水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

短編小説集(70) 一石ゼロ鳥

2014年08月26日 00時00分00秒 | #小説

 何をやっても上手(うま)くいかない不器用な男がいた。つい先日など、ことのついでにと庭木の散水をしてホースを切るミスを犯した。どうすればホースをスッパリ切れるのか? と、誰もが訊(き)きたいような話だが、この男の場合、いとも簡単にそれをやってのけた。ある種、凡ミスの達人ともいえる不器用さだった。しかも、それだけではない。この男がホースを切った庭木は見るも不格好な枝ぶりで、剪定? と首が捻(ひね)れるお粗末さだった。これでは一石二鳥どころか、一石一鳥にもならない一石ゼロ鳥な訳である。まあ、他人がどうこう言う話ではない上に、有名作家ということで家人は何も言わなかったから、そのまま捨て置かれた。家人はすでに何を言っても無駄と諦(あきら)めた節(ふし)があった。
 こんな男が世の中で役に立っているのか? といえば、それがどうして、ほどよい塩梅(あんばい)に役立っていた。まあ、一日中、座ってモノを書くだけの作家だから、役に立っているのかは疑わしかったが、それなりに彼の本は売れていて、印税も困らぬ程度に入っていたから役立っていたのだろう。彼の顔は世間に少なからず知られていたから、この不器用さはカバーされていた。困っていたのは出版業界などの彼の原稿関係だった。
 書斎に置かれた電話が鳴り、男は受話器を取り、対応していた。
「お忘れですか?」
「そうそう…、この前の依頼だったよね」
「ええ! そうですよ! 先生は忘れぬようにとメモっておられました!」
「それなんだがね…。うっかり原稿の書き損じた紙と一緒にゴミへ捨てたようなんだ」
「あの、ご依頼をお受けになったご記憶は?」
「ははは…。記憶できるくらいなら、私がメモるかね? 君」
 男は逆に編集者を切り返した。
「はあ、それはまあ…。ということは、手つかずで…」
「ああ、まあね…」
「まあじゃありませんよ、先生! 私が編集長に怒られます!」
 編集者は半泣きの声で訴(うった)えた。
「分かった分かった。そう言うなよ、君。いつまでだった、ソレ?」
「来週、火曜です!」
「よし、分かった。あさって取りに来るだろ? その原稿と一石二鳥で渡すよ」
「大丈夫ですか!?」
 100%疑った編集者の声がした。男は編集者に、まったく信用されていなかった。
「大丈夫、大丈夫!」
「本当に大丈夫ですか!?」
 信用できません! と口から出かけた言葉を必死に止(とど)め、編集者はくり返した。明らかに不信を露(あらわ)にした確認だった。
「ああ…。じゃあ、切るよ」
 男は編集者の諄(くど)さに少しムッとして電話を切った。
 来週の火曜は、瞬く間に巡った。表戸がガラッ! と開き、家人に案内された編集者が馴(な)れたように書斎へ入ってきた。
「先生、原稿を取りに来ました。お願いします!」
「えっ!? 今日だった?」
 編集者は言葉を失い、ガックリと項垂(うなだ)れた。
 男は原稿を依頼されたことすら忘れていた。一石ゼロ鳥だった。 

                          THE END


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