水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

分析ユーモア短編集  <47>  出来る

2019年01月16日 00時00分00秒 | #小説

 個人差があったとしても、人はある程度までは本人の努力で出来るのである。この出来る・・という言葉を分析すれば、そこには[出来る]という気持の有る無しが影響していることが分かってくる。早い話、出来ると思う気分次第ということだ。単に「ホニャララが出来る」と自慢して言う場合は、ただ出来るのであって、本人の努力とは関係がない。^^ 「やれば出来るから頑張りなさいっ!」と言われたときの出来るは、今は出来ないが、努力をすれば出来る・・という気持を含んでいる訳だ。「いや、私ならそれくらいは食べられるっ!」と自慢する場合の出来るは内臓の能力であって、本人の努力とは関係がない。^^
 とある総合体育館でママさんバレーの練習が行われている。女子コーチは地元出身の元オリンピック選手だ。
「もう少しっ!! あなた達なら必ず出来るからっ!」
 と言いながら、コーチは内心では『この人達には無理かも…』くらいの気持で、奇跡以外、とても出来るとは思っていない。
「はいっ!!」「はいっ!!」…
 ママさん選手達から明るい声が異口同音(いくどうおん)に飛び出す。
 そして、数日が経ったとき、コーチの思っていた奇跡が起こったりする。^^
「やれば出来るじゃないっ!! ねっ!」
 コーチは言った言葉どおりになったことで、『自分の指導で選手達は出来る…』と、自(みずか)らの出来る能力に自信を持つ。^^
 出来る・・という言葉を分析すれば、まあ、このように分析出来る。^^

                                


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