水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

コメディー連載小説 里山家横の公園にいた捨て猫 ③<35>

2015年03月29日 00時00分00秒 | #小説

「じゃあ、始めようか…。♪そのうち、なんとかなるだろう~~♪ ははは…。まず、富澤君、そこへ座って」
 突然、歌いだした今日の監督は、ハイテンションで、かなりご機嫌だった。
「はい!」
 木邑(きむら)監督に抜擢(ばってき)された漫才の富澤たけじは、明治の洋服につけ髭(ひげ)姿で現れ、緊張の余り、操(あやつ)り人形のように畏(かしこ)まると書斎の椅子へ座った。苦沙弥先生役である。そして、演技指導のとおりペンを手にし、書きものをする仕草をした。その下を小次郎が通りかかるというメイキング映像のフラッシュ・シーンだ。
 木邑監督の声でフィルムが回り、現場が厳粛になった。周囲の者の視線が一斉(いっせい)に小次郎達へ注がれた。
 [吾輩は猫である]は、言わずと知れた文豪、夏目漱石の名作である。脚色は新進女流作家、猪熊芋香の書き下ろしだった。撮影は順調に進み、小次郎もそれなりの声で演技した。
「なかなか、いいぞ! 小次郎君。その声の調子、忘れずにな!」
 今日の小次郎の出番は、ニャ~とだけ猫語で鳴いて富澤が座る椅子の横を素通りするだけだった。木邑監督は、フラッシュの順調な進み具合に終始、ご満悦だった。里山としては、ただ小次郎の運びと世話をするのみで、これといってやることはない。退屈を紛(まぎ)らせるのは、いつもは絶対、出会えない男優や女優を目(ま)の当たりにして、その様子を見聞き出来ることだった。
「監督、今の程度の威張り具合でいいんでしょうか?」
 吾輩のご主人役である漫才の富澤が木邑監督へ伺(うかが)いを立てた。


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