水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第六十五回)

2010年08月30日 00時00分00秒 | #小説
   あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
    
第六十五回
「おお…、もうこんな時間か。つい、ウトウトしてしまった。いや、すまんすまん…」
「私はいいんですが、課員に示しがつきませんので…」
「いや、君の云う通りだ。申し訳ない」
「今朝は早く出勤されたんですか?」
「ん? まあな…。いや、そんな早くはないんだけどね」
 私は一端は肯定し、すぐさま否定していた。別に早く出勤することは悪いことではないのだが、深層心理として禿山(はげやま)さんと語らう光景が鮮烈に残っていたものと思われる。結局、瞬間的にその場面を児島君に知られることから回避した、と自己分析した。犯罪の取り調べにも用いられる微妙な人間心理の弱点である。
「余り眠っておられないのでは?」
「なに云ってる。昨日は疲れて早く眠ったさ」
 今朝も外部からの電話応対で課内は多忙を極めていた。一昨日(おととい)までの第二課なら、間違いなく課員達の注目の眼に晒(さら)されていたのだろうが、昨日(きのう)から全員が私のことなど眼中になく、電話応対、契約書類などの事務に明け暮れていた。この繁忙の要因は、まだ断言出来ないまでも、沼澤氏の玉の霊力と見られ、その確信は次第に私の中で高まっていた。
「そうですか…。なら、ご注意して下さい。今、コーヒーを持って来させますので…」
「なんだ? 偉くサービスがいいじゃないか」
 その言葉が終るか終らないうちに今年、配属された新入女子社員の森崎君がホットコーヒーを盆に乗せて持ってきた。
「ああ、ありがとう…」
 罰悪く、私は小声で礼を云っていた。それにしても程々は眠った筈(はず)だから、なぜ意識が遠退いたのか、が分からなかった。

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残月剣 -秘抄- 《残月剣②》第九回

2010年08月30日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《残月剣②》第九
 道場の裏手を流れる川縁(べり)には、もう薄(すすき)の白い花穂が風に吹かれて戦(そよ)いでいた。左馬介は小部屋に隠した錦袋に入った村雨丸を取り出すと、それを手にして川縁へと早足で出た。川の対岸は鬱蒼と繁る一面の竹林で、人の気配などは全くしない。左馬介は、袋から徐(おもむろ)に村雨丸を取り出すと腰に差し、静かに鞘(さや)から本身を引き抜いた。そうなのだ。左馬介が急に稽古場を出たのは、真剣で形(かた)を描こうと思ったからである。その真意は、竹刀では軽過ぎ、実戦には、そぐわない…と思えたからだった。流石、真剣は竹刀の比ではない重さがある。形(かた)はどちらも同じように描けるが、手にする重みの感覚が異なり、思うように滑らかな形が描けないのだ。そればかりか、迅速な捌(さば)きも熟(こな)せなかった。ずっしりとした重みを手指に感じつつ、左馬介は中段に構える。やはり本身は竹刀の比ではない。最初から本身で形をすべきだったのだ…と、左馬介は省みた。ぎこちないものの、それでも上段から崩し上段、崩し上段から袈裟掛けへと斬り下ろし、一通りの形を描ききった。自ら予想出来たことだが、必然として竹刀のような素早い捌きは出来なかった。さもあろう…と、その辺りは左馬介にも得心がいく。これ以降は本身で稽古をせねば、と左馬介は思った。


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