フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

安徳帝を追え

2011-11-20 12:08:32 | Weblog
安徳帝についてはそういう言い伝えがあるとだけしか知らなかった。いままでは関心もなかったから「フーン」だったけど行く先々でアントンが出てくるんだもの関心を持たざるおえなくなった。「元気ですかー!ダァー!」もアントンでしたね。これは関係ないが、行動はまさにそれに近いものがある。山を駆け上り滝を巡り神社仏閣を訪ね行く先々でアントン 安徳帝の影。杉原神社の隣に平家神社というのがあってこの地でなくなった平家一門の名前が80名近く書き連ねてあった。その中に「坂東太郎某」と言う名があった。坂東太郎なんて利根川のことじゃないか関東人なんだろうかとふしぎにおもったけどその場はそれで帰ってきたんだ。そして昨日図書館へ寄って安徳帝の書かれている本を探すと貸し出し可能というのが1冊だけあってそれがパンフレット並に薄いんだけど土佐文雄さんが書いてあるから懐かしさも手伝って借りて読んでみるとアントンを守るため平家の重臣「坂東太郎経繁」が仕えたとある。のちに高吾北地方を支配し○○家の始祖となったとあった。これって法巌城の先祖かい。そしたらバジルの先祖でもあるんだ。なんと不思議な縁に導かれて僕らは安徳帝を追っていたのか。ますます興味を掻きたてられるアントンであろうか。土佐の横倉山に眠るアントンの御陵は県内唯一の宮内庁管理地として指定されているんだ。どうりで横倉神社の社殿の屋根が伊勢神宮と同じ形だと思った。アントンを追って僕らの旅は続く。


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喪中欠礼

2011-11-19 07:13:48 | Weblog
喪中欠礼の葉書を作っていたら次から次へと「喪中欠礼」葉書が届いた。自分のことばかりにかまけて周りのことを気にかけてなかったけど周りも動いていたんだ。こういうお年頃なのか。それとも今年はよく人の亡くなる年なのだろうか。あたり年でも裏年でもあるまいに。先日の剣山を良く見るとピラミッドにも見えなくもない。

剣は刃を隠す。ここは、黄泉の国の伝説もある。この尾根は、ヒラサカか。そして「死国」何となくそんなイメージで登ったんだが喪中欠礼葉書を見て当たらずとも遠からじと思えた。そう言えば、ここは月の輪熊だけでなくアーク伝説もあった。インディアナジョーンズでもあったよな。ソロモンの秘宝とともにある「アーク(聖櫃)」がこの山の頂上付近に隠されているとのこと。尾根の風は強く自然は厳しく笹くらいしか生えないところに宗教的な意味合いが濃く残っているのは何故だ。ひょっとして僕は、母に会いに黄泉の国に行ったスサノオのようにこの山を登ったのかもしれない。その昔、壇ノ浦の戦いで破れた平家一門が幼い安徳帝をつれこの山を越え祖谷に落ちて行かれたという。そのとき、この山を「剣」と名付けたという。剣は刃を隠す。・・・か。意味深だね。そのあと祖谷から土佐へ安徳帝は逃れて横倉山へたどり着いたと言われている。平家一門を祀った「杉原神社」

ここは、土佐のパワースポット。安徳帝の道はパワースポットが多い。これを辿れとパンプが言ってるのかも知れない。
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power spot

2011-11-18 08:26:02 | Weblog
スーパー林道とは名ばかりのオフロードを普通の軽四だけどもはやオフロードビークルと化したスズキのkeiで走る。まるでアフガンの道を走っているようなジープの映像を思い出す感覚。対向車はいないだろうなと恐る恐る走っていると必ず同じようなバカが向こう側にもいるもんで狭い道ですれ違い。お互いバカだなと思いながら2時間くらい走って到着。四国剣山の登山口だ。早速「熊注意」の洗礼。


それでも怯まず登りだす。尾根に抜ける頃には熊の糞らしきものと鹿の糞を見つける。こんなところに食い物があるのかな。木の皮ははがされていたけど。あれは鹿が食べたんだろう。

まだ凍っている道を登って次郎笈に着く。

前に太郎笈、剣山だ。



山としてはそんだけ険しくもなく僕らはあんまりいいナとは思わないけど山に登ったという感慨はないけれど表側には車の舗装どうとロープウエイがあるから登山客が多い。そこから次郎笈まで来る人は少ないけど。帰りは、次郎笈をトラバースして水場で剣山の水を飲んで山を降りた。元来た道を
帰ればよかったんだけど徳島周りで帰ったため車に4時間ものるはめになった。だけどそこで見つけた「パワースポット」だ。

車をとめてしばし見入る。ここから四足峠までが遠かった。パワーを得たのか今朝は寝覚めがいい。
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バジルの城

2011-11-17 22:27:09 | Weblog
バジルの先祖の城跡を見に行こうと仁淀川を渡ったまではよかったんだけど1本渡る橋を間違えて「法厳城跡」でなくお茶と神楽の「池川」についてしまった。

この町の下にこんなきれいな川が流れてその上で毎日の営みがあるなんて信じられない。それくらい透明度を持った川だ。これが当たり前だなんてうらやましい。


町の商店街の中心に池川神楽で有名な池川神社があってせっかくだからと参道の階段を上った。

途中で日向ぼっこしているおばぁさんが挨拶してくれたりしていい雰囲気。境内が広いのでここで神楽をするのかな。23日が大祭だそうだからにぎやかになるんでしょうね。

この商店街の対岸にはキャンプサイトがあってきれいに整備されている。おみやげに全国区となった「ほうじ茶ぷりん」を買って池川を後にし知らない道を曲がったら偶然にも「法厳城跡」の看板にぶつかった。この山の上にバジルの先祖の城跡があるのか。でも今日は時間がなかったので次回のお楽しみだ。
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金銅荘環頭大刀を見た

2011-11-16 09:11:27 | Weblog
年一回一般公開される国宝金銅荘環頭大刀を見てきた。


いままではタイミングが合わなかったのと時間がとれなかったりして中々見ることが出来なかったけど今回実現。土佐の二ノ宮「小村神社」の御神宝だ。何処の神社もそうなんだけどここも参道が長い。


参道は結界だから大きな神社には魑魅魍魎も多いのか。杉木立を抜け本殿へ。


今日は、七五三も祭りもあって出店の準備があったり忙しそう。国宝はその横の建物の中で拝観できるという。小野道風が書いたという「小村天神」という文字も飾られていたり奉納された日本刀があったりその奥に国宝金銅荘環頭大刀があった。古墳時代からの伝世品。出土品でなく伝世品だから脈々と伝えられてきたんだ。それでも寂びて汚れてボロボロになって進駐軍に差し出すように言われて差し出したが抜けないと言う理由で返されたとか。そのあと日本人が抜くとスラリと抜けたという逸話がある。それで大事に保管して昭和三十三年に国宝指定となったという。同じものが出雲にもあるという。こちらは、出土品だ。出雲と交流があったのだろうか。


この神社は1400年の昔に建立というからこの大刀は祭刀だから聖徳太子が執務を取る院で差していたものと同じかもしれないと思うと古代浪漫がまた広がっていく。
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城跡

2011-11-15 08:12:41 | Weblog
詳しい謂れは知らないが「日本一の乳銀杏」というのがあるというので山道を抜けて見に行った。


ここの地区の銀杏はまだ色づいてなく緑だった。黄色い葉を想像してたのにちょっとがっかり。11月だというのにまだ半袖でokという気温だものしかたがないか。のどかないい所でその巨木は天に聳えていた。「乳がたくさんでますように」と祈願して植えられたとのこと。800年以上経ているらしい。


入り口に毘沙門堂があり4本の杉が周りを囲むように聳えている。武将が参篭したのかもしれない。


昔々と遠い感慨にふけっていたらここの近くに「本山梅慶の居城跡」があるのを思い出して城跡を訪ねた。山の頂上にある山城で規模が大きいのに驚く。さすが戦国の雄。



梅慶は、ここから土佐の中原に覇を唱えた武将で元親とほんの少し時間がズレていたから両者があいまみえることはなかったが両者とも土佐という辺境に生まれてなかったら天下に号令できる器量だったといわれている。梅慶のことは詳しくないが直感で言うと梅慶は「武田信玄」タイプかな元親は「織田信長」だと思う。梅慶の死後、元親が本山氏を滅ぼし土佐を統一し四国を平定していくんだ。そして豊臣秀吉と戦って軍門に下るのだがこの城が元親の飛躍の白になったと思うとこの城を築いた梅慶という男の先見の明を思わずにいられない。城跡に坐って秀吉に敗れて土佐一国を安堵された元親の下に本能寺の変の明智一族の一部がながれ住み信長に敗れた武田勝頼が落ちてきたという土佐に戦国浪漫を見た。
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屏風岩

2011-11-14 08:18:11 | Weblog
屏風岩って何処にでもあるだろうけど真近で見るとその大きさに圧倒される。


土佐には皇太神宮というのがあってここから伊勢神宮に勧請されたのではないかと土地の古老からの言い伝えがあるという。たしか昭和40年代までは宮内庁から参拝に代表がこられていたと何かの本で読んだことがある。ここの鳥居から北を見ると神奈備山=古神山が見える。その頂上には巨石群があるうという。この巨石群がなんなのかということは、1980年代からもっと前からかなマスコミなんかに取り上げられたこともあって古代ロマンを醸し出しいまやおき火のように燻っている。古墳であれなんであれ巨石群というからには人工のものだろう。これを築けたということはこの地にかつて強力な王朝があったということだろう。大きな岩のその下で日本の国の成り立ちを思うのです。
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スピリッチュアル富光神社

2011-11-13 09:42:14 | Weblog
本山一揆の岩屋を見に行こうと俄かミステリーハンターになったバジルがいうのでお気楽な気持ちで出かけた。これがそもそもの失敗だった。途中で道を間違えたり見逃したりしたりしてどうにかここらしいという分岐の駐車場に着いた。「滝山→」としか看板がでていない。観光スポットとして町のパンフレットに載せてるぐらいだからもっと親切に「岩屋」とか下に書いてもらいたいよな。僕が本山一揆を滝山一揆と知っていたからどうにか行き着けたんだけどバジルなんか疑うからここで待ってて先に行ってみてくるからと斥候に行ったコレがよかった。でもまだ岩屋は飯盒炊飯ができるお気楽なとこだと思っていたから荷物も持たず車にあったフィラの長靴を履いて行ったんだ。これがヤバカッタ。野うさぎが飛び出したりしてくる道をチンタラ登っていくと神社の入り口滝の下に着いた。ここが岩屋だと思っていたから楽勝とばかりバジルに連絡。でも何処にもない。富光神社という標識と「岩屋→630m」と書いてある立て板があった。このを山登るのかと思って450mくらい登ったけど分からない。そのうちバジルが来て富光神社に参って社殿を開けると神が鎮座しておりました。あまりにも寂れて汚れているので掃除をしてあげた。これがいけなかったのか良かったのか?


バジルと話してこの山の頂上付近にあるんじゃないか関が原の戦いが終わってからすぐの反乱だから当時なら山城か砦の感覚だからなということでここで初めて頭が正常になる。450mから上は道らしき道がない。あったんだろうけど誰も登らないからなのか杉の枯葉や落葉が積もって道が分からなくなってた。一番上の滝を横切って向こうに渡ると鹿のフンがあるだけで道がない。それでも岩を回ってやっとの思いで目指す「岩屋」にたどり着いた。



携帯がつながるのが良かった。後から来ているバジルにあったというと道が分からないという。迎えに行くからと言って岩屋から下ると道がわからないというか覚えてないのに気づいた。上側に獣道のようなものがあったからそっちに進んだコレが間違い。上に下にと動いてやっと滝に出た。しかしここは、一の滝の滝つぼ。滝つぼなんか通ったかなと思いつつ渡ってまた道を探したけど分からない。プチ遭難だ。これは困った。滝を下るしかないかとバジルに連絡して「道に迷った。滝まで来てくれ」というとバジルが自力で滝の近くまで来ていた「助かった」バジルが滝に着いたとき僕は、かなり上にいた。滝の岩をおりてバジルのとこまで行くと道が薄っすらと見えた。こんどは、道を覚えつつ岩屋に行って無事降りてきた。少し遭難者の気持ちが分かったような気がした。やはり、遭難すると動くんだわけもわからず。そこで体力を消耗するんだね。僕も、久しぶりに夏山以外で全身汗びっしょりになった。家に帰ってマーチンに話をするとタンちゃんが出てきて素人が神の世話をしてはいけない。掃除なんかすると取り込まれると言うよと言った。それを聞いてゾッとした。でも掃除したから生きて戻れたのかなと思う。標高1000mくらいの山だけどあなどることなかれということを思い知らされた。反省しきり。
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スピリッチュアル船越桂 展

2011-11-12 08:50:52 | Weblog
突然スピリッチュアーになったバジルと愛宕神社に行った。何でもイザナギ神を祀って火の神で大熊神社があって云々と行く道すがらペチャクチャとレクチャーしてくれたけど神社の由来書には祭神はイザナミ神と火産神とあった。大熊神社でなく天熊神社だった(社によって祀っている神が違うとのこと)。中央に愛宕神社と水の神奥の院に天熊神社右に杉内神社とあった。杉内神社はオオクニヌシノミコト神 天孫系だけではこの国は治まらないのか国神を慰撫しているのかこのような祭り方をしている神社多い。そして奥の院。なんか御神体が浮遊しているような大岩の祠であった。

ここにミステリーハンターバジルのアンテナがヒットしたのか確かに幽玄とした雰囲気。それから足を伸ばして「船越桂 展」に行った。木造の彫刻だけど目が変。

焦点があわないんだ。作品を前にしてじっくり時間をかけてみる人もいるが僕は直感タイプだからさっとみてもう一度もう一度と直感を思い出しながら見るタイプだからさっと人形の顔を見たときなんか変だなと思った。ここからが船越さんのすごいところだと思うけどじっくり見ていると人間ってそうなんじゃないかと思えてくるから不思議。知らないうちにパラレルワールドに誘われたみたいだ。それと同時に美術で第一線になるって大変なことなんだなとそんなことも考えていた。
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大きな岩のその下で

2011-11-11 08:12:48 | Weblog
大きな岩のその下で人はいかに小さな存在なんだろう。


これも古代、いや神代、国造りのときに天の矛の先から零れ落ちたのか掻き混ぜて盛り上がったのかそれとも古代、海の底が隆起してできたのかといろいろ考えられることはあるだろうけど土佐には、古代の巨石群があちこちにあって、僕が好きな話は、昔、今の人間が出現する前にこの地球に巨人が住んでいたという話だ。恐竜をペットにするくらい大きな人種で傍若無人で暮らしていたんだ。ある時、太陽に盗ろうとして海にある一番大きな岩を山の上に運びその上に乗るという話になった。そこで赤い村、白い村で代表二人を選んで競わせたと。赤い村の巨人が勝って一番大きな岩を一番高い山に置いてその上に乗り太陽を盗ったと。負けた白い村の巨人は怒ってその岩を蹴散らした。その岩が散って峡谷の岩になったり巨石群となったりしたと。それから巨人達は、あまりにも太陽に近すぎたため焼けて滅んだとそのとき巨人の涙から小さな種が流れ出て長い年月を経て僕ら人類の始まりとして太陽に決して届かないよう小さく生まれ変わったと。だから僕らは、太陽を崇めたり恐れたりするのは遠い記憶が受け継がれているのかもしれない。
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