画一性はいけない。
画一的に対象を見て、レッテル貼りするのは良くない。
男にもいろんな人がいる。
女にもいろんな人がいる。
60代にもいろんな人がいる。
アメリカ人にもいろんな人がいる。
共和党員にもいろんな人がいる。
政治家にもいろんな人がいる。
弁護士にもいろんな人がいる。
それらを全部ひっくるめて、「男は…」とか「女は…」とか「アメリカ人は…」とか画一的な評論をしてはいけない。
動機は善でも、画一的な批評をすると、それは「不正」となる。
だから文学者の発言は、常にあらゆる種類の画一性への抵抗でなければならない。
文学者のみならず、弁護士の発言も、常にあらゆる種類の画一性への抵抗でなければならない。
弁護士のみならず、少数者の痛みに共感するものは、常にあらゆる種類の画一性への抵抗でなければならない。
政治家が機関車を走らせ、弁護士とか文学者が落ち葉拾いをする。
画一的ではない者、多数の鋳型に当てはまらないものへの愛を持つ。
それが文学者とか弁護士の役割。
紀藤正樹弁護士みたいに、「家庭連合信者は…」みたいな画一的な批評をしてはいけない。
画一化は、悪。
ジョージ・バーナード・ショーも、レッテル貼りは悪、反吐が出る、みたいなことを言っていた。
解像度を高める。
画一化しない。
そういう論評を心がけたい。