人に気を遣(つか)った結果、思わずやろうとしていることを止(や)めたり遅らせることがある。こうした人の戸惑(とまどい)いを、気がね・・という。気がねする必要があるのかどうか? は疑問だが、我が国では、どうも世間体(せけんてい)や社会常識といった目に見えない圧力が存在し、変に思われないよう、人は気がねして避(さ)けることが多いようである。映画館の中で、持参した煎餅(せんべい)を誰に憚(はば)ることなくバリバリ! と食べる人には、気がねしてもらいたいとは思うが…。^^ 気がねしない他人に、自己中心的[今の時代、略語としてよく使われるジコチュ~]な感覚で咳払(せきばら)いをする人がよくおられるが、自分の行いだって、そう大したことはなく、咳払いされることもあることを忘れないでいただきたい。^^
とあるイタリアン・レストランである。一人の男がウェイトレスが運んできたパスタを食べようと、持参の箸袋(はしぶくろ)を徐(おもむろ)に背広の内ポケットから取り出した。マイ箸である。^^ そして、ゆったりと箸を手にするとパスタを、まるでうどんでも啜(すす)るかのように食べ始めた。言っておくが、ウェイトレスはもちろん、フォークも運んでいるからテーブル上にフォークが置かれている構図である。テーブルに座る周囲の客は、まるで異星人を見るかのように、その男を見遣(みや)った。そんなことはお構いなく、男は誰に気がねするでなく、ズルズルとパスタを食べ続ける。
『ああいうの、いやだわ…』
『ほう! 変な人だ…』
『ありゃ、天然だなっ!』
とかの視線がきついが、男は臆(おく)することなく食べ続ける。そして、口元(くちもと)をティッシュで拭(ふ)こうと手を止めたときである。偶然、他の客と視線が合った。
『…なにか、ご不満でも?』
という気分で、男はその客を見返した。見返された客は、思わず伏し目がちに目を逸(そ)らした。すなわち、その客は男によって逆袈裟斬(ぎゃくけさぎ)りに斬り返され絶命したのである。まあ、絶命したかどうかは疑問の残るところだが、男の気がね返しに敗(やぶ)れたことは確かである。^^
他の視線に怖(お)じなければ、気がねすることもなくなる訳だ。^^
完