狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

段菊(ダンギク)その5。

2018年09月24日 22時49分41秒 | お花に関する日記




 本日9月24日は、足利尊氏が北朝から征夷大将軍に任ぜられた日で、大坂の堂島米会所の設置が江戸幕府より公式に認可された日で、西南戦争の城山の戦いで西郷隆盛らが自刃して西南戦争が終結した日で、東京帝国大学が女子聴講生の入学を許可した日で、尖閣諸島中国漁船衝突事件の主犯として逮捕・拘留されていた中国人船長が処分保留のまま釈放された日です。

 本日の倉敷は雨が降ったりやんだりしていましたよ。
 最高気温は二十六度。最低気温は二十度でありました。
 明日も予報では倉敷は午後から晴れとなっております。





 上の写真に写っているお花は「段菊(ダンギク)」です。

 段菊のお花に関しては、2017年9月23日の記事2016年9月19日の記事2015年9月22日の記事2014年10月11日の記事もよろしかったらご覧くださいませ。
 2017年と2016年と2015年と2014年の段菊のお花の記事です。


 段菊のお花の花言葉は、「魅惑」ですよ。



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南の国の情熱のアロマ。

2018年09月24日 17時34分12秒 | 職場に関する日記
 




 昔々。
 亜剌比亜の偉いお坊様が恋を忘れた哀れな男に痺れるような香りいっぱいの琥珀色した飲み物を教えてあげたそうです。
 その男は心が浮き浮きして忽ち若い娘に恋をしたのだそうです。




 皆様、珈琲を飲みませう! 
 珈琲を飲んで陽気に愛のルンバを踊りませう!
 踊り狂いませう!
 既に恋に落ちているお方もそうでないお方も珈琲を飲んで嬉し恥ずかしの桃色桃源郷を目指しませう!
 情熱が何処に行ったか分からなくなって探しているお方。珈琲を飲むのです!
 内に潜んで何処にいったか分からなくなっている情熱を見つけ出し、嬉し恥ずかしの桃色桃源郷で幸せという至宝をその手に握り締め、至福の時を過ごすのです!
 お相手がいないとお嘆きのお方。珈琲を飲むのです!
 珈琲を飲んで狩りに出かけるのです! 
 獲物が口に入るのをひたすら待つのも狩りの技かもしれませんが、自ら相手の口に飛び込んでくる獲物は極めて稀な存在といえましょう。
 そんな獲物は居ないかもしれません。
 それに待っていてもその場所は獲物の居ない不毛の地かもしれないのです。
 不毛の地で遊んでいたいと言うのなら兎も角、そうでないのなら珈琲を飲んで狩りに出るのです! 
 狩りに出かけて恋の狩人となり、狩りを成功させて幸せという至宝をその手にしっかと掴むのです!






 ちなみに私が勤めているお店は陶芸を売っている陶芸店なのですが、奥は喫茶室になっております。
 喫茶室でお出ししている珈琲は400円です。
 お抹茶は500円
 和紅茶は500円
 お煎茶は500円
 ジェラートは400円
 抹茶ビールは500円
 となっております。

 抹茶ビールは最近始めました。
 大好評であります。




 皆様のお越しを心よりお待ちしております。



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『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』/米原万里

2018年09月24日 15時22分54秒 | 小説・本に関する日記





 昨日の夜は、米原万里のノンフィクション『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を読み返していました。
 少女時代にプラハのソビエト学校に通った著者が大人になって旧友達を探す為にソビエト崩壊後の激動の東欧・中欧を訪ね歩いて再会する3編のエピソードを綴っています。



 瑞々して軽妙な文章です。
 60年代のプラハや東欧・中欧のエピソードと90年代のエピソードがふんだんに盛り込まれていてスリリングに謎解きのように展開していきます。
 民族・イデオロギー・階級・宗教・矛盾・差別・国家・育った土地に翻弄されながらも生き抜いた人達の姿を描いています。



 面白いですよ。
 重くて苦々しくて厳しくて清々しくて優しいお話でありました。
 お勧めであります。


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焚書は序章に過ぎない。本を焼く者はやがて人間も焼くようになる。

2018年09月24日 13時36分04秒 | その他の日記




 言論人ならば文化人ならば或いはマスメディアであるならば、ある言論が気に食わないのならば言論の場で反論すればよい。
 訴訟を起こして相手を叩き潰すようなやり方や出版社に脅しをかけて廃刊を狙うとか本屋さんに圧力をかけて本を売らせないとかを扇動したり実際に行ったりする必要はない。
 言論の場で反論すればよいだけなのです。

 しかし何故か言論人や文化人や大手マスメディアに訴訟を起こして相手を叩き潰すようなやり方や出版社に脅しをかけて廃刊を狙うとか本屋さんに圧力をかけて本を売らせないとかを扇動したり実際に行ったりしている者達がいる。
 そのような下品なやり方は言論の場を縮小させるだけであるにもかかわらず、何故か行っている。
 そのような下品なやり方が反転して自分達に向かうという可能性は考えないのだろうか?
 そうなれば言論の場は荒涼とした場となってしまう。

 訴訟を起こして相手を叩き潰すようなやり方や出版社に脅しをかけて廃刊を狙うとか本屋さんに圧力をかけて本を売らせないとか、そのようなやり方は自分達の価値観は絶対でありその価値観に従わない者は問答無用で潰すという思想で独善的で排他的な考え方でしかない。
 気に入らない言論であっても言論の場でやり取りをして多くの人の判定を貰うのが言論人や文化人やマスメディアの正道のはず。
 訴訟を起こして相手を叩き潰すようなやり方や出版社に脅しをかけて廃刊を狙うとか本屋さんに圧力をかけて本を売らせないとか、そのようなやり方をするものは、『私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る』という精神は皆無であり言論の自由を脅かす者でしかない。

 驚くべきことに反差別団体と称する連中が本屋さんに圧力をかけたり出版社を威したりしている。
 差別と闘うことを目的とした団体が威圧行為で気に入らない言論を叩き潰そうとしている。

 ナチスドイツが行った退廃芸術排斥運動のことを知らないのだろうか?
 自分達の気に入らないものは問答無用で叩き潰すという行動に出ることは、他者の存在を無視した独善的で排他的な行為である。とは考えないのだろうか? 
 反差別団体と称しているにもかかわらず、そのようなことを一切考えないのだろうか?


 自分の気に入らないものは問答無用で叩き潰すことが是とされる世界ができたならば、そのような世界はどのような世界になるか? そのことを考えないのだろうか?
 訴訟を起こして相手を叩き潰すようなやり方や出版社に脅しをかけて廃刊を狙うとか本屋さんに圧力をかけて本を売らせないとか、そのようなやり方は何処に向かうか分からない。
 自分達が支持するものにそのようなやり方が問答無用で向かうかもしれない。とは考えないのだろうか?

 言論人ならば文化人ならば或いはマスメディアであるならば、ある言論が気に食わないのならば言論の場で反論すればよいはず。
 何故にそれをしないのだろうか?
 彼ら彼女らは言論の場を破壊したいのだろうか?


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