あの津波で被害を受けた人々は、その事実を教訓とした。防潮堤などという気分的な安心で人々を救えないことも人々の教訓となった。もの凄(すご)い高額な予算を計上して作られた二重の防潮堤が、あの津波の前に無力だったことも人々は事実として知っていた。平地に町を再建するなら、住民が避難し、収容できる強固な避難ビルが必要だという発想が起こった。それも、全住民を収容し得る避難ビルでなければならないと…。もちろん、分散した小、中規模の避難ビルが何ヶ所かでもいい…と人々は思った。防潮堤に予算を当てるなら、まずそちらが先決だろう…というのが、現実を体験した人々の気持だった。むろん、高台に町を再建するならば、それもよし・・と人々は考えた。この場合、寝起きをする住宅地と漁業関係施設は切り離さねばならない。高台に出来た町と漁港や漁業施設とを結ぶ通行道路も必要となるだろう…と人々は思った。このように、人々は津波の教訓から多くのことを学んだ。それは、自然が人々に教えた訓示だった。人間は自然には勝てないと…。勝てない以上、被害を未然に防ぐか最小限にとどめるしか、人々には対応する術(すべ)がないことも教訓として知らされた。津波に無力だった防潮堤は、災害を抑えられる…という思い上がった人間の考えが引き起こした教訓だった。
あの放射能で馴(な)れ親しんだ故郷(ふるさと)や住家を捨てるという被害を受けた人々は、その事実を教訓とした。非常用発電機という気分的な安心で、人間、家畜や動物を救えないことも人々は教訓として知らされた。冷却不能に陥(おちい)り、メルトダウンという恐ろしい放射能汚染の事実を知った人々は故郷を離れねばならなかった。そして、今もこの現実は続いている。一端放出された放射能が短い歳月で消えない、いや、消せない事実も人々は教訓として知らされたのだ。自然の被害に対応し得ない非常用発電機や放射能を中和して消せない科学の力など、あってなしに等しいと…。家畜は死に絶え、或いは野生化して死の町と化した地域をさ迷い歩いている。その前に、なにも出来ない無力な人々の科学力。こんな科学力など無(な)かった自然に恵まれた遠い過去の方が…と被災した人々は思った。津波に無力だった非常用発電機は、技術は盤石(ばんじゃく)だ…という人間の科学技術への過信が引き起こした教訓なのだ。
○○年後、こうした幾つもの教訓を経(へ)て、人々は町を再建し、復興させていった。やがて、被災地に活気が戻った。そして、さらに歳月(としつき)が流れていった。
「いがったなぁ~~」
海底の巨大地震で、ふたたび大津波が襲ったとき、人々は完璧(かんぺき)な避難ビルで安全を確かめ合い手を取りあった。人々の住家に被害は出たが、放射能汚染や人的被害はなく、多くの尊い命は救われた。自然が無言で示した教訓を、人々が素直に受け入れた恩恵であった。
THE END
※ 再建とは、人間以外の動物、家畜への完全な保護対策をも含む。