狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

秋桜(コスモス)その9。

2019年09月24日 22時06分09秒 | お花に関する日記



 本日9月24日は、足利尊氏が北朝から征夷大将軍に任ぜられた日で、大坂の堂島米会所の設置が江戸幕府より公式に認可された日で、西南戦争の城山の戦いで西郷隆盛らが自刃して西南戦争が終結した日で、東京帝国大学が女子聴講生の入学を許可した日で、尖閣諸島中国漁船衝突事件の主犯として逮捕・拘留されていた中国人船長が処分保留のまま釈放された日です。

 本日の倉敷は晴れたり曇ったりしていましたよ。
 最高気温は二十五度。最低気温は二十一度でありました。
 明日は予報では倉敷は晴れとなっております。



 上の写真に写っているお花は秋桜(コスモス)です。
 秋桜のお花に関しては、2018年9月27日の記事2017年9月24日の記事2015年09月15日の記事2014年9月21日の記事2013年9月21日の記事2012年10月25日の記事2011年10月2日の記事2008年10月18日の記事もよろしかったらご覧くださいませ。
 2018年と2017年と2015年と2014年と2013年と2012年と2011年と2008年の秋桜のお花の記事です。

 秋桜のお花の花言葉は、「繊細な心」です。


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深夜の集会その12。

2019年09月24日 20時11分26秒 | 知人、友人に関する日記



 「では皆さん。頭に「ち」が付いて最後に「こ」が付く、最初は硬くて口に入れると柔らかくなるものが何か御存知ですか?」
 知人は鋭い眼光を皆に向けて問ひをかけました。
 一人の友人が手をあげました。
 其れから三人手をあげました。
 狐も手をあげようとして急いで其の儘止めました。
 狐はいつか内緒で讀んだ本で得た知識である答えが浮かびましたが如何も自信が無くそのようなことは人前で言えないと思ひそしてそのやうなことを知人が問ひかけたりはすまいと思ひ何だかどんなこともよく分からないといふ氣持がするのでした。

 ところが知人は早くも狐のその様子を見附けたのでした。
 「狐さん。あなたは分かつてゐるのでせう?」
 狐は勢いよく立ち上がりましたが、立つてみるとはつきりとそれを答へることができないのでした。
 狐の友人のうちの一人がふりかへつて狐を見てくすつと嗤ひました。
 狐はもうどぎまぎしてまつ赫になつてしまひました。

 知人はしばらく困つたやうすでしたが、目を狐の友人達に向けて「では貴女が答へなさい」と友人の一人を指名しました。
 するとその狐の友人ももぢもぢ立ち上つたままやはり答へができませんでした。
 知人は意外なやうにしばらくぢつと狐の友人を見てゐましたが、急いで「では。よし」と云ひながら、再び狐を指しました。

 「頭に「ち」が付いて最後に「こ」が付く、最初は硬くて口に入れると柔らかくなるものと言えば、狐さん、何か御存知ですか?」
 狐はまつ赫になって頷きました。
 けれどもいつか狐の眼の中には涙がいつぱいになりました。
 「ならば狐さん。頭に「ち」が付いて最後に「こ」が付く、最初は硬くて口に入れると柔らかくなるものを御存知なのでしょう?」

 さうだ。私は知つてゐるのだ。
 それはいつか内緒で讀んだいやらしい雑誌のなかにあつたのだ。
 いやらしい。
 さう考へると狐はたまらないほど自分があはれなやうな氣がするのでした。
 そして、せくはらを受けてゐると考へると自分があはれなやうな氣がするのでした。

 知人はまた云ひました。
 「狐さん。君は何を考へてゐるの?」
 知人は狐をギロリと睨み云いました。
 「答えはチョコです」
 うぐ。
 「はしたないことを考えていたのならば反省しなさい」
 ごめんなさいごめんなさい。いやらしいことを想像してしまつてごめんなさい。もうしません。

 「では今日の集会はここまでです」
 知人のお宅の中はしばらく片付けの音がいつぱいでしたが、まもなく皆はきちんと禮をして知人のお家を出たのでありました。


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この世の中に共産主義ほど犯罪的で恐ろしいものはありません。共産主義思想を取り入れた国は途端に貧乏になって駄目になる。共産主義は人間を人間扱いしなくなります。

2019年09月24日 15時10分05秒 | その他の日記



 スターリン型の共産主義や毛沢東型の共産主義は究極の格差社会を作るシステムでしかありません。
 共産主義は平等に富を分配する方法論をいまだに見いだせていません。
 全ての富を共産党のトップに集めてから富を分配する過程で万民が納得する公平で平等に分配する方法論が存在していません。
 人の価値観はそれぞれ違います。何が公平で何が平等なのかは人によって違うのです。
 共産主義者はそのことを理解していません。
 人の価値観は多様であることを認めようとしません。
 共産主義は多様性と対極に位置します。
 何が公平で何が平等なのかを共産主義のトップが勝手に決定します。
 そうしなければ富を分配する方法が無いのです。
 共産主義者は万民が納得する公平で平等な富の分配方法を見出していないのですから。

 共産党のトップが富の価値を決定するので共産党の幹部が有利となる冨の分配方法となります。
 権力も共産党の幹部に集中し富も共産党の幹部に集中することになります。
 このようなことをすれば自由主義社会では考えられないくらい凄まじい格差社会が誕生します。



 日本共産党の内部も凄まじい格差社会です。
 そして学閥やしがらみが大きく幅を利かせる組織です。
 日本共産党のトップを決める選挙が一切行われないのは権力をトップに集中させる為です。
 そして日本共産党は内部の人間の異論を許さない組織です。
 異論を述べた者は即座に除名処分となります。
 日本共産党は日本共産党のトップによる独裁体制を敷いている組織です。
 共産主義は独裁主義と親和性がとても高いのです。

 共産主義は自由を好みません。
 公平な分配を行うには価値観と統一が必要となります。
 その際、共産主義者にとって、統一されるべき価値観とは共産党のトップの価値観である、と乱暴に規定せざるを得ないのです。
 自由はその統一されるべき価値観を阻害するものとして、共産主義では好まれません。
 つまり、共産主義は自由主義とは相反する存在と言えます。


 日本共産党の党の綱領を読む限りでは、日本共産党は改憲勢力です。
 日本共産党が掲げている共産主義は、日本国憲法の理念と根本から異なります。
 しかし、日本共産党は自らを護憲政党だと名乗っています。
 これは、選挙民を欺く行為です。
 日本共産党は、選挙民を欺く行為を延々と行ってきています。


 共産主義は自由主義と相反します。
 そして共産主義は民主主義とも相反します。
 共産主義で国家を運営しようとするならば独裁体制にならざるをえません。


 自由主義を自任している人達はそして民主主義者でありたいと思う人達は、共産主義勢力と手を組むような勢力とは縁を切るべきです。 
 共産主義者と手を組むような勢力は共産主義の補完勢力でしかありません。
 自由主義を標榜していながら主義主張と相反する勢力と手を組む行為は、筋を通しているとは思えません。
 自由主義を自任している人達はそして民主主義者でありたいと思う人達は、共産主義勢力と手を組むような勢力とは縁を切るべきだ。と私は思うのであります。



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『かげろう絵図』

2019年09月24日 13時01分35秒 | 映画・ドラマに関する日記



 昨日の夜は、映画『かげろう絵図』のDVDを観ていました。

 江戸幕府の第12代征夷大将軍である家慶の治世が始まった頃。
 幕府の実権は将軍・家慶ではなく大御所となった前将軍の徳川家斉が握っていた。
 家斉の側近達が専横を極め、中でも中野播磨守石翁はその権勢を誇っていた。
 大奥では中野播磨守石翁の養女であるお美代の方が家斉の寵愛を受けていた。
 お美代の方は孫である犬千代君を将軍継嗣にしようと石翁と共に画策している……。

 旗本・島田又左衛門は、大奥に患者を送り込み大奥の内情を調べている。
 将軍側と大御所側との権力闘争で又左衛門は州軍側に付いていて、将軍側に有利な情報を集めている。
 又左衛門の甥・新之助は、叔父の性急な行動を危ぶむが……。

 ある日、大御所は病に倒れる。
 大奥周辺では怪事件が続発していて……。

 監督は、衣笠貞之助。
 出演者は、市川雷蔵、山本富士子、黒川弥太郎、志村喬、滝沢修、木暮実千代、河津清三郎、柳永二郎、坂東簑助、三田登喜子、阿井美千子、千葉敏郎、永田靖、松本克平、伊沢一郎、香川良介、南左斗子、矢島ひろ子、大和七海路、須賀不二夫、山路義人、水原浩一、春本富士夫、南条新太郎、光岡龍三郎、寺島雄作、清水元、寺島貢、尾上栄五郎、志摩靖彦、浅尾奥山、伊達三郎、市川謹也、天野一郎、葛木香一、南部彰三、賀原夏子、近江輝子、橘公子、目黒幸子、加茂良子、小柳圭子、綾英美子、瀬古佐智子、小林加奈枝、若杉曜子、浜世津子、原聖四郎、横山文彦、堀北幸夫、玉置一恵、五代千太郎、福井隆次、桜井勇、春日清、菊野昌代士、沖時男、浜田雄史、石原須磨男、岩田正、越川一、三浦志郎、滝川潔、南正夫、高原朝子、堀佐和子、戸村昌子、神脇絵須子、谷口和子、種井信子、など。
 原作は、松本清張の長編時代小説です。


 序盤は、主演である市川雷蔵様がなかなか画面に出てこないのです。
 序盤は物語を大きく広げているのです。
 市川雷蔵様が登場して物語の焦点が絞られ始めるのです。
 でもでも焦点が絞られ始めながらもさらに大きく広げる……。
 このお話をどのようにして畳んでいくのだろう? と思っていたならば、ラスト数分で一番盛り上がるシーンが入るのです。
 吃驚でありますよ。一番盛り上がるシーンが残り数分の時点なのです。
 さらにそこからどのように物語を閉めるのだろう? と吃驚したのです。

 終劇のやり方は本当に吃驚する終わり方でありました。
 今のTVドラマや劇場映画ならば絶対に苦情が殺到するような終わり方です。
 でもこの終わり方は余韻があるのです。
 観る側に「この物語の後はどのようになるのだろう? 登場人物達はどのようになるのだろう?」と想像させる終わり方なのです。
 観る人達を信頼してる終わり方です。
 全てを知らせて全てを見せなければ怒り出すような人達ではない、と信頼していますね。


 面白いですよ。
 楽しめました。


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