸術新聞社刊)を、やっと読み始めた。まだ100頁弱のところだが、なんだろう、この面白さは。読み進めるのが惜しいくらいだ。良寛さんに特別な関心があるわけではないのだが…。

 『フラジャイル』と『山水思想』はかつて読んで素晴らしい本だと思ったが、それでもなぜかこの松岡正剛という博覧強記の人に対して警戒感が解けない。書き手として掛け値なしに凄い人だとは認めるのだが、どこか油断できないところがある。そういえば友人たちとも、この人の話題を今まで語りあったことがないことに気づいた。

 この矛盾した読書感は、いったい何なのだろう?

セビージャの旅情

2008-01-14 12:42:00 | サッカー
 依然としてセビージャに滞在している。もろもろ撮影ののちクルーを早めに帰し、一人で身軽な身になった。いくつかのお仕事メールなどを書いたあと、ぷらぷらと下町の方へ足を伸ばしてみる。グアダルキビル川は、先日逝去したユーセフ・シャヒーン監督の大作『炎のアンダルシア』でも出てきた風情のある都市河川で、隅田川より少し幅が狭いか。

 レスタウランテのオープンテーブルに腰掛け、セルベサ(ビール)を。22時、ようやく日が暮れ始めた。やはりガスパッチョ・アンダルス(アンダルシア風冷製スープ)は外せない。セビージャ人がこの青臭いスープ料理をこよなく愛する気持ちは、身を以て理解できる。日中のすさまじい日差しで体内と皮膚上に貯まった余計な熱分を、ガスパッチョが爽やかに冷ましてくれる。アイスクリームとかかき氷というより、冷や奴とかそうめんのようないたわりの感じる食べ物だ。

 それとウエボス・ア・ラ・カサ(自家風タマゴの皿料理)。カフェ・ソロ。仕上げはオルホ。
 オルホは、スペイン版グラッパといった感じのもので、透明な葡萄の蒸留酒である。帰って眠るのにちょうどいい酒。トボトボと宿に戻る。

 いつもそうなのだが、一人旅の様相を呈すると、なんとも言えない旅情みたいなものが胸の中にじわりと分泌されてきて(仲間といるのが嫌だというわけではなく)、素晴らしい。