[でしたら、少しお時間がいただけないでしょうか?]
「はあ…、それはまあ。すみません、あとからかけ直します!」
里山は人目を避(さ)け、携帯を切った。はて? なんなんだろう…とは思ったが、辞職届を出して以来、退職までの残務整理が忙しかったから、里山は深く考えなかった。そしてそのまま、駒井から電話があったことも忘れ、里山は帰途に着いた。
駒井からの携帯がふたたびかかったのは、里山が駅構内へ入ったときだった。人の喧騒(けんそう)で駒井の声が聞き辛(づら)い。里山は慌てて近くにあった駅のトイレへ駆け込んだ。上手(うま)い具合に人の気配はなかった。
「よく聞き取れなかったもんで、すみません。なんでしたでしょう? またオファー話なら、今立て込んでますので…」
[いや、そうじゃないなですよ。実は我が社の最高視聴率賞を里山さんのご出演の回が受賞する運びになったんです。それが明日ということで、ご案内を差し上げたようなことなんですよ]
駒井は書かれた文章でも読むように事務的に要件を話した。
「なるほど、そういうお話でしたか。私はよろしいですが…」
[そうですか。でしたら明日の夜8時から東都ホテルの鳳凰の間で立食パーティーを行いますので、是非ご出席下さい]
「分かりました。態々(わざわざ)、どうも…」
里山に断る理由はなかったから、二つ返事で了解した。東都ホテルはメジャーなホテルだったから、位置は一も二もなく分かった。帰宅後、里山は、カクカクシカジカ…だと沙希代と小次郎に伝えた。