狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

戦いとは常に二手三手先を読んで行うものだ。

2018年11月14日 23時23分11秒 | 職場に関する日記





 本日11月14日は、徳川光圀が隠居した日で、清とロシア帝国が北京条約に調印した日で、明六雑誌が停刊した日で、パリにパスツール研究所が設立された日で、ネリー・ブライが八十日間世界一周の旅に出発した日で、ドイツ軍が山東半島南西岸の膠州湾を占領した日で、日本統治下の台湾で北埔事件が起きた日で、濱口雄幸首相が東京駅で右翼青年佐郷屋留雄に狙撃されて重傷を負った日で、ニューヨーク州アパラチンにマフィア幹部が集結してアパラチン会議が行われた日で、岡山県倉敷市水島と山口県徳山市(現・周南市)に石油化学コンビナートを設立することが決まった日で、皇居新宮殿が落成した日で、アメリカの火星探査機マリナー9号が火星周回軌道に到達した日で、渋谷・四谷などで行なわれた「沖縄返還協定批准阻止闘争」で革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)の学生ら約400人が渋谷で警戒中の機動隊や渋谷駅前派出所を鉄パイプや火炎瓶で襲撃して警官1名を生きたまま焼き殺し3名に重傷を負わせた日で、ドイツとポーランドがドイツ・ポーランド国境条約に調印した日で、カンボジアのノロドム・シハヌーク元国王が13年間の亡命を終え首都プノンペンに戻った日で、浦和レッズがアジアチャンピオンズリーグで初優勝をした日で、いい石の日です。

 本日の倉敷は晴れでありました。
 最高気温は十七度。最低気温は七度でありました。
 明日も予報では倉敷は晴れとなっております。




 接客の合間を縫って、11月22日から始まる備前焼作家・黒川元晴さんの個展の準備をはじめました。
 早めに準備をはじめて搬入日前日(この日が一番負担が大きい)の労力を出来るだけ減らそうという作戦です。
 まだ時間に余裕があるのでゆるゆると進めています。
 でも時間に余裕があると私は全く本気を出さないから進まないんだよね。
 この癖をどうにかしなければならないような気がするのだけれども、どうにかしなければならない期限が切られていないから全く本気で取り組む気にならない……。orz。

 ま、なんとかなるやろ。と思っているところなのでございます。

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『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』

2018年11月14日 19時34分50秒 | 映画・ドラマに関する日記





 昨日の夜は、映画『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』のDVDを観ていました。

 西暦2740年。
 連邦捜査官のバレリアンとローレリーヌは、あらゆる種族が共存していて「千の惑星の都市」と呼ばれるアルファ宇宙ステーションに派遣される。
 アルファ宇宙ステーションはその最深部に異変が生じていてた。
 謎の放射線汚染が広がっており、2人は事態の対処を任されている司令官の護衛を務めることになった。
 しかし、ヴァレリアンたちの前に突如、30年前に消えたはずの惑星・ミュールの一団が現れて司令官を連れ去ってしまう……

 監督、リュック・ベッソン。
 出演者は、デイン・デハーン、カーラ・デルビーニュ、クライブ・オーウェン、リアーナ、イーサン・ホーク、ハービー・ハンコック、クリス・ウー、ジョン・グッドマン、サム・スプリエル、ルトガー・ハウアー、など。
 原作は、ピエール・クリスタンとジャン=クロード・メジエールの名作SFコミック「バレリアンとローレリーヌ」だそうです。



 バーチャル・リアリティの描き方が上手いです。
 この描き方はもう既に多くの作品で描かれてはいますが、徹底しています。
 その徹底具合が凄いです。

 イマジネーション豊かな映像の作品です。
 はらはらどきどきのスペースオペラ。
 面白かったですよ。
 楽しめました。

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自由には常に多くの危険がつきまとう。囚われの身には自由になるというたった一つの危険しかない。

2018年11月14日 19時34分27秒 | その他の日記






 以下の文は、Japan Business Pressの『上海で異変、日本人がどんどん逃げ出している! 社会の急変に危機感? 先を争うように脱出する日本人居住者たち』と題した記事の転載であります。






        『上海で異変、日本人がどんどん逃げ出している! 社会の急変に危機感? 先を争うように脱出する日本人居住者たち』




   「上海の日本人居住者がどんどん減っています」 ―― 上海で日本人向けに食材を販売する経営者が明かす。 
   食材店だけではない。
   上海では、病院や日本語学校などでも、日本人の利用者は減少傾向にある。

   これは、数字をみても明らかだ。
   外務省の海外在留邦人数調査統計によれば、上海の在留邦人は2007年にニューヨーク、ロサンゼルスを抜いて1位(4万7731人)となり増加の一途をたどったが、その後、2012(平成24)年の5万7458人をピークに減少に転じる。
   人件費高騰による工場の撤退などの要因で、多くの駐在員とその家族が帰国の途についたのだ。
   そして2017年は4万3455人にまで減少した。
   都市別ランキングでは4位だった。

   上海には、独資で会社を設立した中小企業の経営者や、日本企業の現地法人などで働く日本人が数多くいる。
   2000年代前半、上海に乗り込んだ日本人が異口同音にコメントしていたのは、「中国には市場があり、上海には日本にはない闊達さがある」というものだった。
   上海ビジネスにどっぷり漬かる人たちも多く、「上海マイコツ(埋骨)会」と称した集まりもできた。
   だが今、滞在歴が10年、20年を超える“ベテラン”駐留者たちですら、先を争うように帰国しようとしているのだ。
   帰国を急ぐ理由はさまざまだ。
   年齢や家庭の事情などもあるだろうが、特に外国人が居留証を申請しにくくなったことは大きい。
   だが、筆者はもっと大きな原因があるのではないかとみている。
   それは、上海に住む日本人が上海に「明るい未来」を見出せなくなったことだ。

   かつては多くの日本人が上海に希望を見出してきた。
   政治体制こそ違うが、地方経済の縮小や少子高齢化が進む日本の行く末を思えば、いっそ中国の先進都市に身を投じた方が、日本を上回る安定した生活を送ることができる。
   むしろ、これから勝ち組になりたければ「中国を選択」することだ ── そう確信して中国に渡る人が少なくなかった。
   だが、上海に明るい未来があると信じる日本人はもはや少数派だ。



     1年半ぶりに訪れた上海の変化に唖然

   実際に上海を引き払い、日本に帰国した遠藤真紀さん(仮名)のケースを紹介しよう。
   上海の日系企業に現地採用されて活躍していた遠藤さんは、昨年(2017年)、20年ぶりに日本に帰国した。
   持ち前の明るい性格で現地の中国人と交流し、その生活は充実していた。
   「あなたこそ中国と心中する」といわれていた遠藤さんだっただけに、突如の帰国の知らせに誰もが耳を疑ったものだった。

   遠藤さんは日本への帰国後、上海を懐かしみ、この秋、1年半ぶりに訪れてみた。
   筆者は遠藤さんが長年住み慣れた街をさぞかし懐かしんで楽しんでいるのではないかと想像したのだが、筆者に届いたのは次のようなメッセージだった。
   「上海で私が通っていた馴染みの飲食店はすっかりなくなって、チェーン店ばかりになっていました。
    ひっそりと経営していた“地元の味”は跡形もありません。
    街はきれいになりましたが、共産党の“中国夢”のスローガンで覆いつくされています」
   「なんでもスマホで済ませられる生活は確かに便利です。
    けれども、自分の消費データはすべて企業に吸い上げられ、それが今後、個人の格付けに使われるといわれています。
    中国では13億人を格付けする信用社会システムが始まろうとしています。
    赤信号を横断すると減点、駐車違反でも減点です。
    点数が低いと航空券が買えなくなったり、子どもの進学先が制限されるなど、さまざまな制限を受けることになりそうです・・・」

   「社会信用システム」とは、政府が社会統治を強化する手段として、一般市民を点数で評価する仕組みだ。
   スコアが高い“エリート”は、飛行場のVIPラウンジでくつろげたり飛行機に優先的に搭乗できるなど、さまざまな優先権を獲得できる。
   一方、点数が低いと、移動の自由が妨げられたり、買い物の自由も妨げられるなど、多くの制限を受けることになる。

   遠藤さんが20年もの長い歳月を上海で過ごしたのは、何よりも上海という街を気に入っていたからだ。
   しかし、久しぶりに上海を訪れた遠藤さんは、「やはり脱出してよかった。ギリギリセーフだった」と語り、安堵の表情を見せる。
   帰国を選択した彼女の「第六感」は正しかったのだ。




     日に日に強まる息苦しさ

   そんな遠藤さんの報告を聞いて、筆者も上海の街を歩いてみた。
   久しぶりに訪れた上海の街は整然とし、市民のマナーが向上し、着ている服もおしゃれになっていた。
   スマホさえ持てばどこまでも利便性を追求できるシステムは、完全に日本を凌駕している。
   この1年で上海はまた大きく変貌していた。

   しかし、その変貌の先にあるのは一体何だろう。
   少なくとも遠藤さんは「明るい未来」を感じ取ってはいない。

   筆者は上海で何人かの日本人と話をしたが、その中の1人も「上海は、お金を稼ぐためだけの街だ。それ以外には何も楽しみがない」と言っていた。
   最近、帰国する日本人が目立ってきたのは、長年の変化を知る長期滞在者からすれば、急変する中国社会に危機感を持ってのことではないだろうか。
   便利さの代償としてあらゆる個人データを吸い上げられ、お金を儲けることと引き換えに「自由」を奪われていく――少なくとも上海はそんな街に方向づけられてしまっている。

   建国以来、徹底的な管理体制のもとに置かれ、それに慣れきってしまった中国の人々は、「自由」や「民主主義」に対する感度が鈍い。
   しかし、上海の在住歴が長い日本人たちは“炭鉱のカナリヤ”のように、日に日に強まる息苦しさを敏感に嗅ぎ取っているのではないだろうか。

                                                            姫田 小夏


                    転載終わり。



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