フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

大晦日終りの始まり

2014-12-31 06:18:49 | Weblog
大晦日です。1年のゴールなのかな。終りで明日は始まり。なんだか気忙しい。暦のなかった時代は歳をとらなかったのかな。長幼の序はなかったのか。でも生きるための情報は経験でしか伝わらないから母親は自分達より上だと思っていたんだろうな。動物だって育つまでは母についていくからね。いつまで生きるとかどこまで行くかとかそんなことは考えないでその日その日を生きてきたんだろうね。「死ぬまで生きよう、当然だもの」映画0.5ミリのキャッチコピーじゃないけど暦があるかないかだけで今とあんまり変わらないね。
そうかそんなものかと一人ゴチた。この前描いていた猫の絵、どうにか出来上がった。

これで年内のお絵描きも終りかな。あとはお正月のお雑煮をどのようなスタイルで作るかを考えなければ。鯛味、鳥味、豚味、牛味、と例年三が日は味を変えて出してあげてたけど今年は1日だけで行こうと思う。
山にも行かないといけないから。生姜をたっぷりといれた鳥味にしようかなとブツブツ。なんせ10人前以上を作らないといけないので大変なんだこれが。相撲部屋じゃないけど毎年こんなもんだから忙しいんだ。
それでは一年を締めくくるご挨拶を。
バジルにはお世話になりました。ありがとうございました。みっちゃん、ゆみちゃん、ありがとう。山の仲間ありがとう。三婆ありがとう、お絵描き教室のみんなありがとう。ヒロコ、リエさんありがとう。トモちゃんカズカズありがとう。そしてmichiさんありがとう。michiさん、ブログ続けてね。みんなみんなお世話になりました。来年もよろしく。始まりの終り、終りの始まり。1日違えば大違い。愉快であります。出発の響きがするのは。
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come out

2014-12-30 07:38:59 | Weblog
晦日ですね。今年もいろいろありました。今年の特徴はアベノミクスにはじまりいろいろな金儲けの仕組みが明らかにされてきたことでしょうか。つまり金持ちというのは公金の集め方が上手いという人たちの事で決して自分の実力で金を稼いでくる人たちのことではないということ。これでは日本社会に夢が持てなくなるのは当たり前だ。それにオボちゃんやサムラゴウチさんのように「ばれた」ってことも今年の特色でしたね。原子力安全委員会なんかバレバレなのにまだ「安全基準を満たしている」と言っている。基準といっても人が決めたもんだからそんなの当てにならないと国民は知っているのにマスコミも加担して「安全」という。「未来」をこの国は考えているのだろうかとフクシマは言う。それでも金をくれという自治体。「いいじゃないの、今がよけりゃ」って。それでは歴史はいらない。歴史がなけりゃ歴史問題とかなんとかもないわけでどこかの国と同じだわさ。騙すからバレルただそれだけのことだけど騙した代償は大きいと思うよ。2014年を一言で言うなら「ばれた」でしょうね。「恥」という概念が希薄になっているからバレたってどうということないんだろうけど天網恢恢祖にして漏らさずだからね。・・・だといいが。
本年中のご愛読ありがとうございました。来る年もよろしくお願いいたします。みなさまよいお歳をお迎えください。
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chats

2014-12-29 08:00:31 | Weblog
Heureux et Figaro

まだ途中ではあるのだけれど完成したからよくなるというものでもないし勢いで描いたとこまで見せようと思って。そうだねあと背景を整えてもう少しコントラストつけてと考えなければならないことが結構多くあったりして猫と言えども悩むのです。ここからが作品になるのか単なるお絵描きになるのかの分かれ道。作品に仕上げたいとは思うのですが単純な構図っていうのは素人には難しい。今年は犬のmardiが亡くなったからその分ウルーとフィガロはボクを癒してくれた。感謝を込めて2014最後の絵にウルーとフィガロを描こうとしたのだけど描いてみると意外と難しいんだよね動物って。何考えてるか分からないから。それと独特のしなやかさというのかなしなやかな存在感というのかそういうのが表現できない。西欧のというかアメリカのハウツウ本にはこうすれば上手く描ける水彩のテクニックみたいなのに猫の描き方はいっぱいあるんだけど青い目で見た猫と黒い目で見た見た猫の違いは埋めがたい。さすれば日本画となればこれはもう神業に近いのでとても真似できない。黒い瞳と不器用な手で自分なりの猫を描くしかないかと描いては見たがどうやって作品にするかいまのところわからない。わからないから持て余す。ちなみに猫のニャーはフランス語ではmiaou英語ではmeowほんのちょっと日本人とは聞こえ方が違うんだ
nとmの違いかな。似てるようでnとmとの間には計り知れない隔たりがあるんだとブツブツ
まぁそんなわけで年内にはこれを仕上げようと思っています。できればね。
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今年最後の日曜日

2014-12-28 07:39:32 | Weblog
今年最後の日曜日
それでは、よいお歳をお迎えください
え、なんで?
まだ月火水とあるのにな
それでも
今年最後の日曜日 この響きがいいね
そんな日曜日をポケットに詰め込んで
猫とゴロゴロ
雨が降りそうな空を見つめて
昨日きった庭の木の枝を
袋に詰める
猫はついてくる
この枝も今年最後 庭の木には
もう花芽がついている。
今年最後の日曜日
花芽を見ては喜んでいる
雨が降る前に枝のかたづけを
すまそう
今年最後の日曜日
いそいそと動き回る自分がいて
ポケットに詰め込んだ
今年最後の日曜日
そのまわりに猫がいる



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metamorphose

2014-12-27 09:05:58 | Weblog
画家バルチュスの本名がバルタザール・クロソフスキー・ド・ローラであることを初めて知った。父親はポーランドのクロソフスキー伯爵の血筋で母親はノブゴロド公国の血筋のロシア系ユダヤ人とのこと。母親が画家であったと。彼は独学で絵を学んだとのことだが環境は幼少期から整っていたんだね。その彼が「日本人は淡白を好むから油彩は向かないグアッシュか岩絵の具を使いなさい」と節子夫人が絵を描きたいと言った時に言われた言葉は重い。その言を守ったという夫人もまた立派。「絵の具と言うのは単なる物質でしかありませんがある画家の手を通して雄大な景色になり麗しい乙女になり果物や花になる・パレットというものはそうした創作による奇跡的なメタモルフォーゼの源のような気がします」との節子夫人の言葉はバルチュスの一番近くにいた人の言葉として胸に響く。ピカソをして「20世紀最後の巨匠」と言わしめたバルチュス。そのバルチュスが日本人は水彩だというのだから間違いはないだろう。水のメタモルフォーゼいつか見せれたらいいな。
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cadeau de Noel

2014-12-26 09:04:40 | Weblog
サンタさんにクリスマスプレゼントをいただきました。なぜか竹の籠とシュガークリームです。

この籠いっぱいに収穫するんだぞと言われたような気がします。芋を焼いたらシュガークリームなんぞつけて食えというのでしょうか。少々大きめも籠です。これいっぱいに野菜が収穫できればいいんですが農の道はなかなか厳しいんだ。りっぱな畑があっても農の腕が悪けりゃ収穫はままならない。立派な腕があっても畑が悪かりゃ何一つできない。腕も畑も問わない自然農法なんだけどあるていどのスキルは必要なんだね。そのスキルがないものが自然任せに農業やってるからできたものは値千金だけど籠いっぱいの量はなかなかむつかしい。でもサンタさんがくれた籠だからいつかいっぱいにと畑仕事に精を出そう。
農をやってみて初めて分かることだが食料を生産するって大変なんだよ。自分の分もままならないのにましてや多くの人の腹を充たすものをコンスタントに作るなんて・・・やはり農が国の基本なんだと思う。アベノミクスがどうだこうだというけどアグリカルチュアじゃないかな、やっぱり。原発事故でフクシマという広大な国土と海を失った今、誰でも農業できる仕組みを早急に作るべきじゃないか。農は土を作る。豊かな国土の上に人々の生活が築かれるのだから。さぁ籠もって畑に行くか。
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Paris

2014-12-25 08:24:13 | Weblog
「joyeux Noel」と夕飯食ってる最中にヒロコから電話がかかってきた。ちょうどクリスマスイヴだからみんなで集まって食事してたから次々に皆が出て「Merry Christmas」と大賑わいの電話になった。パリは大変だったってことは聞いてたけど直に聞いてみたかったから「パリはどうだった?」とふってみた。「スリばっかりで大変なのよ」と「オペラ座の近くのホテルだったの。そこが一番多いんだって。」「日本人は特に狙われるの。私にも5,6人ついてきたわよ」と。「ロマ人なの?」「わからない。みんな同じように見えるから」「でも街はきれいなんでしょう?」「きれい。キミなんかのように絵を描く人が来るべき街だってことがよくわかるよ」「とくにルーブルとかいいわよ」「あっそうだ。来年行こうよ。誘うから。そうしようよ」と一方的に言って「じゃぁね」と電話が切れた。パリか。あのパリにはウンザリ騒ぎはナンだったのだろう?懲りないヤツだね。あの調子なら来年マジで言ってきそうだからな。フランスに行きたしとおもへどもフランスはあまりに遠し・・・って時代でもないしまぁ成り行きに任せるしかないね。ヒロコんちの必要経費で行けたら一番いいんだけど。ヨーロッパってやっぱり腐っても鯛のような魅力があるよね。本当は自分の絵が掛けられているパリの美術館に行くというのが密やかな夢だったけどヒロコに強引に連れて行かれたとしたらルーブルの壁に一枚貼ってやろうかなハガキ大の大きさのを。気が小さいモンで。ともうすでに心はパリにいる自分を夢想している。まずは、路銀をどうするかという現実を忘れて。
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Christmas Eve

2014-12-24 07:19:45 | Weblog
今夜はクリスマスイヴ。キリストの生誕日には諸説あるようで25日が誕生日ときまっているわけではないらしい。クリスマスを祝うのは日本では3割の家庭にとどまるとのこと。全国民がにわかキリスト教徒になって浮かれていると思ったのに意外な感がした。昔はケーキが食べれるのは非日常だったし沢山作って沢山売れば値段も安くなりみんなの口に入ることになるから商店街もジングルベルに力いれたんだろう。そのおかげでキリストの名前は日本に浸透した。その実体を詳しく知ることはなかったけどなんでも日本にそのキリストの墓があるらしいとの話は面白かった。原始キリスト教は聖徳太子の時代から日本にあったというじゃないか。でもキリストはというかナザレのイエスはキリスト教を創始したのではない。その時にはキリスト教なんてなかったから。ユダヤ教の新解釈を説いてまわったんだろう。彼の言葉と行動をまとめて教典にまで昇華した名編集者が弟子達の中にいたんだろうか。宗教として確立してからの拡散はすさまじいものがあった。天に二物を抱かずとばかりに他の宗教を駆逐しバチカンなる国まで築いてしまったのだから。その押し寄せるキリスト教の波をきれいに乗り切り宗教として定着させなかった国が東洋にあった。なぜならそこはキリストが生まれた国であり死んだきにであったから。そのことだけを覚えておいて欲しいとクリスマスというケーキを食べる行事だけを日本に残したということだが真相はいかに。
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hide and seek

2014-12-23 06:10:08 | Weblog
Hide and Seek
Walter de la mare
hide and seek,says the wind,
in the shade of the woods;
hide and seek,says the moon,
to the hazel buds;
hide and seek says the cloud,
star on to star;
hide and seek,says the wave
at the harbour;
hide and seek,say I,
to myself,and step
out of the dream of wave
into the dream of sleep

かくれんぼ
     ウォルター・デ・ラ・メア(柴田元幸 訳)
かくれんぼ と風が
 森の木陰で いいました
かくれんぼ と月が
 ハシバミの芽たちに いいました
かくれんぼ と雲が
 星から星へ いいました
かくれんぼ と波が
 港の酒場で いいました
かくれんぼ とわたしが
 わたしにいって
めざめの夢から出て
 ねむりの夢に入っていく

昨日と今日と同じ夢を見た。丸いものと山の形をしたもの。絵なのかどうか分からないが色も形も同じものだ。昨日は寝過ごし今朝は早くから目覚めた。体調が万全でないからかな。

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喉が痛い

2014-12-22 08:20:15 | Weblog
I have a sore throat.喉が痛いと自分で言ってるのにIと言わなくてはならない不完全な言語をありがたがっている民族とはナンだ?このまま行けば近い将来日本語で思考できない日本列島生まれの子達が出現するだろう。その時彼らを日本人と呼べるのだろうか。その彼らが成熟して政治家となり経済人となり日本を統治していく姿をドキュメンタリーで撮ってみたいな。と口を開けて喉を見ながらそう思った。二三日前より喉に違和感があり昨日から痛くなった。それに咳も少し。これは風邪だ。風邪は引かないことにしてたのによる年波か忘年会疲れか風邪菌を体の中に入れたらしい。喉チンコの両サイドが赤く腫れている。こいつが痛みの原因か。昔なら金柑湯とかレモン汁を飲んで寝れば治ってたけどご老体になったのだろうかそれを飲んでも治らない。やはり器がまともじゃないと良薬をいれても効かないのだろう。自然治癒力にまかせてしばらくは付き合っていくしかないのだろう。今年は花梨も少なかったしとここで花梨漬けの存在に気づいた。喉の痛みに花梨だ。思い出してよかった。早速試してみよう。コイツは効くぜ。
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