フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

網戸

2009-05-31 09:40:32 | Weblog
基本的に冷暖房はしないようにしているので夏ともなれば、この里山の近くにある家は、蚊や虫が多くて大変だから網戸は必需品なのです。だけど、家の網戸は下のほうがすべて猫によって破られてます。直さなくてはと思う一方でまた破られるからという気持。網戸にしとけば、涼しくて、虫がこなくて快適なんだけど破れ網戸じゃ、猫は来る、鼠は来る、鳥も来る、蚊も来る、ゴキブリも来るで大変するから今はまだ、夜は窓を閉めてる状態だけどそろそろ開けなきゃ暑いよね。昔は、網戸なんかなかったから、テレビで見た「名犬ラッシ-」のジェフだったかティミーだったか忘れたけど家のドアの前に網戸のドアが付いているのを見て大きな冷蔵庫と共に憧れの対象だった。網戸のドアがある家で犬を飼う。犬が家に中にいるのも不思議だったけど。網戸のない家出どうやって暮らしていたのかと思い出すと夏の夜は、今より蚊に多く刺されたと思うんだけど蚊帳を吊ってましたね。除虫菊の匂いがする緑のもので部屋一杯に張ってましたね。子供の頃は、姉弟で雑魚寝して足を上げたり手を伸ばしたり不思議な宇宙で不思議な感覚に包まれて安心して寝てました。今の家には、蚊帳を吊るフックもないと思うと急に寂しくもなってきます。想像力ってこんな日常から育まれてきたんだと思うと想像力を育まない暮らしってつまらないな。
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もう夜もふけて

2009-05-30 01:29:40 | Weblog
夜もふけて思うに外国の人いや、アメリカ人には蛍狩りなんて習慣ないよね。あまり聞かないもの。欧羅巴ではどうだろう?あまり絵本でも見かけないな。もう夜遅いからそんなこと考えるの止めてもう寝よう。急に睡魔が襲ってきて眠ってしまったら朝だった。だけど、蛍狩りが気になってまた考えている。桜狩とか紅葉狩りの範疇だと思うけどやはり、観賞ではなく捕って帰っていったんだろうか昔なら、家の近くでたくさん飛んでたからとってけるほどのものではないけどそう言えば子供の頃は網もっていってたみたい。ユダヤ人の経済活動に虫が入ってなくてよかった。彼らの経済活動なら根こそぎだからね。大体、虫に価格をつけて売っているのは日本ぐらいでしょ。養殖の考えだから。西洋人なら冒険して捕りに行くそれがかれらの価値観だから。そして、価値があるとなれば根こそぎだ。虫の鳴き声や蛍を見て感傷に浸るのは日本人だけなんだろうか。少なくとも西洋人には、そんな感覚はないと聞いたけど。それがあるから、まだ虫達は生きていけるんだね。文化とはありがたい。
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やっぱり気になるから

2009-05-29 07:58:50 | Weblog
メイストームのおかげで秋のようにカラッとして涼しい。がく紫陽花も咲き出して雨の季節を迎える準備。あれ、紫陽花って雨の中で咲いてなかったっけ?そういえば、今年は、何もかも早いのかな。やっぱり気になるから立ち葵を見たら梅雨でもないのに花咲かせすぎ。ウ~ムこれは、天変地異の前触れか。都市計画という名のもとにむやみやたらとアスファルトで地面を固めたせいだろうか。誰が、田舎を都市にしてくれと言ったんだろうか。田舎は、田舎であるから価値があるんだ。日本中灰色の街にして何がうれしいんだろう。それが、自分たちがやった実績ですと未来に誇るのだろうか。これは、為政者の問題だ。そして、自分たちの問題でもある。昨夜の蛍の川も自然があったからではなく、自然を残したからと聞いた。近くの小学校の生徒と先生と地域住民が一丸となって護岸工事が始まった川辺で川底工事に反対し自分たちの川を守り水質検査を繰り返して蛍が住める環境をとりもどしたという。そしたら、川辺に人が戻ってきて川を汚すものはいなくなったというから自然の力なんだなと実感。自分たちの暮らしだもの、自分たちで守らなければとも実感。とりあえず緑をなくさないように頑張ろう。そういえば、20歳頃に緑色革命というのがあってポストインダストリアル脱工業化社会に向けての未来志向としてあったね。経済によって太刀切れになったけど今こそグリーンレヴォリューションじゃないのかな。今でいう「グリーンディール」。頭のいい奴は、30年以上前から予測できていたんだねこの現状が。恐るべし学問・・・・か。
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luciole

2009-05-28 22:02:25 | Weblog
家は、県庁、市役所、図書館まで歩いて10分。結構便利なところにあるんだけど。ここから北へ歩いて20分のところで蛍狩りができるとは、いくら田舎とは言え思ってもみなかった。だから昨日、今日と蛍狩りを堪能してきた。昔、仕事で農協に企画を立ててあげたことがあったけど、たしか「夜汽車に乗って蛍狩りに行こう」と言うタイトルでお客さんに田舎の小川まで来てもらったことがある。来てもらったら、田舎の食材で作った夕食と蛍狩りがセットで楽しめると言うもので当時人気が高かったイベントだ。それでも、川辺に20から30匹くらいの蛍しかいなかったと記憶してるけど、いまや、住宅地となったところでその下の川に100匹以上の蛍が僕らの目を愉しませてくれるんだ。


これって、自慢していいことじゃないかな。蛍がいるって川がきれいってことだから。まだまだ自然が残ってるってことだから。残念なことに、護岸工事されていて川のすぐそばまでは、降りられないから写真は撮れなかったけど岸辺に立つと向こうから迎えてくれるんだ。だから手の中で1匹2匹とあかってくれる。写真の1点が緑のものがあるでしょう。それが蛍。昔は、家の庭にいるのが当たり前だったのに。子供の頃は、電気を消して蚊帳の中に蛍を入れて遊んだものなのに。蛍の光って見ていると昔に戻れるような気がするね。
Je lui a la lueur des lucioles蛍の光で本を読む・・・か。ロマンチックでいいな。
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pendentif

2009-05-27 10:10:53 | Weblog
sainte Marieのペンダントを買った。


スターリングシルバーの本物だ。どこかの修道院で売ってるらしいけどそれがこれかどうかは分からない。これに十字架もついていたけど僕は多神教のほうが好きだから十字架はバジルにあげた。バカな弟子達は別として、マリアもイエスも好きだけどね。このペンダントは、これで2個目。アルミのものを近所の雑貨やさんがオランダの蚤の市のようなところから買ってきたものをヘッドだけ買って皮ひもに通してぶらさげていた。勿論首からだよ。天からの雫のような形とマリア像が気に入っている。純銀はさすが光沢が違うね。人が、金や銀に憧れる気持がわかるような気がする。妖しい魅力があるから。首から年をとるというからペンダントが出来るのももう少しの間と思っている。しわくちゃダルダルの首にぶら下げてもなと思っているから。ヘルスエンジェルのタトゥーのようなもので年取ってのしわくちゃの体には似合わないよ。先が読めないからヘルスエンジェルだったんだろうけど刺青は着替えれないからつらいものがある。そこへいくとペンダントってとしとってからもそこそこ楽しめて若やいだ華々しい気持に一瞬させてくれるから面白い。あんまり普段は身に付けない方だけど最近テハマナを買ってから少しハマッテル。
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power

2009-05-26 19:10:29 | Weblog
power信奉というか武力信仰というかこの錯覚は、理性の外らしい。そんだけの魅力と魔力があるのだろうか。富国強兵いまだにこの幻想にさらされている。あの北朝鮮がまた核実験を実施し短距離ミサイルを3発撃ったと言う。それに対しての国連決議。先ほどのメキシコ風邪のときのWHOのフェード5とかの発表のようにさほど効果があるように思えない。そんな決議案の草稿に日本が中心になって行っていると言うのを聞くと、そんな手に乗るんじゃないぞ!と思わず言いたくなる。制裁措置の強化がそれほど効果があるのか。それは、国連参加国がすべてで同じように実行して初めて効果を発揮するものだろう。中国が、中身のない上辺だけの実行したらそれでもう効果は半減と言うシロモノに参加することが意義があると言うばかりに世界の御旗が欲しいのか。北朝鮮は、いわば、どこのクラスにもいるバカのようなもので、タイプで言うなら混ぜ返す自己主張型の空威張りバカだけどこんなのがクラスにいたとき皆どんな解決をしていった?暴力で黙らした?無視した?全員で決めたことを守らせた?罰則を与えた?そんなことしなかったよね。でも、彼も一緒に卒業している。お互いに暴力では何の解決のもならないということを理解することから始まったような対応だったと思うけどやはり話し合いが大切だった。北の漫画のキャラになりそうなぼくちゃん将軍さんとも外交は、powerではないということを理解しあわなければいけないんじゃないかな。北を地球上から消すことは、簡単なことだろうけどできればみんな一緒に卒業したいね。
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猫は、網戸を破る

2009-05-25 20:11:07 | Weblog
葵の写真を撮って戻ってきたらフィガロが家の中にいた。


ウルーも全然怒ってない感じ。これが、ノワールだったら家の中ひっくり返るくらい喧嘩しているんだけど。「どこから、はいったんだ」とみると2回のベランダから網戸を破って入ってきていた。ノワールもそうだった。網戸を破らないで開けてはいってきたのはウルーだけかな。オランジュは、網戸を揺さぶって開けろと言うし。だから、ウルーは、家の中にいる地位を確立したんだ。フィガロは、まだ、誰んちの猫か分からないけど夕方になると門柱の上で待っている。かつてウルーもそうしていたっけ。違っているのは、その門柱の下にノワールがいるってことくらいか。挨拶をして手を差し伸べると2匹とも頭を摺り寄せてくるのは可愛い。それから、2匹の犬のマルディとランディを連れて散歩に行って帰ってくるまで待っているんだ。餌をやって食べ終わると、2匹ともどこかへと忽然と消える。帰る家があるんだよなと思って安心する。それにしてもまた網戸を直さなくてはいけないと思うとウンザリだ。今日は、涼しかった。
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そろそろ梅雨か

2009-05-24 18:25:25 | Weblog
写真は撮ってないけどたち葵が咲いていて蕾を数えたらまだ28個あった。これが、てっぺんまで全部咲く頃には梅雨が明けると言われているから後何日で入梅かな。植物の体内時計は、大丈夫なのかな。雨の中で、この花が、一個づつ咲いていくのを確かめるのも好きなんだけど。そこにあるノンビリした時間が。そういえばラジオで落合恵子さんが(だったと思う)弱肉強食の競争社会に風穴を開けたいといってました。競争社会って1970年代に明確化されてきた形態だと記憶しているが、勿論素地は何年も前から繰り返されていたのだけれど比較的新しい形態なんだ。勿論西洋からの借り物に過ぎない。それまでの日本は、和をもって尊しとなす精神で独自の豊な精神社会を築いていて西洋の精神を借りず文明の力だけを拝借して独特の繁栄をしていたのだと思う。バカもかしこも同じ社会を共有して偉ぶらず、かしこぶらずで仲良く暮らしていた。ところがいまや格差は益々広がり、勝ち組み負け組みなど当の昔の表現となり、バカは暮らしていけず、かしこも何が賢いのかととわれクレバーでやり過ごしてきたものは、行き詰まっている。ここらで一服して考え直さなければ先に進めない。僕は、緑の中でノンビリと生をまっとうしたいから、高村光太郎のいうように「偉い人や、名高い人になろうとは決してするな。もって生まれたものを深くさぐって強く引き出す人になるんだ。それが、自然とこの世の中の役に立つ。」こんな人にわたしは、なりたいと思ってきた。この考えが、いま、あらためて必要じゃないかな。人間50年。倍にしても100年だからね。
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猫のご飯の後は、犬と自分の飯

2009-05-23 19:53:48 | Weblog
フィガロは、うちの裏の医者のオークの家の縁側でいつもいるようだ。


どこの猫か分からないけど最近夕方にはいつもご飯に来るようになった。今日は、遅れてノワールもやってきた。

そしたらノワール2が初お目見え。2匹も先にいてたので帰っていったが、やはり夜な夜な情報交感の集会を持っているのだろうか。猫のご飯を作ってやり食べさせている間にキャベツとだしじゃことお肉の細切れを煮て犬の餌を作ってさましている間に自分のご飯を作った。


今日は、ポークソテーとサラダ。かぼちゃのスープと自家製のナッツバターと超熟パン。一人だとご飯を炊くのが億劫になってパンが多くなった。料理好きの僕がこんな按配だから他は推して知るべしだな。今日、初めて作ったかぼちゃのスープは、簡単でとてもおいしかった。バーミックスではないんだけど、バー状のブレンダ-でぶるぶるとすればプロの味。我が家の定番になりました。今のかぼちゃはパンプキンイエローではなくペイルイエローと言うか黄緑だね。それでいて味は結構いいんだからこれが今取れたかぼちゃなんだろう。これに、生クリームを加えたら最高だろうね。このところちょっと太りぎみだから控えたけど痩せてたら生クリームたっぷりだね。


それにしてもバーブレンダ-便利。夏は、いろいろのジュースをこれで作るし、もっと、もっと使い方を開発しなくては・・・・・・。薔薇が終わり、紫陽花の季節となった。
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泰山木が咲いた。

2009-05-22 19:56:26 | Weblog
タイサンボクが咲いた。まだ一個だけど。6月に咲くのかなと思っていたから早いなと言う感じ。温暖化の影響なんだろうか。


この花は、おおらかでいい。誰にも遠慮せずに思いっきり咲いているのが見事と言うか天晴れである。毎日来る公園。おなじみさんは、みんな毎日だけど、毎日、野球やってる不思議な連中もいる。仕事ないのか。それとも夜の仕事?ちがうな、何やってるか分からない30代から40代の連中3~5人のグループ。この人たちが一番の不思議だね。雨の日も風の日も毎日いるから。見慣れた風景ではあるが他人事ながら心配。後は、じいさん婆さんと学生。じいさん婆さんはそのうちひとり、また一人といなくなる。すると新しいじいさん婆さんがやってくるから不思議だ。自分も公園に来る一人としていつかここから消えていくのかなと思うとここが最後の人生の舞台かのように見えてこの公園全体がいとおしくなり年取ったらパークキーパーでもやろうかなと夢想する。朝、昼、晩 それぞれの人生をもって人は公園にやってくる。「俺達に明日はない」老人が一番健康に熱心だから人って面白い。
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