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狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

体が火照るってなんか響きがいやらしいと思わない? だって、体がホテルなんだよ?

2019年07月25日 23時28分35秒 | VSの日記





 本日7月25日は、ニカイア帝国がラテン帝国からコンスタンティノポリスを奪回して東ローマ帝国が復活した日で、プロイセンのカール・ヴィルヘルム・フェルディナント・フォン・ブラウンシュヴァイクがパリ市民に向けて「ルイ16世その他のフランス王族に危害を加えたら復讐する」との内容の宣言を発した日で、ロバート・スチーブンソンが蒸気機関車の試運転に成功した日で、日本で藩籍奉還が行われた日で、日本の公卿・諸侯の身分が廃止され呼称が華族に統一された日で、朝鮮半島の豊島沖で日本軍と清軍による海戦が行われた日で、ソ連のレフ・カラハン外務人民委員代理がロシア帝国が清と結んだ不平等条約の即時・無条件撤廃を表明した日で、オーストリアの国家社会主義ドイツ労働者党ナチスの党員がウィーンの首相官邸を襲撃してエンゲルベルト・ドルフース首相を暗殺した日で、廊坊事件が起こった日で、スイスの最高指導者であったアンリ・ギザン将軍がスイスの自由と独立を守るための武装中立を宣言した日で、イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世がベニート・ムッソリーニ首相を罷免・逮捕した日で、サリュート7号搭乗中のスベトラーナ・サビツカヤが女性では史上初の宇宙遊泳を行った日で、パリ市内の鉄道RERで武装集団(GIA)による爆弾テロが発生した日です。

 本日も倉敷は晴れでありました。
 最高気温は三十二度。最低気温は二十六度でありました。
 明日も予報では倉敷は晴れとなっております。




 先日、私の身に起こった不調は一晩で治ったと見せかけて、本日、再び復活。ぐぬぬ。
 身体が火照る。脱水症状が出ていたのでどうやら熱中症みたい。
 慌ててスポーツドリンクを飲んだり塩を舐めたりして凌ぎました。梅干しが美味しい。
 水分補給はしっかりとしなければならない。と思っているところなのでございます。

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『風と共に去りぬ』

2019年07月25日 20時29分04秒 | 映画・ドラマに関する日記




 昨日の夜は、映画『風と共に去りぬ』のDVDを観ていました。

 舞台は1860年代のアメリカ南部・ジョージア州。
 上流階級で農園主の長女スカーレット・オハラは同じく上流階級の青年アシュレー・ウィルクスに恋をしていた。
 しかしアシュレーは従姉妹のメラニーと婚約する。
 アシュレーとメラニーの婚約を知ったスカーレットは自分を選ぶようアシュレーに迫る。
 しかし聞き入れならなかった。
 結局、アシュレーはメラニーと結婚する。
 失意のスカーレットは腹いせにメラニーの兄チャールズと愛してもいないのに結婚をしてしまう。
 しかし夫のチャールズは結婚後すぐに南北戦争で戦地に赴き死んでしまう。
 未亡人となったスカーレットの前にかつてアシュレーとスカーレットとの間にあった騒ぎを知る人物・レット・バトラーが現れる……。

 原作は、マーガレット・ミッチェル。
 監督は、ヴィクター・フレミング。
 出演者は、ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブル、レスリー・ハワード、オリヴィア・デ・ハヴィランド、トーマス・ミッチェル、バーバラ・オニール、ハティ・マクダニエル、イヴリン・キース、アン・ラザフォード、ハリー・ダベンボート、ローラ・ホープ・クルーズ、キャロル・ナイ、オナ・マンスン、カミー・キングなど。




 言わずと知れた超名作です。
 公開は1939年。
 戦前にこんな映画を作っていたとは。凄いな。アメリカは。
 ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブル、演技力凄すぎ。
 目線や仕草で多くのことを語ってしまう。
 自由奔放で我儘で高慢で「子供か!」とツッコミを入れたくなるスカーレット・オハラがチャーミングに見えてくるし、斜に構えていて皮肉屋で「子供か!」とツッコミを入れたくなるレット・バトラーが格好良く見えてしまう。

 久々に観たけどやっぱり面白かったです。
 お勧めでありますよ。



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立法者にしろ革命家にしろ平等と自由を同時に約束する者は馬鹿か詐欺師だ。そうでないならば馬鹿であり尚且つ詐欺師だ。

2019年07月25日 18時38分56秒 | その他の日記



 革命的共産主義者同盟全国委員会=中核派の歴史をちょいと書き出してみましょう。



 1957年(昭和32年) 1月    黒田寛一や太田竜らを中心として、日本トロツキスト聯盟が結成される。

 1957年(昭和32年)12月    名称を、日本トロツキスト聯盟から、革命的共産主義者同盟(革共同)に改称。
                      太田らが中心のトロツキー派と、反スターリン派の黒田寛一・本多延嘉ら「革命的マルクス主義者グループ」(RMG)が対立していく。

 1958年(昭和33年) 7月    太田派が革共同から離脱し、日本トロツキスト同志会を結成。

 1959年(昭和34年) 8月    日本民主青年同盟の情報を警視庁に売ろうとしていたことを理由に、黒田が革共同から除名される。
                      その後を追うように、本多延嘉らRMGのメンバーも革共同から離脱。
                      反帝国主義・反スターリン主義の基本戦略を掲げて、革命的共産主義者同盟全国委員会(革共同全国委)が結成される。

 1960年(昭和35年) 4月    マル学同(革共同の学生組織)結成。

 1960年(昭和35年) 6月    安保闘争

 1961年(昭和36年) 3月    分裂したブント(共産主義者同盟)の半数が革共同へ移行する。

 1961年(昭和36年) 4月    全学連第17回大会。
                      ヘゲモニーをめぐりマル学同と「つるや連合」(ブント・社青同解放派)などが衝突。
                      マル学同は角材で武装して突撃。

 1962年(昭和37年) 6月    第6回参議院議員通常選挙に黒田寛一が出馬するも、落選。

 1962年(昭和37年) 9月    革共同第3回全国委員会総会。
                      社会党・共産党をのりこえて階級闘争を戦闘的に推進していくことを確認。
                      議長・黒田寛一派と書記長・本多延嘉派の対立が表面化する。

 1962年(昭和37年)10月末   政治局内の本多延嘉が「本多フラクション(本多、野島、陶山、北川、白井)」を発足。

 1963年(昭和38年) 4月    黒田派が脱党して革マル派を結成。
                      執行部を抑えた本多派は中核派を形成する。
                      中核派はブント、解放派、構造改革派(構改派)と連合4派を組み、全学連を独占する革マル派と対抗していく。

 1963年(昭和38年) 9月13日 「清水谷公園乱闘事件」中核派ら連合4は250名が集会しているところへ、革マル派150名が押しかけ、角材で乱闘。

 1964年(昭和39年) 7月 2日 「早大殴り込み事件」
                      革マル派の拠点である早大に、中核派、解放派、構改派の3派が殴り込み。投石、角材で渡り合う。

 1964年(昭和39年) 7月    全学連第20回大会。
                      会場を占拠する革マル派に対し、中核派130名がスクラムを組んで突入し激突。

 1965年(昭和40年)       連合4派から構改派が抜け落ちた中核派、社学同、解放派が三派都学連を結成。
                      日韓闘争(日韓条約締結反対闘争)。

 1966年(昭和41年)       革共同第3回全国大会
                      安保粉砕・日本帝国主義打倒の基本路線をうちだす。そのもとで中核派は70年安保・沖縄闘争に突入していく。

 1967年(昭和42年)10月20日 10・8羽田闘争。
                       佐藤首相の南ベトナム訪問阻止闘争。
                       三派全学連を構成する中核派はヘルメットと角材で武装して弁天橋で機動隊と激突。この闘いで中核派学生・山崎博昭が死亡。

 1967年(昭和42年) 11月   第二次羽田闘争。

 1968年(昭和43年) 1月    米原子力空母エンタープライズ佐世保寄港阻止闘争。

 1968年(昭和43年) 2月    王子闘争。
                      3月28日のデモで49人が基地内に突入。

 1968年(昭和43年)10月21日 10・21国際反戦デー。
                       都内各地で諸セクトが決起する中、中核派部隊は米軍タンク車の輸送を阻止するため新宿駅で闘争。
                       新宿は2万人の群衆が暴動に加わり、騒乱罪が適用された。

 1968年(昭和43年)11月21日 東大・日大闘争勝利全国学生総決起大会。

 1969年(昭和44年) 1月18日から19日 東大安田砦攻防戦。

 1969年(昭和44年) 4月27日 本多延嘉が破壊活動防止法違反(予備・陰謀)で逮捕される。

 1969年(昭和44年) 4月28日 4・28沖縄闘争。銀座で市街戦。

 1969年(昭和44年) 6月    都議会選挙。北小路敏が出馬するも落選。

 1969年(昭和44年) 6月 8日 アスパック粉砕闘争。中核派学生の乗っていた電車車両が切り離され全員逮捕。

 1969年(昭和44年) 8月17日から18日 広島大学闘争。

 1969年(昭和44年) 9月20日から22日 京大時計台闘争。

 1969年(昭和44年)10月から11月   「第1の11月決戦」
                           「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」「日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」のスローガンのもとに学生とともに労働者が武装闘争に決起した。

 1969年(昭和44年)10月21日 国際反戦デー。
                      新宿で市街戦。1600人逮捕。

 1969年(昭和44年)11月16日から17日 佐藤訪米阻止闘争。
                             蒲田で市街戦。2,500人逮捕。
 1969年(昭和44年)11月16日        中核派主力は午後3時30分、東京駅に約200名の部隊を結集。
                             品川駅で200の部隊と合流して400の部隊で午後4時20分に京浜東北線蒲田駅東口に到着。
                             機動隊との戦闘状態に入り、火炎瓶と催涙弾が応酬するが、20分で壊滅。
                             あとは電車が到着するたび200、100の小部隊が投入されるが次々に粉砕される。

 1970年(昭和45年) 4月28日 全国全共闘と全国反戦。6月行動委が共催の4・28闘争。デモ解散地に革マル派1000人が突入しようとするが入場を阻止。

 1970年(昭和45年) 6月    安保闘争。

 1970年(昭和45年) 7月 7日 中国人青年からの糾弾を受けて自己批判を行い、「連帯戦略」を形成・深化させる。
                      以降、中核派はありとあらゆる反権力的な大衆闘争に積極的に関わるようになる。

 1970年(昭和45年) 8月 4日 東京教育大学生リンチ殺人事件。
                      東京教育大学(現筑波大学)学生で革マル派の海老原俊夫を法政大学構内で殺害。
                      夕刻から革共同大政治集会。

 1971年(昭和46年)       1969年(昭和44年)のダメージのため1970年(昭和45年)は武装実力を控えていたが71年に入り戦闘力が復活。
                      1969年(昭和44年)11月決戦で質的に一歩高めた階級闘争を、さらにもう一歩すすめるための「死闘的調整期」であるとした。

 1971年(昭和46年) 2月   三里塚第一次土地強制収用阻止闘争。
                  
 1972年(昭和46年) 3月   破壊活動防止法違反で逮捕されて2年近く拘留されていた本多延嘉が解放。

 1972年(昭和46年) 6月15日から17日 沖縄返還協定阻止闘争。
                             明治公園に中核派を中心とする2万人のデモ隊が結集。公園周辺にバリケードを築き1時間にわたって解放区を現出。
                             デモ隊に紛れ込んだ赤軍派により爆弾が投じられ大混乱に。逮捕者732人。

 1972年(昭和46年) 7月    三里塚農民放送塔死守闘争。ダイナマイトが使用される。

 1972年(昭和46年) 8月 4日 革共同大政治集会。
                      秋期大決戦突入の号令。
                      大衆によるコザ暴動、三里塚での農民の闘い、ノンセクトの爆弾闘争の頻発。
                      これらの事件に中核派は影響を受け、「全人民的規模での『10・8』を!」と呼びかける。

 1972年(昭和46年) 9月    「三里塚決戦」第二次土地強制収用阻止闘争。
                      中核派は数千人を投入。

 1972年(昭和46年) 9月25日 「天皇訪欧糾弾」などを掲げて皇居内に侵入し、発煙筒などを投げつける。4人逮捕。

 1972年(昭和46年)10月20日 革マル派の美術学校生・水山を横浜国立大学構内で殺害。

 1972年(昭和46年)10月21日 10・21闘争。
                      ゲリラ戦の号令。新橋、有楽町で解放区型闘争。210人逮捕。

 1972年(昭和46年)10月23日 首都圏の中核派拠点大学に革マル派がテロ攻撃。

 1972年(昭和46年)11月14日 渋谷暴動事件。
                       沖縄返還批准阻止を掲げて渋谷で機動隊と衝突し、1人を殺害する。
                       池袋で発生したデモ隊と機動隊の衝突で永田典子が死亡。

 1972年(昭和46年)11月19日 日比谷松本楼を放火。警備員を殺害。

 1972年(昭和46年)12月 4日 関西大学構内内ゲバ殺人事件。中核派の学生2人が関西大学構内で革マル派により殺害される。

 1973年(昭和48年) 3月    対革マル戦争の路線対立で政治局員・田川和夫を除名。

 1973年(昭和48年) 9月    問題をめぐる意見の対立から沢山保太郎を除名。

 1974年(昭和49年) 2月 6日 琉球大学内ゲバ誤認殺人事件。無関係の一般学生を「革マル派メンバー」として琉球大学構内で殺害。

 1975年(昭和50年) 3月 6日 革マル派の機関紙「解放」発行責任者・堀内利昭(難波力)を、東京都渋谷区日通航空新宿営業所内で鉄パイプで襲撃し殺害。

 1975年(昭和50年) 3月14日 中核派書記長内ゲバ殺人事件。中核派最高指導者本多延嘉が川口市戸塚のアパートで革マル派に殺害される。

 1975年(昭和50年) 3月16日 中核派が記者会見。革マル派幹部である黒田寛一、松崎明、土門肇の「革命的処刑」など、革マル派への全面復讐を宣言。

 1975年(昭和50年) 3月20日 革マル派の岡本良治及び中島章ら3人が潜伏していた荒川区東日暮里今村のマンションに、鉄製の三段式のはしごで侵入。3人をバールで殴打し殺害。

 1975年(昭和50年) 3月27日 川崎市女子職員内ゲバ殺人事件。革マル派の川崎市職員を神奈川県川崎市役所裏で鉄パイプで襲撃し殺害。初の女性死者。

 1975年(昭和50年) 4月 1日 革マル派千葉県委員長・船崎新を東京都墨田区内の喫茶店で殺害。

 1978年(昭和53年) 5月 5日 京成スカイライナー放火事件。車両基地に留置していた京成電鉄のスカイライナーAE型に時限発火装置を仕掛けて全焼させる。

 1980年(昭和55年)       対革マル戦争を担いロンドンに亡命していた上口孝夫が帰国し、正統本多派と称して「『勝利に向っての試練』編集委員会」(試練派)を立ち上げ、中核派から分裂。

 1980年(昭和55年)10月30日 大田区南千束の路上で革マル派活動家を襲撃。一度に5人を殺害。

 1981年(昭和56年) 6月 8日 地下軍事組織である「人民革命軍」が、火炎放射器で霞が関第3合同庁舎(運輸省、建設省)を襲撃。
                      外壁を焼き、1階から8回までの窓やブラインドを破壊する。

 1983年(昭和58年) 3月 8日 主に「一坪再共有化運動」の是非をめぐって三里塚・芝山連合空港反対同盟が分裂。
                      「再共有化運動」に反対した中核派は、「北原派」を支持する。

 1984年(昭和59年) 1月 9日 全国一斉に五箇所の第四インター派メンバー宅を襲撃。
                      一人に頭蓋骨陥没させる重傷を負わせる。

 1984年(昭和59年) 7月    全国一斉にふたたび三箇所の第四インター派メンバー宅を襲撃。
                      一人に片足切断の重傷を負わせる。

 1984年(昭和59年) 9月19日 自由民主党本部放火襲撃事件。地下軍事組織である「人民革命軍」が、火炎放射器で永田町の自由民主党本部を襲撃。本部ビルの一部を焼失させる。

 1985年(昭和60年)10月20日 10.20成田現地闘争。三里塚第一公園での集会後、三里塚交差点付近で丸太、鉄パイプ、火炎瓶などを武器に機動隊と大規模衝突。
                      機動隊員に重傷者9名を含む59名に重軽傷を負わせたほか、活動家らが多数逮捕される。

 1985年(昭和60年)11月29日 国電同時多発ゲリラ事件。首都圏・大阪地区の国電運転線区で同時多発的に通信ケーブルを切断。さらに、浅草橋駅に突入・占拠し、放火。

 1986年(昭和61年) 1月20日 中核派全学連の副委員長代行を務めていた京都大学学生福島慎一郎が、一般学生に扮した数人の革マル派武闘派の鉄パイプによる襲撃で白昼の京大教養部構内にて殺害される。

 1986年(昭和61年) 4月15日 在日米軍の横田飛行場を狙って、車の荷台から「迫撃弾」と称した金属の塊5個を射ち込む。

 1986年(昭和61年) 5月 4日 迎賓館ロケット弾事件。東京サミットの式典会場となっていた迎賓館などを狙って、近くのマンションから「迫撃弾」「飛翔弾」と称した発射物5発を射ち込む。
                      実行犯として中核派活動家4人が逮捕・起訴される。

 1988年(昭和63年) 7月 1日 京都大学で、中核派活動家6人が革マル派の襲撃を受け負傷。

 1988年(昭和63年) 9月21日 千葉県収用委員会会長襲撃事件。千葉県収用委員会会長で弁護士の小川彰を鉄パイプで襲撃し、両足と左腕を骨折させる重傷を負わせる。
                      それとともに「収用委員会解体闘争」として収用委員全員に組織的に脅迫じみた手紙、電話などを送り続け、翌月、収用委員全員が辞任し千葉県収用委員会の機能が完全に停止する。

 1989年(昭和64年/平成元年) 2月8日 東鉄労(現JR東労組)水戸地本組織部長を襲撃し殺害。

 1989年(昭和64年/平成元年) 7月3日 東京都議会選挙で中核派系とされる長谷川英憲(杉並選挙区)が当選。

 1990年(平成2年) 3月14日 3.14原子力関係団体に対する同時「ゲリラ事件」で、消火活動にあたった消防士が殉職。

 1990年(平成2年) 4月12日 日本飛行機専務宅放火殺人事件。

 1990年(平成2年)11月12日 即位の礼に合わせ都内30数か所で迫撃弾の発射や列車運行装置の破壊などの同時多発ゲリラを行う。

 1991年(平成3年) 5月 1日 JR東労組水戸地方本部組織部長を襲撃し殺害。

 1991年(平成3年) 9月 4日 外務省審議官実父宅放火殺人事件他、同時ゲリラ事件。

 1998年(平成10年) 2月25日 革命軍が東京都世田谷区桜丘の運輸省(現・国土交通省)元航空局長の新築中の住宅に時限式発火装置を仕掛け、放火。
                     「『成田空港二〇〇〇年平行滑走路完成』攻撃を絶対に粉砕することを明らかにする戦闘宣言」と発表。

 1999年(平成11年)11月 8日  新東京国際空港公団(現・成田国際空港株式会社)次長の自宅に時限式発火装置を仕掛けて放火。

 2000年(平成12年) 8月26日  運輸省(現・国土交通省)幹部の車両に時限式発火装置を仕掛けて放火。
                       革命軍が「農民の営農破壊、生活破壊のためだけに暫定滑走路工事を強行してきた張本人」「強烈無比の爆破戦闘は、乗用車を大破し、家屋をも徹底的に破壊した」と軍報。
 
 2001年(平成13年)       「革共同第6回全国大会」を開催。「黒田哲学」に対する批判と、革マル派に対する「勝利宣言」が出される。

 2002年(平成14年) 4月22日 千葉県職員宅に時限式発火装置を仕掛けて放火。
 
 2002年(平成14年) 5月27日 鉄建公団訴訟をおこした国労闘争団員に対し、国労本部は除名を含めた統制処分をかけようとして国労臨時大会を開催した。
                      中核派幹部や活動家・国労組合員が、会場前でビラまき中に国労幹部に殴る、蹴る、首を絞めるなどの暴行をしたとして、警視庁公安部は国労組合員5人と中核派3人を逮捕した。

 2002年(平成14年)12月18日 中核派元幹部で中核派を批判する本を書いていた白井朗が何者かに襲われ、負傷。

 2003年(平成15年) 7月 8日 元中核派で列車の運航を妨害した威力業務妨害罪と機動隊を襲撃した凶器準備集合罪の二つの罪に問われていて保釈中に逃走し2年間逃げ続けていた男が警視庁に身柄を確保される。

 2003年(平成15年) 8月26日 千葉県警幹部と同姓同名の男性が住む民家に時限発火装置を仕掛けて放火。

 2005年(平成17年) 8月 4日 杉並区役所での「新しい歴史教科書をつくる会」教科書採択反対デモの中で、参加者の中核派活動家・北島邦彦が、ビデオ撮影をしていた男性に暴行を加えたとして逮捕される。

 2006年(平成18年) 3月 3日 迎賓館や在日米軍の横田飛行場などを狙って迫撃弾を発射し、爆発物取締罰則違反の罪に問われた中核派活動家に対し、東京地方裁判所が懲役12年の実刑判決を言い渡す。
                      被告人側は即日控訴。

 2008年(平成20年) 5月28日 中核派系全学連委員長ら5人が、傷害と公務執行妨害の容疑で逮捕される。

 2008年(平成20年) 5月29日 法政大学でデモが起こり、中核派学生活動家33人が逮捕される。

 2009年(平成21年) 5月12日 千代田区一番町でデモ行進中、警備に当たっていた警察官に体当たりなどをした中核派全学連委員長織田陽介が公務執行妨害で逮捕される。

 2011年(平成23年) 3月31日 3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の津波により発生した福島第一原子力発電所事故の後、日本や世界各国で反原発運動が活発化。
                      中核派は自派の機関紙やビラを配布するなどの宣伝活動に取り組む。
                      東京電力を通るデモを100人規模で行い、3人逮捕。

 2012年(平成24年) 3月13日 平成12年に運輸省(現・国土交通省)幹部宅の車両を爆破させた事件で、爆発物取締罰則違反容疑の関係先として、東京都立川市などにある中核派の非公然アジトなどが家宅捜索される。
                      非公然活動家が公務執行妨害の現行犯で逮捕される。

 2014年(平成26年) 1月14日 東京都知事選挙に立候補表明した鈴木達夫の支持を表明。
                      鈴木は動労千葉の顧問弁護士を務めるなど密接な関係にある。得票数12684で落選。

 2014年(平成26年)11月 2日 全国労働者総決起集会で行われたデモ行進の際、デモに参加していた京都大学の男子学生3人が警視庁公安部に公務執行妨害の容疑で逮捕される。
                      11日に前進社が、12日に京都大学熊野寮がそれぞれ家宅捜索される。

 2014年(平成26年)11月24日 第47回衆議院議員総選挙に鈴木達夫が東京都第8区から出馬。得票数16,981で落選。

 2015年(平成27年) 9月    中核派の活動家2人が公安警察のスパイであることが発覚したとされる福島大生の活動家を監禁して自己批判を迫り、建物から転落させ重傷を負わせたとして警視庁に逮捕される。

 2016年(平成28年) 2月29日 昨年10月の京都大学での抗議活動の際、バリケードを築き授業を妨害したとして、京都府警に中核派系全学連委員長の斎藤郁真容疑者ら3人が威力業務妨害容疑で逮捕される。

 2016年(平成28年) 3月 1日 同容疑で、同副委員長の作部羊平容疑者、同書記次長の森幸一郎容疑者、革共同中央学生組織委員会議長の深田力容疑者の幹部3人が新たに逮捕された。

 2016年(平成28年) 3月14日 1986年の東京サミットを妨害するため迎賓館などを狙って、迫撃弾5発を射ち込んだ中核派活動家ら3人の上告審が行われ、上告が棄却された。
                      須賀武敏被告を懲役11年、十亀弘史と板垣宏の両被告を同8年とした判決が確定した。

 2016年(平成28年) 7月10日 第24回参議院議員通常選挙投票日。東京都から出馬した鈴木達夫が16187票獲得。

 2016年(平成28年)11月 1日 警察庁が渋谷暴動事件に捜査特別報奨金を新たに設定し、大坂正明の逮捕に繋がる情報に300万円の懸賞金がかけられた。
                      また、大坂の逃亡を支援していたグループのリーダー格の男に逮捕状が請求された。

 2017年(平成29年) 5月18日 広島県内の非公然アジトの関係先を捜索した際に、抵抗した活動家の男2人を公務執行妨害などの疑いで逮捕。
                      なお、その内の一人は渋谷暴動事件の指名手配犯である大坂正明容疑者で6月7日に警視庁公安部が殺人など5つの容疑で再逮捕した。
                      同日、大坂容疑者と共にいた活動家の男を大阪府警察が犯人蔵匿容疑で再逮捕した。

 2017年(平成29年) 6月28日 東京地方検察庁が大坂正明を殺人罪や現住建造物等放火罪等で起訴した。6月30日には大坂と共にいた活動家の男を大阪地方検察庁が犯人蔵匿の罪で起訴した。

 2017年(平成29年)10月22日投開票の第48回衆議院議員総選挙に、元全学連委員長齋藤郁真が東京都第8区に「都政を革新する会」から出馬するも投票数2931で最下位落選。

 2018年(平成30年) 4月27日 殺人罪などで起訴された大坂正明被告をかくまっていたとして犯人蔵匿罪に問われた中核派の活動家に対し、大阪地裁は懲役1年8月の実刑判決を言い渡した。

 2018年(平成30年)11月 4日 東洋大学のキャンパス内に許可なく侵入し機関紙などの配布を行ったとして、建造物侵入の疑いで中核派系全学連の活動家2人が警視庁公安部に逮捕された。

 2019年(平成31年/令和元年)  4月21日執行の統一地方選挙の杉並区議会議員選挙で洞口朋子を、第25回参議院議員通常選挙の東京都選挙区に齋藤郁真を擁立することを発表。
                        洞口は「都政を革新する会」から出馬し、得票数3275票で当選。
                        齋藤は5月に2018年7月に京都大学構内に出入りしていたことを理由に住居侵入罪で逮捕・起訴されたため、参院選に出馬できなかった。





 革命的共産主義者同盟全国委員会・中核派は、これまで内ゲバで革マル派や革労協などを50人以上殺しています。
 その日本最大のテロリスト集団が支援しているとされる人物を一方的に支援する朝日新聞社は、取材能力が無いってことなのでしょうか?
 取材能力が無く情報の確認作業が出来ないからこそ日本最大のテロリスト集団が支援する人物を一方的に支援し応援しているということなのでしょうか?
 ちょっと調べるとその人物の周辺から物凄くやばい人がぼろぼろと大量に出てくるのですが、朝日新聞社はそんな人を一方的に応援し支援し続けているのはどのような料簡なのでしょうか?
 朝日新聞社は極左テロリストグループを支援していると考えてよいのでしょうか?





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