悪いことはこそこそやるな。
どうせやるなら堂々とやれ。
最近、子供達に伝えていること。
例えば。
さっき、次男が漫画を読んでいた。受験生だから、決まった日にしか読んではいけないことになっているのに、その禁を破って。
私がそれを見つけたら、次男君は、こそって身体で漫画を隠そうとした。
私はすぐ言う。咎めた。
悪いことはこそこそやるな。
どうせやるなら堂々とやれ。
悪いことをこそこそやると、卑怯で、せこい、卑しい人間になる。
悪いことは、堂々とやれ。
ん?
悪いことをやっていいんですかい?
そう疑問に思う御仁も多かろう。
いい。
いいときもある。
何が「悪い」かは、時代によって変わるから。
堂々と、世間から「悪い」と思われていることを、勇気を出して、義憤を出して、しなければならないときもある。
孟子が「千万人といえども吾往かん」と喝破したのも、「”悪い”とされていても、自分で正しいと信じるなら、堂々と勇猛心を持って行え」ってこと。
河井継之助が「天下になくてはならぬか、あってはならぬ人になれ」と言ったのも、同じ。
「天下にあってはならぬ極悪人」にならねばならぬ時があるかもしれない。
世間的、人間の、10年単位の価値観から見て、たとえ「悪い」ことであっても、天の、神の、100年単位の価値観から見ると「正しい」ってことは、たくさんある。
だから、世間から「悪い」って思われても、堂々とその「悪い」ことをしなければならないときもある。
だから、
悪いことはこそこそやるな。
どうせやるなら堂々とやれ。
と教えている。
血迷っても、うちの子が、道徳的にどう見ても悪の、殺人とかを堂々とすることがない、という確信がある。
だから安心して「どうせ悪いことをするなら堂々とやれ」と言える。
おすすめの子育てだと思いますがいかがでしょうか!
母の日に、中2長男が、母(私の妻)に、プレゼントを買ってきた。
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このプチワッフル。
いいぞ。
優しく育ってくれてるのが嬉しい。
49年生きて来て1番嬉しいかも。
勉強よりも、何よりも、優しいのが一番大事。
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玄関の壁に、このフィリップ・マーロウのセリフを貼ってきたことがいくつか寄与したと信じたい‼️
毎朝、事務所周りのゴミ拾いをする。たった数分間だけど。
その間だけ、私は天理教信者になっている。
をしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまん
この8つの心の「埃」を取るために、天理教では掃除をたくさんする。
この8つの塵よなくなれ、と念じながらゴミをせっせと拾うんですが、別に、ゴミを拾ったらこの8つの塵・埃がなくなる論理的関係にはない。
だから、ゴミを拾いながら、「なぜ俺はゴミを拾うんだろう」なんて考えることもある。
公徳心を養うため? いろいろ考えはあろうが、一つは、「Giverになるため」。Takerになるのではなく。
「自分はGiverである」ということを自覚するため。ゴミを拾うことによって。
おい、お前はGiverなんだぞ、Takerになってはいけないんだぞ、という思いを、自分の身体に染み込ませて、血肉にし、それを自分の人格の一部にするため。
そう言える。そしてこの「Giverたること」ってのは、実は「公徳心を持つこと」とほとんど等しい。
公徳心のない者はTaker。タバコのポイ捨てをする人。
公徳心のある者はGiver。ゴミを拾う人。
齢50にして、ようやく私もGiverの仲間入りを果たさんとしている。
私の子どもたちにも、長じて、Giverになってほしいと思う。
世にGiverが増えれば、世の中はちょっと良くなる。
教育とは、学校で学んだことをすべて忘れた後に、残るものをいう。
アインシュタイン
ーーーーーー
アインシュタインの名言の中でも、私がいちばん好きなものの一つ。
本当にそう思う。
高校3年生の、12月? 1月? 最後の物理の授業。私は大学受験は物理で選択した。理数科の高校に通い、高2まで理系科目の方が得意だった。
物理の先生(担任の矢口祐一先生、通称「ブー」。高木ブーっぽい容貌から)が、最後の物理の授業で、
俺はアインシュタインになりたかった
と、人生の夢を語った。矢口先生は、隠居された今も、数学だか物理だかの問題を独り解いて楽しまれている。
教育とは、夢を語ること。
誰かがそう言った。
教育とは、背中を見せること。
これに同意しない人はいないだろう。
最後の最後に、夢を追う、その背中を見せた矢口先生に、生意気な高3の私は、「おいブー、いいこと言うじゃねえか、こういうのはもっと早めに言ってくれよ」と思ったのを思い出す。
誠にクソ生意気なガキであった。今もあまり変わっていないかもですが、、
物理のことはすべて忘れてしまいましたが(矢口先生、すみません)、最後の授業で夢をお語りになったその背中は、しかと心に刻ませていただいております。
私も、いつまでも、夢を語る人間でありたい。
次男11歳小6が、GW特訓の塾から帰宅するや否や、
お母さんお弁当おいしかった
と妻に。
中一の時の長男も似たようなことを言って妻を喜ばせていた。
ーーーーーー
いいぞ。
何気ない日常に感謝できる人間に育ってください。
感謝を言葉にすることができる大人に育ってください。
妻よ、いつも美味しいお弁当を作ってくれてありがとう。
何のために勉強するのか。
自分の頭でモノを考え、
自分の言葉で語る。
どんなことについても、これができるようになるため。
山本義隆。
全共闘とか予備校講師の、あの人。高校時代は天才の誉が高かったらしい。今82歳でご存命。
いい言葉だ。
ほとんどの人、そうですね、95%の人は、メディアが報じるように考え、メディアが語る言葉で語っている。
そういう「借り物の言葉」で語っている人って、会話して1分で、分かりますよね。「あ、この人中身薄いな」ってのが。
私も、世間様からそう見られている。話して1分が勝負。
その1分のために、本を読んだり、いろんな雑誌を定期購読したりして、情報収集と人格陶冶に努めています。
IPBA(環太平洋法曹協会)の仕事というか接待というか盛り上げ役で、連日、朝の2時、3時、4時まで、六本木とか渋谷とかで海外の友人をアテンドしてきました。
朝も早いので子供の顔を見るのは先週の日夜から一週間ぶり、、
なんだか次男の背が伸びていると感じた。
伸び盛り11歳だと、年に12センチ伸びることがあるから、一週間で、実際に、2.5ミリくらい伸びることはあるんですよね。
そんな子供の成長を感じられるのも今だけ。私不在で子供の塾の送り迎えをしてもらった妻には、大きな迷惑をおかけしました!
今の若者の多くは、「幻想的万能感」を抱いている。
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間違った万能感。
誤った有能感。
実力もないのに、俺は有能だ、アタシは能力あるのよ、という自惚れ。虚栄心。
この「幻想的万能感」があるので、打たれ弱い。脆い。フラジャイル。
自己愛が強く、万能感を維持したいので、出来なさそうな仕事には、最初からチャレンジしない。
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逃げる。
逃げて成功体験を感じちゃうと、また、逃げる。
そして逃げ続ける人生を歩む。
そしてそれを必死で正当化しようとする。
ま、どんな人間も、自分を正当化して生きていきますから、自己正当化自体はそれほど責められることではないかもしれませんが、、、
バランス、中庸の問題ですかね。
Facebookで堀内勉さんが書評を書いていたので、つい。
学問は自由をもたらす
と端的に思いました。筑駒といえば、群れない、自由闊達。
◆ 日本史の授業で、『青木周蔵自伝』(東洋文庫)ばかりを学んだ
…高校生で東洋文庫って、、 東洋文庫を蔵書に1冊でも持っていたら、かなりマニアックな本好きの部類ですよね。
◆ 英語のスピーキングは得意になる
◆ 農学校の伝統があり、昔は「農教」と呼ばれていた
◆ 近くの駒場野公園には、農学発祥の地「ケルネル田んぼ(田圃)」があり、そこで筑駒の生徒が稲作を今でもする
◆ 1953年当時、青空教室(馬小屋、天井がない!)だった
◆ トップ入学した中1が、入学者代表の挨拶で、ベトナム戦争を非難
◆ 小中学生のころに、積分の定理・公式を自分で発見し、同じことを教科書で見つける天才/秀才
◆ 中1の最初の理科の試験で、真っ白な元素表を全部埋めなさんって問題が出て、周りみんな埋めている、、
◆ 日銀総裁の黒田東彦さんは、筑駒(当時は教駒)時代の16歳、カール・ポパーの『開かれた社会とその敵』(未翻訳)を辞書を引きながら読んだ
◆ 東浩紀さんも筑駒。野田秀樹さんとか冨山和彦さんも。尾身茂さん、山田昌弘さんも。
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学問は人間に自由をもたらし、社会に自由をもたらす。
私ももっと勉強しようと思いました。