水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

残月剣 -秘抄- 《残月剣①》第二十三回

2010年08月09日 00時00分01秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《残月剣①》第二十三回
鴨下も少し遠慮したのか、それ以上は訊かなかった。長谷川が小脇に西瓜を抱えて入ってきたのは、その時である。
「おいっ! 権十の奴が久々に来おったぞ。これは余りの手土産らしい。今年は出来がよかったそうで、結構な儲けだったそうよ」
「そうですか、権十が…」
 鴨下はひと言、そう云った。西瓜を一端、厨房へ置いた長谷川は、括る縄を取りに小屋へと行った。井戸へ吊るすのだろう…とは、堀川の者なら誰もが分かることで、事実、左馬介も鴨下も、そう思った。長谷川の行動は二人が予想した通りで、縄を持って現れた長谷川は厨房へと左馬介達の前を素通りし、西瓜を縄で括ると、ふたたび井戸の方へと消えた。夏場でも水温が数度という低温の深井戸である。こうして、一(いち)乃至(ないし)二時(ふたとき)も冷やしておけば、歯に沁(し)みるような西瓜を頬張ることが出来るのだ。過去にもそういったことは何度もあったし、夏場は汁鍋や飯釜などは何でも吊るされるのだった。それを二人は知っているから、取り分けて驚くこともない。朝餉の片づけも終わり、昼稽古まで鴨下は書物を読み、勉学に勤(いそ)しむ。元来、学問が好きなのだ。『あの男は寺子屋で子供相手に読み書きを教えた方が様(さま)になるのではないか?』と漏らしていた大男の神代伊織の顔が、ふと浮かぶ左馬介であった。


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スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第四十六回)

2010年08月09日 00時00分00秒 | #小説

   あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        
    
第四十六回
しかし、沼澤氏が告げたあの前兆ともいえる事態は、すでにこの時、起きていたのだ。ただ、私はそれに全く気づいていなかった。気づかなかったのは、沼澤氏がみかんで告げた日からひと月が過ぎていた、ということもある。足繁くではないが、その後も週一か十日に一度の割で、みかんに顔を見せていた。その都度、「どうなのよぉ~?」と、ママに訊かれ、「いや、別に…」と否定する繰り返しが続いたから、私も少し倦(う)んでいた。早希ちゃんに至っては、私を小馬鹿にしている節がないともいえず、私としても気分的に面白くなく、話題にするのを避けた、ということもある。ただ、このひと月の間も、水晶玉はみかんの酒棚に飾られていたし、小玉の方も半分方は手渡したとママが云っていた。ということは、店の客入りも結構よかったことになり、沼澤氏のお告げも強(あなが)ちハズレという訳じゃなくなるのである。それはさて置き、係長の児島君に多毛(たげ)本舗の一件を云われ、今夜のスケジュールがぽっかり空いた私は、みかんに行ってみるか…と思った。先週から顔を見せていなかったこともあるが、風邪っ気を吹き飛ばしたかった、というのがメインだった。店に行くに当たり、早希ちゃんに小馬鹿にされそうだから、今夜も水晶玉の一件は触れずにおこう…と、心の身支度を整えた。
 仕事が終わり、いつものA・N・Lで軽く飯を済ませるつもりで席を立った。


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