本日9月7日は、ティトゥス率いるローマ帝国軍がエルサレムを完全に制圧した日で、藤原不比等の娘・光明子が聖武天皇の妃となった日で、アルスフの戦いでリチャード1世の十字軍がサラーフッディーンを撃退した日で、フランス王フィリップ4世がローマ教皇ボニファティウス8世をローマ近郊のアナーニで捕縛した日で、兵学者・由井正雪らの幕府顛覆計画が発覚した日で、近藤重蔵らが択捉島の最北端に「大日本惠登呂府」の標識を建立した日で、ペドロ1世がブラジルのポルトガルからの独立を宣言した日で、義和団の乱で清朝と諸外国との間で最終議定書(北京議定書)の調印がおこなわれた日で、ロチュース号事件をめぐる国際裁判で常設国際司法裁判所はトルコの違法性を否定する旨の判断を下した日で、ナチス・ドイツがイギリスへの大規模な空襲を開始した日で、日本軍沖縄守備隊がアメリカ軍に降伏調印した日で、ニキータ・フルシチョフがソ連共産党第一書記に就任した日で、アメリカとパナマが1999年末にパナマ運河と運河地帯をアメリカからパナマに返還する条約に調印した日で、ブルガリアの作家ゲオルギー・マルコフが亡命先のロンドンでブルガリア内務省のエージェントにより毒入りの弾丸を打ち込まれた(9月11日に死亡)日で、東ドイツのエーリッヒ・ホーネッカー国家評議会議長が分断後初めて西ドイツを訪問した日で、ポーランドで非共産党系のタデウシュ・マゾヴィエツキ内閣が成立した日で、沖縄県・尖閣諸島近くの日本領海内で中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりをして公務執行妨害の疑いで漁船の中国人船長が逮捕された日です。
本日の倉敷は晴れたり曇ったりしていましたよ。
最高気温は三十一度。最低気温は二十三度でありました。
明日は予報では倉敷は雨となっております。お出かけの際はお気を付けくださいませ。
何処へ行く時であつたか其れは知らない。
狐は叔母に連れられて船に乗つてゐたことを覺えてゐる。
其の時は何と云うものか知らなかつた。
今考えて見ると船だ。
汽車ではない、
確かに船であつた。
其れは狐の五つぐらいの季と思ふ。
幼い時の記憶だから其の外の事ははっきりしないけれども、何でも秋の薄日の光が白く水の上にちらちら動いていたやうに思ふ。
其の水が川であつたか海であつたか又湖であつたか、狐は今其れを此処ではつきり云う事が出来ない。
兎角、水の上であつた。
狐の傍には沢山の人々が居た。
其の人々を相手に叔母は様々の事を喋つてゐた。
狐は叔母の膝に抱かれてゐたが叔母の唇が動くのを物珍らしそうに凝つと見てゐた。
其の時、狐は丁度、子供が耳に珍らしい何事かを聞いた時、目に珍らしい何事かを見た時、その瞳を上げてそれが何物であるかを究めやうとする時のやうな様子をしていたやうに思ふ。
其の人々の中に一人の年の若い美しい女性の居た事を狐は其の時偶、見出した。
そして狐は自分の目に見慣れない女性の姿を照れたり含恥んだりする心がなく正直に見詰めた。
其の女性は其の時は分らなかつたけれども、今思ってみると十七ぐらいであつたと思ふ。
如何にも色の青白ろく眉が三日月形に細く整つて二重瞼の瞳が如何にも涼しい面長な鼻の高い瓜実顔であつた事を覺えてゐる。
今、思い出して見ても確かに麗しいかんばぜであつたと信ずる。
着物は派手な友禅縮緬を着てゐた。
其の時の記憶では十七ぐらいと覚えているが、十七にもなつてそんな着物を着もすまいから、或いは十二三精々十四五であつたかも知れぬ。
兎角、其の縮緬の派手な友禅が其の時の私の目に何とも云えぬ美しい印象を与えた。
秋の日の弱い光が其の模様の上を陽炎のように揺ら揺ら動いてゐたと思う。
美人ではあつたが其の女性は淋しい顔立ちであつた。
何所か沈んでゐるやうに見えた。
人々が賑やかに笑つたり話したりしているのに、其の女性のみ一人除け者のやうになつて隅の方に坐って外の人の話に耳を傾けるでもなく何を思っているのか水の上を見たり空を見たりしてゐた。
狐は其の様を見ると何とも云えず気の毒なやうな気がした。
如何して外の人々は或の女性ばかりを除け者にしてゐるのか其れが分らなかつた。
誰か其の女性の話相手になつて遣れば好いと思つてゐた。
狐は叔母の膝を下りると其の女性の前に行つて立つた。
そして女性が何とか云つてくれるだろうと待つてゐた。
けれども女性は何とも云わなかつた。
却つて其の傍に居たお婆さんが狐の頭を撫でてくれたり抱いてくれたりした。
狐は酷くむずがつて泣き出した。
そして直ぐに叔母の膝に帰つた。
叔母の膝に帰っても其の女性の方を気にしては能く見返り見返りした。
女性は相変らず沈み切つた顔をして当てもなく目を動かしてゐた。
しみじみ淋しい顔であつた。
其れから狐は眠つて了仕舞つたのか如何成つたのか何の記憶も無い。
狐は其の記憶を長い間思い出す事が出来なかつた。
十二三の頃、同じような秋の夕暮。
外口の所で外の子供と一緒に遊んでゐると偶と遠い昔に見た夢のやうな其の時の記憶を喚び起こした。
狐は其の時、其の光景や女性の姿などはつきりとした記憶をまざまざと目に浮べて見た。
そして其の女性は不意に幼い狐の方を振り向き、真っ直ぐ狐の瞳を見詰めた事を思い出した。
その女性は哀しそうな顔をして狐の瞳を見詰めながら揺ら揺らと煌めく光に包まれて影を薄くしてその場から消えてしまつた……。
狐は其の女性が姿を消したことに驚き、気絶していた……。
思えば周囲に居た大勢の人達は誰も其の女性に反応してゐなかつた。
もしかして其の女性の姿を見てゐたのは狐獨りだつたのかもしれない。
其れが本当にあつた事か又生れぬ先にでも見たことか或いは幼い時分に見た夢を何かの拍子に偶と思い出したのか如何にも狐には判断が付かなかつた。
今でも矢張り分らない。
あれは夢かも知れぬ。
けれども狐は実際に見たやうな気がしてゐる。
其の場の光景でも其の女性の姿でも実際に見た記憶のやうにはっきりと今でも目に見えるから本当だと思つてゐる。
夢に見たのか生れぬ前に見たのか或は本当に見たのか若し人間に前世の約束と云うやうな事があり仏説等に云う深い因縁が或るものなれば、狐は其の女性と切るに切り難い何等かの因縁の下に生れて來たやうな気がする。
それで、道を歩いていても偶と狐の記憶に残つたそう云う姿そう云うかんばせの女性を見ると若しやと思つて胸が高まる時が或る。
若し其の女性を本当に狐が見たものとすれば狐は十年後か二十年後か其れは分らないけれども、兎角、其の女性にもう一度、何処かで遇うやうな気がしてゐる。
いつか確かに遇えるのだらうと信じてゐる。