すべての生物は、自分が主張する領域(テリトリー)というものを持っている。それは微視的(ミクロ)世界のバクテリアやウイルスの類(たぐい)に始まり、巨視的(マクロ)世界の人間まで及ぶ。その支配権の争奪は生物を超越した地球上の領有権にも波及し、あらゆる分野に見られるのである。この領域を侵害すれば、越権行為として両者間にトラブルが発生する。
「どうも風邪らしい…」
課長席に座る岩魚(いわな)塩味(しおみ)は手を額(ひたい)に乗せ、朝から熱ばった身体でそう言った。
「今日は無理されず、早退されたらいかがですか?」
課長席前の係長席に座る滝壺(たきつぼ)幸一は心配そうに岩魚を窺(うかが)った。
「ああ、そうさせてもらうか…。あとは滝壺君、頼んだぞ」
「はい! ご安心ください。お大事に!」
席を立った岩魚は足早に会社から去り、病院へと向かった。
整理加病院の老医師、炭火(すみび)は検査結果が出た岩魚を前に座らせ、ひと通り診(み)たあと、静かに言った。
「…ただの風邪ですな。よかった、よかった!」
何が、よかっただ! と少し怒れた岩魚だったが、思うに留めた。炭火は古くから顔馴染(かおなじ)みの医師だったこともある。
「で、どうなんでしょう?」
「ああ、大丈夫ですよ。…お薬をお出ししときましょう。インフルエンザじゃありません。インフルエンザはテリトリーを駄目にしますからなぁ~」
「テリトリー?」
「ははは…いやなに、体内細胞のことですよ」
炭火自身、新任医師の電力(でんりき)に内科のテリトリーを脅(おびや)かされていた。院内の噂(うわさ)では、次期の科長は電力だろう…というのが、もっぱらの評判だった。
「どうも、ありがとうございました」
「テリトリー…いや、お身体(からだ)が不調なら、またお越し下さい」
炭火に美味(うま)そうにほどよく焼かれ、岩魚はテリトリーの家へ戻(もど)った。そしてテリトリーの家で妻によって、ほどよく盛り付けられた。
THE END
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