狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

吾木香(ワレモコウ)その10。

2019年09月22日 22時11分35秒 | お花に関する日記


 本日9月22日は、エイブラハム・リンカーン米大統領が奴隷解放宣言第1部を発表した日で、石井十次が日本初の孤児院・孤児教育会を岡山市内に創設した日で、アメリカ合衆国が降伏後における米国の初期の対日方針を発表してアメリカ単独による占領を規定した日で、坂町駅でヤミ米を押収しようとした警察官を在日中国人・朝鮮人が集団で襲撃した坂町事件が起こった日で、西ドイツのコンラート・アデナウアー首相が外交方針・ハルシュタイン原則を表明した日で、エジプトでアスワン・ハイ・ダム建設に伴うアブ・シンベル神殿の移転工事が完了した日で、G5でドル高是正のためのプラザ合意が成立して円が為替相場で急騰した日です。

 本日の倉敷は雨が降ったり曇ったりしていましたよ。
 最高気温は二十六度。最低気温は二十一度でありました。
 明日は予報では倉敷は晴れとなっております。



 上の写真に写っているお花は、「吾木香(ワレモコウ)」です。
 吾木香のお花に関しては、2018年8月23日の記事2017年8月19日の記事2016年8月15日の記事2015年8月15日の記事2014年8月13日の記事2013年8月3日の記事2012年8月2日の記事2011年10月3日の記事2008年9月23日の記事もよろしかったらご覧くださいませ。
 2018年と2017年と2016年と2015年と2014年と2013年と2012年と2011年と2008年の吾木香のお花の記事です。


 吾木香のお花の花言葉は、「変化」です。


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人間はインセンティブに反応する。それこそが経済学の核心だ。

2019年09月22日 17時11分05秒 | その他の日記


 思考実験をしてみましょう。

 同程度の経済力をもった2ヶ国があったとします。
 A国は貧富の差がほとんどない社会を目指します。その代わり経済成長は0。
 B国は経済成長5%を目指します。その代わり貧富の格差は激しい。
 この条件下では初年度はA国とB国の福祉や医療や教育に回されるお金の量はおそらく同程度。
 そしてA国の平均的な国民の所得はB国の富裕層には及ばないけれども貧困層の所得と比べるとはるかに上となります。

 しかし10年後にはどうなっているでしょう?
 20年後は?

 仮に初年度のA国とB国の経済力を100としたならば、
 2年目のA国の経済力は100のまま。B国の経済力は105となります。
 5年後のA国の経済力は100のまま。B国の経済力は約121となります。
 10年後のA国の経済力は100のまま。B国の経済力は約155となります。
 20年後のA国の経済力は100のまま。B国の経済力は約253となります。

 B国は20年後にはA国の約2.5倍の経済力を持つことになります。
 この状態だと格差が大きいB国の貧困層の所得は格差のないA国の平均的な国民の所得を上回ります。
 そしてB国の福祉や医療や教育の分野に回せるお金は、A国の約2.5倍となります。
 そしてB国の災害時や緊急時にまわせるお金の桁が違ってきます。
 災害時や緊急時に投入するお金の額が違えば救える可能性のある人の数が変わってきます。
 さらに余力ができたならば文化にまわせるお金の額も大幅に増えるはずです。
 余剰が増えれば富が富を生むサイクルができやすくなります。
 
 もしA国の周辺国がそれぞれ経済成長5%を達成しA国が経済成長が0だったなら、A国は周辺諸国の中で最貧国となります。
 A国と周辺国との間に経済格差が生まれることになります。
 A国の国際的な影響力は一気に下がることになります。
 そしてA国は最貧国の状態で他国と貿易をすることになり不利な状態となります。
 さらに、何処かの国を助けたいと思っても余力が無い状態なら助けることもできません。
 ギリギリの状態であったなら非常時において脆い体制となります。
 そして最貧国では文化は花開くことが難しくなります。
 ギリギリの状態では人は文化面にお金を投入したがりません。
 A国は文化面で衰退していく可能性が高くなります。
 そしてA国の文化面での他国との交流は縮小していくでしょう。


 勿論、上記のお話は机上の空論でしかありません。
 現実は様々なパラメーターが存在します。
 しかしレーニン・スターリン型の共産主義や毛沢東型の共産主義は構造上に欠陥があることが判明しています。
 レーニン・スターリン型の共産主義や毛沢東型の共産主義はある段階から必ず経済成長がストップしてしまいます。
 この欠陥を取り除くプランはまだ出てきていません。

 原始共産主義も小規模で構成員の価値観がほぼ一致している状態ならば可能かもしれませんが、国家単位では無理なことは判明しています。
 そしてレーニン・スターリン型の共産主義の社会や毛沢東型の共産主義の社会は平等な社会を作り出すシステムではなく究極の格差社会を作り出すシステムであることも判明しています。
 レーニン・スターリン型の共産主義の社会や毛沢東型の共産主義の社会は貧困者を救うシステムではありません。

 共産主義を奉じるお方は理論の再構築をすべきです。
 共産主義で経済成長ができるプランを構築すべきです。
 社会主義を奉じるお方も理論の再構築をすべきです。
 社会主義で経済成長ができるプランを構築すべきです。
 もし出来ないのならば共産主義や社会主義を捨て去ることも視野に入れるべきです。

 経済成長が無くても豊かさを感じることができる社会を作ろう。と述べるのは「経済成長策が私にはありません」と述べるのと同義です。
 政治家がもしこのようなことを述べるならば、それは超無能を意味します。
 政治家ではなく宗教家が述べる発言です。
 政治家がそのようなことを述べるのならば一方的な道徳で社会を縛ろうとする発言です。
 それでも政治の場で経済成長なしで豊かさを追求すると述べるのならばその豊かさとは何かを具体的に述べるべきです。
 しかしそれでも発言者が述べる豊かさとは別の豊かさが存在します。
 価値観の問題となります。
 価値観の違う人は排除ですか?

 福祉や医療や教育を重要視し格差を是正したい。と考えるならば、その為に経済を発展させて福祉や医療や教育に投入できるお金を増やそうと考えてもよいと思うのです。
 その為の方法論を考えるべきだ。と思うのです。
 お金は大事だ。と私は思うのです。

 そして人の欲望を軽視してはいけない。と私は思うのであります。
 欲望があるからこそ人は豊かになろうとするのだと思うのです。


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巨乳は作れる。しかし貧乳は天然物だけだ。

2019年09月22日 15時24分06秒 | VSの日記


 友人B宅での酒宴にお呼ばれした時のこと。

 友人Aが突然言いました。
 友人A「○○(←狐の本名)さん。中島敦の『山月記」』を暗唱しなさい」
 私・狐「分かりました。中島敦の『山月記』を暗唱します」
 友人A「いえ~い!」
 友人B「いえ~い!」

 私・狐「我が友のBは博學才穎、若くして将来を嘱望され佳人でもあったが、性、狷介、自ら恃む所頗る厚く、男に甘えることを良しとしなかつた。
     Bは胸が平らであることを悩み、豊胸の秘術を幾つか試した。
     男に甘えることを良しとしなかつたが男にモテたくはあり、豊かな胸になって男にモテモテの人生を送ろうとしたのである。
     しかし胸は容易に大きくならず、佳人ではあるものの、性、狷介であるが故に男にはモテない。
     Bは漸く焦躁に驅られて來た」
 友人B「おいこら待て」
 私・狐「この頃から其の容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で眼光のみ徒らに烱々として、曾て佳人として名を成していた頃の豐頬の美女の俤は何處に求めやうもない。
     數年の後、単身一地方官吏の職を奉ずることになつた。
     一方、之は己の結婚に半ば絶望した為でもある。
     曾ての同輩は既に遙か以前に結婚を果たし、我が昔、歯牙にもかけなかった其の連中の幸せな姿を眺めなければならぬことが、佳人として名を馳せたBの自尊心を如何に傷つけたかは想像に難くない。
     Bは怏々として樂しまず、狂悖の性は愈々抑へ難くなつた。
     一年の後、公用で旅に出、瀬戸内の島に宿つた時、遂に發狂した。
     或夜半。急に顏色を變へて寢床から起上ると、何か譯の分らぬことを叫びつつ其の儘下に飛び下りて闇の中へ駈出した。
     Bは二度と戻つて來なかつた。
     附近の島々を搜索しても何の手掛りもない。
     その後、Bが如何なつたかを知る者は誰もなかつた」
 友人B「改変はやめろ。そして私の胸を揶揄するでない」
 私・狐「翌年。私・狐は使命を帯びて出雲に旅し宍道湖の畔に宿つた。
     次の朝。未だ暗い中に出發しようとした所、宿のものが云ふことに、これから先の道に人喰いの雌虎が出る故、旅人は白晝でなければ通れない。今はまだ朝が早いから今少し待たれたが宜しいでせうと。
     天邪鬼な私・狐は宿の者の言葉を斥けて勇躍出發した。
     殘月の光を頼りに林中の草地を通つて行つた時、果して一匹の猛虎が叢の中から躍り出た。
     雌虎は、あはや私・狐に躍りかかるかと見えたが忽ち身を飜して元の叢に隱れた。
     叢の中から人間の聲で「危ない所だつた」と繰返し呟くのが聞えた。
     其の聲に私・狐には聞き憶えがあつた。
     驚懼の中にも私・狐は咄嗟に思ひあたつて叫んだ。
     『其の聲は我が友Bではないか?』
     私・狐はBと大学が同じでBにとつては数少ない友であつた。
 友人B「私は友達は多いぞ。友達が少ないのは○○(←狐の本名)ではないか」
 私・狐「叢の中からは暫く返辭が無かつた。
     忍び泣きかと思はれる微かな聲が時々洩れるばかりである。
     ややあつて、細い聲が答へた。
     『如何にも私はBである』と。

     狐は恐怖を忘れて叢に近づき、懷かしげに久濶を叙した。
     そして何故叢から出て來ないのかと問うた。
     Bの聲が答へて云ふ。

      自分は今や異類の身となつてゐる。
      どうして、おめ/\と君の前に浅ましい姿を晒せようか。
      且つ又、自分が姿を現せば必ず君に畏怖嫌厭の情を起させるに決つてゐるからだ。
      しかし今、圖らずも君に遇ふことを得て愧赧の念をも忘れる程に懷かしい。
      どうか、ほんの暫くでよいから我が醜惡な今の外形を厭はず、曾て君の友であつた此の自分と話を交して呉れないだらうか?

     後で考へれば不思議だつたが、其の時、狐は、此の超自然の怪異を實に素直に受容れて少しも怪まうとしなかつた。
     狐は叢の傍に立つて見えざる聲と對談した。
     都の噂、舊友の消息、狐が現在。それに對するBの感想。
     大学時代に親しかつた者同志のあの隔ての無い語調で其れ等が語られた後、狐はBが如何して今の身となるに至つたかを訊ねた。
     草中の聲は次のやうに語つた。

      今から一年程前、私が旅に出て瀬戸内の或る島に泊つた夜の事。
      一睡してから、ふと眼を覺ますと戸外で誰かが我が名を呼んでゐる。
      聲に應じて外へ出て見ると、聲は闇の中から頻りに私を招く。
      覺えず私は聲を追うて走り出した。
      無我夢中で駈けて行く中に何時しか途は山林に入り、しかも知らぬ間に私は左右の手で地を攫んで走つてゐた。
      何か身體中に力が充ち滿ちたやうな感じで輕々と岩石を跳とび越えて行つた。
      氣が付くと手先や肱の周囲に毛を生じてゐるらしい。
      少し明るくなつてから谷川に臨んで姿を映して見ると既に虎となつてゐた。
      私は初め眼を信じなかつた。
      次に之は夢に違ひないと考へた。
      夢の中で之は夢だぞと知つてゐるやうな夢を私はそれ迄に見たことがあつたから。
      どうしても夢でないと悟らねばならなかつた時、私は茫然とした。
      さうして懼れた。
      全くどんな事でも起り得るのだと思うて深く懼れた。
      しかし何故こんな事になつたのだらう。
      分らぬ。
      全く何事も我々には判らぬ。
      理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取つて理由も分らずに生きて行くのが我々生きもののさだめだ。
      私は直ぐに死を想うた。
      しかし其の時、眼の前を一匹の兎が駈け過ぎるのを見た途端に私の中の人間は忽ち姿を消した。
      再び私の中の人間が目を覺ました時、私の口は兎の血に塗れ周囲には兎の毛が散らばつてゐた。
      之が虎としての最初の經驗であつた。
      瀬戸内の島では直ぐに人に見つかってしまう。
      私は瀬戸内を泳いで渡り、中国山脈の中に逃げ込んだ。
      其れ以來今迄にどんな所行をし續けて來たか、其れは到底語るに忍びない。
      ただ、一日の中に必ず數時間は人間の心が還つて來る。
      さういふ時には、曾ての日と同じく人語も操れれば複雜な思考にも堪へ得るし經書の章句をも誦ずることも出來る。
      其の人間の心で、虎としての己の殘虐な行の跡を見、己の運命を振りかへる時が最も情なく恐しく憤どほろしい。
      しかし、其の人間にかへる數時間も日を經るに從つて次第に短くなつて行く。
      今迄は如何して虎などになつたかと怪しんでゐたのに、此の間ひよいと氣が付いて見たら己は如何して以前は人間だつたのかと考へてゐた。
      之は恐しいことだ。
      今少し經てば、私の中の人間の心は獸としての習慣の中にすつかり埋れて消えて了ふだらう。
      恰度、古い宮殿の礎が次第に土砂に埋沒するやうに。
      さうすれば、しまひに私は自分の過去を忘れ果て一匹の虎として狂ひ廻り、今日の樣に途で君と出會つても友人と認めることなく君を裂き喰くらうて何の悔も感じないだらう。
      一體、獸でも人間でも、元は何か他のものだつたんだらう。
      初めは其れを憶えてゐたが、次第に忘れて了ひ初めから今の形のものだつたと思ひ込んでゐるのではないか? 
      いや、そんな事はどうでもいい。
      私の中の人間の心がすつかり消えて了へば、恐らくその方が私はしあはせになれるだらう。
      だのに己の中の人間は、その事を此の上なく恐しく感じてゐるのだ。
      嗚呼。全くどんなに恐しく哀しく切なく思つてゐるだらう! 
      私が人間だつた記憶のなくなることを。
      この氣持は誰にも分らない。
      誰にも分らない。
      私と同じ身の上に成つた者でなければ。
      所で、さうだ。
      私がすつかり人間でなくなつて了ふ前に一つ頼んで置き度いことがある。

     狐は息を飲んで叢中の聲の語る不思議に聞入つてゐた。
     聲は續けて言ふ。

      他でもない。
      私は貧乳故に悩み数々の豊胸グッズを試した。
      私の部屋の中には豊胸グッズが山とある。
      之を始末して欲しい。
      産を破り心を狂はせて迄、私が生涯其れに執著した所のものを一部なりとも後代に残していては末代までの恥。
      死んでも死に切れないのだ。
      私の部屋の鍵は……」
 友人B「おい待てこら。私は豊胸グッズなど持っていないぞ」
 友人A「またまたそんなことを仰ってたくさん持っているのではないのですか?」
 友人B「持っていない!」
 私・狐「狐は筆を執つて叢中の聲が述べる場所を書き取った。
     部屋の鍵を保管している場所を吐き終つたBの聲は、突然調子を變へ自らを嘲るが如くに云つた。

      羞かしいことですが、今でも、こんな浅ましい身と成り果てた今でも、私は巨乳になっている様を夢に見ることがあるのです。
      巨乳になって男どもにモテモテになつている夢です。
      嗤つておくれ。
      胸が平らなことに絶望して虎になつた哀れな女を」
 友人B「馬鹿にしおって。虎になりたい。虎になって此奴等を喰い殺したい」
 友人A「まあまあ。落ち着いて。続きを聴こう」
 私・狐「狐はかつてのBの自嘲癖を思出しながら哀しく聞いてゐた。
     時に、殘月、光冷やかに、白露は地に滋く、樹間を渡る冷風は既に曉の近きを告げてゐた。
     狐は最早、事の奇異を忘れ肅然として此の友人の薄倖を嘆じた。
     Bの聲は再び續ける。

      何故こんな運命になつたか判らないと先刻は言つけれども、しかし考へやうに依れば思ひ當ることが全然ないでもないのです。
      人間であつた時、私は努めて人との交を避けた。
      人々は私を倨傲だ尊大だと云つた。
      實は其れが殆ど羞恥心に近いものであることを人々は知らなかつた。
      勿論、曾ての私に自尊心が無かつたとは云はない。
      しかし其れは臆病な自尊心とでも云ふべきものであつた。
      私の珠に非ざることを惧れるが故に敢て刻苦して磨かうともせず、又、私の珠なるべきを半ば信ずるが故に碌々として瓦に伍することも出來なかつた。
      愛嬌といういふものを覚えず気品といふものを身に着けることもなかつた。
      私は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによつて益々己の内なる臆病な自尊心を飼ひ太らせる結果になつた。
      人間は誰でも猛獸使であり其の猛獸に當るのが各人の性情だと云ふ。
      私の場合、この尊大な羞恥心が猛獸だつたのです。
      虎だつたのです。
      之が自身を損ひ、親を苦しめ、友人を傷つけ、果ては己の外形を斯くの如く内心にふさはしいものに變へて了つたのです。
      虎と成り果てた今、私は漸く其れに氣が付きました。
      其れを思ふと私は今も胸を灼かれるやうな悔を感じる。
      私には最早人間としての生活は出來ない。
      私の頭は日毎に虎に近づいて行く。
      どうすればいいの?
      私の空費された過去は? 
      私は堪らなくなる。
      さういふ時、私は向うの山の頂の巖に上り、空谷に向つて吼える。
      この胸を灼く悲しみを誰かに訴へたいの。
      私は昨夕も彼處で月に向つて咆えた。
      誰かに此の苦しみが分つて貰へないかと。
      しかし、獸どもは己の聲を聞いて、唯、懼れ平伏すばかり。
      山も樹も月も露も一匹の雌虎が怒り狂つて哮つてゐるとしか考へない。
      天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人私の氣持を分つて呉れる者はない。
      恰度、人間だつた頃、私の傷つき易い内心を誰も理解して呉れなかつたやうに。
      私の毛皮の濡れたのは夜露の為ばかりではない」
 友人A「嗚呼。哀れなる哉。B。胸が平らなばかりにこのような不幸に堕ちてしまう。哀れ、哀れよ」
 友人B「うるさい黙れ」
 私・狐「漸く四邊の暗さが薄らいで來た。
     木の間を傳つて何處からか曉角が哀しげに響き始めた。

      最早、別れを告げねばならぬ。醉はねばならぬ時が=虎に還らねばならぬ時が近づいたから。とBの聲が云つた。
      だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。
      それは我が親のことだ。
      彼等は未だ倉敷にゐる。
      固より私の運命に就いては知る筈がない。
      君が倉敷に歸つたら私は既に死んだと彼等に告げて貰へないだらうか?
      決して今日のことだけは明かさないで欲しい。
      厚かましいお願だが、彼等の孤弱を憐れんで今後とも道塗だに飢凍することのないやうにはからつて戴けるならば自分にとつて恩倖之に過ぎたるは莫い。

     言終つて叢中から慟哭の聲が聞えた。
     狐も亦涙を泛べ欣んでBの意に副ひ度い旨を答へた。
     Bの聲は併し忽ち又先刻の自嘲的な調子に戻つて云つた。

      本當は先づこの事の方を先にお願ひすべきだつたのだ。己が人間だつたなら。
      飢ゑ凍えようとする親のことよりも、自分の事を氣にかけてゐる樣な女だからこんな獸に身を墮おとすのだ。

     さうして、附加へて言ふことに、

      狐が歸途には決して此の途を通らないで欲しい。
      其の時には自分が醉つてゐて君を認めずに襲ひかかるかも知れないから。
      又、今別れてから、前方百歩の所にあるあの丘に上つたら此方を振りかへつて見て貰ひ度い。
      自分は今の姿をもう一度お目に掛けよう。
      脅かそうとしてではない。
      我が醜惡な姿を示して以て再び此處を過ぎて自分に會はうとの氣持を君に起させない爲である。
     -と。

     狐は叢に向つて懇ろに別れの言葉を述べて歩き始めた。
     叢の中からは、又、堪へ得ざるが如き悲泣の聲が洩れた。
     狐も幾度か叢を振返りながら、涙の中に出發した。
     丘の上に着いた時、狐は言はれた通りに振返つて先程の林間の草地を眺めた。
     忽ち一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを狐は見た。
     虎は、既に白く光を失つた月を仰いで二聲三聲咆哮したかと思ふと、又、元の叢に躍り入つて再び其の姿を見なかつた……」

 友人A「やんややんや。見事。見事に哀れなBを語り切った。褒めてとらす」
 私・狐「御褒めに預かり恐悦至極にございます」
 友人B「またかよ! また乳ネタかよ! 盆地胸の者を揶揄うのがそんなに楽しいのですか!」
 友人A「楽しいで~す!」
 私・狐「楽しいで~す!」
 友人B「貴方達は失恋した友人を慰める気はないのですか!」
 友人A「ないで~す!」
 私・狐「ないで~す!」
 友人A「弱った友人はとことん叩くが我等の鉄の掟。今宵は貴女が酒の肴ぞ」
 私・狐「さあさ。俎板の鯉となって我等に賞味されるがよい」
 友人B「ぐぬぬ。貴様らは赦さん」





 その夜は、とても楽しい酒宴でありましたよ。
 友人Bはお酒で潰しておきました。
 乳がなくてもそれが良いという人は居ますよ。多分。
 乳がなくても胸を張って、希望をもって生きるのです。


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『LUPIN THE IIIRD 峰不二子の嘘』後編

2019年09月22日 11時23分47秒 | 映画・ドラマに関する日記

 昨日の夜は、アニメーション『LUPIN THE IIIRD 峰不二子の嘘』の後編のDVDを観ていました。
 前編・後編を合わせて映画上映されたそうですね。
 その後編であります。

 「ルパン三世」の主要キャラクターにスポットを当てるスピンオフ「LUPIN THE IIIRD」シリーズの3作目で、「ルパン三世」シリーズのヒロインである峰不二子が主役であります。

 カリフォルニア東部。
 ランディは「コドフリーマイニング」から5億ドルを持ち出した末、殺し屋に追われ家もろとも自爆した。
 ランディの息子であるジーンは、横領金の隠し場所を知っているとして父を襲った殺し屋に追われる身となってしまう。
 峰不二子は、ランディにメイドとして雇われていたことからジーンと共に逃亡を開始する。
 殺し屋・ビンカムが不二子とジーンの前に現れた時……。




 ハードボイルドであります。
 原作漫画に近いルパンであります。
 やっぱルパンは峰不二子はこうでなくちゃ。

 このスピンオフ「LUPIN THE IIIRD」シリーズはそれぞれが独立しているのではなく、緩やかにお話が繋がっているようです。
 私は前作・前前作を観ていなくて、観る順番を間違えていたみたいです。

 面白かったですよ。
 スピンオフ「LUPIN THE IIIRD」シリーズを最初から観てみることにいたします。


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神が存在するとしたらそれはお前の内側だ。何かを貰う為に神を頼るべきではない。自分の内面にある意志の為に神を頼るのだ。

2019年09月22日 11時00分23秒 | サッカーに関する日記



 昨日は明治安田生命J2は第33節の日。
 我らがファジアーノ岡山は、アウェの東平尾公園博多の森陸上競技場でアビスパ福岡様と対戦でありました。
 試合結果は、1-1で引き分けでありました。
 得点したのは、中野誠也選手であります。

 悔しい引き分けでもったいない引き分けではあるのですが、お相手のアビスパ福岡様は降格争いに抜け出すことに必死でモチベーションは高い故に集中力があります。アウェで勝ち点1を積み上げているのでOKです。
 問題点だけを抽出して次の試合に集中しましょう。
 最終的な順位は毎試合ごとの勝ち点の積み重ねなのですから。次の試合のことに集中したほうがよいです。
 この時期に順位を気にすると余計なことを考えたり余計な力が入ったりします。

 次も楽しい試合が観たいです。
 期待していますよ。


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